幸せのために10
むくりと上体を起こして意識をリビングへ向けた。
私が目覚めたのは何やらいい匂いがしてきたからである。窓の外は夕闇がうろついていて月と目が合った。
流石に父さんは帰っただろうとリビングへ顔を出すと部屋の明かりがついていた。
「父さん、なに、やってるの?」
「おお、澪か、おはようってか、今は夜か。腹減っただろ? 腕は落ちているかもしれんが味は保証するから安心しろ」
テーブルの上には色とりどりの料理たち。甘くて、香ばしくて、ちょっと酸っぱくて、そんな匂いの塊が私の鼻孔の奥をダイレクトに刺激する。
ぐぅぅ〜〜!
腹の虫も目の前に並ぶ料理を欲して泣きわめく。父さんに聞かれたのが恥ずかしくて腹を抑える。
吸い寄せられるようにテーブルに着くと、エプロンとシャツの袖を腕まくりしていた父さんがニカッと笑った。
私が起きてくるのを見計らったかのような出来立ての料理たち。湯気が私の好きな匂いを放ちながら天井へと昇っている。
「父さんの料理、久しぶり」
「そうだろう、俺もずっと作ってなかったからな」
昔は箸を機械的に動かして口に運んでいただけだった。美味しいのに、美味しいって言えなくて、せっかくの料理を台無しにしていたな。
だから分かる、父さんが私でどれだけ苦労していたのか、私がどれだけ迷惑をかけていたのか。
「いただきます」と手を合わせ、箸でおかずを挟む。騒がしい腹の虫に餌付けするように口の中で丁寧に噛み、咀嚼する。
温かい香りが口の中ではじけ傷跡のように余韻を残す。自然と瞼がとろんと垂れた。
「おいしい……父さんの料理ってこんなにおいしかったんだ」
今まで味わいもせずただ飲み込んでいたのが惜しい。
料理は出来なかったはずの父さんが私のためにここまでおいしい料理を作ってくれていた。
父さんの顔が見れず、もそもそと温かい料理を享受する。私をどう思っているのかは分からないが、何も言わず私が食べる様を喜んでくれているのは分かった。
「ごちそうさまでした」
「美味しかったか?」
かなり量があったはずの料理が綺麗さっぱり無くなっていた。
「うん、美味しかったよ。いままで感謝もしなくてごめんなさい」
「何を言っている、娘のために親がご飯をつくるのは当たり前だろ。それに澪は鬱状態だったんだ、食べてくれるだけありがたかったぞ」
「ありがとう、本当にありがとう……」
食器は私が洗うと立ち上がると父さんは二人でやろうと提案する。
母娘ではなく、父が積極的に娘と皿を洗うというのがなんだかおもしろくて思わず笑みがこぼれた。
「お、やっと笑ったな。やっぱり澪は笑った時が一番かわいいな」
「もう私は子どもじゃないよ」
「俺たちからしたらまだ子どもだ。いや、澪はハーフだから俺より短いし、もう大人でいいのか?」
「そうだよ、私は大人なんだよ。だから……ほら、お酒も飲める」
私は冷蔵庫の隣に置いてあったお酒の大瓶を掲げる。ここで一般的に呑まれているお酒で名前はなんて言ったかな? たしかニホンシュ? とかなんとか。
ぱっぱと皿洗いを済まし、交互に風呂に入る。父さんは泊まるつもりでいたのか寝間着や歯ブラシなど必要な物を揃えていた。
私としては嬉しい限りで、寝間着姿でワクワクしながらリビングに待機していた。
おつまみなど用意してしばらく待っていると風呂からあがった寝間着姿の父さんが戻ってくる。
「あがったぞ……それじゃあ、始めるか」
父さんは冷えている方が好みで、冷やしてあったお酒を取り出す。大瓶は重く蓋を開けて注ぐのに少し工夫が必要だった。
父さんの少し大きめのお猪口にラベルを上にしてとくとくと注ぎ、次は父さんが私のお猪口に注いでくれる。
なみなみと注ぎ、準備が整った私たちはお猪口を手に持つ。
「それじゃ、かんぱい!」
「かんぱい!」
こつんとお猪口同士を優しくぶつけ、私たちは口を付ける。
さわやかで、しかしアルコールがしっかり効いてくるこのお酒は口当たりがよく、あっという間にお猪口の底にわずかに残っているだけとなった。
「飲むのが早くないか? そんなだとすぐ酔っちまうよ」
「大丈夫だよ、お酒は昔から飲んでいるから簡単には酔わないよ」
お酒を飲むのは二回目? 三回目? まあ、以前に飲んだことがあるから感覚は分かる。酔ってやばいと思ったらやめればいいんだ。
「そうか、なら、とことん付き合ってもらうかな、俺も酒は久しぶりだ」
「そうそう、ほら、空になってるよ」
「おっと、悪いな」
空になった父さんのお猪口にお酒を注いでいく。
おつまみというのは豆類がほとんどで一粒摘まんでは口に放り込む。ぼりぼりとかみ砕き、お酒と一緒に流し込む。
父さんはそんな私をまるでビールを飲んでいるみたいだというが、私はビールを飲んだことがないからその感覚が分からなかった。
父さんとたわいない話をしているとお酒は四杯目へと突入していた。
いつからか身体がふわふわとしてきて気持ちよくなる。身体が熱くなって血流の音が聞こえてきそうだった。
ああ、この感覚、久しぶりだな。前に飲んでいた時の記憶はあまり覚えていないけど、この感覚は気持ちよくて……そして、なんだか寂しい気持ちになった。
紛らわす何かがないかときょろきょろ探すと、床に胡坐をかいて座っている父さんの膝が目に入った。
「ねえ、お父さん、そっちいってもいい?」
「ん? ああ、いいぞ。こっちこい」
「えへへ、ありがとう」
立ち上がると足が浮いている気がした。少しふらつきながらも父さんの隣に辿り着くとそのまま膝の上に座った。
「おい、どうしたんだ。もう子どもじゃないんだろ?」
「わたしはお父さんの子どもだからいいの。お父さんのお膝がいいの」
私がそういうと父さんの目元に涙が浮かび、目元を寝間着の袖で拭いていた。
「そうか……もう娘に甘えられることは無いと思っていたから嬉しいぞ、子育てを頑張った甲斐があったな。反抗期を我慢した甲斐があったな」
「わたしを育ててくれてありがとう」
父さんが私を抱きしめてくれる。頭を撫でてくれて、背中が温かくて、お酒とは違った気持ちよさがあった。
「澪は咲夜に似て美人に育ったな、良かったよ、俺みたいにだらしなく育たなくて」
「そんなことないよ、お父さんに似ているところもいっぱいあるし、この髪だって……お父さんとおそろ……い」
背中を預けていると温かくて段々眠くなってくる。頭がカクンと落ちるのを繰り返す。
考えていることと言っていることが噛み合わず自分が何をしているのかとっくの間に分からなくなっている。
父さんの膝の上にいること自体訳が分からなかったし、でも、それ以上に眠くなってどうでもよくなった。
「澪、眠いのか?」
「うん、眠い〜」
「それじゃあ、布団に行くぞ。ここじゃ風邪ひく」
「お父さんも一緒にねよ?」
「いいぞ、久しぶりに一緒に寝るか」
この時の私は言っていることを理解していなかったと思う。
今、こうして発言していることは翌朝、わずかな記憶からたどったものでしかなく、やっぱりというかなんというか、昨夜お酒を飲んでいた時の記憶はほとんど覚えていなかった。
翌日、恥を忍んで父さんに聞いてみた。
「ねえ、私ってリビングで寝たよね? 重くなかった?」
「いいや、澪は小さくて軽いからな、持ち運ぶには楽だったよ。それに娘に甘えられるならいつでもウェルカムだ」
耐えきれず顔を手で覆った。恥ずかしすぎて顔が赤いのを見られたくなかった。
でも、そんな私を心配してくれる父さんはとてもやさしくて、格好いい私の自慢の父です。
……でも、やっぱり私はまだ子どもなのかな?
なんだかんだ仲のいい親子
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