幸せのために2
「容態はどうだ?」
「ぎりぎり間に合いました。後少し遅れていたら危なかったです」
「よかった。澪を助けられた」
男女二人の声がする。おかしいな、私は死んだはずなのに……。それにこの声、どっかで聞いたことがある気がする。
その人は私の名前を呼んだ。いったい誰なんだろう、気になるが身体は動かない。
「う、あ……」
「……! 目が覚めたのか!」
意識ははっきりしないし、何かを考えるのも億劫。私に纏わりつく空気すら鬱陶しい。そして私の中では死に神とは違う黒い霧のようなものが渦巻いている。
ここはどこ? 天国?地獄? 私を呼ぶのはいったい誰なの?
重しを付けているみたいに上手く動かせない瞼を無理やり動かして目を開く。
長い時間が経過していたのか光に慣れず目の前がしばらく真っ白だった。徐々に色を目が受け入れるようになり、まだぼやけているがそれなりに回復すると、隣から女性の声がした。
「おはよう、澪ちゃん。久しぶり、なのかな?」
「……れ、ですか……?」
喉もあまり機能していないのか掠れている。逃げられるとは思っていないが、私の寝ているベッドの隣に立っていた赤髪の若い女性を警戒する。ついでに私が置かれた状況を見える範囲で確認した。
私がいるのはいたって普通のベッドに、着ているのはたぶん病院服、身体は筋力が衰えたみたいに動かない。この人の力は強くなさそうだけど、今の私がどうこうできる相手じゃなさそう。
身体を起こそうと腕に力を込めるが、頭部すら動かせる気配がない。そこまで衰えていたかと、仕方なく寝たまま女性に話しかける。
「たしは、どれ……らい、ねてい、の」
私はどれくらい寝ていたのと聞こうとしてところどころ掠れる。それでも女性は真摯に聞いて答えてくれる。
「驚いちゃうかもしれないけど、澪ちゃんは大体20年くらい寝ていたの。だから無理はしないで、身体、動かないでしょ?」
20年と聞いてまさかと思い、視線を動かして私は自身の腕を見た。
「あ、あぁ……」
驚きと納得が同時に押し寄せる。私の腕は骨が浮き出て見えるほどにやせ細っていた。指も脚も、恐らく胴体も。私の全身は見るに堪えないほどがりがりに痩せ細っている。
「私の事、覚えてる? と言ってもちょっとしか話したことなかったけど」
「わから、い」
そういえば、ここにいたはずの男の姿が見えない。真っ白な壁に真っ白なベッド。私の身体はいくつものチューブに繋がれていて、まるで……。あれ? 私、いま、誰みたいにって思ったんだっけ?
「現実と夢がごちゃ混ぜになって分からなくなっているのね。だけど心配しないで、すぐに思い出せるから」
女性の言葉には確信の意思が感じられた。疑問に思って何か聞こうにも声が出ない。思考はだいぶはっきりしているが返ってくる答えに耐えられるかどうか。恐らくまともな答えは返ってこないだろう。
ベッドサイドに置いてあるものに視線が引き寄せられる。そこにはカーキ色のリュックサックが主の帰りを待つようにそこに鎮座していた。
「そ、れ……」
「ん? あ、このリュックサック? これは澪ちゃんがこっちで使っていたやつだね」
身体の動かない私の代わりに女性がリュックサックを持ち上げて見せてくれる。なんとなく思い出した。そうだ、これは私が使っていた……あれ? 私が使っていたのはブラウンのリュックサックじゃなかったっけ?
やっぱり記憶が混濁している。いろんな記憶が混ざって私の考えることすべてが正しいようにも間違っているように思える。
どちらも正しいなんてありえないはずなのに、合っていて間違っている。
女性がリュックサックの中からいくつか物を取り出してくれるが、どれも見覚えがない。ただ、少し気になったのが茶色く色褪せた紙芝居のようなもの。
右上をホッチキスで留められていて、それは紙芝居ではなく絵が描かれたものを一つにまとめたものだった。
女性に身体を起こしてもらい、膝に置いてその紙を見つめた。
その絵は小さな子どもが描いたのかクレヨンで不格好に描かれていた。
だけど、そこに描かれているのが誰なのか分かる。水色の髪の女の子、判別できる特徴が一致する。
「わた、し、だ」
隣にいる女の子は誰か分からない。多分、この子がこの絵を描いたのだろう。
ぱらぱらとめくっていくと、女の子意外にも車いすの女性やスーツを着た男性が登場し、そのどこにも私と女の子は描かれていた。
そして、最後の一枚を見ようと必死に紙を指で摘まむと、女性に取り上げられた。
「今日はこれでおしまい。もう疲れたでしょう? しっかり寝て、また明日、お話ししましょう」
最後まで見せて欲しかったが、女性の言う通り私は疲れている。ずっと寝ていたにも関わらず急な眠気が襲ってきて、瞼を半分閉じると女性がベッドに寝かせてくれた。肩までしっかり毛布を掛けてくれて、消灯する。
「そういえば、私の名前を教えてなかったね。私は夢来。それじゃあ、おやすみ、澪ちゃん」
返事をする余裕もなく私の意識は夢へと誘われた。
結局分からない事だらけだ。聞きたいことは何も聞けず、思い出したのは背負っていたリュックサックのことくらい。
まあ、明日になればまた何か聞けるだろう。
私は、およそ20年ぶりに普通の睡眠へと身を投じた。




