other 死者
あの子が旅立ってからどれくらいの月日がたったでしょうか。
私はここから動くことはできないし、誰かを待ち続けることしかできない。私はそんな弱い存在。
名前は七瀬 咲夜。ぶっちゃけると幽霊です。深い森の中にぽつねんと建てられた墓でずっと一人、娘を見守ってきました。
澪はしばらく墓参りに来てくれていたのですが、徐々に回数が減っていき、とうとうこの国を出て行ってしまいました。
私の墓参りに来てくれる人は誰もいません。でも、不思議と寂しくはないです。少数ですが、不思議なことに森の動物たちとお話が出来るようになったからです。
いつからかは忘れましたが、気が付いたら国の様子など世間話をしていたり、暇つぶしをしていました。
死者に空腹はありません。何も食べなくてもこうして過ごせるのですから、不都合なものも死んでいるのだなと私は思います。
今日ものんびりと森を眺めます。動物が話し相手になってくれるので飽きはしません。
今日も私に会いに来てくれる人はいません。最後に墓参りに来てくれたのはいつだったでしょうか? 墓の周りは雑草で覆い尽くされそうです。
このまま成仏してもいいのですが、どうしてもあの子が心配で……あの子が無事でいることが分かったなら私は成仏します。
ですが確認する方法がありません。今頃どんなことをしているのやら。
……おや? 珍しくお客さんが来たようです。
おもてなしができないのは残念ですが、一体誰でしょうか?
「久しぶりだな、咲夜」
『……ッ!』
顔がハッキリ確認できた時にはその人に手を伸ばしていました。
何年待ったことでしょう。生前の頃に見た時と何も変わらないその姿に、私は感情の昂ぶりを押さえられません。
「一度も墓参りに来れなくて悪かったな」
「伊吹さん……私がどれだけ待ったと思っているんですか? あなたは長寿で私は短命。分かってはいても辛いものがあったんですよ? あなたにもう一度会うためにこうして化けて出、て……聞こえませんよね」
この人と付き合い始めた時に告げられた残酷な事実。はじめは耐えられなくて塞ぎこんでしまったけど、この人となら、そう思って私は私の思うように生きました。
結果、結婚して、娘を生んでしばらくして入院生活。澪はよくお見舞いに来てくれたけど、いっしょに遊んであげたことなんてほとんどない。
夫である伊吹さんは墓の周りの雑草を引っこ抜いてくれます。汗一つかかず、黙々と作業をしています。
『聞こえないでしょうけども、私の話を聞いてください。私たちの娘、澪は旅に出ていきました。私ではあの子が今、何をしているかなんてわかりません。不器用な子ですからきっと苦労しています。伊吹さん。あの子に出会うことがあったら、手を差し伸べてあげてください』
「……安心しろ」
『……え?』
今、伊吹さんが私に返事をしたような……気のせいよね、死者の声なんて動物がたまに気付いてくれるくらいだし。
雑草を抜き終わると次は墓を磨いてくれる。最後にお供え物を墓の前において手を合わせてくれる。
『伊吹さん、私はあなたと結婚したことを後悔していません。先に死んでしまいましたが、代わりに娘が生きています。私が伊吹さんを愛するように、伊吹さんも澪のことを愛してください』
「俺は咲夜のことも澪のことも愛している。だから、安心しろ。澪を決して不幸なままにはさせない」
『伊吹さん……もしかして、私の声が――』
その瞬間、伊吹さんの右耳から大量の血が勢いよく噴き出した。
『……ッ!?』
突然の光景に私は言葉を失いました。伊吹さんは頭をフラフラとさせながらも目はしっかり私を見ています。
「どうやら、限界のようだ。もう、咲夜の声が聞こえない。残念だ、もっとその優しくて柔らかい声を聞きたかったよ」
『一体、何が……』
「澪は今、苦しんでいる。偶然にも辛いことを連続して体験し、澪の心は荒んできている。平気な面をしているが、助けを求めているのが丸わかりだ」
どういうこと? 伊吹さんは澪に会ったの? それに澪が苦しんでいるって……。
「俺の耳は死者の声を聞くことができた。会話をすると負荷がかかって痛くなるが、咲夜の声がどうしても聞きたかった、伝えたかった。澪のことは俺が必ず助ける。澪がどこにいるかは分からないが、俺の生まれ故郷なら場所を特定できるかもしれない」
『ふふ……あなたの言っていることはまるでファンタジーね』
でも、安心した。澪のことを避けていたように思えた伊吹さんが、澪を助けてくれるって約束してくれたから。
私は幸せに成仏できるかも。
「昔、俺は澪のことを避けていた。咲夜みたいに短命で俺より早く死ぬんじゃないかと思ったら、耐えられなくて逃げ出していた。情けない話だが、俺は澪と関わるのが怖かった」
今すぐ伊吹さんを抱きしめてあげたいが、この場から一歩も動くことができない。そんな自分が恨めしい。
伊吹さんは自分の右耳を指さして悲哀な顔をする。
「澪に俺のような能力が遺伝していないか心配だが、故郷でもそれは確認できなかった。もし、何か遺伝していたら澪はこれからも苦しみ続ける。一刻も早く手を打たないと」
能力? 死者の声が聞こえるような能力なんて……澪は右目の視力が無くなったくらいで能力は……。
『そういえば澪は一度、私に未来が見えたって教えてくれた……!』
これをどうしても伝えたい。伊吹さんに伝えてあげたい。でも、方法がない。
伊吹さんの能力はもう頼れない。どうにかして伝えられないだろうか。
「それじゃあ、俺は行くよ。次来るときは澪も一緒だ」
『待って! 澪は能力を持っていて!』
伊吹さんは私に背を向けて歩き始めた。
必死に手を伸ばしたところでどうにもならない。せめて、せめて一歩前に進めれば――
『お願い! 届いて!』
前触れもなく、ふいに右足が前に出た。
私は動いてと願った足が前に出たことに驚いてバランスを崩す。
でも、転んでいる暇はない。崩れた態勢のまま、私は伊吹さんに抱き着いた。
……一瞬、たった一瞬だけど、私は伊吹さんの背中に通り抜けることなく抱き着くことができた。
しかし、その喜びは束の間、夢のように通り抜けて、地面に手を着いてしまう。
「今、背中に感じた温かさは……もしかして、咲夜、お前は今、そこにいるのか?」
伊吹さんがしゃがみこんで的確に私の場所を見つけてくれる。
見えないはずなのに、聞こえないはずなのに、私を見つけてくれた。
『そう、私はここにいる! だから届いて! 澪は能力に目覚めているから今も苦しんでいる! だから、何もできない私の代わりに助けてあげて!』
こんなに積極的になったのはいつ以来だろうか? 私がまだ、少女だった頃か伊吹さんに出会った時か、こんなにも必死なんだから、神様、どうか伊吹さんに届けてください。
「……ああ、届いたぞ、そうか、だから澪は旅に出たのか……任せろ! 後は俺が何とかしてやる!」
差し出してくれる手に私は手を伸ばす。手と手が触れる瞬間、伊吹さんは私の手を握ってくれたが……その手は残念ながらすり抜けてしまった。それでも交錯し合う瞬間に感じた温かさは本物でしょう。
「咲夜、愛している」
『伊吹さん、私も愛しています』
まるで結婚前の恋人のように私たちは囁く。私の声は届かなくてもきっと気持ちは届いている。
これでよかった。これで私は……。
「いってきます」
『いってらっしゃい』
生前、ほとんど言うことのなかった挨拶は自然に発せられた。
伊吹さんを見送り、背中が見えなくなったところで墓に戻る。
自由に動けるようになったにも関わらず、私は墓に戻ることを望んだ。
実は先ほどから視界がぼやけ始めて、周りの景色をはっきりと見ることができなくなっていた。
『もっと澪と遊んであげたかったな。絵本だけじゃ飽きていたでしょうに、それでも我慢して付き合ってくれて……家族で旅行とか憧れていたんだけどなぁ』
未練が押し寄せてくるがこれらが晴れることはけしてない。
だから、代わりに澪が旅の中で楽しさを見いだせてくれたらと願う。
『伊吹さん……澪……私はいつまでも二人を愛しています』
もうほとんど見えなくなった視界は空を仰ぐ。
『今日も空が青いですね』
たとえ視界がぼやけようとも、空の青はごまかせない。
たとえ雲が空を覆い尽くそうと、空の青は変わらない。
『たとえここから二人が見えなくとも、空の青は二人を見ている』
もう、何も見えなくなった視界でも瞼の裏に空の青を覚えている。
『二人が行く先の空には青が広がっていますように』
目を瞑り、意識を手放した私は空の青へと還っていった。




