二つの命20
病院にたどり着くまでの間、一度も時計を確認しなかった。
今更確認したところで何かが変わるわけではない。そんなことよりもあいちゃんが眠る病室へ急ぐ。
病室のある階にたどり着くと扉は開かれていた。丁度、中から医師と看護婦が数人出ていくところだった。
鞄から『命』が入ったケースを取り出しながら病室へ駆け込む。
そこにいたのは、ベッドに顔を埋めているママさんと、その肩を優しく撫でているパパさんがいた。
そしてあいちゃんは――。
「どうして……」
今更やってきた足の疲労に耐えられずその場に膝を着く。立ち上がることも出来ずに床で這うように醜く手を動かした。
「――ッ! 七瀬さん!」
音に気付いてパパさんが私に肩を貸してくれて、椅子に座らせてくれる。
――そこからはあいちゃんの顔がよく見えるはずの場所。今は白い布で顔が隠されて見えない。
「……いつ?」
「知らない方が――」
「教えて下さい」
パパさんの厚意を遮る。間に合わなかったことは分かっている。意味のない事だって分かっている。……それでも知っておかなければならない。
「三十分前だ」
「……そう、ですか」
三十分前、そのとき私は何をしていた? 襲撃にあった時? 未来を見た時? 男の子を助けたとき? 襲撃に遭わず男の子も助けなければ間に合った?
……ううん、きっと間に合わなかっただろう。たとえあいちゃんがまだ息をしていたとしても間に合わなかった。そのことを今から説明しなければならない。
私は抱えていたケースをパパさんたちに見せる。
「これについてなんですが……」
話しづらい。話してしまうことが怖くて唇が震える。
「それが『命』かい?」
「はい、これが求めていたものです」
「それで愛唯を救うことは可能だったか? ……生き返らせることはできるのか?」
パパさんは最後の希望とばかりに私の持つケースを見つめる。
「……あいちゃんを生き返らせることはできます……ですが、ここにいるあいちゃんを生き返らせることはできません」
「――そうか」
パパさんは目を閉じて私から顔を背けた。その態度は私が期待に沿えなかったことに落胆している。私の目にはそう映った。
「これの使い方なんですが――」
「七瀬さん、それ以上は話さないでください」
ママさんが私の言葉を遮った。その言葉にはここにある『命』を受け付けないという固い意志が込められていた。
「説明を聞いたところで愛唯は助かりません。ここにいる愛唯が『ありがとう』って『おはよう』って言ってくれないと意味がないんです」
ママさんは一度言葉を切り、車いすを動かして私に向き直る。その顔は真剣でこれから言うことに冗談は含まれないのだと察する。
「七瀬さん、お願いがあります。それを貰ってはくれませんか? 国外に捨てても構いません。とにかくそれを国内から持ち出してほしいのです」
「待ってください! これはとても高価で……」
私は病院に戻ってくるまでの経緯を話した。手に入れるのにどれだけの額を支払ったか、部下の人が私にどれだけよくしてくれたか。これがあれば少なくとも支払ったお金は戻せるはずだ。
「私たちの心配はいらないさ。これからは質素な生活をするだけのこと」
「そうですよ。七瀬さんには感謝しなければなりませんね。愛唯のためにここまでしてくださいましたし」
「感謝されることなんて何もやってない……」
私がなにをやったというの? たった二回しか会って話していないのに、頼まれたことを手遅れにして……感謝されることなんて何一つない。
「いいえ、あなたは愛唯の願いを叶えてくれました」
「あいちゃんの願い?」
「愛唯の願いは友達を作ること、それも死なない友達ね」
「それが私?」
「『たった一日だけでいい。愛唯のことを愛唯よりも長く覚えていてくれる友達が欲しい』それが愛唯の願いでした」
会った初日にお互いのことを色々話したのに。……そんなことならもっと話したかった。もっと絵本を読んであげて、もっと笑い合うことだってできたはず。
……心のどこかで情が移りすぎると別れが辛くなる。そんなことを考えてしまっていた。
中途半端な考えが自分を苦しめていることに悔しさを覚える。
「私たちは一度外の空気を吸ってきます。……その間にお別れを済ませておいてください」
そういってママさんたちは病室を後にした。本当はここに残っていたいはずなのに気を利かせて……私は迷惑をかけてばかりだ。
外でカラスが夕暮れを知らせている。いつの間にか病室は夕暮れと共に薄暗くなっていた。
なんでだろう、私がいつも外を気にするときは必ず夕方だ。不気味な時間ばかり気にしている。
だけど、都合がいい。この暗さならあいちゃんの姿をはっきりと見ることができないから……。
「ごめんね、間に合わなくて」
『命』の使い方。司会の男から説明を受けた時、老人が言ったことは真実だったと分かった。
ケースにはいっている『命』を取り出して対象者に握らせる。ただそれだけ。あとは三十分程度で『命』に心が転写され、それを本人以外の体に移植すれば、その人は生き返る。
「心を転写する」なんて馬鹿げた話。実行しようにも誰かが犠牲になる。実行したとしてもその人は純粋に求めた人なのか――。
「ママさんたちはそんなことしない」
あいちゃんが誰かを犠牲にするなんて思えないし、ママさんたちもこんなことに同意はしなかっただろう。なんにせよ、私がしたことなんて無駄だったと実感させられた。
もう一度だけ話すことができるなら……そんなありもしない希望のために私は頑張った。
……だけど、奇跡は起きなかった。
「もう、冷たいね」
あいちゃんの手は保冷庫に長時間いたかのように冷え切っていた。血が巡っていない、薄暗い病室でも分かるほどに真っ白。
顔にかかっている白い布を震える手で取る。布の下に現れたあいちゃんの寝顔は無表情のようで少し笑っている。
「どうして笑っていられるの?」
私は死んでまで笑っていられるなんてできない。死ぬのは辛く悲しい。私が死ぬときはきっと痛々しい顔をして死ぬだろう。
苦しくなって布を顔にかけ直したそのときだった。
「楽しかったからだよ」
「え……!?」
私しかいないはずの病室から新たに声がした。思わず顔を上げると同時に雲は晴れ、窓を通して眩しいほどの夕日が病室を照らした。
もう聞くことの無いはずの声。舌足らずの話し方ではない流暢な話し方に少し困惑したが、姿を見たらそんなことはどうでもよくなった。
「あいを蝕む病気は無くなったから、おしゃべりするのも楽になったよ」
「あい……ちゃん、なの?」
「そうだよ、他の誰かに見える?」
「ううん、他の誰でもない、あいちゃんだよ」
あいちゃんは夕日をバックに涙ぐんだ顔で窓辺に腰かけている。その姿は天使のようで神々しく思えた。
病気が治って元気になったら、きっとこんな感じになるのかなと以前に想像したことがあるが、まさにその姿だった。
「お姉ちゃんにお別れを言いにきたの」
「……ッ! そうだよね、あいちゃんは死んじゃったんだよね……ごめんね、助けてあげられなくて」
本当は死んでしまったなんて認めたくなかった。でも、いま必要なのは現状を理解し受け止められる心。
「ううん、お姉ちゃんには感謝してもしきれないよ。……ありがと。 私のために頑張ってくれて。死ぬだけだった私のために友達になってくれて」
「私こそ……たった二回しか会ってないのに友達だって言ってくれて、もっと話したかった。絵本も読んであげたかった」
「回数なんて関係ないよ。あいは楽しかったんだから……それに昨日は絵本を読んでくれたし、今もこうやって話せているから、四回もあいとお姉ちゃんは会っているんだよ!」
屈託のない笑みで私のネガティブ思考を吹き飛ばしてくれる。
あいちゃんに触れようと手を伸ばすが、ベッド一つ挟んだ向こうには届かない。椅子から立ちあがるが、脚に力が入らずその場に崩れ落ちる。頑張って膝立ちになったとき、……気付いてしまった。
「……あ」
あいちゃんの体が徐々に薄く、向こう側の景色が透けて見えるようになっていく。まるで私の力みたいに、この世に別れを告げるみたいに。
もう、時間が無いんだ。あいちゃんはそのことに気付いているのか、涙をポロポロ落とし、私の目を見つめながら胸の前で両手の指を絡めた。
「お姉ちゃん、あいからの最後のお願い。……どうかあいのことを忘れないで。あいのことを覚えていて。……グズッ、誰かの記憶に残って欲しいって思ってた、……スンッ、あいの……あいからの最後のお願いです」
「……うん、忘れないよ、あいちゃんのこと。何があってもずっと覚えているよ」
「ありがとう、お姉ちゃん」
涙ぐんだ目元が赤くなっても、鼻を啜りながらも笑顔を崩さない。その笑顔を目に焼き付ける。そして、私はそんな笑顔に飛び切りの笑顔で返してあげる。
一生懸命に生きた少女がいたこと。私を友達と言ってくれた少女がいたこと。
――今この瞬間、私と一緒に笑い合ってくれた少女がいたこと。
――私は絶対に忘れない。
「さようなら、お姉ちゃん」
「さようなら、あいちゃん」
次の瞬間にはあいちゃんの姿は空気に溶けていくように消えていった。
途端に私の意識も薄れ始める。
闇へと吸い込まれるさなか、何かに縋り付きたくて伸ばした右手は――。
パーーン!!
近くで何かが砕け散る音と共に私は意識を手放した。
今回も何かが砕け散りました。




