二つの命15
シンとした病室の中、私の読み聞かせはしんみりとした声音で始まった。
「はちろうはまっている……ある日、犬のはちろうは迷子になってしまいました――」
私の声はしっかりあいちゃんに届いているだろうか。前よりも上手く読めているだろうか。
母さんが私に読んでくれたときのことを懸命に思い出す。
この絵本は私のお気に入りの一冊でもあった。でも、それは昔のことでこの絵本がどんな終わり方をするのか忘れてしまった。
「どうやらここは崖の下。あたまの方からお日様が見えます。崖の上には誰もいません。このままでははちろうの飼い主は悲しんでしまいます――」
チラッとあいちゃんを顔を窺う。必死に私の声を聞く姿を見ると中断して休ませてあげたくなる。でも、それはあいちゃんが望まない。
――多分、これが最後だ。
「はちろうは待ち続けた。崖を登れず、声も届かない。それでもはちろうは飼い主が助けてくれると信じて待ち続ける――」
次で最後のページ。ページを捲る指が震える……まだ終わりたくない。
それでも終わりはやってくる。最後のページを何度もつかみ損ね、ページの端にしわができてしまった。
そんな小刻みに震える指を熱を持った小さな手が触れた。その瞬間、指の震えは魔法のように収まった。
私のことを見守ってくれる温かさ。人生で数度しか感じたことのない安心する温かさ。
……最後のページを捲る。不安はもうない。
「はちろうは飼い主に飛びつく。「はちろうが諦めないでいたから僕も頑張れたんだ」その後いっぱい遊んだはちろうと飼い主は仲良くお家へ帰りました。……おしまい」
隣でママさんが小さく拍手をくれた。あいちゃんは満足気な顔で笑っていた。
「うまくできていたかな?」
あいちゃんが小さく頷いてくれた。ママさんも「よかったよ」と褒めてくれた。
昔、母さんは私の頼みを嫌な顔一つせずに受け入れて絵本を読んでくれた。今更ながら感謝する。
絵本を閉じるとあいちゃんがうとうとし始めた。もう少ししたら睡魔に負けてそのまま夢の中へ旅立つだろう。
「あ……い、がと」
「うん、おやすみ」
一生懸命な言葉を拾い、安心させてあげられた。しばらくするとすぅすぅと小さな寝息が聞こえてくる。寝顔は先ほどよりも穏やかだ。
「七瀬さんはどうしますか? ここにずっといますか?」
「可能ならずっと看病してあげたいです」
「分かりました。お昼は何か適当に買ってきましょう」
「ありがとうございます」
私は今日一日あいちゃんを看病することが決まり、ずっと手を握っていてあげた。
昼過ぎと夕方に少しだけ目を覚ましたがその時以外は眠り続けていた。
まるで眠り姫だ。私はそんなあいちゃんが心配で一睡もせず、ずっと見守り続けた。
握る手から体温が消えないように、目を覚ました時にすぐ声を掛けられるように……。
病院側に泊まり込みの許可をママさんが取ってくれたそうで仮眠室を使わせてもらえるとのこと。その後は何度も看護婦さんがあいちゃんの検査にやってきたが大きな問題は無かった。今は安定している。
「七瀬さんが来てから愛唯は穏やかな寝顔ですよ」
「そうなんですか」
『私がきたから』これに意味があるのかは分からない。私がここにいてあいちゃんが安心できるならそういうことにしたい。
「はちろうみたいに、元気になるよ。元気になったらまたシュークリーム食べようね……今度はパパさんも一緒に……みんなで笑い合って」
私の声は寝ているあいちゃんに届かない。私の願望はただの独り言だ。それでもいつかは叶うと信じる他なかった。




