喪失者1
故郷を出てどれくらいの日にちが経っただろうか。数日なら無意識にでも覚えているのだが、数えていたらいつか狂ってしまいそうでいつからか数えるのをやめた。
どうせ崩壊する世界だし、日記なんか書いても無意味だ。日記を書いている時間があったら面白い小説でも読むか、明日のために寝た方がまだ有意義だと思う。
二度寝でもしようかと思ったけど、私を今日も照らす太陽は東の空を昇り始め、手元の時計を見れば、針は5時と少し過ぎた時刻を指している。
ここ数日は野宿をしているためにできれば早いとこ次の国に着きたい。流石に野宿は疲れてきた。
折り畳み式の小さい青いテントから這い出て天を仰ぐ。雲で覆われているわけではないが晴れ間は雲と比べて少ない。まだ陽は射しているから明るくはある。
「さっさと準備して向かわないと、雨が降ったらまた野宿になりそう。そろそろベッドで寝たいな」
私は辺りを見渡した。そこかしこに崩れたコンクリートが散乱し、瓦礫と化している。
昔、大災害によって世界中に瓦礫が散乱し、今もほとんどが放置されている状態。しかし、国に近づけば瓦礫の数は目に見えて減ってくる。国で再利用したためだろう。
他にも野宿するにあたり、放置されているのは意外と便利だ。廃墟だが、まだ形の残っている家や、運がいいと商業施設などその中で一晩過ごせる。
流石に食料は残っていないが、風雨をしのげるのであれば特に文句はない。むしろ感謝するほどだ。
今回は直方体の豆腐を縦に四等分して四分の一だけを取り払ったように半壊したコンクリートの一軒家で夜を明かした。
壊れている部分からは空の様子がよく分かる。もちろんすぐにでも崩れそうな家は避けるし、何かの……というより十中八九、人の『骨』があっても嫌だ。
そして今回、この家を選んだのには訳がある。私は廃墟を出て、昨日から聞こえていた音の正体を確かめた。
「やっぱりあったよ水! おぉ、それに姿見まである」
私の低い身長145cmと同じくらいの高さがある姿見と、昨日の夜は暗くて音しか聞こえなかったが、この家の裏にある水道管から澄んだ水が絶えず垂れ出ていた。
とりあえずその水を掬って顔を洗う。冬が近づいているせいか顔にかけた水はわずかに肌を突き刺すくらいの冷たさだった。
丁寧に顔を拭き、歯を磨いたらテントに戻る。そして旅装束に着替え、テントを畳んで他の物と共にリュックサックにしまう。何度もやった慣れた作業だ。迷うことなく片付ける。
出発の準備ができたところで、先ほど見つけた姿見の前に立つ。そこにはもちろん私の姿が映った。この辺りでは珍しい容姿の私だ。
腰まである白に近い薄い青の髪。前髪は右目だけを隠し、頭にはクリーム色のニットキャップをかぶる。
服装も青いジャケットにデニム。風が冷たくなってきたしそろそろ冬用の服を購入しないと苦労しそうだ。
身だしなみを整えてキャップを被り直して廃墟を後にした。
昨日、余り物で作ったおにぎりを片手に瓦礫が道の端に散乱する一本道を歩き出した。
「……鮭おいしい」
分厚い雲の合間を縫うように太陽が真上に来たところで、私は目的地であった国の城壁までたどり着いた。
受付らしい所に顔を出すと、門番、というよりは入国審査官であろう下腹がポッコリ出た恰幅の良い中年男性が声をかけてきた。
「ようこそ。長旅お疲れ様です。お嬢さんは入国をご希望ですかな?」
男の声は見た目ほどにはしわがれていないが、なぜか老人のように感じられた。
「はい。しばらくの間、この国に滞在しようと思っています」
「分かりました。本日は入国審査官である私、田中が担当します。どうぞよろしくお願いします」
「あ、はい。よろしくお願いします」
話し方がスローペースなものだから、少し調子が狂う。
私は田中さんに促されて事務室のようなところに通される。というよりも入り口に事務局と書いてあった。入国審査と並行して仕事をしているのだろう。
事務室の中には田中さんの他に事務員らしき人が数人。旅人が珍しいのかちらちらとこちらを見ている。
気持ち悪いとは思わなかったが、逆に私はここにいる全員が不自然な動きをする不審者に見えて仕方がない。
「お待たせしました。どうぞおかけください」
通された部屋で待っていると田中さんが資料らしき束を抱えてやってきた。
田中さんは椅子にゆっくりと座り、ふうと息を吐く。やっぱり老人なのだろうか。
「それでは入国審査を始めます。といっても私が聞いて書類に書くだけですので、よっぽどのことがない限りは問題ありません。緊張なさらずにお答えください」
「すみません、よっぽどのことってどんなことですか?」
先に聞いておきたかった。この国のことは何も知らないのだから、どういうことなのか先に聞いておいて損はないだろう。
「後で注意事項があるのですがね、それを受け入れられないと申し訳ないですがお引き取り願っているのですよ」
「そういうことでしたか、分かりました」
いたって当たり前のことだった。どの国でもそうだろう。ルールを守れない人を入国させたくないし、入国させて問題でも起こされたらたまったものじゃない。
「それでは、ええと、まずはお嬢さんの名前と年齢、生年月日を教えてくれますか?」
「はい。名前は七瀬澪です。今年で十六になります。生まれたのは――」
質問はいたってシンプルだった。何か変わった質問もなければ、セクハラのような質問もない。私が答えて、田中さんが書類の空欄を埋めていく。面接のようにも思えた。
しかし、その淡々としたリズムは最後の質問でバグったように崩れてしまう。
「最後になりますが七瀬さん、あなたの身体に欠損部位はありますか?」
「どういうことでしょうか……?」
思わず聞き返してしまったが、これが田中さんの言っていた『よっぽど』のことなのだろうと直感が働いた。
田中さんが老人のように見えるのも、事務員たちが挙動不審に私を見ていたのも、つまりはそういうことなのだろう。
「少し説明しますと、250年前、天災によって身体の一部を怪我し、奪われた者たちが集まってできたのがこの国です。あの天災以降、理由は不明ですが、身体の一部を失った者たちの子孫は母親の胎内にいる時からどこかを失った状態で生まれてきます」
「…………」
私は黙って聞いていた。というよりもオカルトじみた話についていけなかった。
「これを見てください」
田中さんは立ち上がって左足のスーツを軽く持ち上げた。
「これは……義足ですか?」
「ええ、私は生まれつき左足がないのです。こうやって重い義足で長いこと生きてきましたが、歩くペースは速くなりませんね。それどころか話すペースまで遅いと言われる始末ですよ」
納得する。やはりあの事務員たちは私の欠損部位を探していたのだろう。しかし、そうなると一つ疑問が生まれる。
「なぜ、私に欠損部位がないか聞くのですか。それは旅人に何かを求めているのですか?」
どこかに連れ去らわれて、腕とか取られるんじゃないか心配になってきた。もし、そうであれば今すぐ全力でこの国から逃げる用意をしないと――
「いえいえ、そんなことはありませんよ。しかし……」
手を振って否定した田中さんは言い淀んだ。私はどんな爆弾発言を聞かされるのか身構えた。
「この国にはカースト制度が存在します。簡単に言えば格差社会ですよ」
「格差ですか、いったいどんなことが格差に?」
「身体の欠損している数です。欠損部位が多くその範囲が広いほど優位になります」
欠損部位が多い方が優位に立てる……。なるほど? 理解できたようなできていないような。あまり頭の中がすっきりしない。
「なぜこのような制度を創ったのか伺っても?」
「昔はこんな制度はありませんでした。原因は今の国王です。国王はどうしても国民に立場が違うことを示したかったのでしょう。この制度を独裁で作りました。この制度に反対の人は今もかなり多いですけどね」
なるほど。そうなると王は我儘でかなり欠損部位が多いと想像できる。
ここの事務員たちはこの国へ訪れた旅人や旅行者に不快な思いをさせないためにこの仕事をしているのだろう……多少気にしている人はいたが、ただ気になって見ていただけだろうね。
「なので、欠損部位のない方には入国をできる限りお断りしています。……七瀬さんはどうなさいますか? 見た限り欠損部位は見当たりませんが」
「それなら問題ないですよ……これでどうでしょうか?」
田中さんは少し渋い顔をしたが、しばらくして私の入国許可証が無事に発行された。