死に神が見た
来るときは心を洗われるようなきれいな紅葉は大地震の後では悲惨なものだった。
木はなぎ倒され、根はむき出しに。木でできた一本道は来る者を拒むように大きくひしゃげていた。
もちろん、そんな道を進む私の全身は悲鳴をあげている。突起や倒木に足を引っかければ力が入らず転倒し、邪魔な枝をどかすだけの力を腕に込めることもできない。
よろよろと転がるように進む私を、他の人が見たら滑稽に思うだろう。
本当はこんな道を通りたいとは思わない。お母さんについて行って看病してもらいたい。
そんな衝動に駆られ続けるが、下唇を噛んで我慢する。
この茨の道を通ると伝えた際、最初、お母さんたちは私を止めた。危険なのは誰が見ても一目瞭然だ。
長い一本道を転びながら進む私を見たら、担いででも連れて戻すだろう。
『私には進むべき道がある。こんなところで止まってられない』とかなんとか言って、無理やり説得した。
「そんなことないよ、私もお母さんたちについていきたかったよ」
二本の太い木が倒れてできた低いアーチを屈んで進む。
私が満身創痍の状態から更に自分を痛めつけるような道を選んだのには理由がある。
それは、未だに私が死に神であり続けているということ。
石を投げつけられた辺りでお母さんたちは眠らされたのだろう。私の怪我は頭だけで他は大した怪我ではないと思い込んでいるはず。頭以外の怪我は見えないように隠していた。
私が死に神を演じたことを知らない。いつも通りの私を見せられたと思いたい。
「……まだ収まらない」
およそ、平たいともいえる胸の真ん中に両手を添え、目を閉じる。
死に神を演じた際の興奮が未だ収まらない。何かを壊したい衝動、破壊されるところを目撃したい衝動。
これはもう、『死に神』とは違うものだろう。ただの壊したい衝動だ。ただ、私が通る道や国々が、私によって破壊されるなら、終末を迎えるなら、それらすべてを含め、私は『死に神』なのだろう。
こんなことをお母さんたちに打ち明ければ、感情が耐えられないほどに慰めてくれるだろうか。
そんなことをすれば、私の旅はそこで終わり。実に素晴らしいハッピーエンド。一体なんの不満があるというのか、それは私の求めた幸せではなかったのだろうか。
(違う、私の幸せは世界中の終末を見て回り、満足した後でお母さんたちとのんびり暮らすこと)
本当は国々を見て回るだけだった私の目的に、今、新しく追加された。元から安定しない目標だったんだ、これくらい私の『幸せ』にしてもいいだろう。
ふらつきながら進んでいくうちに、来るときに見つけた鳥居と家屋があったところまで戻ってきた。
木が倒れたことで家屋は一本道からでも見えるようになっていた。
家屋は遠目でも分かるほどに崩れて紅葉の下敷きにされている。いつかの世界の終末をミニチュアで表したら、こんな感じだろうか。
押しつぶされた家屋を見て私の中の死に神が歓喜の声で騒ぐ。なぜなら私に摂り憑いた死に神こそが、当初の目的である世界の終末を観測することに『最適な感情』だから。
こんな私を知ったら、中二病とか言い出す人はいるだろう。実際、こんなことを考えるのは病気だし、死に神なんて名乗るのは立派な中二病だろう。甘んじて受け入れるしかない。
だが、それ以上に今が気持ちいい。
そして、お母さんたちについて行かなかった一番の理由としては――
「これからはどんな終末が見られるだろうか! 王の独裁や大きな災害、小さな人間関係でもいい、戦争なんか起きてくれれば一番手っ取り早いね。嗚呼! 神様は私の望んだ終末を見せてくれるだろうか」
それは……私はもう、手遅れなのかもしれない。
私は死に神……いや、私以外にはいない、私が死に神なんだ。




