死に神を見た4
手を引っ張られ続け、黙って後ろを着いていくこと数分。立ち止まったのは周囲の居宅と何も変わらない一軒家の前だった。
この女性がなぜ私の名前を知っているのかというと、昨日からの開国に合わせてできた制度、民泊というものに私がお世話になるからである。
中村さんが事前に連絡を入れてくれたのだろう。見た目と違って仕事はできるようだ。
国は大きくも小さくもなく、車で十五時間走り続けたら国を一周できるほど。そんな国に宿やホテルという概念はなく、しばらくは信頼できる人の家に泊めてあげようということらしい。
ということで私が今いるのは民泊先。玄関で靴を脱いでスリッパを履く。
家の中は特に変わったところはなくシンプルだった。リビングにキッチン、棚の上には額縁に収められた旦那さんと思わしき人とのツーショット写真。隣には好青年と映っている家族写真もある。おそらくは息子さんだろう。
白い壁にはカレンダーが飾ってあるだけで、他は何もない。
代わりに本棚や机が所狭しと並んでいて、殺風景ではなかった。
「今から七瀬さんが出国するまでの数日間は同じ家で過ごすんだから私たちの家族よ! 私と旦那でしばらく二人暮らしだったから賑やかさが欲しかったの! あ、澪ちゃんって呼んでいいかい?」
おばちゃん特有、というかおしゃべりが大好きなだけなのか、一度に話す内容に情報が多い。
だけど、そんなテンションは嫌いじゃない。付きまとわれて、ねちねちと話しかけられるのはイヤだが、そうじゃないならむしろ歓迎する。
「構いませんよ。私も実家のように寛がせてもらいますね」
「いいわよ。息子が国から出て行ってから寂しかったのよ! 少し迷惑をかけてくれるくらいがちょうどいいわ。あ、私は山田幸子よ。気軽にお母さんって呼んでね! 『お』を付けてくれると嬉しいわ」
「分かりました。……お母さん」
私は母の事を決まって『母さん』と呼んでいたから、『お母さん』と『お』をつけて呼ぶのはなんだか新鮮に思える。
頭で母さん、お母さんと言葉を並べてみる……悪くない。
「こういう感覚、懐かしいわね。あと、家族に敬語は使わなくていいわよ! 慣れてるから年相応のわがままにも対応して見せるわ!」
入院していることがほとんどだった母さんには、大人しくて、私は気を遣うことしかできなくて……まだ、この人のテンションについていけないけれど、気を使わなくてもいい会話なんて久しぶり。
「じゃあ、早速わがままを聞いてくれる? お母さん」
「……ああ、女の子が生まれていたらこんな感じだったのかしら?」
「どうかしま……どうかしたの?」
「いいえぇ、なんでもないわ」
お母さんが「さあ、どんなことかしら、まかせてちょうだい!」と腕をまくる。
その腕を信じて私は手帳に挟んであったモミジの葉を取り出した。
「このモミジの葉を押し花にすることって出来る?」
「あら、きれいなモミジね、押し入れから道具を引っ張り出せば簡単に作れるわよ」
「お願いしていい?」
「任せてちょうだい! 今日は澪ちゃんの歓迎会を開くから今すぐには作れないけど、絶対にきれいな押し花を作ってあげるわ」
私はお母さんにモミジの葉を渡した。お母さんは折れないよう丁寧に本で挟み、忘れないよう分かりやすく目に入りやすい場所に置いた。
「旦那もすぐ帰ってくるし、お料理もすぐできるから、それまでゆっくりしていてね、あと澪ちゃんのお部屋はそこの扉を出て右の部屋よ。部屋は好きに使っていいから、準備ができたら呼びに行くわね」
お母さんは黄色のエプロンを付けながらキッチンへ向かっていった。
私は言われた通りの部屋に向かう。部屋の扉を開けると、特に目立ったものはなく、だからといって何もないわけでもない。青い敷布団に白い掛け布団。緑色と青色のクッションが一つずつに、樫の木でできた質素な机に同じ素材の椅子。窓際には名前の分からない観葉植物が二つ並んでいて、白いレースに青いカーテンは部屋の清潔さを醸し出していた。
「よいしょっと」
荷物を床に置き、ニットキャップと上着を脱ぐ。きれいに畳んでリュックの横にポンと置き、リュックから部屋着と、もこもこの淡いピンク色のパーカーを取り出して着替える。
寛ぐつもりではいるがなんとなく落ち着かない。料理とか手伝わなくてもいいだろうか?
しかし、そんなことを言えば「料理はお母さんがするもの!」って手伝わせてくれなさそう。
『お母さんは食堂で長年働いてきた、料理好きのおばちゃん』
私が思うお母さんの印象はそんな感じだった。
(民泊代は払うけど、明日から家の家事を手伝ってみようかな)
そうしようと決め、パーカーのフードを被り、少し悩んだ末に緑色のクッションを枕にして、お母さんが呼びに来るまで前の国で買った小説本で時間を潰すことにした。
「澪ちゃんが私たちの家族になったことを祝して、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
「か、かんぱーい」
しばらくして旦那さんが帰ってきて、料理も丁度できたところで私の歓迎会が開かれた。
旦那さんにはどう接すればいいか分からないが、とりあえず『お父さん』と呼べばいいだろうか?
悩んでいるのが顔に出ていたのか、ありがたいことに旦那さんから声をかけてくれた。
「澪ちゃんそんなに緊張しないで! あ、私は昭三という。母さんと同等に『お父さん』って呼んでくれ。よろしくな、澪ちゃん」
「あ、はい。よろしく……です」
「私にも敬語はいらんよ。お母さんと一緒で気楽に話してくれ!」
「あら、あなた、いつの間に澪ちゃんなんて呼ぶようになったの? その呼び方は私の特権よ!」
「誰がそんなもん決めた! 私が呼びたいから呼ぶんだ!」
夫婦そろってテンションが高い。旦那さん……お父さんは白髪交じりの黒髪に、くたびれたスーツを着ていて、いかにもサラリーマンというのが想像できる。今はネクタイを外し、上着を脱いだだけのワイシャツ姿で食卓に着いていた。
「澪ちゃんごめんねぇ、この人ったら、普段なら『俺』っていうのに、今は澪ちゃんに格好つけたいからって一人称変えちゃって。俺の方がかっこいいわよねぇ?」
「いや、クールな男なら『私』が正しい。その方が格好いいに決まっている!」
「あんたにクールは似合わないわよ! あ、ほら、澪ちゃんがどうすればいいか分からなくて困っているじゃない!」
「いえ、そんなことは……」
ささやかな夫婦喧嘩についていけない。眺めて話を聞くことで精いっぱいだった。
なのに、心はじんわりと温かくなっていく。
いつだったかも忘れた昔に味わった温もり。
多分、そんなものが私を包んでいく。
母さんは体が弱くて、入院中はあまり構ってもらえなかった。だから、遊んでくれた時は新しい玩具を買ってもらえるよりも嬉しい温もりがあった。
父さんの顔は覚えていない。私が生まれてから間もなくして死んでしまったらしい。
今の気持ちを確かめるために、目の前に並ぶ豪勢な料理を口にする。中まで火の通った、白い湯気が揺らめく肉汁たっぷりのハンバーグ。ソースを絡めて、だけど熱くて、はふはふいいながらも一つ食べきる。
こんなにも温もりある料理はいつ以来か。 確か、母さんが元気だった頃……。
亡くなってからは一人で食べていたから――
(そういえば、私の懐かしんだことのほとんどに母さんが関係している気がする)
一歳二歳の時のことなんて覚えていない。覚えていないはずなのに、今の私に重なるみたいに懐かしい。
「私って、母さんが死んでから時が止まっているみたいだ……」
「ん? 澪ちゃん、何か言ったかい?」
夫婦喧嘩はお母さんが優勢で進んでいたが言い争いを中断してこちらに顔を向ける。
なんて誤魔化せばいいか。
どうせなら、数日しか得ることができない温もりを今のうちに享受しておく。
「ハンバーグ美味しいです!」
「それはよかったわ! まだまだあるから、どんどん食べてね!」
「ありがとう! お腹いっぱいになるまで食べるね」
テーブルに並ぶ色とりどりの料理に箸を伸ばす。ハンバーグ以外にも、ターキーにポテトや唐揚げ、デザートのリンゴやブドウ、飲み物はオレンジジュース。
他にも多くの料理が並んでいるが、今夜だけでは食べきれないだろう。お腹いっぱいでは済まないレベルだ。
お父さんの左手にはビールジョッキが握られていて、もこもこと泡だったビールを油物やおつまみのスルメや枝豆と一緒にぐびぐび喉に流し込んでいた。
「かぁ〜、女の子ってのはいいなぁ、男の子みたいにがさつじゃないし、俺たちの会話に文句も言わない。息子も可愛い孫を連れて帰ってこないかなぁ」
「澪ちゃん、何か迷惑だったら言いなさいね? 何も遠慮することはないからね」
あぁ、私の知らない光景。両親が揃って食事したのなんて、まだ、物覚えもない小さな頃にあったのだろうか。それを確認する方法はないけれど、この温もりがその当時の補填になれば、それだけで十分。
温かくて、嬉しくて、この気持ちが長く続いてほしい。だけど私は旅人で、数日でこの国を出る。世界の終末を見に行くために、世界が崩壊する前に……。
それが、私が旅に出た理由。この人達の温もりを感じていたくても享受し続けるわけにはいかない。
この人たちに出会って数時間だというのに、私、どうしちゃったんだろうか。両親といること、家族団欒なんてどういうものか分からないはずなのに、私のいるこの空間が家族団欒だと断言できる。
私のことを娘と言ってくれたこの人たちが眩しい。だけど、その眩しさが温かい。気が付けば、目からぽたぽた涙が雫となって膝に染みをつくる。
「あら、澪ちゃんどうしたの? ほら、あんたが喚くから澪ちゃん泣いちゃったじゃない! 澪ちゃんごめんねぇ、この人が迷惑かけて」
「ど、どうすれば、女の子は何をすれば――」
「違うよ、私、両親がいないからこんな風に楽しい食事なんてしたことがなかったから、嬉しくて、今までぽっかり空いていた心が急に満たされたから」
「そうだったの……いいのよ、もっと甘えてくれていいのよ。私たちは家族なんだから」
「ねえ、お母さん、なんで初対面の私にこんなにも優しくしてくれるの?」
私の純粋な疑問。そして沈黙。しかし、沈黙を破るのに三秒とかからない。
「……ふぅ」
お父さんが空になったビールのジョッキをテーブルに置いた。そして、お母さんと顔を合わせたと思うと、ニィと、しかし優しく笑った。
「澪ちゃん、そんなの簡単よ?」
「そうだ、お母さんの人を見る目は本物だからな」
「私はね、澪ちゃんを一目見たときから、この子は悪い子じゃない、そしてとてつもなく苦労して悩んでいるって」
「そんなの分かるわけ――」
「分かるわよ。目を見ていればね、どんなに取り繕っても隠せないものはあるのよ」
「ああ、澪ちゃんは特に分かりやすい。俺でも分かったぞ」
私の右目は死んでいるも同然。でも、そのことは伝えていないし、見せてもいない。立ち振る舞いだけでばれてしまったようだ。
私は両目を見開いて、ポカーンとしていた。そして、ぽたぽたと一粒ずつ落ちていた涙は、いつの間にか滝のように流れだしていた。
そんな私をお母さんは抱きしめてくれる。
空っぽだった心の箱に注がれた温もりは、飽和し、熱い涙となってとめどなく流れ出る。胸が痛くて、苦しくて、だけどそれが心地よくて――。
初対面にも関わらず、まだ、お互いに知らないことだらけなのに、私のことを理解してくれて、嗚咽が止まらない。
私の頭を抱えるお母さんの胸の鼓動は、私を赤子のように錯覚させる。
「よしよし」と頭をなでてくれるお母さんの手はごつごつして、母さんの手とはまるで違うけれど、母さん以上に温もりが込められていた。




