魔王様のご帰還 其の五
三歳を過ぎると、体力も情報もついてきたので、今まで以上に資料を読みふけった。母の図書室に目当てのものが無くなると、夜に抜け出し資料室にまで行くようになった。当然のことながら、嘗ての魔王城を利用したものであったから、そこのたどり着くまでの抜け道などは、熟知している。
そんな中、次兄であるオリヴィエに資料室で出会ったのである。当時、ステラ=リュールが五歳、オリヴィエは十四歳であった。今でも稀にあるのだが、オリヴィエはうっかりと本に没頭するあまり、司書に忘れ去られ、資料室に閉じ込められたのだ。
まあ、朝になれば開くし、と思いのんびりしているところ、いきなり末の妹であるステラ=リュールが現れたのだ。それも扉ではないところから。
そして、何と古語やプレケス語で書かれた棚から、本を何らかの力で引っ張り出して読みだすではないか。それも魔石ランプではなく、片手でやすやすと明かりをともす魔術を使いながら。文字を読めるとすら思ってなかったのに、何たることか。
「えーと…、リュリュ、だよね? 何してるの……?」
どうやら確かめずにはいられなかったのらしい。異様な光景だとは思ったが、声をかけずにはいられなかった、とのちにオリヴィエは語った。
誰もいないと思っていたステラ=リュールは、文字通り飛び上がった。五歳の幼女が寝間着姿で片手に明かりをともし、飛び上がる様子は驚いた猫のようで愛らしくも滑稽であったという。本がどさどさと落ちたが、拾うゆとりもなかった。
「おおおおおおおお、お兄様! な、なんでもありませんわっ」
「っていうか、どこから入ったんだい? こんな時間にこんなところにいてはだめだろう。僕は閉じ込められてしまってけれど、お前はまだ資料室に入れる年じゃないだろう?」
希少本もあるために、資料室に入れるのは十歳からとなっている。だが、それすらも建前で、基本的に入室は学士院に行くようになってからだ。十歳になるや否や入り浸っているオリヴィエが特殊なのだ。
「ちょっと、その……っ」
「それにこれ…『プレケス国史』『魔術大全』って…。こんなの読んで。これって準禁書…」
落ちた本を拾って題名を読む。題名はプレケス語だったが、それくらいならばオリヴィエにも読めた。だが、声に出したその途端、全身に衝撃が走った。
「…ッなに?!」
体全体がびりびりする。全身につけてある守りための装飾品が、淡い光を帯びて結界を張っていた。ふと見ると、腕につけたクリスタルの飾りにひびが入っている。思わず、まじまじとそれを見つめた。
なんと、オリヴィエは妹から攻撃を受けたのだ。立場上、攻撃を受けやすいからと生母から送られたそれは、両耳と首、両手足にはまっている。これが作動したのは初めてのことだ。
「チ…ッ。護符かよ。やっぱり、皇子は皇子だな。加減したのがまずかったか」
顔をゆがめながらステラ=リュールが言う。愛らしかったはずの妹とは思えないセリフが口から飛び出し、そして、手がもう一度物騒な光を帯びた。先ほどまで本を見ていた時の柔らかな光ではなく、紫色を帯びた不気味な雰囲気だ。
「ちょ、ちょっとまってリュリュ!言わない!言わないからっ!誓約してもいいから、それやめてっ」
「誓約だぁ?その頭ん中から記憶抜くに決まってんだろ。その程度の守りくらい、張りなおせるしな」
そう言うと、光る指でオリヴィエの四肢を指し示す。その途端に、彼女の指の光と同じ色の枷がはまっていた。どうやら拘束されたらしい。動かそうにも手足は全く動かなかった。こんなに魔術が使えたなんて、知らなかった。
「ねっ、ねぇ!事情は分かんないけど、さっ!ほら、話せばわかるし、ね、リュリュの本との姿、知ってた方がよくない?!ねっねっ?」
「あぁ?なにふざけたこと言ってんだ、てめぇ」
それはまるで下町にいるごろつきの様なありさまだったと、のちに彼は語った。
それが、元魔王としてのステラ=リュールとオリヴィエの出会いであった。




