魔王様のご帰還 其の二
ファタリテ帝国は、魔王オルトロスから土地を奪ったときから、発展していった。現在は幾つもの併呑し、大陸屈指の強国となった。
ただし、オルトロスにより呪いがかけられているために、本拠地を移すことはかなわない。さらに、魔族を領土から追い出すことはかなわず、魔族を殺すこともかなわない。なので、扱いはひどいものの、実はまんべんなく魔族が住んでいる。寛容にもこの国に魔族が住むことを認めた、というがようはそういうことだ。
そういう、誰かの大いなる犠牲によって成り立っている在り方に、ステラ=リュールは納得していなかった。そして、それを当然としている、あのエビ教師も様な大人も嫌いである。気分転換くらいしなければやっていられない。
「ベイヤードを用意して頂戴。あの子も運動させなくちゃ」
この2週間ほど、あまりかまってやれなかった愛馬の名を上げる。きっと寂しがっていることだろう。
「そうおっしゃると思いまして、もう馬車につないでございます。コンスエロ、姫様のご準備を」
外出用のドレスに着替え玄関に行くと、すでにブーレを筆頭に、メイドや従僕が整列し、ユーゴーと厳しい雰囲気を持つ女性が隣り合って立っていた。きっと彼と同じ年頃だろう。
そして、ユーゴーがその女性に目で合図する。一瞬、きっと女性はユーゴーをにらみつけたが、ステラ=リュールには非常に愛想よく外套を帽子を差し出した。
「さ。姫様。こちらを羽織ってらしてください」
彼女の名はコンスエロ。ステラ=リュールのメイド頭だ。何をやらせても非常に有能な侍女である。ただし、なかなかしつけに厳しいユーゴーとは微妙に仲が悪い。
「では行ってくるわ。ブーレ、あとをよろしく頼むわ。そうそう、新しい歴史教師の手配をお願いしておくわ。貴方のお眼鏡に適った、ね」
ブーレの目がきらりと光る。彼の目に適うということは皇帝の目に適うということだ。面倒くさい母の要求も一度は受け入れたのだから、これ以上横槍を入れられることもないだろう。
「かしこまりましてございます」
「「「「「「「いってらっしゃいませ」」」」」」
使用人たちの声を背に受け、屋敷を後にした。
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ガタゴトと馬車に揺られる。仮にも皇族の馬車なので作りはいいはずだが、それでも振動はなかなかのものだ。大した距離でないので、歩いていけばいいと思うのだが、冬の間は許してもらえない。
「第二皇子のところに伺うのは二週間ぶりですわね、姫様」
「ええ、そうね。ここの所、お母様から色々あったから」
ふ…とステラ=リュールはため息をついた。見栄と虚飾で生きている母とはあまり相性がよろしくない。嫌いではないので、距離を取るのが一番だと思っている。だが、世間体と娘に対する夢があるらしく、第二妃はしばしばちょっかいをかけているのだ。
正妃がいない第二妃という微妙な立場で、さらに愛妾がいるのだから、彼女の抱える葛藤もわからなくはない。腹を痛めて産んだ二人の子どもたちを取り込もうというのだろう。だが、だれに似たのか二人の子どもとも、第二妃の野望に対してはひどく冷淡であった。
「第二妃様も色々ありますからな。ご実家から色々とおっしゃられたのでしょう」
その帝国には現在、一人の妃と一人の妾妃そして、六人の皇子、皇女がいる。ステラ=リュールのは母はやや落ち目の公爵家出身の第二妃である。そして、配下の王国の王女である正妃は、彼女の第三子を産む際に亡くなった。目に見えるうまみがないので、当代の公爵がやや焦っているようであった。
ステラ=リュールは末子であり、合わせて五人の兄と姉がいるが、完全に血がつながっているのは三番目の兄のファビアン=ナタルのみである。
長女のマリー=ルイーズと皇太子である長男・アントン=エドメは正妃腹、次男と四男は元歌姫の愛妾・シャンタルから産まれている。
それぞれに持つ色や容姿は異なっているが、見目麗しい皇室の面々は一般市民に人気を誇っていた。そして、逞しくも自らの絵姿などを売って現金収入を得ている。
「ファビー兄さまから呼び出しもありましたわね。呼んでくださるのはうれしいけれど、何を考えていらっしゃるかわからない方よね」
彼女にとって、三番目の兄、ファビアン=ナタルはよくわからない存在であった。兄と妹の絆を深めたいのか偶に呼び出して来るのだが、一緒になっても大して話してくれないので、二人の食卓はしんとしている。
愛らしい妹にどう接していいのかわからないのと、恥ずかしがっているだけだとユーゴーもコンスエロもわかっているが、それをフォローしてやるほどに第三皇子に好意を持ってはいなかった。
「そろそろ陛下からの呼び出しもありましょうな。それこそお久しぶりではありませんか?」
「ええ、一年ぶりくらいかしら」
末子が生まれて以来、義務は果たしたとばかりに、皇帝は妃や妾のもとには通っていない。現皇帝は基本的に政治と園芸以外には興味がなく、跡継ぎのアントン=エドメ以外の子どもとの接触も限られていた。
「もうじき皇帝陛下の誕生の宴がございますから、この週末には姫様もお衣装を仕立てる準備をしておりますよ」
自分の主を着飾ることを楽しみにしているコンスエロがうれしそうに言う。確かに波打つ銀髪に菫色の瞳、幼い子供とは思えぬ美貌を誇る皇女は着せ甲斐があるだろう。
着せ替え人形になることを思いステラ=リュールはコッソリとため息をつくと、どことなく笑いを含んだユーゴーの瞳と目が合った。
そんな風に気やすいおしゃべりをし、自身の離宮から愛馬ベイヤードにゆるゆると馬車を引かせていると、十分ほどで第二皇子の離宮に到着した。偶々なのか、皇帝の配慮なのか、二人の離宮は近い。何度も行き来しているから馬も使用人も慣れたものである。
門をくぐったあたりで窓から様子を見ると、鼻歌でも歌いそうなうきうきした様子で、愛馬はゆっくりと歩を進めていた。妙に人間臭い馬である。ちなみに御者はいない。主の命令一つで見事に移動してみせる。
この愛馬、じつは非常に変わった馬だ。そして、恐ろしく頭がよかった。避暑の際にひたすらくっ付いてきたために拾った馬だが、きっと魔物の一種だろうと思っていた。まあ、害はないので構わない。
ステラ=リュールは些細なことに頓着しないたちだった。
玄関の馬車寄せに愛馬はぴたりと止めて見せると、先にユーゴーが降り立ち、ステラ=リュールの手を取って案内する。後ろからはコンスエロが土産を抱えて降りて来ていた。
「ありがとう、ベイヤード。好きに歩いててかなわないわ。後で呼んだら来て頂戴」
嬉しそうに鼻を鳴らすベイヤードに可愛い奴め、とばかりに軽く鼻先をたたいてやり、外套の落としに入れていた砂糖を一かけやった。そうしてユーゴーに銘じて綱をほどいてやりベイヤードを放す。
これで呼ぶまでは自由に動き回っているだろう。度々脱走するのだが、不思議にステラ=リュールになついているので、遠くに行くことはなかった。
「ようこそおいでくださいました、ステラ=リュール様」
どこかで見ていたのか、愛馬を放した瞬間、屋敷の扉が開く。相変わらず年齢不詳の美々しい執事が出迎えてくれた。皇位継承権をほぼ無視された兄の家には、最低限の使用人しかいない。もっとも本人はそれを喜んでいるようだった。
「ええ、お久しぶりね、ナタン。お土産があるのよ。お兄様に喜んでいただえるといいのだけれど。コンスエロ」
「こちらは姫様よりの差し入れです。オリヴィエ様お気に入りのトマゾが拵えたものとなっております」
後ろからそつなく愛らしい籠に詰めさせた焼き菓子が差し出される。ご丁寧にレースの布とリボンまで掛かっていて、なかなか立派な贈り物の態をなしている。トマゾは実に優秀な料理人だ。
「お心遣い感謝いたします。オリヴィエさまはただいま研究室におられます。直接行かれますか?」
受け取ったものを後ろに控えていたメイドに渡しながらナタンが言った。もはや案内もしないほど、彼女はこの家をよく訪れていた。ほかの使用人も心得たもので、二人の邪魔はほぼしない。
「ええ、案内はいらなくてよ。コンスエロ、わたくしの外套と帽子をよろしく。ユーゴーはナタンと一緒にいて頂戴」
「かしこまりました。御用の際はお声かけくださいませ」
「ええ、ありがとう。では、行ってくるわ」
そういうと、勝手知ったるとばかりにステラ=リュールは研究室へと向かっていった。




