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本邸

 


 あれから、オーウェン様のお話も女の話も耳に入ることはなかった。誰もが口を閉ざし、なんとなく禁句かのように扱われていた。

 その上、あたくしもまた、そんな情報収集ができない状況にあったのもあり。

 というのも──。



 白を基調とした調度品と七色に煌めくシャンデリア。王都で話題の隣国ブランドの装飾品が並ぶドレッサーにはその他にもいくつかリボンがかけられた箱が所狭しと重ねられている。


「ドレスはこちらにご用意があります。どうぞお好きになさってください。それと、こちらが呼び鈴になりますが、他にふたつ、寝室とバスルームにございますのでお気軽にお呼びつけくださいませ」


 テキパキと仕事をこなして頭を下げるのは、あたくしの侍女ではない。


「申し遅れました。わたくし、奥様のお世話を仰せつかっております、ここの侍女長ネリア・ウェスと申します」


 ここ、というのはスチュアート家の本邸となるカントリーハウスのこと。

 そう、つまり彼女はレイのメイドなのです。


 あの夜の舞踏会で衝撃の告白をしてしまい、また、されてしまったあたくしは、数日と待たず、というかほぼ翌日にあれよあれよとレイの用意した馬車に乗せられ国外れの北方領に連れ去られた。

 ええ、連れ去られました。

 と、それはいいのだけれど、ちょっと待って。


「奥様?」


 ぎょっとして聞き返せば、ネリアは表情を変えぬまま「女主人となられる方とお聞きしております」と。

 そ、そうなるのかしら。え、けれどまだじゃない?いえ、そのまだというかなんというか。


「エルヴィラ、今よろしいですか」


 そのとき、控えめなノックが響いて反射的に入室許可の声を上げてしまった。

 そうして入室してきたのはもちろんレイその人で、どこか不安そうな面持ちで真っ先に部屋の感想を聞いてくる。

 少し首を傾げながらお礼を申し上げれば、彼はどこかホッとしたようにゆるりと顔を綻ばせた。


「よかった。模様替えをしやすいようにと用意した部屋なので、エルヴィラの使いやすいように変えてしまって結構ですから」


 シンプルではあるけれど品のよい、あたくしに宛てがわれた部屋は、なるほど、好みを把握していないがためのレイの細やかな配慮でしたのね。

 改めて、本当に素敵な殿方。だけれど。


「あの、レイ」

「はい」

「少し、その、お話をさせていただけないかしら」

「ええもちろんです。しばらくすれば夕食の用意も整いますので、それまでお茶でも用意させましょう」


 朝方屋敷を出てきたけれど、気がつけば繊細な細工が施された窓から西日が差し込んでいた。

 北方領とはこんなにも王都から遠いものだったかしら。知らなかったわ。

 レイが言い終わるや否や、いえ、そう言っている間からネリアはすでに動いていた。メイドであるのにまるで騎士団の人間のよう。きっとスチュアートという家自体がどこまでもそういった風潮なのでしょう。

 部屋の真ん中に置かれた真新しいソファはいくつものクッションが置かれ、それ自体も大変座り心地がいい。あたくしには少し大きすぎるくらいの同じそこには座らず、レイは斜め向いに一人がけの椅子を置いて座った。

 まるで計ったような距離感で、密かに肩を緩めた。


「エルヴィラ、その前にまずはお詫びさせてください。仕事の関係で、どうしても今日までに本邸へ戻らなければならず……。無理矢理お連れした自覚はあるのです。申し訳ありません」


 お父様に止められなかったから、きっとご了承は取ってるのでしょうとは思っていた。

 だからいいのだけれど、なんて律儀な方かしら。女に簡単に頭をお下げになって。


「後ほど、ナイトレイ侯爵にも謝罪をせねばなりませんね。勝手をし過ぎたと、一応、反省はしているのです」

「ちょっとお待ちになって?」


 聞き捨てならないセリフが聞こえた。

 勝手にですって?まさか、まさかとは思いますけれど、お父様はご存じないんですの?あたくしがここにいることを?


「逃げられてはたまらないと気ばかりが急ってしまって」


 ……。……いえ、もうこの際それは置いておきましょう。この方なら心配せずともお父様に連絡してくださるでしょうし、こんなことを仰りつつももうしているかもしれない。

 それよりも、はっきりさせておかなければならないことがある。

 一度息を吸い、できる限り平常心を保ちながら口を開いた。


「あたくしは、きっとあなたが思うような令嬢ではありませんわ」


 レイの言葉を借りれば、一目惚れをしたという十三歳のあたくしは、それはそれは愛らしくも美しい令嬢に見えたのでしょう。

 デビュタントで侮られてはならないと、ナイトレイを背負ったあたくしは、願望でもなんでもなくその辺の令嬢に引けを取らないほど毅然としていた自信がある。

 だからこそ、あたくしの本当のナカミはきっとレイが思うほど綺麗ではないと断言できる。

 悔しいけれど、女が言っていた『あたくし』は、確かにあたくしなのだから。


「……それでもいいと、言えるものかしら」

「……」


 考えるそぶりを見せたレイの目線は、すでに手元に置かれていたカップに注がれている。ティースプーンは乾いたまま。砂糖もミルクも入れないのね。でも騎士の方ってなんとなくそんなイメージがある。


「あなたは、大変まっすぐな方だ」


 しばらくして、レイは陶然とした眼差しをあたくしに、いいえ、今ではないあたくしに向けていた。


「暴走気味なそれであるのが、また、愛らしいと俺は思うのです」


 だから泣かないで。

 全く濡れていないあたくしの頬を眺め、それでもレイはそう言いきった。優しく優しく、どこまでもまるで赦しを与えるかのように。

 だから、あたくしも間違いを指摘するようなことをしなかった。


「俺はあなたをそれほど知らないのかもしれない。三年前のあの日、あの瞬間、一目で心を奪われた時点で俺の中のあなたは消さねばならぬ存在であったから」

「……そうですわね」


 次期王子妃であったあたくしに、求婚などという馬鹿げたことをいくらこの人でもしないでしょう。立場も責任も、何もかも全てを投げ打って、なんて彼も家名を背負う身なればできやしない。

 だからこそ、わからなかった。


「あれは、衝動的に仰ってしまったの?」

「あれ……、というと」

「卒業パーティーで、レイがあたくしを助けてくださったときの言葉」


 そう、確かにあたくしは助けられた。

 どん底からほんの少しだけでも浮上させてもらえた。

 調子がいいと笑われても、あたくしは、あの言葉が嬉しかった。

 ただ、あれはあたくしを救い出す言葉であったとともに、下手を打てばスチュアートの名を貶めることにもなりかねなかった。だって、捉え方によってあれは王族に面と向かって喧嘩を売ったも同然だったもの。

 だから、それが思わず飛びついてしまっただけのものだとしたら、きっとこの先あたくしは──。


「衝動的……。衝動的、でした。はい、確かに。しかし、狙いに狙った衝動でした」

「……よく、わからないのだけれど」


 本当に理解が及ばなかった。

 真面目な顔して仰るものだから余計に真意を掴み損ねていると、レイは困ったようにはにかんだ。


「結局、俺はあなた以外が見えていなかったのですよ」


 当主失格ですね、と綺麗に色づいた紅茶を一口含む。半分落ちた瞼と共に意外にも長い睫毛が彼の頬に影を作った。


「諦めきれなかった」


 ぽつりと、自嘲気味に零されて言わずにはいられなかった。


「何故」


 彼がどう答えるかなど分かりきっているのに。

 案の定、パッと持ち上がった視線があたくしを射抜いた。それはもう、強い強い眼であたくしを見るのだもの。

 息を吸うのも忘れてしまうほど。


「エルヴィラという少女に抗う間も無く落ちてしまったのです。恋に」

「……信じませんわ。あたくしは、」

「運命など?」


 首を傾げ可笑しそうに俺もですよ、なんて言われてしまえば黙るしかない。わかった上でそうしているのだから、本当、なんて狡くて頭の切れる人なのかしら。余計に、運命なんて言葉が似合わない。


「しかしながら、俺は無骨な騎士なものですから王宮の方々や吟遊詩人のように、言葉など出てこないのです。この、狂おしいほど身を焼き、全てを忘却の彼方に追いやってしまうほどの感情の名など、運命としか付けようがないのです」


 十分、詩人になれるのではないの。

 そんな言葉はネリアが夕食の準備が整ったのを告げる声に押しとどめられた。

 立ち上がったレイにすかさず手を差し出され、それをほんの少し真顔で見つめたのち、あたくしは結局、ほんのかすかに微笑んで己の指先を重ねた。



 #



 スチュアート邸に滞在して数日、なんだかんだと慣れてしまった。

 国境付近ということで王都とは真逆のここは、森と広大な土地に囲まれた自然豊かな場所。

 まるで、初めてのデートのときにレイが連れて行ってくださったあの湖を大きく大きく広げたかのよう。

 王都が苦手と仰るのも、確かにこのような所で生まれ育ったら分かる気がする。

 かといって、あたくしが気を塞ぐかといえばそんなことはなく、むしろレイが次々にいろいろと与えてくださるせいでどうしていいかわからないほど。


「おはようございます。まだ早いのですから、休んでいてくださってもよろしいのに」


 あたくしの日課といえば、こうして毎朝レイがお仕事に向かうのをお見送りすること。

 まるでこれでは夫婦のよ──、いえ、なんでもないわ。

 とにかく、家にいさせていただくのにあたくしだけ寝ているわけにわけにもいきません。


「これくらいであれば、全く苦ではありませんわ」

「そうですか。いえ、こうしてエルヴィラに送っていただけることが大変嬉しいものですから。そう言っていただけるのであれば、毎朝あなたの顔を見て仕事に向かえるなど、俺は幸せ者ですね」


 な……!

 ま、ま、また、さらっとそんなことを……!


「今日は、国境まで軍の視察をしに行くので帰りは遅くなると思います。大丈夫かとは思いますが、何かあれば遠慮なく申し付けてください」


 では行って参ります。

 日も登りきっていない早朝であるというのに、それを感じさせないほど爽やかな笑顔を見せて行ってしまった。挨拶をお返しもできずに固まってしまっているあたくしを置いて。


「……奥様、朝食は如何いたしますか? もうお召し上がりになりますか?」


 見かねたネリアがそっと気を遣ってくれたけれど、正直どんな顔をしているのかわからない以上振り返ることなどできない。見せられる顔をしているかしらあたくし……!


 結局朝食をとっていた時に届いた、お父様からの手紙で『そちらでの生活を許可し、またスチュアート卿にお前のことはお任せする』と実質公認花嫁修行の宣告をされひとり唸ってしまい、ネリアに知らぬ存ぜぬ振りをさせてしまった。




「エルヴィラ、大変に申し訳ない。駄目でした」


 そうしてもうすぐ昼になろうかというとき、中庭で本を読んでいたあたくしの元に、なぜか今朝お勤めに出たはずのレイが現れた。

 駄目?い、一体なにが……?

 驚きすぎて声も出ず、座ったままただただレイを見上げてしまう。

 まさか、この期に及んで婚約破棄?お父様からの許可が下りなかったの?いえ、いえいえそんなはずは……。


「婚約破棄はしませんよ」


 すっと真顔になって先回りをされました。

 嘘、考えが見破られたというの?は、恥ずかしすぎる……。


「いっそ、結婚式の準備を進めているところです」

「はい!?」

「いえ、いえいえそれよりも」


 どことなく余裕がなさそう……?

 そういえば息も若干切れていらっしゃるし、もしかして国境から馬を懸けてらしたのかしら。だとしたらなんて速さで……。


「よろしいですか、落ち着いて聞いてください」


 どちらかというとレイの方が落ち着いた方がよろしいのでは、そう思いかけて次の言葉に本を取り落とした。


「姉が、こちらに向かっております」

「な、なんですって?」


 勢いよく立ち上がったせいでバサリと本も滑り落ちた。

 ああ、ページが潰れてしまったかもしれない、なんてことに意識を向けてる余裕などない。

 姉って、レイの姉君で、つまりガブリエル伯爵夫人!?なぜ!?


「俺もできれば会いたくはないのですが、どうしても止め切れず……。申し訳ありません、昔から自由すぎる人で、」


「誰と、なんだって?」


 瞬間、びしりと石が固まったかのように背筋を伸ばしたレイが、そのままの姿勢で首だけを背後へ向けた。


「あ、姉上……。お早い到着で」

「何か問題が?」

「い、いえ……」


 女性にしては少し低いお声がして、そちらも気になるけれどなによりレイの終始の様子が気になった。

 ガブリエル伯爵夫人、て、なにかお噂を聞いたことがあった気がするのだけれど、なんだったかしら。

 社交界にご興味がないのか一度だってお会いしたことはないけれど、ガブリエル伯は大らかな方だったのは憶えがある。


「レイモンド、そちらが?」

「あ、はい。彼女が婚約者のエルヴィラです」

「ほう」


 あ、ちょっと!

 そんな抗議にも似た声が上がると同時に、目の前になんとなく立ちふさがるかのようにしていたレイが横に押し退けられた。

 そうしてはっきりとお目見えした方は、女性というには背が高く、あたくしよりも鋭い目つきで、そして何より男のような詰襟を身につけてらっしゃる麗人でした。


「貴女が、元第二王子の婚約者殿」


 言われて、ぴしりと固まったのは言うまでもなく。


「姉上!」

「黙りなさい」

「いいえ、黙りませんよ。エルヴィラを傷つけようとするのならたとえ姉上といえど」

「どうすると言うのだ?」


 一瞥をくれた姉君に、レイはぐっと押し黙った。すでに関係性が垣間見える。

 そして、ああ、思い出しましたわ。

 ガブリエル伯爵夫人、鋼の女騎士。スチュアート家の長女であり、女だてらに剣術を修め、婚姻前にはほんの一時期間といえど小隊長を務めていたという、異色のご令嬢と噂になっていたのだわ。

 通りで話し方もまるで騎士様のようで。


「お初にお目にかかります、ガブリエル伯夫人。エルヴィラ・ディア・ナイトレイですわ」


 ドレスを摘んで正式な挨拶をすれば、彼女はそれを最初から最後まで隅々まで見てから、片眉をほんの少しだけ上げた。


「……そのような呼び方はご遠慮いただこう。アンドレアだ」


 挨拶は大変淡白、しかし右手を左の鎖骨に添え腰を少し折る、騎士風の礼は取っていただけた。

 あたくしが接してきた御夫人とは勝手が違うようだけれど、それでも貴族としての礼節は弁えてらっしゃる方で、あたくしとしてはそれだけで大変好感が持てる。──相手方がどうお感じかは別として。

 

「まあ、失礼を。アンドレア様」


 そう呟きつつ、視線はまじまじと目の前の女性を観察してしまっていた。

 長く伸ばされたブロンドの髪は真っ直ぐで、うなじで束ねて背に流されている。レイと比べると色合いが少し淡い印象だけれど、その目はそっくり空色で。どことなく、真面目なお顔をなさってる時のレイの目つきにも似てらっしゃる。

 この場合、レイが彼女に似ていると言うべきなのでしょうけれど。

 あたくしは、お母様似のお姉様方二人ともと似ていない。だから、姉弟でこんなにも面影がわかるものかと驚いてしまう。


「レディ・エルヴィラ」


 よくよく聞けばどことなく声も似ているかもしれない。

 そんなことをぼんやりと考えていたら、レイに心配そうにされていることなど気がつかなかった。


「昼食はもうすませただろうか」


 そうしてなぜか、アンドレア様には昼食に誘われてしまい、レイは頭痛を抑えるかのように額に手を当て天を仰いだ。


「まだですわ」


 あたくしの選択肢はにっこり笑って応じるのみ。ああ、一体どうなるのかしら。

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