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告白

 


「──お黙りなさい、リリアナ」


 唐突に発したあたくしの言葉に、女どころかオーウェン様も、そして周囲の貴族たちも言葉を失い、成り行きを見守っていた。


「一体誰に向かって口をきいていますの。マナー違反も大概になさい」


 高圧的な態度で、人からキツいといわれる顔を隠しもせずに女を牽制する。本当はここまでしなくともいいかもしれない。けれど今回もまた、あたくしだけの問題ではなく、レイまでも巻き込まんとしている。

 ……きっと、今これを見ているレイには振られてしまう。こんな問題だらけの令嬢など願い下げでしょう。

 ならばこそ、あたくしだけの問題とし彼の中になにをも残してはいけない。


「ほら、みなさんわかります? こんな態度で学院でも毎日毎日虐められてたんです! 女王ともてはやされてたみたいですけど、全然でしょ。悪役令嬢の方がぴったり」


 王宮で喚き散らして。思いたくはないけれど平民の方ってみんなこうなのかしら。

 商家の出のオルガさんはとても礼儀正しくて令嬢といっても遜色ないほどですのに。……ああ、比べてしまってはオルガさんにとても失礼ね。


「あたくしが悪役令嬢と呼ばれようが、些細なこと。このように辱められ、侮辱されることに比べれば、気にすべきことではちっともないのだから」


 そう、本当に気にすべきことなどではない。あたくしはこれからレイに別れを告げられる。その方が何倍も恐ろしい。

 こんな恐怖を、オーウェン様のときは抱かなかったように思う。確かに好きではあったけれど。

 レイに抱くものと何が違ったのかしら。


「どうして意地悪なあなたが辺境伯夫人になれるの? 虐められた私は何の権力もない公爵夫人で、王子妃にも王妃にもなれないのに!」


 憎らしげな眼差しがあたくしの右手に注がれている。正確に言えば薬指にははまった指輪に。

 一体、彼女の目的はなんなのかしら。権力目当て?お金?透けて見えはじめた思惑に嫌気がさしてくる。

 あたくし、なぜこの方にこれほどまで目の敵にされてるのかしら。


「……いろいろと言いたいことはありますけれど。あなたの発言、謀反と捉えられても不思議ではありませんわよ」


 王子妃はいいとしても王妃はいけない。時期王妃はすでに第一王子殿下と婚姻なさっている公爵令嬢のものだ。

 眉をひそめる周囲にも気付かず、けれど女はただただあたくしを睨みつける。


「私が狙っていたもの全部持ってるんですね」


 ボソリと、それこそあたくしたちにしか聞こえないような声で、そう呟いた。

 そのときの反応はそれぞれだったけれど、


 ──盗られてしまうかもしれない。


 あたくしは、不意にその思いが胸を掠めた。

 だから、というのはただの言い訳に過ぎない。


「…………あたくしは、オーウェン様が好きでしたの」


 あたくしの口は勝手に開き、言うつもりのなかった言葉が滑り出た。

 隣でレイが息を呑むのが聞こえ、周囲も思ったよりも響いてしまったあたくしの発言に耳を澄ませたのが気配でわかった。

 もう、後には引けない。勇気を出すのよ、エルヴィラ。

 ずっと考えていた。オーウェン様の時にはなくて、レイの時にはあったもの。そうして出した答え。


「政略結婚でした。あたくしの意思など関係なく。それでも、あたくしは……。……でも、オーウェン様がお幸せであられるのならば、それでいいと思うのです」

「エルヴィラ、俺は、」

「オーウェン様。あたくしのこれは恋ではなかったのかもしれません。ですが、お慕い申し上げておりました。どうか、お幸せになって」

「──、」


 オーウェン様にお会いするのは、もう最後にいたしましょう。……そして、レイにも。

 自ら修道院へ参りましょうか。それとも、会ってはいけない方が多すぎるこの国を、出て行くのもいいかもしれない。


「レイ……、レイモンド様」


 最後の甘えは、『スチュアート卿』にまで戻すことはできなかったこと。

 隣を向き直り、見上げればなぜか苦しげな表情を浮かべてらして困ってしまう。

 やっぱり、一度でもあたくしを好きとおっしゃってくださった方の前で言うべき言葉ではなかったのかもしれない。

 恋を……、知ったばかりだったの。

 そう、確かに恋でした。オーウェン様と違ったのはきっとこういうこと。

 どうか許してという気持ちで薬指から指輪を抜き取った。そっと両の指先で持ち上げ、あたくしの宝石にキスを乗せる。


「短い時間でした。けれど、レイモンド様を思うたびに心が苦しいほどに弾み、名を呼ばれるたびに泣きたくなるほど幸せでした。これが、恋というものであると、あたくしはあなたに出会わなければ一生知らぬままでした。ずっと、ずっと大切にします。ですから、どうか──」


 どうか直接別れの言葉を告げないで。


 虫のいいお願いを口にするのは憚られて、代わりに一筋の涙が頬を伝ってしまった。

 泣くつもりなんてなかったのに。あっと思う間もなく次から次へと溢れる雫を、止める術など持ち合わせぬまま、あたくしは。


「……好き、なんです」


 子供のように、気持ちを吐露することしかできなかった。


 だから、手袋に包まれた硬い指先が遠慮がちに頬を滑った時、一瞬何をされているのかわからなかった。


「エルヴィラ」


 覗き込まれ、すっかり耳に馴染んでしまった声で名を呼ばれ。レイが、あたくしの前に跪いていることにやっと気がついた。


「貴女はとても大人びてらっしゃるから。俺はうっかり、貴女が未だ十六歳の少女なのだと失念しておりました。どうか、お許しを」


 ……は?

 な、なにそれ、なにそれ。

 あ、あたくしが子供だと、そうおっしゃりたいのかしら!?もうデビュタントをとっくに済ませて何年も経っているこのあたくしに!?

 抗議をしようとする前に、しかし、流れ続ける涙を綺麗に拭われてしまい、びっくりしてそれも引っ込んでしまった。


「ひとつだけ、お聞かせ願えますか。俺は今、エルヴィラに振られているのでしょうか」

「えっ」

「それとも……、このお返事を頂けたと、自惚れてもよいのでしょうか」


 そうおっしゃりながら、指輪をあたくしの両手ごと包み込んできた。

 え、え……?

 ちょっと待って。どういうことなのかしら。理解が追いつかないのよ、少し待って。

 あたくし、あたくしがレイに婚約破棄を告げられるのでしょう?だから、悔いのないように言っただけなのよ。それを……へ、返事ですって……?


「……エルヴィラ。貴女はお忘れのようだから、もう一度申しましょう。俺からこの婚約を破棄することは決してありません。選ぶのは貴女です。貴女が、俺の人生を天国にも地獄にもする権利があるのですよ」


 エルヴィラ、と。

 焦がれるように、縋るように名前を口にされ。

 やっとの事で理解できたあたくしはといえば、もうこれ以上ないほどに顔を赤く染め上げていた。


「あ……、あ、」

「エルヴィラ?」

「あ、あなた、それじゃあ、あたくしがただただ恥をかいただけじゃない!」


 こんなに人がいる前で、あたくしは気付かずに愛の告白をしてしまったというの!?


「なぜ?」

「レイに! 棄てられてしまうと……、だって、全部真実なの」


 女のことは本当に嫌い。

 そして、彼女が言ったことは全部事実なの。それなのに、レイは柔らかな表情を少しも崩さないのだ。


「何も問題などありません。俺は、貴女を、エルヴィラというひとりの少女を、永遠に愛しているのですから」


 お返事は。

 そこまで言われて、促された答えなど、頷く以外ないに決まってるわ。


 当の本人はそれはもうわかりやすいくらいに緩々と破顔し、立ち上がったかと思えば唐突にその長い両腕であたくしを抱きしめてきた。


「きゃぁ!」

「両陛下、ならびにこの場にご参加の皆々様!」


 そうかと思えば凛と響き渡る声で瞳を輝かせたままに朗々と宣言を述べる。


「北方領辺境伯賜るスチュアート家が現当主、レイモンド・ド・ラ・スチュアートは、ナイトレイ侯爵家が第三令嬢、エルヴィラ・ディア・ナイトレイに正式に婚姻の申し入れを致します!」


 な……!

 こ、この人、国王陛下どころかほぼ全ての貴族を証人に立てようというの!?


「ちょっと!」


 それに抗議したのはわなわなと震わせた両手を握りしめた女だった。すっかり忘れてた。


「そんなのって……、」

「リリアナ嬢、といったか」


 しかし、あたくしが何か言う前に彼女の名を呼んだレイに、女ははたと口を閉じた。そうして、急に居住まいを正して、その表情さえもガラリと変え出した。


「は、はい。まあ、名前覚えてくださったのね!」


 言葉遣いすら違う。見覚えがある態度だわ。あれは、そう、学院でオーウェン様にすり寄っている時のもの。そのオーウェン様のことは放置のまま。

 なんなのかしら、この女は。

 不快感しか胸に浮かばない。こんな人間に出会ったことなどなくて、未だに彼女にはどんな態度が正解だったのかわからない。オーウェン様は、それでも、彼女といる方がお幸せなのね。

 ……それなら、あたくしが捨てられたのも納得というもの。

 けれどそんなことはおくびにも出さず、貴族令嬢としての矜持を保とう──として肩に乗せられたレイの手に力がこもったことに斜め上に視線がいった。

 そうして、思わずビクッとしてしまった。とても失礼なことに。

 けれど、でもだって、その瞳は極寒の冬空で、薄い唇が乗せるのは震え上がるほどの愛想笑いなのだもの。

 ちょっと、あなた、どうしてそんな頬を染めてレイを見ていられるの?視界がおかしいのではなくって?


「エルヴィラがあなたの名前を口にされたので。俺は、エルヴィラの言葉はどんな瑣末事でも記憶したいのです」


 ……え。


「そのようなものは些細なこと。それよりも、数々のエルヴィラへの、我が妻への侮辱の言葉、到底聞き流せるものではない」


 妻……!?


「先走るでない、スチュアート卿」

「血の気が多いのは若い頃から変わっていないのねぇ」


 背後からかけられた重厚なお声、それに重なった軽やかなお声に、レイがぴくりと反応した。


「私は未だ承認しておらぬし、そもお主の場合は宣言する相手が間違っておるわ。まずは宰相が先であろうに」

「いえ、娘が承認しているのであれば、私が口を挟むことはありません」

「まこと、愛妻家の次は親馬鹿か……」

「……」


 国王陛下がお父様と何を話していらっしゃるのかは聞こえなかったが、少し反応したきりレイが一切そちらを気にしていないことの方が気がかりだった。


「リリアナ嬢、あなたの名を呼ぶのはこれから先一度もないだろう。あなたの顔を見るのもこれで最後だ。今後一切、我が妻に関わることを拒否する。もしも破れば……、次は容赦しない」


 とんでもないことを言い放った。

 なにを……。いくらオーウェン様が王位継承権を剥奪されたとて、その身分は王族に連なる公爵。その婚約者相手に、辺境伯とて言っていい内容ではない。

 ないのに、レイの視線は全くブレることなく、未だ極寒の空の瞳を女に向けている。

 女もやっと彼の様子に気がついたのか、ふらりと一歩後退した。


「オ、オーウェン様……」


 震える声で縋るも、オーウェン様は女を見なかった。ただ、真っ直ぐにレイと視線を交え、黙ったまま。


「……」

「……」

「……スチュアート卿」

「はい、オーウェン様」

「彼女を妻に迎えるのか」

「何か問題でも」

「……」


 その態度は、オーウェン様相手でも変わらない。

 いい加減にしないと、レイが咎められてしまうのではないかしら。そんなのだめ。どうにかしてやめさせなければ。


「レイ──」

「よいよい。わかった。貴殿らの婚姻を認めよう」


 そのあたくしを遮ったのは国王陛下で、その上とんでもないお言葉まで添えられた。


「あまりにも長引かせると、スチュアート卿がまた辺境に引きこもりかねん。それでは宰相も寂しかろう」

「私は特に」

「この場で異論のある者は。──おらぬな。ではおめでとう、スチュアート卿、エルヴィラ嬢」


 そ、そんなに軽く!?

 レイもレイでぱっと顔色を明るくして、そうじゃないでしょう!?


「今夜の舞踏会は思いがけず華やかなものになったな。王妃よ、久しぶりにワルツでも踊ろうか」

「まあご冗談を。……私が苦手とご存知でしょう」

「……冗談だ。そう怒るでない」


 両陛下の仲睦まじげなご様子はあたくしとしてもとても素敵だとは思います。でも、待ってください。あたくしまだなにも飲み込めてませんわ!


「エルヴィラ、ああ、ありがとうございます」

「えっ」

「貴女が我が腕の中にいらっしゃるという事実だけで、ああ、夢のようです」

「……ゆ、夢では困ります」

「そうですね。夢では困ります」


 こんな頭が痛い夢見たくない。


「認めない!」


 ……忘れかけてた甲高い声が、再び場を凍りつかせた。

 プルプルと薄い肩を震わせ、愛らしい丸目に鋭さをたたえてオーウェン様を見つめていた。


「リリィ……」

「だって言ったじゃない! エルヴィラを追放してくれるって! なのにどうして彼女の方が幸せそうな結末を迎えているの!?」


 瞬間、オーウェン様の表情が変わった。

 ほんの束の間ストンと、感情が抜け落ちてしまったようだった。


「私とでは、幸せではないと」


 呟きは誰にも届かない。彼を注視していたあたくしだけが拾ってしまった。


「双方、退出せよ」


 そのとき、告げられた短い命に、オーウェン様は表情を取り戻したけれど。それでも。


「リリィ、行こう」

「そんな、」

「行かなければ」


 無理矢理にでも場を辞していく見慣れた背中に、あたくしはかける言葉を何一つ持ち合わせていなかった。

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