約束
デートのお誘いは、しかしすぐには叶えられなかった。
スチュアート卿にはお仕事がおありで、いつまでも領地を放っておくことなどできない。
そのため、彼がお帰りになり、また王都へ寄られるという半月後まで待つこととなった。
ドレスもなにもない今のあたくしとしては、助かるところではあったのだけれど。
ドレスや装飾品の新調がやっとの事で終わった頃、仲の良いお友達からのアフタヌーンティーへのお誘いの連絡が来た。
ほんの少し迷ったけれど、手紙で何度も繰り返された「ぜひ出席してくださいませね」という圧を無視することはできなかった。
「ようこそいらっしゃいました、エルヴィラ様」
同じく王宮にほど近い場所に屋敷を構える伯爵家ご令嬢ソフィアさんの元に集まってのティーパーティーには、学院で仲良くしてくださっていたオルガさんもすでに座ってあたくしを出迎えてくれた。
「まあ、少しお痩せになったのではありません?」
そのオルガさんが開口一番に心配そうに眉を下げた。
「きっとご心労が溜まってらっしゃるんですわ。なんておかわいそうに」
そんなに見た目でわかるほどに変わったかしら。確かに、ドレスの採寸をする時に細くなったかもしれないとは思ったけれども。
「わたくしたち、本当に腹を立てていますの」
「本当に。あの泥棒猫、涼しい顔して王宮に出入りしているんですよ」
席に着くやいなや、語気も荒く切り出されたのはやはりあの日の話。
あたくし自身、彼女を許したわけでも認めたわけでもないし、きっと彼女が第二王子妃になった後もどんなことになってもこうべを垂れることはしたくありません。けれど。
「先ずは、皆さんに感謝と、それから謝罪を」
「エルヴィラ様?」
「あたくしのわがままで、皆さんの卒業パーティーを台無しにしてしまってごめんなさい」
学院では、彼女たちが中心になってあたくしの心を守ってくださった。
入学早々、オーウェン様に纏わり付くようなあの女を敵視し、いつでも励ましてくださった。そうして、あたくしが不快な思いをしないようにと、彼女がオーウェン様に近づくことを様々な手を使って阻止していてくれたのも知っている。
「とても嬉しかったのよ。御二方がいつでもあたくしの味方でいてくださって。あの日もずっと後ろにいてくださって。だから、今度はあたくしがどんなものからも守って差し上げたいの」
あの卒業パーティーで、オーウェン様がどれだけあの女を……愛して、らっしゃるかを目の当たりにしたら、その彼女に敵意を向けていたソフィアさんたちにだって、もしかしたら不敬罪の火の粉が降りかかったかもしれない。
婚姻前の彼女たちに暗い噂など背負わせるわけにはいかない。
「エルヴィラ様!」
「えっ」
けれど、言い切った瞬間、お二人ともに怒ったような顔をされてしまって混乱する。
なにかまずいことを言ってしまったかしら……。
「わたくしたち、エルヴィラ様が好きだから一緒にいるんですのよ!」
「そうですわ。身分もなにも関係なく、商家の出の私にも優しくしてくださったエルヴィラ様だからこそ。だから、謝らないでくださいませ。だって、エルヴィラ様が悪いことなどなにもないんですもの」
「ええ、ええ全くですわ! 第一、今回の事件で一番に悪いのは第二王子殿下ですわ」
え、ちょ、ちょっと、ソフィアさん?
あんまりな内容に、止めようとしたあたくしが口を開くよりも先にオルガさんが意気揚々と身を乗り出した。
「よくぞ仰いました。そうです、そうです。あんな、訳も分からない女なぞに傾倒なさって、なんて恩知らずな。エルヴィラ様が今までどれだけ勉強なさって、王子のお役に立とうとなさってたか微塵も感じてないんですもの!」
「あ、あのお二人とも、そのようなことを仰っては……」
「エルヴィラ様、大丈夫ですわ。うちの侍女たちは皆エルヴィラ様の味方です」
いえそういう問題ではなくですね……。
どうしましょう、この調子でいつかどなたかのお耳に入ってしまってはそれこそおしまいだわ。
「それに引き換え、スチュアート辺境伯は大変に素晴らしかったですわね。まさに物語で思い描かれるような清廉な騎士様ですわ」
「本当に。私が仕入れた情報によると、かなりの貴公子ぶりで淑女たちに隠れた人気だとか」
「あのお顔ではねぇ。ご覧になられました? 通った鼻筋に凛々しい眼差し。服の上からでもわかるほどのたくましい体つき……。貴族の殿方など、頼りない方々ばかりですもの! 先日、お父様が紹介してきた方なんて、それはもうなよなよとしたお方で……」
「ソフィア様は相変わらずのご様子で。これでは伯爵様も大変ですね」
呆れた、といった表情を浮かべたオルガさんが、「それで?」とやっとあたくしをご覧になった。
「スチュアート辺境伯とはもうデートなさいましたの?」
「えっ」
「まさか、あれだけの求婚をなさって何もしてこないなどありませんよね? いくら辺境伯とはいえ、私許しませんよ」
女だてらに宝石商を営むお父上の事業を継ぐ努力をなさってるオルガさんは、他の貴族令嬢に比べればとても自立なさってる。そんなオルガさんの迫力と言ったらない。
二の句を継げないでいたら、けれど、不意に彼女が優しげに空気を緩めた。
「これでも心配なんです。エルヴィラ様はお可愛らしいけど、とてもリアリストでいらっしゃるから。考えすぎずに、今回くらいはあのロリコン伯爵にお任せしてみては?」
「オルガさ……──。……なんですって?」
「え?」
今、とんでもない単語が飛び出してこなかったかしら。いえいえ、聞き間違いよね?あたくし、オルガさんの言葉に感動していたのだし、ちょっと一気に冷めてしまったけど、聞き間違いよね?
「ちょっと、オルガ様!? ロリコンは禁句と約束したではありませんか!」
「あっ」
…………聞き間違いではないようね?
「……本当のことですもの。十分すぎるほどの資産があり、身分もある上に若くイケメンと完璧なスチュアート辺境伯が、あのセリフで淑女の間では一部評判ガタ落ちです」
「オルガさん!!」
だって、十三歳でらっしゃったエルヴィラ様にですよ?
それに返せる文句をひとつも用意できなかったあたくしを、誰が責められるでしょう。
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なんだかんだ、あれから普通にお茶会をし、久しぶりにご友人たちとお話しできたともあって、あたくしはとても機嫌が良かった。帰りの馬車の中で鼻歌を歌うくらいには。
「お嬢様、お嬢様」
「……! な、なんですの」
いえ、普段ははしたないですから、こんなことしないんですよ。今日は特別で。
「スチュアート辺境伯らしき方が門前にいらっしゃいます」
御者への言い訳を紡ごうとした口は、そのまま驚きをこぼした。
「まあ」
慌てて馬車のドアを開けさせれば、その通り、少し離れた先で真っ黒な馬に跨るスチュアート卿がこちらへ向かってきていた。卿も、すでにあたくしにお気づきであったようで、馬上から胸に手を当てた騎士の礼をされた。
「こんばんは」
「ご機嫌よう、スチュアート卿。王都にいらっしゃっていたのですね」
馬車から降りようとすると、手振りで留まるように言われてしまい、さっさと下馬したスチュアート卿が近づくことによりすぐにその端正なお顔をすぐに間近で見下ろす形になった。
「ええ、先ほど。エルヴィラ様に少しでも早くお会いしたい一心で、つい、タウンハウスに寄る間もなく馬を駆けさせてきてしまいました。しかし、外出した帰りだったご様子で。申し訳ありません、やはりまた明日出直しましょう」
息をするように甘い言葉を至極真面目に吐かれてしまって、あたくしはど反応すれば正解なのかしら。少なくとも、魚のようにパクパクと口を開け閉めすることだけは違うとわかります。
「あ、の……、スチュアート卿」
「はい。……あぁ。以前、『エルヴィラ』と呼んでほしいと仰っておりましたから。どうも、慣れずに申し訳ない」
少し気恥ずかしくて、と。
どう考えてもその前のセリフの方が気恥ずかしさ満点なのだけれど、この方の羞恥心は一体どこへ向いてるのかしら。
確かに言ったし、レディなどとつけられるよりはそちらの方が変に気を負わずにいい。だからそのようなことはどうでも。それよりも。
「いえ、あの、よろしいですわ。でも、外は冷えますからぜひ屋敷の中に」
夕日も落ちかけ、風がだんだんと冷たくなってきている。
いつから外にいらっしゃったのかはわからないけれど、本当に軽装でどこも寄っていないというのは本当らしかった。いくら鍛えていらしても風邪を引いてしまうかもしれない。
「お気遣い感謝します。ですが長居はいたしません。エルヴィラ様のお顔を一目拝見したかっただけですので」
またそうやって……!
あたくしの頬はいつまで色づいていればよろしいのかしら!?
ふいにソフィアさんの言葉を思い出した。一体どこが清廉な騎士様なのかしら。あたくしの心臓が壊れそうに脅かされているこの状況を説明してくださいませ。
「エルヴィラ様。半月前のデートの誘いへの返答は、未だ有効でしょうか」
有効もなにも、あたくしはそのつもりで半月を過ごしてきたのだけれど……。
って、これでは楽しみにしていたようではないの。
ただただ、もうどうしようもなくて、首を縦に振るだけ振れば、目の前の彼は大変に嬉しそうに顔を綻ばせた。
「よかった。それでは、明日遠駆けに行くのはどうでしょう」
「よろしいですわ。ですが、あたくし馬は乗ったことありませんの」
「ああ。ご安心ください。後ろにいる俺の馬で行きます。賢く丈夫な奴ですので、きっとご不快な思いも危険なこともないとお約束できます」
そう仰るスチュアート卿につられて、彼の背後を覗きみれば、先ほどまでスチュアート卿が乗られていた馬がこちらをじっと見つめていた。身じろぎもせず主人であるスチュアート卿を大人しく待っている。彼の、馬を話す口ぶりからもとても信頼し合っているのでしょう。
「では、お任せいたします」
その一言で、スチュアート卿のお顔にパッと笑顔が乗せられた。
決して華やかさはないけれど、見ていると気持ちがさっぱりするような、そんな笑みでした。
左頬だけ、ほんの少し窪むのがまた可愛らし──って、殿方になんて感想を抱いてるのかしらあたくしは!
「明日、朝にお迎えにあがります。本日は押しかけてしまい申し訳御座いませんでした。それでは」
軍人らしいキビキビとした動作で礼をし、御者にまで会釈をすると、颯爽と馬に乗られて来た道を戻られていった。
明日、朝。スチュアート卿が迎えに来てくださる。
そう思うだけで心が高揚してしまう。
──たった数日前まで『第二王子に振られた女』であったのに、少なからず傷ついていたはずだったのに、あたくしは、軽い女なのかしら。