お誘い
スチュアート卿とのお顔合わせはナイトレイ邸で執り行われることとなった。
そう、お父様に伝えられたのは昨日のこと。今日を入れて実に二日しか経っていない。
かなり急だが、そもそもスチュアート卿が自らの領地からそういつまでも離れてはいられない。
それこそ、お父様がこのお申入れをしてくださったときだって、もしかしたらお帰りになられる頃だったかもしれないのに、スチュアート卿は二つ返事でお時間を作るとのお返事をくださったというのだもの。なんて素晴らしいお心の方なのかしら。
──さて。
そこで問題になってくるのがあたくしのクローゼットの中身ということなのだけれど、さすがに当日までにドレスを新調するなど不可能。
そこで、もうお嫁に出てしまった末姉様のドレスをお借りすることにした。
末姉様があたくしと一番、身長も体型も似ていて、胸元以外は全て手直ししなくとも着ることができる。
「ええ、お嬢様。心配なさらなくてもこのノーラ、お胸元もきちんと綺麗に着せて差し上げますからね」
ニコニコと人が一番気にしていることをざっくりと踏み込んできた乳母は、宣言通り今日までにドレスを手直しして布を大幅に詰めていることが全くわからないようにしてくれた。
「ほんの少しですと、どうしてもよれてしまうことがございますが、さすがエルヴィラお嬢様ですわ。十分に布が余っていましたのでどうにでもできましたわ」
「…………ありがとう」
彼女は、これはわざとなのかしら。いいえ、ノーラのことだもの、そんなことはなくただただ事実を述べているだけなのよね。
それもそれで大っ変に傷つくのだけれど。きっと言ってもわからないわよね。知ってるわ。
「装飾品は上姉様のものをお借りしましょう」
「かしこまりました。では、ドレスに合わせていくつかお持ちしますね」
宝石が大好きな上姉様の装飾品は、どれもこれも素敵なものばかりで、憧れていたあたくしのためにいくつか置いていってくださった。
国外の王室に嫁がれたお姉様だけれど、今回の騒動はお耳に届いるのかしら。そうだとしたら、大変なご迷惑をおかけしているわよね。
国内でお嫁に行かれた末姉様には確実に知られてしまっているでしょうけれど、お義兄様共々、あまりこういった政や王室事情にご興味ないから大丈夫と思いたい。
「さあ、エルヴィラお嬢様。もうスチュアート卿がいらっしゃる頃合ですわ。最後のお支度をなさいましょう」
言われて、ずいぶん時間が経ってしまったことに気がついた。
スチュアート卿がいらっしゃるのは正午すぎ、庭でお茶を共にしながらということになっている。
「……ねえ、ノーラ」
「はい、なんでございましょう?」
「あたくし、変じゃないかしら」
ドレッサーの鏡を見ながら、ついそんなことを呟いてしまった。
ハッと口を押さえるけれども、すでにノーラには聞かれてしまった後で、しかし彼女は揶揄するでもなく優しく微笑んでくれた。
「ええ、ええ。大丈夫ですわよ。エルヴィラお嬢様はいつだってお可愛らしくてお美しいですもの。どこのご令嬢にも引けを取らないですわ」
結い上げた淡い金髪に上姉様の一番のお気に入りだった髪飾りを差し込まれた。
「さ、こちらで最後ですわ」
そういって、首にかけられたのは大粒の宝石がメインの首飾り──。
「って、ノーラ、これ」
「はい、アクアマリンとダイアの、エルヴィラお嬢様お気に入りの一品ですわ」
「え、ええ、そう、そうなのだけど」
「澄んだブルーホワイトがお好きだと、以前おっしゃっていましたわ」
ええ、言ったわ。
でも、これはきっと今してはいけない。こんな、彼の方の瞳を彷彿とさせるものなんて身につけていたら、きっと誤解されてしまうじゃない。
誤解?……誤解なんて、いえいえ、しっかりなさいエルヴィラ。これはただの首飾りで、あたくしのお気に入りで、何も意識などしなければいい話じゃないの!
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──と、思ってごまかしたことをとても後悔してしまった。
スチュアート卿がご到着されたとの知らせを聞いてしばらくすれば、家令に案内されて庭にいらっしゃった。
卒業パーティーの時にお召しになられてた詰襟ではなく、今日はフロックコートにタイというシンプルな正装姿だった。
改めて見ても、なんてがっしりとした体つきなんでしょう。
大きな手からもわかってはいたけれど、広い肩幅といい、見上げるほど高い身長といい、まるで騎士のそれ。
事実、スチュアート家は代々優秀な騎士を排出する家系でもあるから、当主であるスチュアート卿もそちらの道に精通していてもおかしくはない。
そのように不躾に見ていたから、当然スチュアート卿に困ったような表情とともに首を傾げられてしまって、慌ててご挨拶のお辞儀をした。
「ごきげんよう、スチュアート卿。急な事にも関わらずお越しいただきありがとうございました」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
うまく取り繕えたかしら。普通にご挨拶を返していただけたし、まあ、大丈夫よね。
席を勧めれば、すぐに周りの侍女たちがティーセットの準備に取り掛かる。それらを眺めながら、ソワソワと落ち着きがなくなってきた。
お父様にお願いしてこうして席を設けていただいたけれど、あたくし一体何がしたかったのかしら。スチュアート卿と何を話そうというの?
「……。……そういえば、遅くなってしまいましたが、ご卒業おめでとうございます」
「えっ? あ、ええ」
「実は俺も王立魔法学校への入学を目指していたのですが、そちらの方面はからっきしで。レディ・エルヴィラはどのような魔法がお得意で?」
「……大したことはできませんのよ。蝋燭の火を灯したり、カーテンを開けたり、そういった簡単なことです。あたくしもどちらかというと魔法に向いていない方でしたわ」
「それでも俺にとっては凄いとしか言えませんよ」
やっぱり、この方は優しい方。わざわざ話しやすい話題を振ってあたくしの緊張を解こうとしてくださっている。
きっと、結婚したら王宮の生活とは違って、穏やかな生活を送れるのでしょうね。
「レディ・エルヴィラ。その……、その首飾りは」
なんて油断をしていたから、唐突に爆弾を投げ入れられて危うく紅茶のカップを落とすところだった。
やはりやめておけばよかったのだわ!そうよね、あまりにも似過ぎている色だもの。今まさにスチュアート卿を目の前にして改めて思いましたもの。
確実に狙ってスチュアート卿の『瞳』を胸元に飾っていようにしか見えないわ!
無理にでもノーラを止めればよかった。あのように押し切ってくる彼女に勝てたことは一度だってないのだけれど!
それでも、それでもこんな気を持たせるような行為、とっても恥ずかしい!
「あ、あたくしのお気に入りでしてよ! 上姉様のをお借りしたんですの。ええ、その、装飾品を全て捨ててしまったもので」
「……ああ! そうですか。申し訳ありません。てっきり、俺に合わせていただけたのかと、自惚れました」
ああ〜〜〜〜!
なんて、なんて恥ずかしげもなく恥ずかしいセリフが吐けるのかしらこの方は!
いいえ、ちょっと顔に赤みが差してらっしゃるけれども!照れ臭そうに指で頬を掻く様子でご自分でも恥てらっしゃるのはわかるのだけれど!
「装飾品を全て捨ててしまわれたというのは?」
そしてあたくしも緊張しているのか余計なことを口にしましたわね。なんてこと。
「…………気持ちを、入れ替えようかと」
苦しい言い訳にもほどがあるわよエルヴィラ。もっとマシな回答はなかったの。
「お話中失礼いたします。こちら、料理長自慢のフルーツケーキにございます。本日の紅茶に合わせておりますので、ぜひご賞味ください」
さすがは我が家の侍女長。タイミングぴったりだわ。本当にありがとう。
「彼のフルーツケーキはあたくしのお気に入りなんですの。甘いものがお嫌いでなければ召し上がってくださいませ」
こういうのは間を空けてはいけないからと、侍女長の言葉に少し前のめり気味で続けたのがいけなかったようで、ちらと彼女に一瞥された。
仕方ないじゃない。はしたないのはわかってるわ。
「そうなのですか。では早速いただきます」
うろうろとフォークの縁を撫でていたあたくしと違い、流れるような仕草でケーキを口に運んだスチュアート卿は、ついでふわりと微笑まれた。
まるで、仔犬のように幼さがにじむそれに、正直のところぐらつきかけてしまった。
「ああ、本当に美味しいですね。ぜひ、料理長殿にお伝えください」
「恐れ入ります」
いやに淡々とした侍女長の声で、なんとか冷静さを取り戻したけれど。
危ない。本当に危ない方だわ。
スチュアート卿。
レイモンド・ド・ラ・スチュアート辺境伯ね……。
──あたくしは、結婚というものになんの夢も希望も抱いていなかった。
上姉様も末姉様も、お父様がお選びになったお相手と結婚し、そしてそれは全て、ナイトレイ家繁栄のためだった。
あたくしの結婚も王家への足掛かりとなり、同時にナイトレイ家から王家への最大の忠誠の証になるはずだった。
幼少期からあたくしは王子妃になるための教育を受け、そうなるためだけに生きてきた。
そこに、オーウェン様への恋慕という少し余計な感情が付いてしまったけれど、王子妃になるのにもナイトレイ家の繁栄にも邪魔にはならないはずだった。
それなのに、今あたくしの心を苦しめているのは、まさにその邪魔にならないはずだったもの。
……ままならないものね。
向かい合って座って、当たり障りのない会話が続く。
爵位を継ぐ前に所属していた近衛騎士団での面白かったこと、王都に初めて訪れて珍しかったこと、領地での特産物のこと。
あたくしが今まで社交界で聞いてきたような政治の話や経済の話、王室情勢の話はひとつも出てこなかった。
けれど、ただの世間話のような会話が興味深く聞こえるなんて思いもしなかった。
いいえ、きっとスチュアート卿がお話上手なんだわ。
文武両道、精悍なお顔立ちでご令嬢方に密かな人気を誇っていると、ちらりと噂を聞いたことがあったし。
でも、そんな方が本当に『王子に棄てられた女』を嫁に迎えるかしら。
明らかに外聞が悪いし、ナイトレイ家から得られる利益など、地位や名誉にご興味のないスチュアート卿にはない。
どちらからともなく口を閉じ、細々と続いていた会話が途切れた。
勢いでこのような場を設けてしまいましたけれど、もうこれっきりかしら。とても楽しかったけれど。
なんて、思っていたのに。
「正直、駄目かと思っておりました」
困ったように、それでいてこちらの反応を伺うように、ポツリと彼が切り出してきた。
「唐突な求婚で驚かれたことでしょう。見ず知らずの、それも俺のような歳のいった男に、毎日のように手紙を送られ言い寄られて、やはり気分を害されてしまったかと」
その手紙はお父様によってあたくしの元には届いていなかったけれど。
一体、お父様はどういうおつもりだったのかしら。
お返事も差し上げられず大変な失礼をしてしまった。そう謝罪しようと顔を上げた瞬間、スチュアート卿もパッとあたくしをご覧になった。
空色の瞳が、また、あの熱を持っている。
トクトク、トクと。心音がどんどん速くなっていく。
「もしも、今日のお招きに期待をしてもよいとおっしゃってくださるなら、どうか、俺のことを知っていただくチャンスを、いただけませんか」
「え……?」
「いわゆる、デートの誘いというものです」
ひとまわりも年上の、近衛騎士団の連隊長をされていたような男性が、照れ臭そうに頬を少し紅潮させている事実に、衝撃を受けた。
こんなにも感情を見せる殿方がいらっしゃるなんて。それも、いかにもそういったことをひた隠しにするような方が。
「……っ」
自分で自分の熱に火傷してしまうかと思った。
火が出そうなほど熱いと、自分でもわかるのだからスチュアート卿は余計にでしょう。
「レディ・エルヴィラ!? どうなさいました? どこかお加減でも……?」
「エルヴィラ」
「……え」
体調を心配されるほどのみっともない顔を晒したまま、だけど伝えなければいけないと、震えて上手く動かない唇を動かした。
「エルヴィラと、そう呼んでくださいませ」
デート、お受けします。
自然と緩んだ頬は、数年ぶりにあたくしの思いそのままの笑顔を浮かべてくれたように思う。