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精霊の愛し子



 私室であればあたくしが着席を勧めるところだけれど、レイを見やればなぜか目が合って、フェルナン様へは何もおっしゃるご様子がない。


「えー、コホン。これからご婚約者殿に魔法を施しますが、まったくもってその他の意図はございませんので」

「なんの話だ?」

「……この人ほんと面倒くさいな」


 悪態聞こえてますわよ。あたくしの耳に届くのであれば、もちろんレイにも。

 ただ、微動だにしないところを見ると気にしてらっしゃらないようですけれど。


「僕は叔父上を敵になど回したくないし、ご婚約者殿は……えー……、まあ、元学友くらいにしか思っておりません」


 どこまで無礼を働けば気が済むのかしらこの方。

 あたくしだってあなたとの関係地を聞かれたら悩むかもしれないけれど、そんなあからさまに言い淀むなんて失礼ではなくって?


「従って、僕が今からする行為は医者の施す医療行為と同じようなものです」

「そうか」

「……」


 ──ああ。


 もしやこの感覚がピンときていないのかしら。それはそうよね。レイは魔法を使わないのだもの。

 魔力というものは、魔法師にとって指や髪と変わらない身体の一部で、肌を触れ合わせるのとほとんど同じような感覚を持つ。

 そのせいで、魔法をかける場所によっては異性の魔法師を厭う方も居る。でも。


「気にしすぎですわ。あたくしだって魔法師なのだから、その辺りは理解があるもの」


 どちらかと言うと、他人のためにこれほど簡単に魔法を行使しようという姿勢の方が驚きよ。

 どんな魔法師でも、己の得意魔法に誇りを持っている。そう簡単に開け渡すような真似はしないのに。


「……君に言い訳をしたわけじゃないんだけど、もういいや」


 全てを諦めたような表情でもあたくしの前まで歩いてくると、少し考えてからフッとその手に身の丈の半分ほどの杖を顕現させた。

 先ほどまで持っている様子はなかったから、普段は亜空間へしまっているのでしょう。

 高位な魔法師が魔法を使う際、何かを媒介にすることはない。

 そんな魔法師でも、大掛かりな魔法を使用する際は安定をはかるために杖や水晶等を利用する。

 あたくしの場合は常に媒介があった方が良いのだけれど、フェルナン様のように亜空間など開けられる魔力もない。

 まあ、ドレス姿には絶対に合わないので持ちたくないというのが本音だけれど。


「生憎僕には精霊の加護はないから、感じていることを全部説明してくれる?」


 ほんの少し投げやりな響きに、一瞬嫌味を言われたのかと思いましたけど、その表情は無に近いもので淡々としている。

 そういえば、学院の頃の彼もこんな表情でいることがよほど多かったように思えるから、きっとこちらが素なのでしょう。


「人の声が聞こえなくなるレベルで煩いのだとベイルさんから聞いてはいるけれど」

「ええ。今はベイル様のおかげで静かですけれど、とにかくたくさんの精霊達の訴えが、常に頭に響くような感じで……」


 感じているものを言葉にするというのは難しいものね。

 要領を得ない拙いご説明に、けれどもフェルナン様は律儀に相槌など挟んだりして、思いの外真面目な方なのかもしれない。


「薄々勘づいてはいたけれど、まさか君が本当にベイルさんと同じ『精霊の愛し子』だったとはね。こんなに身近に二人もいるだなんて」

「『精霊の愛し子』……?」


 その単語に反応したのはレイだった。

 そうか。魔法学院に通っている者が習う事柄を、レイのような方が学ぶ機会はないのね。

 

「あたくしたち魔法師は、この世に溢れる自然の精霊の力添えによって魔法を使っているのです」


 けれども、人間の前に精霊は姿を見せないし言葉を聴かせない。あるいは、人間側にその能力がないのか。

 シェーン様のように稀にヒトの姿をとる精霊もいらっしゃるにはいらっしゃるけれど、かなり奇特な方。

 ともかく。


「言葉を聞き、あるいは姿を目にし、彼らと深く関わることができる者を『精霊の愛し子』と呼ぶのです」

「では、エルヴィラは特別なのですね」

「特別というか……。どちらかというと、奇異な目で見られる方が多いですわね」


 精霊の存在を感じ取れるというのは異常なこと。

 そもそも人に言うものでもないですし、貴族令嬢には特に不要な産物。

 一方でこれが平民であれば、精霊を感じることができるなどと言えば頭のおかしい者と思われることでしょう。


「……どうか、他の方には秘密にしておいてくださいませね」


 ほんの少し不安になって囁くように懇願すれば、瞬きの末にレイは大きく頷いた。


「もちろんです。大体、俺が自ら貴女のことを言いふらすなどありません。貴女のどんなことでも、俺だけが知っておきたいと常に願っているのですから」


 まるで大切な物に触れるかのように優しく頬を指の背で撫でられて、思わず身を引いてしまった。


「そ、それよりも! フェルナン様は一体いつから気づいてらしたというの? なぜ気づかれたのかしら」


 誤魔化すように再びフェルナン様へ水を向けたのだけれど。


「耳というより頭の中の問題か……。どうしようかな。下手にやると精霊以外の音も拾えなくなりそうだしな……。ベイルさんは精霊を追い払ったと言ってたけど、僕にはできないし、その場凌ぎにしかならないし……」

「フェルナン様? フェルナン様!」


 顎に手を当て考え込むフェルナン様にあたくしの声は一切届いていないご様子。そんなことありまして?

 その時、レイがスッと動いた。ようやく距離が空いてホッとする。

 ……別に密着されて嫌なわけでは、ないけれど。

 それでもこれでやっとなんだか息がしやすくなった気もする。ずっとドキドキしている心臓の音がどうにもおさまらないのはもう無視をする。


「エルヴィラ、どうぞ。冷めてしまいましたから」


 新しいカップに紅茶を注いで差し出してくださった。

 確かに、飲みかけだった紅茶はすっかり湯気をなくしていた。


「ああなったフェルナンは思考の整理がつくまで帰ってきません」


 本当に聞こえていらっしゃらないのね。なんて集中力かしら。


「それから、大変申し訳ないのですが、今から少々席を外してもよろしいでしょうか? 一度、副団長のギャリーと話す必要があり」

「ええ、それは構わないけれど……」


 一応婚前の男女が部屋に二人というのはどうなのかしら。

 ここは要塞で、女性もいらっしゃらないとは思うから、どこか外へ移動した方がよいかしら。


「扉は開け放って行きますし、すぐにもう一人護衛としてよこしますので」

「護衛」


 まあ、二人きりにならないようにとのご配慮でしょうけれど、騎士団の要塞の奥に位置するこの部屋にいて危険な目には遭わないでしょう?


「この要塞には、俺自ら鍛え上げ、それでなくとも優秀で気骨ある精鋭しかおりません。世界中どこよりも強固な防衛力をお約束いたします」


 不安がっているとでも誤解されたかしら。

 鷹揚に頷いて差し上げようとしたまさにその時、不意に片手を取られたかと思えば、指先に羽が触れるようなキスを落とされ全身が石のように固まってしまう。


「ああしかし、エルヴィラ。たとえそうであっても、あなたの側にいられる機会を逃さなくてはならないなど、まるでこの身が引き裂かれ、呼吸が止まるほどの苦痛を──」

「すいません、ちょっと。僕のいないところでやっていただけますか? 叔父上」


 そんな呪縛を解いてくださったのは、割って入ってきた不満げなフェルナン様の声でした。


「今回は早かったな」

「否が応でも思考など断ち切られますよ」


 緩んだレイの手から慌てて指先を抜き去って胸の前で握りしめる。

 本当に油断も隙もない!


「それで、解決策は見つかりそうだろうか?」

「まあ……、僕としても初めてなのですが、やれなくはないでしょう」

「そうか。感謝する、フェルナン」

「……」


 その瞬間、フェルナン様は目を大きく見開き、呆気に取られた表情で動きを止められた。

 レイはそんな彼を置いて、あたくしに向かって甘くにこりと微笑んだ。


「エルヴィラ。しばしお側を離れること、お許しください」


 その笑みに射抜かれたあたくしをも置き去りにして、レイは颯爽と部屋を出てゆかれてしまった。

 これでもかとドアを開け放って。


「……」

「……ねえ、あの人にいたずらに人の心を惑わすようなことをしないでくれと言ってくれない?」

「あたくしにおっしゃられてますの?」

「……」


 扇子を広げて赤くなっているだろう顔の大部分を隠し、フェルナン様は気まずげに目を逸らされた。


「忘れてくれ。僕も何も見なかった」

「ええそうね。あたくしも何も聞かなかったわ」


 気を取り直してひとつ咳払いを溢し。


「この度はありがとうございます、フェルナン様」


 素直にお礼を差し上げれば、フェルナン様はひどく奇妙な表情で片眉を上げて見せた。

 あなたはもう今後一切、社交の場にお出にならないほうがよろしいかと思いますわ。


「……僕が君に手を貸すとは思わなかった?」


 なんて捻くれた捉え方かしら。

 まさか。そのようなことは思っておりませんわ。


「騎士様は民を守ってくださる存在ですもの。ただ、それとは関係なくフェルナン様個人に感謝しておりますのよ」

「……うわ」

「ちょっと、なんですの?」


 せっかくこのあたくしが下手に出ておりますのに、そのような態度はないのではなくて?


「叔父上もそうだけど、君もだいぶ人の魔法を便利道具か何かだと思ってるだろう」


 思わず瞬いてしまった。

 だって、あたくしがどうこうというよりも。


「あなた随分と“叔父上”がお好きなのね?」

「──は。………………ハアッ!?」


 魔法師は総じて己の魔法に矜持を持っているもの。フェルナン様だって例外ではないはず。たとえ家族とはいえ、人の雑用などのために簡単に魔法を使うのをよしとはしないでしょう。

 それなのに、レイに頼まれ、口では文句をおっしゃりつつも全て応えて差し上げていると、そういうことでしょう?

 ふと、フェルナン様のお顔が真っ赤になってしまっていて、「あらまあ」とこぼれ落ちた。

 存外、お可愛らしいところがあるのね?


「〜〜っ、集中するからいい加減に黙ってくれ」


 フェルナン様は無理矢理に切り上げると、宣言通りその表情を再び無に落とした。


「いくよ」


 静かな声掛けと共に、杖先をあたくしに向け短く魔法式発動の呪文を唱えた。

 途端にパッと弾けた光の粒子は、規則的な軌道を描いてあたくしを包み込む。

 魔力の性質は魔法師に由来する。

 輝く色はフェルナン様の瞳と同じ鮮やかなサファイアブルー。レイが魔法を使えたら、もう少し淡い色合いの魔力の軌跡になるかしら。

 そんなことを考えていたら、次第に光は弱まっていき、そうして完全に治った時にはフェルナン様は杖も消して様子を伺ってきていた。


「……どう?」


 フェルナン様のような秀才ですら、自信なさげになさるのね。

 流石に余計なことは口を慎み、代わりにそっと耳を澄ませてみれば、精霊たちの声はほんのかすかでも聞こえなくなっていた。


「静かだわ!」

「よし」

「素晴らしいわ。オブリビオンの魔力に包んでいただいた時のように遮断されている感じよ」

「そう。よかっ──、オブリビオンが、なんだって?」


 あら。言っていなかったかしら。言っていなかったわね。


「オブリビオンの近くにいると精霊の声が遮断されますの。どうしてなのかはわからないのだけれど」

「そうじゃなくて。いやそれもそうなんだけど、ちょっと整理させてくれない? 君、オブリビオンの──というか、動物の魔力を感じ取れるって?」

「……」


 もしかして、動物の魔力を感じることも普通ではないのかしら。

 精霊の声がなくなり久しぶりに静かになったこともあって、あたくしったら随分と浮かれていたみたい。


「……まあ、もうあなたには何を知られてしまっても今更よね。ですけれど、他で口を滑らせでもしたらお分かりよね?」

「脅すのやめてくれる?」


 もうすっかり気の許したようなご様子で、フェルナン様は大きく溜息をついた。


「君程度の魔力で魔法学院に入学できたのは家の権力のおかげかと思っていたけれど、そうでもなかったのか」

「それは正しくそうですわ」

「……」


 当たり前でしょう。誰にもこの能力は明かせないのだから。学院長どころかお父様だってご存知ないわ。

 フェルナン様は本気でお嫌そうに眉を顰めた。

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