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国境要塞



 ローデヴァス国境要塞はヘルメイア王国が誇る大陸最大の防衛都市で、防壁だけでも難攻不落と言われている。

 隆起した丘に建つ堅牢な壁と、その奥の見上げるほどの城と塔は、どこから見ても左右対称になるように計算されているらしい。

 王子妃教育で学んだ際に絵画で見たときはただ美しいとしか思わなかったけれど。


「……圧巻ね」


 馬上でぽろ、とこぼれた感想に、あたくしの後ろでレイが小さく笑った。


「地形もさることながら、建物を構成する石には全て防衛魔法が施されております。ワイバーンの群れが襲ってこようともびくともしません」

「ワイバーン? 群れ?」


 翼を持ち口から火を吐き、その上気性の荒い性質のワイバーンは、国が指定する危険生物の中でもトップクラスに位置付けられている。

 それが?群れで?


「ああ、申し訳ございません。比喩です」


 降り仰いだ顔はどこまでも清々しく微笑まれている。

 比喩ですって?


「この辺りでワイバーンの目撃情報は数える程度ですし、たとえ襲撃があったとしても、ワイバーンであればそこまで問題ないのでご安心を」

「比喩ではないじゃない! いるのね!?」


 ワイバーンが一匹でもいたとあれば、魔法騎士団の一個小隊が丸ごと出動するほどなのよ?大問題だわ!


「三体ほどであれば俺一人でも制圧した経験はありますし、それ以上であっても魔法騎士数名もいればどうにでもなりますから」

「三体……っ」


 ローデヴァス国境要塞は元々脅威として近隣諸国に警戒されているけれど、そこにレイが団長として就任した途端、隣国どころか国内からも怖れられる場所となったとお父様が話されているのを聞いたことがある。

 その理由がわからなかったけれど、今、なんとなく理解をした気がしますわ。

 もしあたくしがこの要塞を攻略しなくてはならない立場にあったら、こんな方を相手取らないとならないなど、要塞と相まって勝てる気がしないわ……。


「さあ、到着いたしました」


 オブリビオンの手綱を軽く引いたレイがそう告げた時。


「団長? お早いお戻りで。休暇は明日までとお聞きしておりましたが……」


 防衛都市内部へ続く門をくぐったところで、年若い騎士がレイに声をかけてきた。

 馬上からでも、上背がとてもあることが伺える。きっと、地に立っていたら身体でも反らせなければお顔を拝見することもできないのではないかしら。


「今日の門番はヴィンセントだったか。いや、急用ができてな。先触れは出したんだが、ベイルは今どこにいる?」

「は、ベイル大隊長は──」


 ヴィンセント?何か聞いたような名ね。どなただったかしら。だけれど、お顔は見たことがないし……。

 駆け寄る彼をレイの腕の中からそっと伺っていれば、そのうちにあたくしとパチリと目が合った。


「えっ!?」


 何かしら。そんなに口を大きくあけて。


「ヴィンセント?」


 唐突に固まってしまった彼に、レイもまた訝しげに声をかけた。それでも、ヴィンセントと呼ばれた騎士様は問いかけには答えずあたくしばかりを凝視し続ける。


「……だ、」


 『だ』?

 ふと、ヴィンセント様はわなわなと身体を震わせ、そして。


「団長がご令嬢を連れていらっしゃったぞー!!!!」


 要塞中に響き渡るかという大声をあげた。




#




「先程は部下が大変な失礼を働き、誠に申し訳ございませんでした」


 精霊の姿を視ることのできる騎士様との初対面は、通された応接間で深々と頭を下げられるところからはじまった。

 ベイルと名乗る彼が紹介される相手で、ヴィンセント様の上司だったなんて。この状況、気まずいことこの上ないわ。


「ええ……。よくってよ。突然訪問してしまったあたくしも、騒がせてしまったことを謝罪しなければならなくなってしまうから」


 さっさと姿勢を戻してほしくてそう告げれば、正しく意図を汲んでくださったベイル様は、もう一度礼をしてからあたくしの正面に座られた。

 ヴィンセント様、あの方がデボラのご子息だったのね。

 言われてみれば確かに、あの茶色の目と髪は彼女と同じだったわ。あんなにも立派な体躯で立派なお声を出せる方とは、思いもよらなかったけれど。


「エルヴィラ、お茶が入りました」


 つい先程、あたくしをここへ通してすぐに席を外したレイが戻ってきた。

 その手には重ねたソーサーにカップ、ポット、それに焼き菓子の乗ったお皿をひとつ。

 どうやって持っているの?それ。


「あなたが淹れましたの?」

「ええ。ここには侍女はいませんし、一応見習い騎士の仕事ではあるのですが、先程人払いをしてしまったので」

「……気を遣っていただかなくても結構よ」


 団長という立場の人間が、手ずから女に紅茶を淹れたとあっては、他の者に示しがつかないじゃない。

 もう遅いことはわかっているけれど。でも、あたくし親切心でそう言って差し上げたのよ?


「エルヴィラに不便を強いるくらいなら、この程度、いくらだってやらせてください。あなたのために俺はいるのですから」


 その親切心を正しく理解している上で何倍にもなって返してきたものだから、もうあたくしは黙るしかない。なんてことなの。


「──それで、スチュアート団長。お話というのは、この方につく精霊についてでよろしかったでしょうか」


 ベイル様は、レイがあたくしの世話を焼いている様を表情も変えずに眺めながら、静かに口を開いた。

 ……え?『つく』?


「そうだが……、俺はお前に要件を伝えたか?」

「まだ聞いておりませんが、視ればわかります」


 じっと、シルバーの瞳があたくしを──いいえ、あたくしの肩口を凝視している。彼の瞳の中でキラキラと光が舞い、まるで星のようにまたたいている。

 なんて美しいのかしら。思わず見惚れてしまっていた。


「……団長、私にも妻がおりますが」

「そうだな」

「……」


 お待ちになって?

 あたくし今、ベイル様にとんでもなく失礼ではしたないことをしていなかったかしら?なんてこと。

 宙を視るベイル様と、視線が合っていなかったことだけがまだ救いかしら……。


「……話を戻します。また、力不足で不甲斐ない限りですが、これはどうにも私の手に余ります」

「なんの解決策もないと?」

「なくはない、という程度です。根本的な解決ではなくその場しのぎにしかならないかと」

「だが、それで多少はエルヴィラの気は休まるだろうか」

「よろしいかしら?」


 先ほどから、当事者のあたくしを置いてどうにも話が進み過ぎている。

 

「あたくしも多少は彼らの姿を捉えられますが、今は何も視えませんの。けれどあなたには精霊が視えていますの?」


 それでようやく、あたくしが理解していないことに気がついてくださったみたい。


「おっしゃる通りです。もはや精霊の形を保ててはいませんが、あなた様の耳元に精霊たちが溜まっているのがこの目には映されております」


 ベイル様の言葉に、ぞ、と背筋を悪寒が走った。

 精霊がその姿形を保てない?

 不意に、精霊の声が頭に鳴り響きはじめた。

 そういえば、オブリビオンと離れていたのに、どうしてか今までずっと静まり返っていた。


「……ああ、これでは確かに気は休まらぬでしょう」


 すっと、切れ長の目がすがめられた。

 立ち上がったベイル様はあたくしではなくレイに向かって「失礼を」と一言添えて、手袋に包まれた手を伸ばしてあたくしの耳元にかざす。

 どうして?あたくしに断りを入れるべきではなくって?なぜレイなの?


「──え、あら……?」


 何かしら。急に……、静かになった?

 そうして、ベイル様が今度はかざす手を遠ざけると、再び精霊の声が遠ざかるに連れてゆっくりと戻ってくる。


「お分かりになりますでしょうか? 私の精霊への耐性は強く、磁石のように彼らを遠ざける。私がこの部屋に入った時は精霊たちは大人しくしておりましたが、それもどうやら一時的なようですね」


 今の今まで静かだったのはベイル様がいらっしゃって周りに精霊がいなかったから、ということ?


「そういうことなら、前に精霊に取り憑かれた騎士を魔法でどうにかしていただろう。あれは、今回は適用できないのか?」


 隣で話を聞いていたレイが、ふと思い出したように声をあげた。

 精霊に取り憑かれる?そのようなことがあるなんて初めて耳にしたわ。

 ……あら。もしかしなくとも、今のあたくしってその状態?


「そうですね。ただこの様子ではそうは保たないとは思いますが……」


 そうおっしゃってベイル様が小さく詠唱すると、あたくしに向けられた掌から銀色の光の粒子が溢れ、あたくしを包み込んだ。その瞬間。


「声が、聴こえなくなったわ……!」

「精霊を遠ざけるのは私の生来の体質のようなものですが、魔法を介して物や人にもこの性質を移すことができるのです」


 小さく礼をして元の席に戻ったベイル様は、あたくしの周りをチラと伺った。


「団長のおっしゃったケースはこれで解決できたのですが、私とは真逆の性質をお持ちになっているご様子のレディ・エルヴィラにとっては一過性の効果になるでしょう」

「真逆の性質?」


 それってどういうことかしら?

 初めて同じように精霊を感じることができる方と話したというのがあるのかもしれないけれど、先ほどから次々に知らない話が出てきている。


「レディ・エルヴィラ、あなたは精霊に随分と好かれていらっしゃる。そのために、精霊を引き付けやすいのでしょう。姿を保てぬような精霊でもまとわりつくのもそのせいかと」


 子供のように聞き返すだけのあたくしに、けれどもベイル様は嫌な顔ひとつせずに淡々と答えてくださる。


「常であれば力もなくただ消えていくだけのはずの精霊もどきが、レディ・エルヴィラの近くでは飛ぶこともでき、周囲の音を消すほどまでに悲鳴を発している。随分と異常な事態です」

「……あなたにも、聴こえますの?」

「いえ、精霊が私に授けてくれたものはこの目のみでしたので」


 同じものを感じていただけるかしら、と少し期待をしたけれど、ベイル様は静かに首を横に振った。


「ただ、彼らの悲鳴は魔力の波長となって視えていますので、聴こえずともどれほどのものかは理解ができます。──よく、耐えられましたね」


 その目が同情だけであれば突っぱねるところでしたけれど、少なからず称賛のようなものも見て取れたので黙っておくことにする。

 それほどまでに、やはりこの声は酷いものにうつったのかしら。彼の目には。 


「『精霊の耳』を塞ぐ術はご存知ですか?」


 『精霊の耳』……。

 ああ、精霊の声を聴くための『耳』のことかしら。

 そのように呼称するのね。精霊に関する書籍も、同じような魔法師も周りにいなかったからいい加減に呼んでいたけれど、ベイル様のおっしゃる方がずっと簡単でわかりやすい。

 まあ、日常で使うことはないでしょうけれど。


「ええ。けれど、今はなんの役にも立たないわ」

「おそらく、もはや精霊とは別の何かになりかけているモノの声だからでしょう。ただ閉じるだけでは意味がない。かといって精霊を追い払うこともできない」


 口元に手を当て考え込むベイル様は、じっと虚空を見つめていらっしゃる。その美しい目がとらえるのは、きっとあたくしのそばにいるという精霊──もどき、なのでしょう。


「……彼らは、もう精霊には戻れないのかしら?」


 どうして姿を保てなくなってしまったのか。やはりこれも黒魔石の話と関係があるのかしら。

 あんなにも苦し気な悲鳴をあげているのが、どこか遠くの子達のものではなく、今もあたくしのすぐそばにいるというなんて。


「……」


 わずかばかり目を見開いてどことなく驚いた顔をなさったベイル様は、それからふっとその薄い唇を緩めた。


「レディ・エルヴィラ、精霊はお好きですか」


 ……そうね。今は大変に困ってしまっているし、時には恐ろしいと感じることもある。けれど、あたくしを助けてくれるのも、声や魔力を伝えれば応えてくれるのも、いつも精霊たちだったもの。


「ええ好きよ」

「……私も、精霊たちは好きです」


 ベイル様は静かに相合を崩した。


「ああ、そうですね。そういえば、フェルナンを使うという手がありました」


 突然なに……、え?

 フェルナン様を、なんですって?

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