不穏な影
魔法は使えなくとも、俺は生まれつき人並み外れた身体能力を授かっていた。
身体能力に魔法でブーストをかけられる部下をもってして「団長が魔法使えないフリをしていない限り納得がいかない」と言わしめるほどである。
なので、馬車で来た道を己の脚力のみで戻り、並の馬で半刻ほどはかかる国境までの道のりをオブリビオンで半分以下の時間で駆け抜けてきた。
「オブリビオンが誇張なしにヘルメイア王国一の駿足とはいえ、どれだけ化け物じみた体力してるんですか、叔父上」
大抵のことには顔色ひとつ変えないこの甥にため息すら付かせる始末だ。
俺が化け物というのなら、息すら上がっていないオブリビオンはなんだというのだろうか。
「動物と人間を比べないでください」
「それよりも、緊急だ」
「……。ええそうでしょうとも。あなたがあのお嬢様を放ってくるほどですからね」
ああ、エルヴィラ。大丈夫だろうか。
最後に見たお顔の色は随分と普段通りに近いところまで戻ってはいたが……。
なんの予兆もなく突然崩れ落ちた細い身体をどうにか抱き止めた瞬間、まるで激痛に耐えているかのような苦悶の表情に一瞬息が止まった。
デボラがいてくれたことは不幸中の幸いといえど、早急に帰らねばならない。
「ということで、調査を頼む」
「皮肉が通じてない……! って、どういうことですか。いい加減、行間を伝えるということを覚えてください。僕の魔法でだって頭の中など覗けないんですよ」
別に、皮肉が通じていないわけではない。今の過分な嫌味だって理解はしている。聞いていないだけで。
サッと周囲を見渡す。
が、目的の顔が見当たらないので再度斜め下に視線を戻した。
「ベイルは?」
「──つい先ほどヒュイルで要請があり、出払っております」
問いかけひとつでスッと『甥』から『国境騎士団員』の顔になったフェルナンは、俺の欲しい情報を漏れなく伝えてくれた。
魔法学院を卒業したばかりだというのに、本当によくできた奴だ。叔父としての欲目を抜きにしても心からそう思う。
そして、飛び出た名前に思わず眉を顰めた。
「ヒュイル……、またか」
ここ最近、魔法騎士団の出動要請が多い地域だ。
エルヴィラが指差す方向もまさにそちらを示していて、もしやと思ったが当たるとは。
「要請内容は」
「森で獣が妙に騒ぐという程度のものでしたが、副団長の判断でベイルさんも……と、噂をすれば報告が入ってきました」
フェルナンがそのサファイアの瞳を明後日の方向へ逸らした。
魔法には得意不得意があるらしく、フェルナンは音に特化した魔法で遠くの者と言葉のやり取りができるという、実に便利な特技である。
今も、ヒュイルに出動している騎士の報告を聴いているのだろう。少しの間を空けた後、再び俺に視線を合わせた。
「任務完了とのことです。精霊が騒いでいたために、呼応して獣も落ち着かなかったようですが、こちらが何をしたというわけではなく、到着後すぐに双方静まったそうです」
どうしますか、と目線で問われた。
「ベイルと、あとは誰がいる」
「ギャリー副団長とヴィンセントです」
ヴィンセントはともかくとして、ただの獣騒ぎにギャリーまで出張っている。その上、ベイルも指名して。
あの副団長のことだ、何かしらを察しての人選か、偶然かはわからないが、どちらにせよ都合がいい。この顔ぶれなら多少の無理もきくはずだ。
「俺の声も一緒に届けられるか」
「は。まだ繋げております」
仕事のできる部下は、きっとこのまま俺が話しても遠く離れた彼らに声を届けられるよう魔力を調節してくれていることだろう。
念の為の確認に、思った通りの回答を受けて頷いた。
「まだ断定はできないが、周囲の警戒を怠らず捜索してくれ。些細なことでもいい、何か異変があれば報告として持って帰れ」
向こうの声は魔力のない俺には聞こえない。だが、律儀な部下達はそれを分かった上でいつも通り返事をしただろう。
「……なにか問題でも?」
「俺にはわからん。お前の意見も聞きたい。……シェーンの話だ」
訝しげにしていたフェルナンは、その名を聞いた途端、心底嫌そうに盛大に顔を顰めた。
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フェルナンの魔法であれば、たとえドアのすぐ外で耳をそばだてたとて部屋の中の音は一切聞こえなくなる。
ものの数秒で防音になった団長室で、俺の話を聞き終えたフェルナンは随分と難しい顔をして黙り込んだ。
一度呼びかけたが反応がない。これは、思考の海に入ってしまったな。
こうなったフェルナンはなかなか戻ってこない。賢い頭は高速で様々な事象を駆け巡らせているのだろう。
「ベイル他二名、只今帰還いたしました」
そのとき、落ち着き払った──これはベイルだな──声が、外からノック音と共に帰還を告げた。
だが、許可を出してから入室してきたのはベイルだけだった。
「ギャリーとヴィンセントはどうした?」
「それが……、両名とも少々負傷しまして」
「何……?」
俺の声に含まれた「あり得んだろう」という気持ちは、目の当たりにしてきただろうベイルの顔にも同じく浮かんでいた。
「報告いたします。黒魔法士と見られる男に接触し、取り逃しました。申し訳ございません」
「……お前たち三人でいたのに、か?」
国境騎士団では俺に次ぐ実力者達だ。副団長であるギャリーは言わずもがな、ヴィンセントに至っても筋力を底上げする魔法でもって、見上げるほどの大岩を片手で動かし、拳で地面を割る男だ。
その上、相手はひとり。取り逃す要素が見当たらない。
どういうことだと無言で先を促せば、ベイルは神経質そうな眉を思い切り顰めていた。珍しく興奮しているな。
「あの者は黒魔石に精霊を封じ──精霊の命を消耗品のように搾り取って利用していたのです。あのような悍ましい行為、到底許せるものではありません」
「っ!」
息を呑んだのは、その横で先ほどまで黙っていたフェルナンだった。戻ってきたらしい。
黒魔石。精霊。黒魔法士。
シェーンと、それからエルヴィラが仰っていた話がいよいよもって無視できなくなってきた。
いや、シェーンはともかく、エルヴィラの話を無視するつもりなどはじめから毛頭ないが。
「精霊の命ひとつ分です。膨大な魔力の波動で、一瞬にしてギャリー副団長とヴィンセントがのされました。私は──おそらく、精霊により意図的に避けられたために無事でした」
ベイルは精霊を視ることができるためか彼らには好かれるのだと聞いていたが、それが理由で攻撃も当たらなかったということか。
「ただ、飛ばされた二人の身体の下敷きになり身動きが取れず……」
なるほど。それで取り逃したのか。
確かに、ベイルではあの大男ふたりにのし掛かられてはたまったものではないだろう。
やっと納得がいったが、腑に落ちない。というより、俺が魔法を使えないがために、理解が及んでいないのだろうが。
「いくつか質問もあるが、その前にベイルにも聞いてほしい話がある」
いかんせん俺には専門外すぎてまだ判断材料が足りない。
つくづく、俺の部下としてこの優秀な者が来てくれたことがありがたい。
「些細な異変どころか早速核心に当たらせてしまってすまない。黒魔石と精霊の話はある筋から情報を得ていた。もちろん対処はするつもりだったが、お前たちに意見を仰ごうと考えていた」
とはいえ、たとえ当たってもこの三人ならどうとでもなると考えていたのも事実なだけに、怪我を負わせる事態になったことが悔やまれる。
「先日の、黒魔法士の集団が王都から国境付近に逃亡中だという報告に、続きがあった」
ネリアの父、ネルソンの書いた事細かな報告書を引っ張り出して、テーブルに置く。
「こいつらの持つ黒魔石には精霊が封じられているらしい。それも大量に。そして、かの精霊達は自分たちに感覚が通じる者に助けを求めている──。これがベイルの視たものだな?」
ぐわり、と。
空気が歪む感覚に、ベイルに目を向ければ普段は冷たく光るシルバーの瞳に怒りをたたえ、比喩ではなく紅く燃え上がっていた。
「ベイル、魔力を抑えろ。漏れている」
「…………申し訳ございません」
魔力持ち、特に保有量が多い者は感情の昂りに合わせて放出してしまうことがある。マイナス感情が起因の場合は他者に多大なプレッシャーを与えることもあり、それを制御できない様な人間は騎士団になぞ入れない。
もちろんベイルはその辺りは完璧であるし、むしろ魔法を扱わせればここに属する魔法騎士の中ではトップクラスのコントロール力だ。
だからこそ。
「いや、この話がどれほどの事態か、よく分かった」
ベイルが感情を乱すほどだ。精霊の声を聴き感覚を共有すると仰ったエルヴィラは、一体どれほどそのお心を痛めていたのだろうか。
きっと俺は彼女の必死さを半分も理解していなかった。いっそ、苦しんでいる己をまるでどうでも良いと思っておられるようで、焦りすら覚えていた。
あの縋り付く眼差しは正しく自分ごとの様に助けを求めていたというのに。
「これに対処しているのはネルソン以下五名だ。ここに、対黒魔石および精霊のためお前達二人とヴィンセントを加える」
「は」
「ああ、それとギャリーの様子は──」
「失礼しますー。どうも、しくじって申し訳ありません」
そのとき、言葉を遮る様に入室してきたのは、深い笑い皺の浮かぶ頬に大きなガーゼを当てたギャリーだった。
開口一番にヘラッと謝罪してきた男は、その脇に項垂れるヴィンセントを抱えている。筋肉の塊の様な奴が、ギャリーにそうされていると小さく見えるから不思議だ。
「ご報告いたします。怪我の方はこの顔と、あとはひとつふたつ、打撲程度で骨や筋に異常はないです。ヴィンセントも同じく」
そのヴィンセントは先ほどからひと言も発さなければ、目も合わん。普段から元気が有り余っているような奴が静かで落ち着かない。
「ヴィンセント、大丈夫か?」
「どうぞお気になさらず。しょげてるだけなんですよ」
実力に合った自信家な男だ。抵抗もできずに簡単に吹っ飛ばされたというのがよほどこたえているんだろうな。
思わず苦笑してしまえば、ギャリーがバシン、とヴィンセントの背を叩いた。
「いッッッッ……!」
「……痛そ」
ぼそり、と溢すフェルナンをベイルが肘で小突いた。
そっと二人が背筋を伸ばしたのも見逃してないが、知らないフリをしてやる。
「辛気臭い顔する暇あったら鍛錬しろー。俺もお前も、不意打ちとはいえ無様に気絶して取り逃したんだ。黒魔石ありきとはいえ異常でしたよ。なんだあれ」
ヴィンセントを緩く叱りつけていたはずのギャリーは、後半にはしっかり文句を飛ばしてきた。なんだかんだ、こちらも悔しさが隠しきれていない。
「ベイル、先ほどの話はお前からふたりに説明してくれ」
「はい。お任せを」
「その後はギャリーに従え。いや、部下達が皆優秀でよかった。あとは頼んだ。俺はエルヴィラの元へ戻らなければならんからな」
「……は!?」
捲し立てるようにして言いたいことを全て言い終え、フェルナンの、今度は部屋に響き渡る驚嘆を無視して、さっさとドアに手をかける。
「何言ってるんだあんた!」
「よう、フェルナン。お前は叔父上ご執心のお嬢さんの話を報告してくれよ」
「勤務中だが!?」
「その言葉、そっくり自分に返ってくるぞ、フェルナン」
「〜〜っ、ベイルさん! 団長を嗜めてくださいよ!」
ギャリーのふざける声につられたのだろうフェルナンの、勢いの若干削がれた訴えを聞きながら、バタンとドアを閉めた。