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手紙



 あの悲惨な卒業パーティーの日からあたくしは部屋に閉じこもったまま、ただただ時を消費しているだけだった。

 したことと言えば、屋敷に帰ったその瞬間、目に映る全ての濃紫色の物を片端から棄てたこと。

 おかげでドレスはたった二枚になり、アクセサリーは全てなくなり、部屋の調度品はほとんどが壊れた。ベッドも燃やしてしまったけれど、特に問題はないでしょう。だって、すぐにあたくしはこの部屋から、屋敷から、追い出されるのでしょうから。





 ──と、思っていたのが五日前。



 未だにあたくしは自室にいて、家令が血相を変えて用意した紫どころか真っ白のベッドから起きようとしていた。


「…………なぜ?」

「それはもちろん、もうお目覚めになられるお時間だからですよ」


 乳母のノーラがのんびりと返してきたが、そうではないの。あたくしが聞いたのはそうではないのよ。

 抗議の声は、テキパキと慣れた手つきで朝食準備をしている彼女には、全くもって届かなかった。


「ドレスも宝石もなにもかも処分してしまわれて。まあ、あのお色ばかりではなんですものね。本日は針子とデザイナーの方をお呼びしておりますから、心機一転、ドレスを新調致しましょう」

「……あ、あたくしもうドレスを着る機会など、」

「シンプルなデザインのものと夜会用、お茶会用と……そうですね、ざっと八着ほどでしょうか」

「いえ、だからね?」

「お時間もかかります。少しお早めに朝食をおすませくださいな」

「ノーラ、ノーラってば!」

「お食事が終わりました頃にまた伺いますわ」


 徹底して聞く耳を持たない乳母に、あたくしはそのふくよかな背中がドアの向こうに消えていくのを見守るしかなかった。

 ……どういうことなのかしら。

 お父様はなにもおっしゃらない。王室からも音沙汰なし。

 すぐに修道院に送還されるものと思い込んでいたせいもあって拍子抜けしてしまうけれど、ドレスだなんて着ていく場所も機会もないのよあたくしには。ノーラは知らないのかもしれないけれど。

 スープを飲む手を休め、ふっと窓の外に目をやった。

 涼やかで切れ長のスチュアート卿の目も、ちょうどあの空のようだった。冬の寒空の目かと思いきや、実は夕日のような熱を持っていただなんて笑えない冗談だわ。


 ……手紙の一通もないのだから、あの求婚は嘘だったのだろうけど。

 いえ、別に、期待していたわけでも待っていたわけでもないのよ。ええ、本当に。


「ノーラが来たら、今度はきちんと言い含めなくては」


 だって、あたくしが惨めになるだけなのよ。

 たった今この瞬間にお父様がいらっしゃって、貴族の娘でなくなってもおかしくはない──。


「エルヴィラお嬢様、すぐにお支度を!」

「ノーラ?」

「旦那様がいらっしゃいます!」


 ああ。

 言っているそばから。ついにこの時がやってきたのね。遅いくらいだわ。

 食べかけの朝食を押しのけ急いでベッドから抜けだす。


「今は取り急ぎこちらを」


 差し出されたドレスは残ったドレスのうちの一枚。かろうじて、きちんとした形のアプリコット色のドレスは、オーウェン様に「あまり似合わないな」と言われて一切着なくなったもの。

 よく捨てないでおいたわね。過去のあたくしを褒めてあげたい。

 装飾品が何もないからか、髪を整えただけでいつもより数倍は早く支度が終わり、間髪を容れずにお父様がいらっしゃった。


「ご機嫌麗しゅう……」

「出かける。ついてきなさい」


 挨拶も、受けてはくださらないのね。

 行き先も何も伝えられぬまま、お父様の後に続き五日ぶりの外へと出る。お父様の手前、頭を下げ続けるノーラの前で少しだけ立ち止まり、感謝の言葉を紡ぐ。


「お嬢様、大丈夫でございます。何も心配する必要はございませんわ」


 ぐうっと奥歯を噛みしめる。遅れるわけにはいかないと、足早にノーラの前から離れる口実があってよかったけれど、そうじゃなければ大変な醜態を晒していた気がした。

 そうしてお父様の後に続いて馬車に乗り込むとすぐに動き出す。あたくしから話しかけるのは憚られて、ひたすらに沈黙を貫いた。

 この道はどこに向かっているのかしら。修道院なのよね?でも、屋敷を出て、一本道の街道は街の中へ入り、だんだんと人通りの多い……。


 ……なぜ?


 え、修道院って森の外れにあるのではなかった?どこからどう見ても王都で、そのうち王宮の門をくぐったところでやっと気がついた。

 修道院ではなく、王へ謁見しようとしているのだわ。

 駄目ではなくって?このドレスも化粧も、そもそも装飾品ひとつ付けず、無礼にもほどがあるわ!


「お、お父様……」


 お父様がいつも通り不機嫌でいらっしゃるのはわかる。とても恐ろしいけれど、それでも言わなければならない。


「なんだ」

「このような格好では、その、失礼に当たるかと……」

「……気にするな。そもそも、謁見用のドレスまでも破棄したのはお前だろう」


 そ、そ、それは、そうですけれど……。

 などと言うやり取りをしているうちにあっという間に到着してしまい、お父様はさっさと降りていってしまった。







 静かな回廊を進み、普段であれば決してあたくしが足を踏み入れてはいけないような王宮の最深部まで来てしまった。


「宰相ナイトレイ侯爵様ならびに侯爵令嬢様でございます」

「入れ」


 ドキドキと心臓がうるさい。ここまで引き伸ばされた、いわゆるあたくしの断罪式。

 あれからずっと考えていて、もう卒業パーティーの時ほどの気合は正直ありません。だって、なんだかあたくしも悪かったように思えてきてしまったんですもの。

 かの平民を許したわけでも、認めたわけでもないけれど、それでもあたくしはあのまっすぐで素直な愛をかけらでもオーウェン様に向けたことはなかった。ただただ胸の内に秘めていただけ。

 一度だって『侯爵令嬢』の殻を破っていれば、今のこの現状は変わっていたかもしれない。

 なんて、考えても詮無いことだけれど。


「人払いを」


 その一言が投げ掛けられ、扉は閉められた。

 王の執務室である大きな部屋には、王の他にオーウェン様もいらっしゃった。

 彼はなんの表情も浮かべていない。あたくしもまた、ポーカーフェイスを保ちながら王族への礼をする。

 そのような関係になってしまったことに、内心はひどく動揺していたけれど。


「わざわざ足を運ばせて、また今日まで時間を置いてしまってすまなかったな、エルヴィラ」


 王の思わぬ第一声に、あたくしは思わず動きを止めてしまった。何を言われたのか一瞬分からず、ぼんやりとしてしまい、お父様が咳払いをしてくださったことでハッと意識を取り戻した。


「あっ。申し訳ありません。いいえ、あの、先日は大変な──」

「よい。あれは全面的にこちら側が悪いのだ。宰相にも、このようなことになってしまって申し訳なく思う」

「私共にはすぎたお言葉にございます」


 胸に手を当て頭を下げたお父様に、王は目を伏せお応えになられた。


「さて、ここにエルヴィラのサインをすれば、正式に婚約破棄が整うことになる」


 とん、と指さされたそこにはたった一枚の紙。これだけ。

 あたくし達の婚約だって、きっとこんな紙一枚で繋がっていたのでしょうね。絶対なんてものは最初からなかったのだわ。これは、やはりあたくしの傲慢さが生んだ罰だったのね。

 すでにオーウェン様の正式な署名がされている。そのお隣にあたくしの名前を添えれば、終わり。

 差し出された紙に、羽ペンを手に取り。


「……オーウェン様」


 まっすぐ、まっすぐ。

 どことなく緊張なさっている、その藍色にはもう冷たくて鋭い光はない。あたくしに向けられるのは、いつも通りの凪いだ瞳。だから、あたくしも、素直に笑顔を浮かべられた。


「お慕いしておりました」

「……! な……、」


 これがあたくしの精一杯なのだわ。やっぱり、彼女のようには振る舞えない。あたくしはどこまでいってもナイトレイ侯爵令嬢だから。

 

「エ、エルヴィラ……」


 オーウェン様がなにをおっしゃろうとなさったのか、その先はあたくしがペンを走らせたことで聞くことは叶わなかった。


「このような結果になったこと、大変残念だ。──だが、今後も宰相には私の右腕として力を貸して欲しい」

「仰せのままに、我が王」

「そしてエルヴィラよ」

「はい」

「王としてではなく、愚息の父として、協力は惜しまぬとそなたに、エルヴィラ・ディア・ナイトレイに約束しよう」


 な、んてこと。

 あたくしは、不敬罪による修道院送りは覚悟していても、その逆に対する予想も心の準備もしていなかった。


「あ……、で、ですが、あの」

「なんだ。申してみよ」

「は、はい。恐れながら、国王陛下。あたくしへのお咎めは」

「そのようなものはない。……む。宰相よ。そなた、何も申しておらぬな?」


 王の言葉に、お父様がピクリと反応した。それを目にした国王陛下は、「やはりか」とため息とともに頬杖をお突きになった。


「オーウェン、下がれ」

「…………はい」


 オーウェン様は国王陛下にお辞儀をしたのち、あたくしとお父様の傍を通って、声を交わすこともなく、扉の閉まる音で、全てが本当に終わってしまった。その事実がまた、あたくしの頭をガツンと揺らした。


「さて、宰相がなにも伝えておらぬようだから、私から話をしよう」


 まず、あたくしへの処罰はなにもないということ。お父様から破門にされることもなく、不敬罪による修道院送りもない。そして、あの日オーウェン様に下された王位継承権剥奪は、正式な手順も踏まずに行われた婚約破棄に対する、そして何より平民の娘が王家に入る余地を危ぶまれた処置であること。


「そして、これは私からの問いだが、エルヴィラよ。そなたは辺境伯レイモンド・ド・ラ・スチュアート卿の求婚をどのように受け取るつもりか」

「……はい、国王陛下」


 それはあたくしがこの五日間考えていたことだった。

 あの日以降スチュアート卿からのご連絡はなく、ご訪問もなかった。きっと、ふらつくあたくしを助けるために一芝居打ってくださっただけなのでしょう。


「お優しい方ですわ。たとえ嘘でも嬉しゅうございました。そのような方をこれ以上困らせてしまうのは大変心苦しく思います」

「ふむ。では、卿の言葉には心動かされなかったと?」

「えっ。あ……、いえ、国王陛下。その……、そのようなことはございませんでした」


 王の瞳はどこまでも深く、何かを見透かされているようでならなかった。賢王と呼ばれたる所以は、その政治手腕だけでなく、こういったお人柄からもくるのだろう。嘘をつこうなどと、かけらも思えないような、思わずこうべを垂れ教えを請いたくなるようなものがあった。


「そうか。これは罪滅ぼしではないがな、そなたが望むのであれば私が婚約の証人を引き受けようと考えておったのだ」


 え……?

 な、なんですって?証人?一貴族の婚約で、国王陛下が御自ら?


「そなたにはこれを拒否する権限を与える。故に、己が気持ちに素直になって考えよ。そうして出した結論を、私は全てをもって肯定し、力になろう」


 下がってよし。

 そう言われ、反射的に退室の礼の姿勢をとったが、頭の中が混乱して馬車に乗るまで一切の記憶がなかった。

 気持ちに、素直に。

 国王陛下はああおっしゃってくださったけれど、一体どうすればいいのか皆目見当もつかない。

 お咎めがなくなった今だが、あたくしには大きな問題がいくつも残っている。

 破門にならなかったのだとすれば、次にしなければならないのはナイトレイのためにどこかの家と婚姻を結ぶこと。しかし、第二王子に婚約を破棄された侯爵令嬢など、どの家も欲しがらない。だからこその国王陛下の『力になる』というありがたいお言葉なのだけれど、現実はとても厳しい。

 スチュアート家は歴史も古く、王室からの信頼も厚い。自治領こそ王都から遠く離れているが、海に囲まれた我が国唯一の隣国と陸続きになる土地を任されている。

 身分的にも辺境伯という侯爵家に引けを取らず、財力に至ってはスチュアート家の方がまさるかもしれない。

 これを逃せば、きっともうあたくしがナイトレイの益になることはないだろう。修道院に入る方がよっぽどマシ。


「……お父様」

「待たんか」


 あれが嘘でもなんでもいい、公衆の面前での言葉を盾に無理矢理にでも結婚をこぎつけてしまおう。

 そのような覚悟で顔をあげたのに、なぜかお父様に止められてしまった。

 斜め前に座るお父様は、そうして懐を探って五枚の手紙を差し出してきた。


「……これは?」


 受け取り、封筒に押された封蝋にどきりと心臓が跳ね上がるのを感じました。

 真っ赤なそこにくっきりと浮かび上がるのは、グラジオラスの花にふた振りの剣──スチュアート家を示す家紋。

 無言でペーパーナイフを差し出されてしまえば、そのまま開けてしまうしかない。

 そっと、一番上の封筒に刃を滑らせれば、中から一枚の紙がのぞいた。同じくグラジオラスの透かしが入ったそれには、あの無骨な手からは想像もつかない繊細で流麗な文字が並んでいる。


 『レディ・エルヴィラ──、

 

 今宵は大変な失礼をしてしまい申し訳ありませんでした。

 あの場での言葉は何もかもが真実です。

 また、お手紙を差し上げます。


             レイモンド・スチュアート』


 これはあの日別れた後に書かれたものなのだわ。

 続く二通目は一通目と違い分厚く、開封すればやはり三枚の手紙が入れられていた。

 丁寧に取り出し、そして数行読み進めただけで顔中が真っ赤になるのを感じた

 何これ!この三枚全て恋文?ええ、それは確かに求婚してきた相手からの手紙なのだし、そういったものだとわかっていたけれど。ちょっと待って、追いつかないわ。だって、こちらが胸焼けしそうなほど甘ったるい言葉の羅列なんだもの!


「エルヴィラ」

「へ? あ、は、はい!?」


 しまった、裏返ってしまったわ。

 けれどお父様は眉間にシワを寄せるでもなく、あたくしをじっと見つめるのみだった。


「答えを急ぐな。全てを読み、それから結論を出しなさい。明日朝、私の書斎に来るように」


 がたんと振動がきて、馬車が停まった。御者が、屋敷に到着したことを告げてきた。





 明朝、食事もそこそこにあたくしはお父様の書斎へと足を運んだ。

 そうして、挨拶の言葉に続けて。


「お父様、スチュアート卿にお会いするお時間をいただけませんか」


 緊張で張り付きそうな喉をどうにか振り絞って、そう告げた。

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