表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/25

乙女心



 ドキドキしながら眠りにつき、朝も朝でいつもより早起きをして精一杯のおしゃれをした。

 とはいえ、あくまで領内視察。

 いつもの派手なドレスは避けて、くるぶしが隠れるほどの短い丈で、刺繍のみのデイドレスを選んだ。宝石の髪飾りもやめて、代わりに髪を複雑に結い上げてリボンを編み込むにとどめる。

 はじめて街に出るにしては上出来じゃないかしら。

 さて、優秀な侍女たちがテキパキと仕事を終えてくれたのと、楽しみすぎて──こほん、いえ、たまたま早く起きてしまったせいで、レイが迎えにきてくださる時間までだいぶ空いてしまった。

 どうしようかしら。手持ち無沙汰だし、少しお庭でも散歩を……あら?


「あそこにいるのはレイ?」


 部屋の窓からは広大な緑の景色が広がっている。そこにうっすらと立ち込める朝霧の中を歩くレイの後ろ姿は、少し遠くてぼやけているけれど見間違えるはずはない。

 あの先には確か厩舎があったはず。もしかして、オブリビオンに会いに行くのかしら。


「視察には馬車を使うとおっしゃっていたわよね?」

「はい。そのように聞いております」


 念のため確認すれば、後ろに控えていたネリアからすぐに返事がくる。


「そうよね」


 それならば、オブリビオンに朝の挨拶に行くのかしら。


「……あたくし少し朝のお散歩に出てくるわね!」


 そう宣言すれば、一拍置いてネリアからは「かしこまりました」との声があった。

 頭を下げたから隠せてるとお思いでしょうけど、その口元がなんとなく微笑んだのを見逃してませんからね。

 あたくしの声が弾んでるですって?まさかそんなことがあるわけないでしょう。



#



 部屋で見かけたレイは確かに少し遠くにあったけれど、あたくしが厩舎にたどり着くまでに、その後ろ姿すら捉えることができないとは思いもしなかった。なんて足がお速いのかしら。


「レイ、ご機嫌よう」


 やっと追いついて声をかければ、彼はひどく驚いた顔をして振り返った。


「エルヴィラ? なぜここに」

「あなたの後ろ姿が見えたものですから。追いかけて来てしまったの」


 今更ながら、あたくしなんだか恥ずかしいことをしていないかしら?

 少し浮かれすぎているのではなくて?ただレイの後を追いかけただけで、目的という目的などない。


「……その、そう! お散歩のついでよ。少し時間が空いてしまったから、朝のお散歩をしようと思ったの。それで、あなたの姿が見えたから……」


 言い訳がましく早口でまくし立てれば、レイはしばらく瞬きをしたのち、口元を押さえてそっぽを向いた。

 ……ねえ、その肩が小刻みに揺れている理由を問いただしてもいいかしら?


「ご挨拶がまだでしたね。失礼を。おはようございます、エルヴィラ。今朝はシンプルなドレスなのですね。ますますあなたの美しさが惹き立てられて、よくお似合いです」


 ごまかされた気がするけれど、その十分すぎるくらいの賛辞で追求しないでおいてさしあげますわ。


「レイは何をしにこちらへ?」


 咳払いで彼の意識を逸らせば、未だ笑みくずれる薄い唇を隠しきれないまま、「オブリビオンの様子を見に」と思った通りの答えがあった。


「毎日一度は遠駆けに出るのですが、そうできない日は朝にあいつの顔を見にくるのです」

「まあ、仲がよろしいこと。あたくしもオブリビオンをひと目見てもよろしいかしら? 久しぶりに会いたいわ」


 素直に思ったことを口にしたつもりだったけれど、複雑な顔をされてしまった。

 え、何かしら?あたくし変なことを言ったかしら?


「え? ……あ、いえ、はい、もちろんです」

「……迷惑でしたら言ってくださらない?」


 その言い方がなんだか腑に落ちなくて、思わずムッとして言ってしまった。

 すると今度は慌てたように「ああいえ」と否定する。


「まさかこれほどあいつを気に入ってくださっているとは思いもせず」

「それはそうだわ。あの子はとても賢いし、何よりレイの大事な馬だもの。あたくしだって仲良くしたいわ」


 オブリビオンは確実にレイのことが好きだし、忠実だもの。それなら、あたくしもほんの少しでもいいから彼に好きになってもらわなければ、レイだって悲しむでしょうし。

 そう思ってレイを見上げれば、何やらその耳を赤くして呆然とこちらを見てくるものだから、眉をひそめて首を傾げてしまった。


「何かしら?」

「……あぁ、なぜそんなにもいじらしいのか」

「はい? 何かおっしゃった?」

「いえ! 何も。オブリビオンはこちらです。さあどうぞ」


 ぼそりと呟かれた気がしたけれど、小さすぎて聞こえなかった。

 その上腰に手を回され厩舎の奥に案内されてしまったからうやむやになる。とりあえず、迷惑には思っていないようだから、いいけれど。

 乳白色の石造りの建物の奥を進むと、何頭かの馬がおとなしくそれぞれのスペースに佇んでいる。

 厩舎なんて初めて足を踏み入れたわ。ナイトレイの屋敷にも厩舎はあったけれど、近づいたことすらなかった。

 レイは迷うそぶりも見せずまっすぐに進み、そうして何かに気がついたように足を止めた。


「君、どうした?」


 馬がいるであろう場所を見つめて呆然と立ち尽くしている少年がいた。

 声をかけられると、その成長途中の薄い肩が大袈裟なくらいびくりと大きく跳ね上がった。


「だ、だ、旦那様!」


 振り返った彼は幼さの残る顔を真っ青にさせ、レイを見るなり深く頭を下げた。


「オブリビオンが、少し目を離した隙にいなくなってしまっていて……。あ、あの、申し訳……っ」

「いや……、大丈夫だ」


 痛みを堪えるように額を押さえたレイは、反対の手を振って少年の謝罪を遮る。

 けれど途端に泣きそうになる彼を見て、慌てて言葉を付け足した。


「ああ、君が悪いわけではない。あいつは、オブリビオンは、どんなに厳重に縛り付けようが消えるときは消える。馬丁のダンがいれば、まだなんとかなるんだが……」


 もぬけの殻と化したオブリビオンの場所に設けられた高めの仕切りも開けられてはいない。

 厳重に縛り付けてもって、まさか、オブリビオンはこれを乗り越えて外に出てしまうの?そんなことできるのかしら?


「あ、あの、父さんは今怪我をしていて、オレ──じゃ、なくてぼ、僕が代わりに世話を……」

「ん? 君はダンの息子か。というと……マシューか?」


 しどろもどろに説明していた少年は、レイの言葉にその焦げ茶色の目を大きく見開いた。


「は、はい。マシューです、旦那様。……オ、オレのことご存知で……?」


 驚きに、最初からあまり隠しきれていなかった地の言葉遣いが完全に出てきてしまったよう。

 とはいえ、驚きもするでしょう。

 まさか馬丁の、それも会ったことのない息子の名を知っているなんて、きっと思いもしないでしょうから。

 かくいうあたくしだって、侍女ですら全員の名前を覚えていない。貴族はだいたいそういうのが普通でしょう。


「ああ、ダンが時々君の話をするからな。今年で十三という歳で、馬の扱いは大人顔負けなんだろう」


 でも、レイは違うのね。

 名前や顔を覚えているばかりか、普段から使用人と親しく話し、息子の話や世間話をするような仲なのだわ。


「君が、ダンの代わりを立派に勤められるというのは、父上から聞いて知っている。オブリビオンが特殊なだけだから、どうか気に病まないでくれ」

「は、はい……」


 この方は、あたくしが知っている貴族達ではないのね。わかってはいたけれど。


「申し訳ありません。オブリビオンを探して参りますので、少しお待ちいただけないでしょうか?」


 はた、と顔を上げると、レイが困ったような顔であたくしを見ていたから、慌てて頷いた。


「ええ。だけれど、オブリビオンがどこに行ったのかわかるのかしら?」

「それが、見当もつきません」

「え、えぇ……?」


 見当もつかないのに、どこに探しに出るとおっしゃるの?


「ですが、こちらが探しはじめればいつも勝手に戻ってくるので、とりあえず探す姿勢だけでもとりたいと言いますか……」


 なんとも歯切れの悪い。

 おっしゃっていることもふわっとしているのだから当然だけれど。


「申し訳ありません。お誘いした上にこのような……」


 たしかに、このあたくしを待たせるなんてと普段なら思うところだわ。

 けれど、レイが焦ったりシュンとなさっているのがどこかおかしくて、不思議と怒る気持ちも湧いてこない。


「よろしくてよ。あたくしは散歩の続きでもしますわ」


 もともとその名目で外に出てきたのだし。

 そう言えば、レイは少し考えるそぶりを見せた後、マシューに向き直った。


「では、マシュー。エルヴィラについていてくれないか?」

「えぇぇ!?」


 大きな声をあげたマシューは口をあんぐりと開けてしまっている。


「屋敷内とは言え、エルヴィラをお一人で居させられない。この辺りでいいから案内差し上げてくれ」


 頼んだぞ、とおっしゃるだけおっしゃって、レイはさっさと出て行ってしまった。

 残されたあたくし達の微妙な空気をそのままに。


「…………マシューと言ったわね?」

「は、はい! マシューです奥様!」


 ビクゥッと直立不動の姿勢をとって、だらだらと汗をかいている。

 大丈夫かしら、あたくしと一緒で。


「……あなたも奥様と呼ぶのね」

「えっ? あの、そうお呼びするようにと旦那さまのお達しで……」


 こんな末端の使用人まで……。

 すごいわ。もう完全にこれは、疑いようがないほど囲まれてしまっている。

 ああ、そういえば庭師の子もひと目であたくしに気がついたものね。あの子、名前はなんだったかしら。


「あ、あのぅ……」

「そんなに怯えないでちょうだい。レイの使用人をいじめたりなんかしないわ」

「は、はい! すみません!」


 緊張させないように言ったつもりだったけれど、逆効果だったみたい。

 うーん、難しいわ……。

 今まで誰かのご機嫌取りなんかしたことがなかったから、どうしたらいいのかわからない。

 マシューは、おどおどと視線を彷徨わせ、全身で怯えを露わにしている。

 いつまでも話が進まないからイライラとしてしまうけれど、我慢しないと。

 ここはナイトレイ邸ではないし、彼はレイの持ち物なんだから。


「お、奥様は、旦那様と結婚するのは、お嫌ですか?」

「…………え?」

「そ、その! 旦那様はいつもお忙しいですが、オレたち全員の誕生日を覚えておられて、お祝いの品を贈ってくださるような優しい方です! だから、その、」


 彼がレイと言葉を交わしたのは今日が初めてなのではないかしら。

 それなのにこれほどまでに慕われて、彼ら使用人にとってレイがどんな主人なのかが伺える。

 だから少しだけ意地悪な心が覗いてしまった。


「あなたはご存じないでしょうけれど、あたくしはレイのように優しい貴族ではなくってよ。誕生日どころか名前すら覚えているか怪しいもの。あたくしが女主人になってしまって、あなたはよろしいのかしら?」


 怯えないでと言ったのに、全然違うことを言っている自覚はある。

 だって、そんなにレイが素敵な主人だと主張されてしまったら、なんだかいたたまれないのだもの。

 なんとなくマシューの顔が見れなくて、もうさっさと散歩に出てしまおうと背を向けた。


「で、ですが、奥様はきっと優しいと思います!」


 そこに叫ばれた予想外の言葉に、思わずぐるっと振り返る。


「え? 何を言っているの?」


 初対面で、何がわかるというのかしら。

 けれど、あたくしに見られてもマシューは先ほどより怯えた顔はしなかった。

 と、いうより必死さが勝って怯えている暇がないのかしら。


「アンナが言っていました! 奥様は草花を大切になさる方だって、そういう方に悪い人はいないって」

「ア、アンナ……?」

「あっ、庭師の女の子です。温室を管理している、緑の目の……」

「あぁ、そう、そうね。アンナと言っていたわね……」


 ふつ、とそこに一瞬の沈黙が落ちる。

 余計な口を挟まなければよかった。

 さっそく名前を忘れている事実を晒してしまったし、気まずいわ……。


「えぇっと……、彼女が、なんですって?」


 無理矢理話を戻す。

 あたくしが草花を大切にって、どこから来た話かしら。屋敷に飾る花を貰いに行ったから?それとも、やっぱり草花に話しかけているのを聞かれたかしら。


「その、草花を大切にする方に悪い人はいないと……。オレもそう思います。アンナがそうだから……」


 それはあまりにも短絡的すぎる考えじゃないかしら。

 とは、さすがに言わなかった。もうこれ以上、気まずい雰囲気にするつもりはないもの。


「アンナと仲がよろしいのね?」


 代わりに水を向けてみたら、あらあら。マシューの顔がだんだんと赤く染まっていく。

 これはもしかして……?


「こんなところで聞く話ではなかったみたいね? 外を案内しながら聞かせていただけるかしら?」

「へ!? いや、そんな、そんな話すような、そんな……!」


 何を言っているのかわからなかったけれど、そのまま歩き始めれば、しばらくしてついてくる足音がした。

 レイをあれだけ慕っているのだもの。彼の命を破るはずはないと思ったけど、その通りだったわね。

 素直なところは大変よろしくってよ。

 と、厩舎を出てすぐに、ふと何かが首筋を撫でたように感じた。


「奧様?」


 突然立ち止まったあたくしに、マシューは驚いた顔で同じくピタリと足を止めた。

 なにかしら。マシューが触れるわけもないし。

 再び歩き出そうとして、視界の端にちらついた黒い影にはたとそちらに目を向ければ。


「オブリビオン?」

「えっ?」


 ブル、と返事をしてくださったかのような嗎をひとつして、静かにゆったりと歩みを進めてくるのは、たしかにオブリビオンだった。

 誰に手綱を引かれることなく近づくと、鼻をむぎゅりと頬に押し付けてくる。

 少し湿っていて冷たいけれど、柔らかなそれは触れていてとても気持ちがいい。

 そのとき、首筋を撫でた感覚がまた流れ込んできて確信する。


「今あたくしの首を撫でたのは、あなたの魔力ね」


 そっとその顔に手を添わせれば、大人しく撫でさせてくれるものだから、思わずいろいろなところに触れてしまう。

 ついでに、掌を介して魔力を伝い返せば、オブリビオンは丸く愛らしい瞳を柔らかく光らせた。ように見えた。

 魔力の疎通ができたと思ったのは、やっぱりあたくしの勘違いじゃなかったのね。


「オブリビオンがこれほど気を許すなんて……」


 日頃オブリビオンのお世話をしているマシューが呆然と呟いているなんて、よほど珍しいことなのかしら。

 知性の宿るオブリビオンの目には、同時に高貴なプライドも感じ取れる。

 きっと、もしあたくしがレイのお心をいただけていなかったら、主人に忠実なオブリビオンもあたくしの挨拶など無視したでしょうね。


「ところで、あなたのご主人様は今どちらに?」


 見回してみてもレイのお姿は見えない。

 まだ出会えていないままなの?

 レイが出てからそんなに時間も経っていないし、今から呼び戻しに行けばすぐに戻って来られるのではないかしら。


「あなた、レイを探しに行ってくださる?」

「え、でも……」


 けれど、マシューは目を泳がせ困ったように眉を下げた。

 ……ああ、そうだったわ。

 あたくしを一人にしないように言いつけられていたわね。

 どうしましょうか……。

 ふと、オブリビオンが離れたかと思えば、いつかのようにあたくしの前に膝を折り、地面に伏せる態勢を取った。


「え……? オブリビオン?」


 ま、まさかあたくしに乗れとおっしゃるの?


「で、でも、あたくしひとりで馬に乗った経験など……」


 渋っていたらオブリビオンがドレスの裾を咥えようとするものだから慌てて一歩下がれば、とっても非難がましい視線まで向けられた。

 その上、魔力でプレッシャーをかけられるのだからたまったものではない。

 ちょっと、強引が過ぎるんじゃないかしら!


「……わ、かりましたわ」


 突然のオブリビオンの行動にあんぐりと口を開けていたマシューは、あたくしの言葉にぎょっとして勢いよく見上げてきた。


「えっ!? 乗るんですか!? オブリビオンに?」

「しかたないわ。よくわからないけれど、引いてくれないみたいなんだもの」


 覚悟を決めてオブリビオンに歩み寄り、マシューに片手を差し出した。

 けれども一向に支えてくれる気配がない。

 どうしたのかしら?

 振り向けば、あたくしの手と顔を交互に見て戸惑いをあらわにする少年がそこにいた。


「支えてちょうだい」

「え? あっあっ、は、はい! 申し訳ありません!」


 やっと理解した彼がぎこちない動作だったけれど手を取ってくれたので、そのままオブリビオンに近づく。


「ね、わかっているでしょうけど、あたくし本当に乗れないのですからね。絶対に落としたりしませんわよね?」


 ささやけば、ほんの少し苛立ったような魔力がオブリビオンから伝わってくる。

 誰に物を言っているのか、というところかしら。


「では、信じますからね」


 恐々とその背に横座りになると、オブリビオンがすぐに身を起こした。

 ぐんと視線が高くなる。背の低いマシューの手は早々に離れてしまった。


「お、奥様……!」


 心配そうなマシューの声に、大丈夫という意味を込めて一瞥を投げた。

 れども、内心はまったく大丈夫ではない。

 た、高いわ……。

 わかっていたし、別に馬に乗ること自体は初めてではないけれど、でも、ひとりで乗るのがこんなにも心細いなんて……。

 オブリビオンの背はとても安定していて、支えがなくとも大丈夫そうだけれど、それは止まっていてくれたらの話。

 もちろん、乗せて終わりなどということはなく、当然のようにオブリビオンは歩き出す


「えっ、どこに、待っ、オブリビオン!」


 マシューは、ついには泣きそうな声を出して追いかけてきてくれたけれど、オブリビオンはゆっくりと駆けはじめてしまう。

 とても人間の、ましてやまだ子供の足で追いつくわけもなく、マシューの姿はすぐに見えなくなってしまった。


「〜〜〜〜っ!!」


 ただ、もはやマシューに構ってなどいられない。

 落とされないように必死にその首筋にしがみつく。

 令嬢としての矜持?そんなものは捨てたわ。


「ねえ! 本当に落としませんわよね!?」


 レイと乗ったときよりも随分と遅い足並みだけれど!

 今、あたくしたったひとりで乗ってますのよ!?

 ブルル、と嗎をひとつ返してくださって、一応あたくしの声は聞いているようだけれど、足を止めてくれる気配は一切ない。


「ど、どこまで行きますの?」



 今度は返事がない。

 なにか明確な目的を持って進んでいるみたいだわ。

 こうして尋ねる余裕すらあるから、もしかしたらしがみついていなくても大丈夫なのかもしれない。

 それでも、視界に映る地面の遠さに、流れる景色の速さに、手を離す勇気はない。

 もういっそ、目を瞑ってしまえば少しは恐怖心も薄れるかしら。


「オブリビオン! どこにいる──あっ」


 この声は、レイだわ……!

 頑張ってそちらに顔を向けると、少し離れた先にお姿が見えた。


「レイの居場所をわかってらしたの?」


 素知らぬ顔でフスリ、と鼻息だけ返された。

 なんて悪い子かしら!


「エルヴィラ!?」


 レイがものすごい速さで駆け寄って来てくれたおかげで、ようやくオブリビオンの足が止まった。


「お前と言う奴は……! 何をしているんだ!」


 ご主人に怒られているというのに、オブリビオンはまったくもって気にしていないみたい。

 というか、さらに歩き去ろうとしていないかしら?この子!

 ま、お待ちになって……!


「レ、レイ! あの、降ろしてくださらない!?」

「失礼いたしました! さあ俺の肩に手を」


 手綱を引いてから、素早く両腕を差し出されて腰と背中を支えられる。

 と、思えばぐいっと力強く抱き寄せられ、ふわりと身体が浮き上がる。


「あっ!」


 不安定さに慌ててその肩と首に手を回してぎゅうっと抱きついてしまう。

 …………って、え?足が地面にずっとつかないのだけれど?

 いくらなんでも遅すぎないかしら?

 と、そろそろと瞼を上げていけば、いまだにあたくしの視線は高いまま。

 とはいえ、馬上よりは低い位置で。

 え、これって……。


「レ、レイ!?」


 両手でレイの肩を押して身を起こせば、ぐらりと身体がかしぐ。と、回された彼の腕に力が入ったのがわかった。

 そうして、近い距離にある端正なお顔にハッと息を呑む。


「申し訳ない。あなたが力一杯抱きついてくださるものだから、なんだか離すのが惜しくなってしまいました」

「な……!」


 またそんなことをおっしゃって!

 でも、本当に嬉しそうだから、なにも言えなくなってしまった。

 いつもよりも近くにあるお顔に、ふと衝動に駆られて手を添えするりと撫でる。

 あ、思ったよりも滑らかな手触り。

 殿方の肌にしてはきめ細かくて、荒れてもいなくて健康的な肌だわ。


「…………あの、」


 は!

 あたくしったら何を……!


「だ、だ、だって! あなたがいけませんのよ!? あたくしを揶揄うから!」

「そうですね! 失礼をいたしました!」


 気がつけば、気まずげに視線を揺らすレイを前に、思わず淑女らしからぬ大声をあげてしまっていた。

 だけれどレイもレイで慌ててあたくしを地面に降ろしてくださったから、眉を顰める暇もなかったよう。

 まだ心臓がバクバクしている。

 なんてことしてるのかしらあたくしったら!


「……」

「……」


 沈黙に耐えきれずレイをちらりと見やる。

 と、ばっちり視線が合ってしまってまた慌てて逸らした。

 きっと今、顔が真っ赤だわ。

 変な汗までかいていそうで、お化粧が崩れてしまってたらどうしましょう……!


「……エルヴィラ? その、これ以上可愛らしい様を見せられるとどうにも弱いといいますか……」

「え? な、なに?」

「……いえ。なんでもありません。あー……、そろそろ時間になりそうですし、このまま参りましょうか?」


 一瞬真顔になったレイは、すぐにそれとわかるポーカーフェイスにぱっと翻した。

 あなた社交嫌いなんて絶対嘘でしょう。王宮でうまくやっていけるスキル持ちすぎてないかしら?ずるいわ。

 ……本当に、素敵すぎてずるい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ