精霊
こう言ってはなんですが、シェーン様は本当に、ほんっとうにしつこかった。
もはやお茶の時間などとうに過ぎ去り、陽も傾きかけている。
もうこの方つまみ出してしまおうかしら。
「精霊たちに愛されているのだから、断れないはずだよ。君だって少なからず精霊たちを思っているだろう」
それは、まあ。いつも助けていただいているもの。
だけれど、《黒魔石》をあたくしがどうにかするという話と、一体どう繋がると仰るのかしら。
「何度も申しますけれど、あたくしには《黒魔石》を使うような魔法師と対峙する魔力などありません。ちょっと物を動かすだとか、1本の蝋燭に火を灯すだとか、その程度ですのよ。魔法騎士団にご依頼された方が確実かと」
「それでは駄目だ。なにせ、精霊たちに関わることだからね」
それこそ、意味がわかりませんわ。
まさか、精霊たちに関することに対処できるのがあたくしだけだとでも思っているのかしら。
そうだとしたら、仮にもジェッダ家の者が、我が国ヘルメイアの魔法騎士団を甘く見過ぎだわ。
いくら異端のように思われているこのあたくしの能力といえど、精鋭集まる騎士団ともなれば珍しさなど霞んでしまう。
それくらい、あそこにはさまざまな能力持ちの方々が集められているんだもの。精霊に特化した力を持つ騎士様もいらっしゃるでしょう。
「納得いかない、って顔してるね。うーん、どうしたものか! 説明するのは苦手なんだ」
心底困った、と言うように腕を組んで考え込むシェーン様に途方に暮れてしまう。
何を言っても暖簾に腕押し。あたくし、正当な理由を申し上げているはずなのだけれど?
この方は、どうあってもあたくしにこの問題を解決させたいと見える。一体なぜなのかしら。
「……先ほど、『精霊たちに関わること』とおっしゃいましたわね。どういうことですの?」
それを聞いたシェーン様は、その人間離れした瞳をきらりと輝かせて身を乗り出してきた。
興味があると思われたかしら。失敗だわ。
「気になっただけで、話をお受けするとは申しませんからね」
「いやいや、まあ聞いてよ」
思わず釘を刺したけれど、シェーン様はへらりと笑って受け流した。
「本来なら《黒魔石》ごときで私も動いたりはしないんだ。君の言う通り、そんなもの国に任せておけば勝手にどうにかなるだろう」
……とんでもない言い草ね。
シェーン様が半精霊であることといい、ジェッダ家の一族ってどこか変わっているのかしら。
「でも、タブーを犯した奴がいたのさ。なんとその男は、《黒魔石》に精霊を閉じ込めてしまったのだよ」
「……よく、わかりませんわ。そうすると、どうなるんですの?」
「そうか。んー、つまり──精霊の自由が奪われてしまったのさ」
「……」
あたくしの……、理解力がないということなのかしら。
ちっとも要領を得ない回答に思わず固まってしまう。そうすれば、シェーン様もまた、困ったように瞬きを繰り返した。
「……。……え、わからない?」
「……」
さすがに、今度はわかりませんわなどとは言えなかった。
喉まで出かかったけれど。
どうしたものかしら、と固まっていたら、ずっとそばに控えていたネリアが「僭越ながら」と一歩前に出てきた。
「わたくしもお尋ねしてもよろしいでしょうか? 父が魔法騎士団に所属しており、今ほどシェーニバティアーレ様のおっしゃられている事件を聞いたことがございます」
「シェーンでいいのに」
「ありがとうございます。ですが、ご容赦を。わたくしはスチュアート家の一侍女でございますので」
侍女らしからぬサバサバとした物言いは、お父君が騎士団所属ということで納得がいく。
アンドレア様といい、お家柄というものなのかしら。
きっちり断ったネリアに、シェーン様は不満そうな顔を隠しもしない。
これは侍女が申し入れを断ったことに対してというよりかは、単純に愛称で呼んでもらえないことに対する不満のような気がする。
どうにも、調子が狂う方だこと。
「父からは精霊の話は出てきませんでした。なぜ、シェーニバティアーレ様はご存知なのでしょうか?」
そんなシェーン様は、ネリアの質問に一転、にやりと笑った。
なにか、嫌な予感……。
「そう、そこだよ。ありがとう、レイモンドの侍女殿。魔法騎士なんぞに、精霊の機微はわからないのだよ。同族の助けを求める声は、同族かそこに近しい者にしか聴こえないからさ」
そこで、君だ。
そう戻ってくるとは、ネリアも思ってもみなかったんでしょう。ええ、あたくしも思わなかった。
だから、気まずげな表情をしないでちょうだい。大丈夫だから。
「精霊は縛られぬもの。縛られてはならないものだ。それを無理矢理、しかも人間の道具にされるなど、許されることではないのだよ」
その時、急に空気が歪んだ。
文字通り、ぐにゃりと、シェーン様の周りの景色が。
「──っ」
変わらずゆったりと構えている彼が、そのあり得ない背景に引っ張られてなのか、得体の知れないもののように思えて
息を呑んだ。
けれども、瞬きをした瞬間、歪んだと思った景色は元の変わらない中庭で、シェーン様も特別恐ろしくはなくて。
いまさら、ぞくりと背筋が震えた。
今何かが起きた気がしたけれど、何もわからない。
気味が悪い。
「そろそろわかってくれると嬉しいのだけど」
ハッとして、シェーン様の顔に視線を戻せば、肘をついた手の甲に顎を乗せて、なにが楽しいのか彼はにこにことあたくしを眺めていた。
「魔法騎士団の連中では救えない。精霊の声が聴ける君の能力が必要なんだよ」
そんなことを言われても。
あたくしはただの侯爵令嬢で、少し魔法が使えるだけで何かができるはずもない。
《黒魔石》の対処法など、それ以上の魔力をぶつけるか、それこそ、あの忌々しい泥棒猫──リリアナの白魔法をもってして浄化をするしかない。
これもまた、彼女が平民ながら王立魔法学院へ入学できた理由なのだ。
「ご歓談中失礼いたします!」
そのとき、割って入ってきた侍女の声に、その場の全員の視線が集まった。
息せき切って頬を蒸気させている彼女のただならぬ様子に、誰もが緊急事態を予測していたでしょう。
「旦那様が、旦那様がお帰りに……!」
だから、それを聞いて「なんだ」と肩の力を抜いたのがあたくしだけだ、という事実の方に思わず呆然としてしまった。
「旦那様が!? でも本日は夜までお帰りにならないはずじゃ」
「こんなにお早いなんて」
「言ってる場合? 口より手を動かしなさい!」
シェーン様というお客人が目の前にいるというのに、侍女たちは顔を真っ青にして騒ぎ出す。
ネリアなど、先ほどまでの侍女然とした態度をかなぐり捨てて、他の侍女たちに指示を出している。
「……あの、ネリア?」
「シェーニバティアーレ様、本日はお引き取り願えませんか。次にいらっしゃる時には、必ず、必ず旦那様へ先にご連絡をくださいませ」
あたくしを無視するなんて、ネリアとの付き合いはまだ短いけれど、この侍女がそのようなことをするはずがない。
それほど焦っているということなの?レイが帰ってくるから?なぜ……?
「えー? でも、まだ彼女に是と言ってもらえてないし」
「ここで何をしている? シェーン」
その瞬間、侍女たちの絶望のため息が聞こえたのは、あたくしの幻聴ではないようで。
屋敷から中庭に繋がる扉を背にレイが立ってこちらを──いえ、正しくはシェーン様を極寒の冬空の瞳で睨みつけてらっしゃる。
頭を下げて主人を迎える侍女たちは、先ほど慌てていた時よりも顔色悪くしているのでしょう。
ここは、あたくしがどうにかしなければ。
なぜそんなにもお怒りになっているのか、正直あまりピンときていないのだけれど。
「レ──」
「おや、レイモンドじゃないか! 久しぶりだね」
けれど、あたくしを遮って、シェーン様の無邪気とも言える声だけが、重い空気の中庭に響き渡った。
「……」
思わず黙ってしまった。
後ろのネリアが「あぁ……」と声を漏らした。
「俺の婚約者とふたりきりで、俺にも知らせず、貴様は一体何をしているんだと聞いている」
「おや、嫉妬かい? 随分余裕がないじゃないかレイモンド」
「……」
その瞬間、ぶち、と何かが切れる音がして。
「レ、レイ! お帰りなさいませ!!」
がたん、と立ち上がってはしたなくも大声を出してしまったのは、ほとんど反射と言ってもよかった。
しん、とした中、シェーン様までぽかりとあたくしを見上げているのがわかって、顔中に熱が集まる。
必死にレイを見つめているけれど、そうするしかないだけなの。は、恥ずかしすぎて、ちょっと、もう、早く何かおっしゃってくださらないかしら!?
「…………ただいま戻りました、エルヴィラ」
凍える瞳から一転、ようやくいつもの柔らかな声と表情で、あたくしに挨拶を返してくださったことに、ほっと胸を撫で下ろす。
前に。
「ぐふっ! ちょ、レ、レイモンドが! そんな、そんな顔するんだ、ぶふっ、あっははははは!!」
大爆笑をするシェーン様で、全てが台無しになったことをあたくしでも理解した。