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口は災いの元

 


 現れたのは初老の男性とご婦人──ガブリエル伯爵とアンドレア様である。

 ガブリエル伯爵を最後に拝見したのはいつだったかしら。そんなに時間は経っていないはずなのだけれど、少しお年を召されたよう。

 対するアンドレア様は、詰襟から一転、シンプルなドレス姿で伯爵のお隣に立っていらした。こう言っては失礼かもしれないけれど、見違えてしまった。


「今宵はお集まりいただき、真に感謝いたします。どうぞごゆるりとお楽しみいただけますよう」


 落ち着いたガブリエル伯爵の声が響き、それを合図にお二人にご挨拶をしたり、用意された食事に手をつけたりと場が流れはじめた。

 そんな人々の間を縫い、ツカツカと近寄るご婦人の姿に、レイが隣で「うわぁ」という顔をなさる。


「それはどういう感情だ、レイモンド」


 本日は流石にドレス姿でご登場のアンドレア様だ。

 ターコイズブルーの上品な出で立ちで、代わりに頭頂部で複雑に結い上げられたブロンドが、違和感なく華やかさを演出している。

 やはり、お顔立ちが整っていらっしゃると、どんなものを着ていても映えるのね。というか、ご自分の魅せ方を十分にわかっていらっしゃる。


「ご機嫌麗しゅう、アンドレア様。ご招待いただき、ありがとうございます」


 手はレイの腕に添えたままなため、軽く膝を折ってご挨拶すれば、アンドレア様はしばし沈黙を挟んだあと、フッと口角を上げられた。


「エルヴィラ嬢もお元気そうで。私の夜会にご参加いただくのは初めてだろう。是非、楽しんでいかれるといい」


 まあ、どなたでも初めてではないかしら。

 好奇の視線がチラチラと周囲から投げかけられる。これは、あたくしだけではなく、アンドレア様の存在も手伝ってであると思う。


「それで? お前はその顔で私に何を訴えようというのだ?」

「……いえ。義兄上共々、お元気そうで。姉上におかれましては、本日もお美しくいらっしゃる。エルヴィラと共にご招待いただけましたこと、大変光栄に思います」

「相変わらず白々しい口上だ。国王陛下の御前でもその様子なのではないだろうな」


 ひくり、とレイの完璧な作り笑いが引き攣った。

 それをさも面白いものを見たとでも言うような表情のまま「そうだ」と自然な様で提案なさる。


「お前にぜひご息女を紹介したいというのがいてな」

「……………………正気ですか姉上」

「私が冗談を言っているように見えるのか」


 ついにレイの貼り付けられた笑顔は消滅し、すぅっと真顔になるまで大した時間はかからなかった。


「姉上、」

「父上の旧友でな、お前も知っているだろう。サルヴァドール子爵だ」

「……」


 サルヴァドール子爵。聞いたことのある名前だ。

 詳しくは存じ上げないけれど、確かこの国で唯一、貿易に関する権利を一部独占している貴族がそのような名前だった。

 乗せた腕に力が入ったのがわかったので、そっとあたくしは自分の手を回収した。

 この沈黙は、アンドレア様のお言葉を無下にはできないということ。けれど、お優しいから、あたくしをこの場にひとり残してはいけない──なんて、お考えなんでしょう。

 レイは周囲の様子など気にも留めない態度だけれど、貴族たちの視線に気がつかないほど鈍い方では決してない。


「エルヴィラ?」

「あたくしを誰だとお思いですの? あなたよりも社交界には顔を出していましてよ」


 おそらく、というか絶対、アンドレア様はわざとあたくしの前でこの話をしているのでしょう。あまりにもあからさまで、逆に冷静になる。

 いいでしょう。

 完璧に不利なこの場で、あたくしがどう振る舞うのか、ご覧に入れて差し上げましょう。


「エルヴィラ、俺は貴女が、」

「ええ、ええ。承知しておりますわ。あたくしのことはどうぞお気になさらず、行ってきてくださいませ」


 なんとなく不服そうなお顔は、アンドレア様のお言葉ではないけれど、一体どういった感情なのかしら。釈然としませんけど、にっこりと笑って見せれば、晒された眉間にぎゅうっと力が入った。


「…………。……わかりました」


 諦めたような溜息まで吐かれた。

 なんなんですの?

 と、思いきや、パッとお顔を上げたレイは、なにを、と思うまもなく、決して小さくはない騒めきの中で響き渡るようにお声を張り上げた。


「フェルナン! その手にあるのはミモザか。エルヴィラが召し上がりたいそうだ、持ってきてくれ」

「はっ?」


 そのようなこと、いつ言いました!?

 そ、それに、フェルナン、ですって?いえ、まあ、彼の家ですもの、いるのは当然ですけれど、ここに至るまでお姿を一度も拝見していないのだけれど、どこにいらっしゃるのを呼びつけているの!?


「過保護すぎるのも嫌われるぞ」

「これぐらいは許していただかなければ。エルヴィラほどの令嬢だ、俺のいぬ間に誰かが近づいているやもと気を揉んで、どんな口を滑らすか自分でもわかりませんから」


 今からご令嬢を紹介されますのよね?

 どちらかというとあなたの方が近づかれる方ではありませんこと?


「と、いうわけだ。騎士らしく、エルヴィラ嬢の護衛をしていなさい、フェルナン。ついでに一曲くらい踊ったらどうだ」


 えっ、と見遣れば、いつの間にか様がアンドレア様の背後にフェルナン様がいらっしゃった。

 そちらを見ずにおっしゃる彼女に、フェルナン様も真顔のまま一言返事をした。あたくしを見ることはない。


 ……ひとりでいる方が、正直なところマシだわ。


 フェルナン様は学院にいたときでもそうだけれど、何を話せばいいかわからない。その上ダンスなんて、踊れるわけがない。

 まあ、あたくしの苦手意識以上に彼はあたくしのような人間がお嫌いでしょうけど。


「すぐに戻ってまいります。その間、このフェルナンのそばをどうか離れないよう」

「わかりましたわ」


 信用なさっていないのかしら。

 とは言っても、わざわざ逆らう理由もないと頷けば、レイはあからさまにホッとした様子だった。


「フェルナン」

「心得ておりますから、さっさと済ませてきてください」


 え、なにその虫でも追い払うような不遜な態度。

 びっくりして思わず見てしまえば、フェルナン様もちらりと一瞬だけ視線を投げてよこした。

 その、なんとも迷惑そうで「なんか文句あるか」とでも言いたげなお顔!


「……フェルナンお前」

「叔父上が危惧なさることは決して、決してありませんから、本当に早く行って早く帰ってきてください」


 な……!

 そんなにあたくしといるのが嫌なのかしら!

 そっちがその気なら、別にあたくしひとりで壁の花を決め込んでもよろしいのですのよ!?

 なんて、レイに訴えようとしたが、彼は彼でフェルナン様の言葉に大きく頷き、アンドレア様とお二人で会場脇へと行かれてしまった。


 あとに残されたあたくし達の間には、もちろん沈黙だけが残った。




 #




 あんなにも釘を刺したというのに、さっそくもって面倒ごとを押し付けられた。

 叔父上め、よりにもよってあのエルヴィラの相手をさせるなんて。


「……」

「……」

「…………飲みますか」

「は? 結構ですわ」


 先ほどの叔父上の言葉がただの僕を呼びつける口実だというのは察しがつく。

 単純に会話がないから言っただけだが、ここまで必要以上に拒否されるとは、思った以上にご機嫌が悪いようだ。

 母上も母上だ。普通、婚約者がいる男に令嬢を紹介するか?

 ……。

 というか、意外だな。

 この様子だと案外、叔父上の一方的な関係ではないということか。


「いつまでそこに突っ立ってますの? あたくし、このようなど真ん中で、いつまでも注目を集めるつもりはなくってよ」


 他人の視線が大好きな女王様が何を言ってるんだ。

 ハイヒールを高らかに鳴らしてさっさと行ってしまう彼女を、追いかけないなどという選択肢は後が怖いので却下だ。それに僕の方は本当に人の視線が苦手だ。


「ねえ、フェルナン様」


 斜め後ろにすぐに追いつけば、不意に小さく呼ばれた。

 その、らしくないしおらしさにロクでもないお願いをされそうな気配。国境要塞でのどこぞの誰かを対応するようなそれに、しかし、悲しいかな、今回も黙って聞くしかない。


「レイとあのご令嬢のお話、あなた聞くことはできないかしら」


 ちら、と視線が投げかけられる。

 その先には、ちょうど挨拶を終えたらしい叔父上とサルヴァドール子爵令嬢が向き合って談笑している。

 ただでさえ周りには人がいる。彼らの声はここまでは決して届かない。ということは。


「……魔法で盗み聞きをしろと?」

「人聞きの悪いことを言わないでちょうだい。様子を伺えと言っているのよ」


 同じでは。

 もちろん、造作もないことだ。

 だが、エルヴィラといい叔父上といい、魔法を何か、便利道具と勘違いしていないだろうか。

 魔法を使えない叔父上は百歩譲ってともかくとして、エルヴィラ、君は魔法学院に通っていた身で、魔法師の端くれでもあるだろうが。

 ……指摘できるほど命知らずではないが。


「ちょっと、できますの!? できませんの!? もちろんできますわよね、知っていますわよ、あなたが学院で随一の実力を誇っていたこと」


 なぜ知っているんだ。

 ほっそい腕を組み、偉そうにツンと顎を上げてこちらを見やる、そのどこにも可愛げはない。

 僕なら、こんな女よりももっと令嬢らしい、ふわふわとした女性を妻にもらいたい。正直、叔父上と相対してるあの令嬢の方が、よっぽど可愛らしくていいと思う。

 剣士としては遠く及ばぬと尊敬しているが、女の趣味という点に関してだけは、叔父上とは一生分かり合えそうにない。というか、スチュアートの人間もガブリエルの人間も、とことんまで悪趣味すぎて、僕は間違えないようにしようといつも心に決めている。

 ただ、繰り返すが、僕は命は大事にするタイプだ。


「わかった、わかったから」


 だから、うんざりした気分だとしても、魔力を調節してエルヴィラの仰せのままにするしかない。

 空気の振動を叔父上と巻き毛の令嬢の声だけが届くようにすれば、すぐに鮮明な声が聞こえてきた。


「エルヴィラ様とご婚約なされたとか。……こう言っては、なんですけれども……、でもわたくし、心配で」


 両手を組み、声を震わせながら大きな目で叔父上を見上げている。


「わたくし、社交界で何度もエルヴィラ様のお噂を耳にしておりますの。どなたも皆、エルヴィラ様にはひどいお言葉をかけられたり、意地悪をされたり……」


 可愛らしいのは見た目だけで、言っていることは全く可愛らしくなかった。

 すごい根性の令嬢もいるものだと、逆に感心してしまう。


「それに、第二王子との婚約を一方的に破棄されたとか。騒動を起こしてすぐにレイモンド様と婚約だなんて、なんて計算高い方なのでしょう!」


 計算高いかどうかは、どっこいだと僕は思うけどな。そういうことじゃないのか。

 叔父上は考えるように顎に手を当て、そうしてひとつゆっくりと頷いた。


「……未だ、俺には本当の姿を見せてはくださらぬが、きっとはっきりと物事を口にされる方なのだろう」

「そ、そうですわ! 身分が低いと差別をし、嫌味ばかりを言うような令嬢はあなたにふさわしくは──」

「そんなところもまた、彼女の魅力であると俺は思う」


 柔らかく目元を緩め、しかしバッサリと言い切った叔父上に、さしもの令嬢も黙り込んでしまった。悔しそうに顔を歪める彼女に、しかし、さらに畳み掛ける。


「性格の悪い女、か。確かに。そうなのかもしれない。俺は知らんが。……知らんのだ。うん、心を許していただけるよう精進しなければな」


 もはや、令嬢など目に入っていない。

 明後日を見つめるそれは、誰がどう見ても恋するひとりの男の眼差しだ。

 いっそ令嬢に方向違いな嫉妬でもするかのような発言に、当の令嬢などショックを受けて顔を真っ青にしていた。

 これは、全くもって興味ゼロじゃないか。

 やっぱり、叔父上とはわかり合うことはできない。




 #




「あーあ」


 哀れみの声を漏らしたのは、一部始終を眺めていたフェルナン様だった。


「何かしら、溜息などついて」


 あたくしには聞こえない、レイとご令嬢とのやりとりを、きっと彼ならば魔法か何かで聞くことは可能なのでしょう。けれど、それを教えてくださるどころか、フェルナン様は口を噤んで、面倒そうな表情を隠しもしない。

 ええ、ええわかっていますとも。学院時代もそうでしたものね。こういった色恋沙汰は、できれば関わりたくはないということなんでしょう。

 無視させていただいてますけれど、結果さえ教えてくだされば、これ以上あなたを巻き込まないというのに!


 飴色の巻き毛にフリルや’リボンをあしらい、あたくしならば絶対に選ばないようなパステルピンクのふわふわとしたドレスを身にまとう、誰もが『愛らしい』と口をそろえるようなご令嬢。

 遠目からでも、レイの眼差しが、空気が、態度が、甘く柔らかくとろけているのがわかる。

 あたくしに愛していると言っている時と同じように。


「……」


 ズキズキするこの胸は、一体何様なのかしら。

 結局わかっていたのではなくて?心のどこかで、答えをはぐらかされた時に、なんとなく片隅に予感がしたのではなくて?

 一瞬だけ、あたくしに奪われてくださった心は、いつか必ず離れていくと。

 ……まあ、こんなにも早いとは予想もしませんでしたけれど。


「ああ、もう。いいですわ。だいたいわかりましたもの。巻き込んでしまって申し訳ありませんでしたわ」


 痛みを無視して、なんでもないように声をかけた。

 とっくのとうに魔法を解いていたのでしょうフェルナン様は、あたくしの言葉にほんの少し目を見張った。けれどすぐに呆れを前面に出した、大変に不愉快な顔をしてくださいました。

 ちょっと、あなたあんまりにも失礼ではなくって?


「君、叔父上のこと好きなんだよね?」

「は……。…………はあ!? な、いきなりなんなんですの!? いい加減になさい! 怒りますわよ!」


 もう怒っているじゃないか、なんていうぼやきは、あまりの衝撃に聞き逃してしまった。それほどに、フェルナン様の質問は脈絡もなければデリカシーもない。


「あ、あ、あなた、それを聞いて一体なんだというの!? あたくしをはずかしめようっていう魂胆かしら!?」

「なんでそうなるんだ……。そうじゃなくて、あー……」


 そういう魂胆なら、もうとっくに叶っているじゃない。

 ああ、舞い上がらないようにしようと、思っていたのだけれど。だって、あんまりにも本気なようにレイが言うものだから、勘違いしてしまうじゃない。


「まあ……、なんだ。うん。頑張って」

「──は、」


 思わずぽかんとしてしまった。

 数秒、奇妙な見つめ合いと沈黙の後、フェルナン様の目がふいと逸らされた。

 あたくしは、わなわなと震える肩をなんとか押し留め、できる限りゆったりと「フェルナン様」と呼びかけた。


「あたくし、ミモザが飲みたいわ」

「………………取ってくる」


 どうぞよろしく。そして、己の口が生んだ災いをせいぜい反省なさい。

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