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ドレス

 


 最近、レイは仕事がお忙しいらしい。

 待っていようかと思っても起きていられなかったり、朝早く起きてもすでに出て行かれた後であったり、と面と向かってお会いできていない。

 元々、国境付近に領地を構える辺境伯はお忙しい役職だから、むしろ今まで会えていたのが奇跡のようだったというだけなのだけれど。

 別に寂しいなどと、身の程知らずなことを言うつもりは決してありません。ただ、屋敷に置いていただいている身で、何もしていないのが心苦しいだけで。


「おはようございます、奥様」


 奥様、などと。

 もはや、訂正も聞き入れられないからと放置してしまっているけれど、そのような立場に収まっていいはずはないと分かっている。

 中途半端な身分。どうすればいいのかなどわからない。

 複雑な心境で迎え入れたネリアが、けれど今日はひとりではないようだった。首を傾げていると、後から続いた侍女達の中には、見慣れぬ顔が混じっていた。


「彼女たちは……?」

「旦那様から奥様へのプレゼントにございますわ」


 ネリアが、いつもよりもどこか嬉しそうに答えた。

 プレゼント?この者たちが?どういうことかしら。

 その間に近づいてきた他の侍女があたくしを立たせて着ていたドレスを「失礼いたします」と脱がせはじめた。

 待って、もしかしてお針子?


「大奥様の舞踏会へ着ていくドレスをと、旦那様より仰せつかっておりますゆえ」


 た、確かに舞踏会のたびにドレスを新調するご令嬢は少なくないし、あたくしなんてまさにそのタイプであったけれど。

 でも、以前レイに戴いて、まだ着ていないドレスがたくさんあるのに、また作っていただくなんて!


「そうおっしゃるだろうから、との旦那様からのお言いつけで、本日まで黙っておりました。どうぞご容赦ください」


 深々と頭を下げるネリアに、なにか言えるものですか。

 ぐうっと黙ったのをいいことに、あれよあれよと薄いワンピース姿にさせられ次々身体を測られた。

 もうここまできてしまえば抵抗しても無駄なので、彼女たちが測りやすいように動いていれば「さすが侯爵令嬢様ですわね」と褒め言葉なのかなんなのかわからない言葉をもらった。


「日数もありませんので、デザインまで本日決めてしまいたいのですがよろしいでしょうか?」


 デザイナーだという妙齢の女性はレベッカと名乗った。

 聞いたことのある名前だと思えば、最近急に人気を集めはじめた有名なブランドデザイナーだわ。

 今では彼女のドレスを手に入れるのすら困難ですのに、本人自ら来ていただけるなんて。


「レイモンド様のお爺様とは古い縁がございまして。当時より、いつでも馳せ参じますとお約束してますの」


 ……一体、彼女は幾つなのかしら、なんてことは考えてはいけないのでしょうね。


「ええと、それで、デザインですわよね。あたくし、レイにはなにも聞いていないのよ」


 代わりに無理矢理話を元に戻すことにした。

 先日のアンドレア様の口振りや今の状況を鑑みるに、レイがエスコート役になってくださるというのは、概ね確実でしょうね。

 けれどそうなると、あたくしの一存でドレスを決めるわけにはいかない。ある程度、揃いのデザインにしなければならない……と、思う。

 婚約をしている男女にはドレスコードがあるのだ。つまり、対のデザインの装いをしなければならない。例えばそれはスカーフの色であったり、生地であったり様々だけれど、婚約者としてはじめての夜会では全てのデザインを揃いにしなければならないという暗黙のルールがある。

 今までそれに疑問を持ったことなどなかったけれど、今回だけはほんの少しだけ、恨めしく思う。


「あら、でしたらこのわたくしが、僭越ながらご意見差し上げてもよろしいでしょうか?」


 瞬間、レベッカがキラリと目を光らせた。


「レイモンド様のご意見など、待っていても無駄です。いつまでたってものらりくらり、結局お返事などいただけた試しがございません」

「そ、そうですの?」

「ええ、ええ。どうぞおまかせくださいませ。そうですわね、エルヴィラ様は御髪が柔らかいお色ですから、淡い色ではボケてしまいそうですわね」


 気の無い返事をされながら、すでにレベッカの意識はあたくしのドレスに向いているらしい。

 どこから取り出したのか、バラリと広げた分厚い手帳のようなものには、色とりどり、さまざまな素材の布が一切れずつ綺麗に並んで貼り付けられていた。


「ダークグリーンなどいかがです? 素材はシフォンベルベットで……。お胸がスレンダーでいらっしゃるから、どこまで肌を出しても下品に感じさせない、素晴らしいドレスができあがると思いますわ」


 今、さらりとなにか言われた。

 胸囲を図ったメジャーの数字を見て、再び大きく頷いた彼女は独り言のように次々とアイデアを出していく。

 もはやあたくしが口を出せる雰囲気ではない。結局、文句もなにも、黙っているしかなさそう。それも作戦かしら。いいけれど。


「早急に作り上げますわ。お日にちも限られていることですしね。ああ、どうかくれぐれも体型はそのままで、ほんの少しも変わらずに維持しておいてくださいませね」


 測定も大方完了したというところで、最後の最後にとんでもない難題を、念押しというオプションまで付けて告げると、お針子たちを引き連れ帰って行ってしまった。


「えっと……。いいのかしら」

「レベッカ様のおっしゃる通り、旦那様がお召し物にご希望を出されたことは、今まで一度もございませんから」

「そう。……確かにご興味はなさそうね」


 卒業パーティーの詰襟はとてもよく似合ってらっしゃったけれど、きっとあの精悍なお顔つきならタキシードもイブニングコートも着こなしてしまうでしょうね……。

 なんでも似合うのは羨ましい限りだわ。あたくしのこのキツすぎる顔じゃあ、今流行りのシフォンドレスやパステルカラーなど、決して似合うはずもないもの。

 いえ別に、着たいと思ってるわけではないのだけれどね。あたくしには、あたくしを最も美しく見せてくれるドレスが他に山ほどあるのはとっくに承知よ。


「……共に参列するのなら、お色も合わせたりするのよね。ダークグリーンで、よかったかしら」

「お色の好き嫌いも旦那様はお持ちではありませんから。レベッカ様にお任せしてしまって問題ないかと。それよりも、奥様のご趣味を伝えておかれた方がよろしいかと」

「あたくしは、いいわ。あのレベッカにドレスを手がけてもらえるのだもの。楽しみだわ」


 もちろん、本心からそう思っている。

 けれど、それとは別にあたくしの思考は別の方向へ飛んでいた。


 もしかしてあたくし、レイのことをなにも知らないのではないかしら。


 出会って数ヶ月、色や食べ物の好みも、趣味や特技、なにもかも知らない。出会い方から仕方がないと言ってしまえばそれまでだけれど、最低限のことは把握しなければならないんじゃないかしら。

 いえ別に知りたいとかそういうわけでは──。

 …………。


「ね、ねえネリア?」

「はい。なんでしょう奥様」


 すぐに返ってきたきっぱりとした声に、一瞬だけ躊躇する。

 ああ、もう、しゃんとしなさいなあたくし!


「便箋と羽ペンを、用意してくれない?」

「承知いたしました。少々お待ちくださいませ」


 程なくして持ってきてもらった道具を前に、ひとつ呼吸を落とす。心の中で気合を入れて、手に取ったペンにインクを吸わせた。




 #




『レイへ、


 突然のお手紙を差し上げてしまい、驚かれているでしょうね。

 まずは、たくさんのお礼を。

 花束の贈り物は大変嬉しかったですわ。早速ネリアに頼んでお部屋に飾らせていただきました。

 そして、ドレスのこと。

 あれは、正直困ってしまいましたわ。すでにたくさんのドレスや装飾品を戴いてしまっているのに……。

 ……いいえ、嬉しくない訳ではないんですのよ。

 せめて、レイの隣で恥ずかしくないように精一杯準備いたしますわ。

 ところで、あたくしなにかお礼を差し上げたいのです。ハンカチーフなど、いかがでしょう。あたくしこれでも、刺繍は得意でしてよ。

 もし、お好きなお色があれば、是非お教えくださらないかしら。


 最近お忙しくされているご様子で。

 どうか、お身体にお気をつけくださいませ。


 エルヴィラ・ディア・ナイトレイ』




 ガン、と硬いものが硬いものにぶつかる、割と派手な音がしたが、それが騎士団長の机から響いたと知るや否や、誰も彼もが一瞬止めていた手元の作業を再開させた。


「………………死にそうだ」


 額を机に伏せたまま唸るような声に、「またはじまった」とそっと離れようとした。

 だがしかし、目元を抑えながら長い長いため息を吐いた男の「なあ、フェルナン」の一言に、決断が手遅れだったと知る。


「今すぐ屋敷に帰りたい」

「この書類の山を見てもそう仰いますか」

「エルヴィラが足りないんだ」

「午後からは国境線の視察の予定が入っております」

「まさか、まさかエルヴィラが手紙を書いてくださるとは思わんだろう」

「こちら、本日中に目を通していただきたい書類です」


 一枚の手紙を大事そうに包み込む上官に、完全無視の対応で目の前にどさりと紙の束を積む。


「…………フェルナン」

「なんですか」


 空色の目は、何を考えているのか他人に悟らせない。長くこの男の甥であり部下である僕でも、それを理解できたことは一度もない。

 いっそ、今のように最近迎えた噂のご令嬢のことでも考えているのかと思いきや、そこに思ったほどのだらけも甘さも見て取れない。

 若くして辺境伯位を亡くなられた先代から譲り受けたこのレイモンドという男は、剣の腕に優れ、また政にも秀でた男だった。

 貴族嫌いさえ直してくれればと思うが、それは母上を見ていれば仕方がない部分でもあるのかと納得してしまう。

 とにかく、そんな彼を目指して、この最も危険な国境線防衛に名乗りをあげる騎士は少なくない。悔しいが、僕だってその一人だ。

 だからそ、それが女一人で崩れてしまっては困るのだ。

 その女が、あの、エルヴィラ・ディア・ナイトレイというのが大変に、たいっへんに胃痛案件なのだが。


『スチュアート辺境伯がナイトレイ侯爵家の令嬢を第二王子から掻っ攫った』


 そんな噂をこの国境要塞にいてまで耳にしたときの、どれほどこの胃と頭が痛んだことか。

 もはやこの国中に広まったのだろうと理解した時の絶望様は部下たちに向けられた、心配と哀れみを大分に含んだ眼差しでよく自覚した。

 エルヴィラ・ディア・ナイトレイ。

 魔法学校ではほとんど接点はなかったが、良くも悪くも貴族令嬢らしいあの貴族令嬢は、大変に目立っていたから知っていた。

 卒業式の騒動も、まあ予想の範囲内ではあった。あのバカ王子が平民の娘に懸想しているのは、学院でも誰がどう見ても自明の理であったから。

 あの女ももう終わりかと、興味もさしてなかった。ただ、ナイトレイ家のこの失態で王宮内でどう動いていくのかが少しの懸念を残すな、などとのんきに考えていたときだった。

 それを、あの場で叔父上が、あんな風にしてかき回すなどと誰が予想できただろうか。

 幼女趣味でも十分なのに、久方ぶりに田舎から出て来たかと思えば何してくれてんだあの馬鹿叔父上。

 ついでに母上なんで代理を叔父上に頼んだんだ。

 しかしながらそれだけにとどまらず、終いにはこうして口を開けばかの令嬢の話しかしなくなった。

 王都には腑抜けになりに行ったのか。


「お前、今度姉上が主催される夜会には出るのか」


 真面目な顔して、現在の僕の胃痛案件の一つを話題に出してきた叔父上に、思わず顔をしかめたら、その叔父上も苦虫をかみつぶしたような顔をされた。


「そうか、大変だな」

「……叔父上ほどでは」

「…………何か、あるのか」


 さすがは聡い。


「母上は、ありとあらゆる貴族を招待しているみたいです」


 招待状の山を製作中に、お前ももちろん出席しなさい、と母上に言われたことを思い出す。

 冗談じゃない。なにが悲しくて、なんだか張り切っている母上の思惑に乗らなければならないんだ。舞踏会嫌いのあの母上が張り切ってるんだぞ。絶対ロクなことが起こらない。

 だけども、悲しいかな、拒否権など初めからないんだ。


「やっぱりか……」

「もうあんな、突然全てを押し付けて帰ってしまわれるなんて、僕はごめんですからね」


 つい先日、「姉上が帰ってこられる! エルヴィラが危ない!」と実の姉相手にとんだことを叫んで、その上全てを放り投げて馬を駆けさせて行ってしまわれた。

 もちろん、後始末も空いた穴を埋めるのも、全て僕がやったわけだが。

 なにしてくれてんだ母上、と思いもするが、父上同様逆らえるはずも文句を言うことすらもできず、仕事に専念することで全ての理不尽さを片付けた。

 あんなことにならぬよう、今度は初めから釘を刺しておけば、叔父上はばつが悪そうな顔をして一瞬押し黙った。危なかった。本当に。


「根に持っているのか」

「持っていませんよ。ただ、僕の仕事をこれ以上増やしてくれるなとは思っていますけど」

「……」


 黙って書類を手に取りはじめた叔父上に、ああとやっと息をつける。


「そうだ、フェルナン。この手紙を俺の屋敷に送れるか? 魔法で」

「思い切り私用で僕の魔法を使わんでください」


 言いはしたが、結局送らされた。無駄に分厚い便箋を。



 後日、部下たちには「フェルナン様はなんだかんだで隊長に甘いですよね」と言われた。若干呆れも入っていたように思う。解せない。



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