第4話 「ラディウス家の執事」
えー皆さま、私ことルーク・シュナイダーはラディウス家の執事に招き入れられる形で屋敷内に足を踏み入れました。ですが……
「ルルルルルルルーくん、ぜぜぜぜぜったい手を放さないでよ。ぜぜぜぜったいだかんねッ!」
このように生まれたての小鹿のようにガクブルなアシュリーさんの対応に追われています。
まあ対応って言っても特に何もしてないんだけどね。
手を放すなとか言われてるけど、右腕をアシュリーさんにがっちりホールドされてますし。
言わなくても分かるだろうけど、アシュリーさんの大きな胸は形を変えるほど密着してます。
実に柔らかく、弾力があり、男としては幸せを感じる時間です。
……と言えないんだよね。
確かに柔らかいし、幸せな弾力はあるんだけど……アシュリーさんって皆さんも知ってるだろうけど怪力じゃないですか。
それにがっちりとホールドされているわけです。
いくらアシュリーさんの胸に柔軟性があっても限度があるよね。一定の変形しちゃったら壁と変わらないよね。
おかげで右腕の血の気が凄まじい勢いになくなっていってるよ。
「お前だけ置いて帰ったりしないから離れろ」
「いやッ! ルーくんは意地悪だから絶対あたしを置いて帰る。それ以前にこうしてないとあたしが帰っちゃう!」
そうかそうか、お前なりにシルフィの見合い話に向き合おうとしてるのね。努力の方向性がよく分からないけど。
「ならせめて腕に抱きつくのやめろ」
「むり、ムリ、無理だから。緊張で上手く身体動かせないし。もしルーくんを解放してあのへんにある高そうな装飾品を壊したらどうするの。ルーくん責任取れるの?」
何であなたが壊したものの責任を俺が取るんですか?
「俺はお前の保護者じゃない。壊したら自分で責任取れ」
「保護者じゃなくても知り合いでしょ。近所のお兄ちゃんみたいな感じでしょ。もしもの時は可愛い妹分の尻ぬぐいくらいしてくれていいじゃん!」
「うちのどこが近所だ。うちの近所は農家くらいでお前みたいな近所はいない。何よりお前のどこが可愛い妹分だ。身体だけデカくなった甘えん坊の構ってちゃんだろ」
「正論なんか聞きたくない。というか、こうする代金はすでに払ってるでしょ。ルーくんは大人しくあたしの胸の感触でも楽しんでいればいいの」
感覚のなくなっていく腕でどう楽しめと……。
楽しめと言うなら楽しめるように少しくらい力を緩めてくれませんかね。まあ緩められても楽しめないのが現実ですが。
だって……ここシルフィの家だもの。
いくら健全な成人男性でも人の家で好きでもない小娘に胸を押し付けられて興奮なんて出来るわけないじゃないですか。
仮に興奮しても理性が勝っちゃいますよ。だって前には出迎えてくれた執事さんも居るわけですし。しかも……今もチラチラとこっち見てるから。
「ルーク様、アシュリー様」
「ん?」
「ははははははい何でしょう!」
「こちらの部屋でお待ちください。私はお茶の用意をしてきますので」
それだけ言い残して執事は颯爽と歩いて行った。
過保護気味にあれこれ聞いてくる主様とはまるで正反対である。
とはいえ、あの執事……正確には男装した麗人だが、昔と比べるとずいぶんと変わった。
昔はもっと……無闇に語ることでもないか。特にあいつの過去はあいつが話すべきものだろうし。
「…………ねぇルーくん」
「今度は何だ?」
「あたしの目は悪くなっちゃったのかな? 待てって言われた部屋が客間じゃないように思えるんだけど……」
「すこぶる良好だから安心しろ」
俺達が通された部屋は、ラディウス家の客間ではない。シルフィ達が毎日利用しているであろうリビングだ。
リビングと言っても我が家と比べると広さは段違い。十数人で食事が出来る長テーブルも鎮座しているし、窓やカーテンといった内装も実に豪華だ。
ただ豪華とは言っても、この屋敷は全体的に必要なものに必要な分だけ。貴族であることに間違いはないが、庶民が微動だにしなくなるような暴力的な金の使い方はしていない。庶民が憧れる優しい美しさや煌びやかさだ。
まあ……俺の隣に居る庶民様は、憧れの団長の家という補正でガチガチで怖気づいてしまっているが。
「そこは冗談でも現実とは違った返答が欲しかった。どうしよう、どうすればいいの……このままじゃあたし絶対に何かやらかす。ここでいつもシルフィ団長がご飯を食べてると思うだけで……それに匂いも……えへ……えへへへ……デュヘヘヘ」
どうするもこうするも……すでにやらかしてるんですが。
「とりあえず匂いを嗅ぐのをやめろ。それ以上にその気持ち悪い顔を仕舞え。あとよだれも拭け」
「おっと……ねぇルーくん、匂いを嗅ぐくらい良くない? ほら、人ん家の匂いって気になるものだし。良い匂いがする家ってあるじゃないですか」
こいつ……よくこんなんで自分は変人でも変態でもないって言ったよな。正直ストーカーで逮捕されても不思議じゃない。そうなった時に弁護できない。
というか、こいつはヴィルベルのことを変態だとか罵倒するが……ある意味こいつの方が質が悪いのでは?
あのエルフが興奮するのは魔石などの無機物。だがこいつはシルフィという一個人に対して……価値のない深淵を追求するのはやめておこう。
「そんな話をするつもりはない」
「何で!? あたしなりに落ち着こうと思って頑張ってるのに。ルーくんはどうしてそうあたしを困らせるようなことばかり言うの!」
困らせることばかり言っているのはあなたです。
世界というものは、あなたを中心に回ってはいません。早くそれを理解してください。もう露骨に子供扱いされる子供じゃないんだから。
「まあまあアシュリー様、これでも飲んで落ち着いてください」
「あ、どうもありがとうございます」
さすがは根が素直なアシュリーさん。どこからともなく現れた執事のお茶を反射的に受け取ったよ。このあと驚くんだろうけど。
「……美味しい。あんまりお茶の味とか分かんないけど、これは素直に美味しいって思える。ルーくんもそう思わ……って、いつの間に!?」
「さて、いつからでしょう?」
「何故か質問で返された!?」
しかも意地悪な笑み付きでね。
「気にしないでください。私の性分みたいなものですので。それに……一流の執事にもなれば、どこにでもさらりと顔を出すものです」
「な、なるほど……確かに主が望みを口にする前にその望みを叶えるって聞いたりもしますし。シルフィ団長の執事ともなればそれも当然、むしろ必然。さすがですね、えっと……」
「おっと、そう言えばまだ名乗っていませんでしたね。私はジル・ヴァーレンハイド、見ての通りこの家の執事をしております。以後お見知りおきを」
何だか平穏に事が進んでいるが……。
いつものアシュリーなら一流の執事の件でツッコミを入れてたよね?
なのにシルフィの執事って理由で納得するって……君の中のシルフィはどういう人間になっているのかな。
あの人も普通の人間だよ?
神出鬼没の化け物とかじゃないんだよ。戦場では化け物みたいに強いけど。
「こちらこそ、アシュリー・フレイヤです。よろしくお願いします。あのヴァーレンハイドさん……」
「ジルで結構ですよ」
「あ、じゃあジルさん」
「はい、何でしょう?」
「あたし、シルフィ団長が現れたら緊張で上手く話せなくなると思うんです。なので今のうちに聞いておきたいことがあるんですけど」
この騎士様、いったい何を聞くつもりだ?
場合によってはストーカーの称号を贈ることになるのだが。
「ラディウス家の総資産といった事はお答え出来ませんが、それらに関係すること以外は大抵お答えしましょう」
おい執事、お前あんまり顔には出してないけどノリノリだよな。変態的な質問が来ても堂々と返すつもりでいるよな。
「じゃあ遠慮なく……あの、ジルさんって男ですか? それとも女なんですか?」
「…………」
「あぁすみません! 急にそんなこと言われたら嫌な気持ちになりますよね。でもその何ていうかジルさんって綺麗な顔ですし、どっちなのかなぁって気になったmもので。決して悪気があったわけじゃ……!」
「落ち着いてください。別に怒っているわけではありません。ただ……」
「ただ?」
「てっきりシルフィーナ様のことを聞かれると思っていましたので戸惑ったと言いますか……」
まあ普通あの流れならそう思うよね。
事前にアシュリーのことも調べてた感じだし。下手すると日常的な変態発言も知って……いや知ってるよな。多分匂いがどうのって話も聞かれてただろうし、廊下でのやりとりでも片鱗はあったわけだから。
「ともかく、アシュリー様に悪気がないのは分かっていますのでお気になさらず。それより私の性別に関してでしたね。私の性別は……見ての通りです」
「恰好決めているところすみません。見て分からないから聞いているんですが?」
「先ほどアシュリー様はこの顔を綺麗だと仰ったではありませんか。それが全てですよ」
回りくどいので俺がはっきりと言おう。
ジル・ヴァーレンハイドの性別は女である。執事服を着ているが女である。大切な事なので二度言った。みんな、ちゃんと覚えてくれよな。
「ちなみに……どうして女なのに執事の恰好を? と質問が来そうなので先にお答えしておきます。理由は単純、この服の方が動きやすいからです。さらに補足しますと、胸はさらしで潰しています。アシュリー様には及びませんが、これでも人並みの大きさはあるのですよ」
「は、はあ……こっちの考えを読んだかのように説明してくれてありがとうございます。でも胸の話は必要ないです。するにしてもルーくんが居ない時にしてください。あたしも一応女の子なので」
さっき自分の胸を押し付け、てめぇはあたしの胸の感触を味わってればいいんだよ。何か文句あんのかコラぁ!
みたいなことを言っていた奴が常識を語っている。凄まじいブーメランだ。自分のことを棚に上げ過ぎだろう。
「それは失礼しました。ただ私の趣味は人のことをからかったり、困らせたりすることですので。普段は我が主をターゲットにしております」
「最低の趣味ですね、というかあたしのシルフィ団長に何してんですか。あの人は普段から大変な思いをしてるんですから優しくしてくださいよ!」
「あの方の困ったりした顔は可愛いので、つい」
「それは否定しません」
そこは否定しろ。
あと、またあたしのっていう蛇足が付いてたからな。勝手に他人を自分のものにしない。束縛する奴は高い確率で嫌われるぞ。
「ジル、そんな話はどうでもいい。シルフィはどこに居る? さっさと呼んで欲しいんだが」
「ルーク様、一般的に言ってせっかちな男性は嫌われますよ?」
「お前らが不毛な会話をしないなら大人しく待つんだが?」
「これでも私は気を遣って、身を削る思いで会話をしているのです。だってシルフィーナ様、まだご帰宅になっておりませんし」
…………俺はここで大声なんか出さないよ。
だってすぐそこでアシュリーさんが代わりにリアクションは取ってくれているし。
何より……若干素の口調でしてやったり感を出してる男装女子がムカつくもの。そいつの思ってるような反応するのは癪に障るじゃないですか。
「あ……あの~ジルさん」
「何でしょう?」
「あたしの記憶が間違ってないなら……あたし達が来た時、ジルさんはそろそろ来る頃だと思ってたって言って出迎えてくれたような気がするんですけど?」
「それは街でシルフィーナ様の見合い話が噂になっておりましたし、アシュリー様の性格を考えますと、あれくらいの時間にルーク様とここを訪れることになるだろう……と推測しただけです」
「凄いけど、今日初対面のはずのあたしの性格が予想に反映されてるとか恐怖しかないんですけど!?」
「こうして顔を合わせるのは初めてですが……私、常日頃から主や主に関わる人物の情報収集は怠っておりませんので。アシュリー様の寝相の悪さがどれほどかくらいまでなら知っていますよ」
それはもうストーカーじゃん。変人、変態と来てここで変質者か……。
こいつの過去を考えれば情報収集するのは癖みたいなものだろうし、主を守るための行動のひとつなのだろう。
だがしかし、何故言う必要がないのにそのことを口にするのだろうか。この人やべぇ、みたいな視線を向けて欲しいマゾなのか。マゾ体質なのはエルフと吸血鬼だけで十分なのだが。
――直後。
不意にリビングの扉が開く。現れたのは銀髪の騎士であり、その顔はどこか疲れている。どうやら真面目な騎士様も家では緩んだ一面を見せるらしい。
「ただいま戻りまし……え? な……何でルーク殿とアシュリーが」
驚きを隠せない主に対し、執事は穏やかな顔で口角を上げる。
まるで計画通り……ここから面白くなりそうだ、と言わんばかりに。
いや本当この執事、マジで性格が悪い。




