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白練

いつもの如く私は祠から離れて山の麓へと降りていった。つい百年位前なら子供たちは外へ出て、山や野に出て走り回っていたのにここ数十年は皆あまり外に出ず、屋内で遊んでいるようで、私が麓へ降りてもほとんど子供なんていなかった。でも私は誰でも良いから話がしたかった。

いつからか、私のもとへ訪れる人間はほとんどいなくなってしまった。山から下りなければ、私は誰とも会うことがないのだ。

更に私の姿が見えるのは、七歳までの子供だけ。それ以上の年の人の子は私を見ることができない。

寂しい、だなんて殊勝な感情は私にはないけれど山の中で一人いるのはつまらない。いつの世も、人間を見ることは愉快なのだ。


その日の黄昏時、私は麓まで降りて遊んでくれる子供を探した。何も遊んでくれなくても良い。少し話をするだけでもって。期待半分、諦め半分それくらいの心地だったよ。


それで私は一人の少年と会った。


とても驚いた。期待していたとはいえこんな夕方に五つくらいの年の子供が一人でいるだなんて。回りを見ても兄弟や両親らしい姿は見えない。迷子か何かだと思って話しかけたんだ。着物から白いワンピースに着替えて怪しまれないように笑いかけた。


「君、一人?お父さんやお母さんは?」


少年は俯いたまま返事をしない。でもこのまま放っておくこともできなかった。日が落ちてしまえば良くないもの達が動きだし、きっとこの子も食べられてしまう。


「おうちはどこ?暗くなる前に帰った方がいいんじゃない?」


最初こそ遊んでもらおうと思っていたのだが、どうにもそれはできそうにない。なんとかこの子を家へ帰したい。

しゃがんでその少年と眼を合わせて頭を撫でた。


「……っふぇ、」

「っ……?!」


みるみるうちに少年の赤みがかった瞳に涙がぶわりと溜まり溢れ落ちそうになった。


「ど、どうしたの?!どこか痛いの?!」


「ふっうぅ……う……、」


何を聞いてもただ声を殺して泣くだけで埒が明かない。しかもこんな時間帯の山の麓に人の姿もなく本当に困ってしまった。

家に送ろうにも少年の家の場所は知らないし、他に助けてくれそうな人間もいない。


しかもそうこうしているうちに日はとっぷりと暮れてしまった。

ざわざわと草木は音をたて、虫は静かに鳴き出し、影は闇を深くした。夏の夜独特の嫌な風が辺りを包む。


――――ガサガサガサッ!


少年の後ろの草木から何かが近づく音がした。


「っ……!」


明らかに良くないものがそこにはいる。寒気が走った。山神様のいるこの山では強いモノは現れない。だが良くないモノであるのは確かだ。


「……ごめんね!」

「へ……、うあぁぁっ!!」


咄嗟に少年を抱き上げて地を蹴りふわりと身体を空に飛ばした。子供を抱えたまま空を飛ぶのは初めてだっから不安だったけど、一人で飛ぶのとあまり変わらずそっと安堵した。


ふと先程までいた草むらに眼をやると、良くないものがじっとこちらを見上げていた。強くはないようたが人の子では一堪りもない。抱き上げた少年がキュッと白いワンピースの肩口を握っているのを見てハッとした。つい逃げるために飛んでしまったが町の家々の灯りを一望出来るような高さの不安定な空が怖くないはずがない。


「しょ、少年、大丈夫?」


また、返事がない。恐怖のあまりに声も出ないのかと思い少年の顔を覗く。そしてそれは杞憂であったと知った。


「…………!!」


恐怖に歪むわけでも、ぎゅっと目を瞑るでもなく、少し垂れた目をいっぱいまで開いて暗い町を煌々と照らす無数の灯りに見入っていた。彼の目には既に涙は浮かんいでなくキラキラとした光を映していた。


「……綺麗でしょ?」

「!……うん、すごく!」


少し興奮したような声色に見慣れた景色なのに私まで嬉しくなる。

だがそれもつかの間。私はこの子をおうちまで送っていかなくてはならない。


「この明かりの中に、君のおうちもあるんだよね?お姉さんが連れていってあげるから道案内をお願いできるかな?」


出来るだけ楽しそうにおどけるようにすることを心掛けたが、途端に少年の顔が強ばる。


「帰りたく、ない……。」


当たってほしくない予想がドンピシャで当たり一人頭を抱えた。帰りたくないでは困る。私は人の子を拐う趣味はない。ただ遊んで、それで日がくれる前におしまいなんだ。神隠しをした日には山神さまに私が怒られる。

そっと片手で頭を撫でながら優しく問う。どうして、という言葉はそっと胸のうちに止めて。


「お父さんやお母さんが心配しちゃうよ?」


手に力が込められる。


「……お父さんも、お母さんも、いない……、」


再び引っ込んでいた涙が溢れだしギョッとする。泣かれるのは苦手なんだ。落ち着かせるようにトントンと背中を擦りなんとか涙が溢れ落ちるのだけは防ぐ。


どうしたものかと天を仰ぐ。濃藍の空にはポッカリと月が浮かび満天の星の輝きを微かに奪っていた。


それを見ていたらなんだかどうでもよくなってきて、何となく笑いが零れた。


「……少年は帰りたくないんだね?」

「うん……。」


「じゃあ今晩はお姉さんと遊んでくれないかな?」

「へ……?」


僅かに涙に濡れた長い睫毛がぱちぱちと上下された。


「夜が明けたら君はおうちへ帰る。それで良いかい?」

「……い、良いの?」


「ふふ、良いよ良いよ。お姉さんひとりぼっちで寂しかったからね。」


そう言うと首に腕を回されぎゅうっと抱きつかれた。


「僕も……ひとりぼっちなんだ。」

「……そっか、じゃあ今夜はふたりぼっちだねぇ。」


ヘラりと気にした風もなく笑うと少年もハニカミながら笑ってくれた。


「それじゃ、散歩でもしようか。しっかり掴まっててね?」

「うんっ!」


楽しそうな少年を腕に、私はゆっくりと空中に踏み込んだ。一夜限りの神隠し。山神様も許してくれよう。

******


空中散歩もそこそこに少年は私の腕の中で眠りについた。はしゃぎ疲れた彼を起こさないようにそっと聖域に降り立つ。聖域は私の祠の側一帯の空間。本来なら何者をも侵入を許さない領域だが、聖域は少年を拒絶することはなかった。一枚の大きな羽織をどこからともなく出し、少年に掛けた。起きている間はとりとめもない話をした。少年の名前はシグレ。どんな字を書くのかはわからない。


何の疑いもなく私の膝の上で眠る少年の頬をそっと撫でた。彼の年は五つ。あと二年もすれば私のことが見えなくなると思うと、少し惜しい気がした。




空が白練りに色を変えた頃、少年をゆさゆさと揺すり目を覚まさせる。まだ寝ぼけ眼の少年を抱え、聖域をあとにした。


少しずつシグレからおうちの情報を聞き出す。

先生がいる。皆がいる。広い。人がたくさん。十字架。


言葉を繋げて想像する。


先生、というとどこかの学校の宿舎か何かか、修道院か、孤児院の施設か。彼の年から考えて修道院か施設。十字架はそのどちらにあってもおかしくない。


だが広い、人がたくさん、というと修道院ではないように感じる。彼の口ぶりからして、ミサや礼拝で一時的に人が増えるのではなく常に多くの人がいるようだ。


この辺りの孤児院、簡単に目星をつけてそれへ向かう。明け方とはいえこの時間帯に空を歩くのはあまり適切ではない。たとえ彼らからは見えていないとしても。


ひとつの孤児院の前で立ち止まる。


「君のおうちは、ここ?」

「……うん。」


閉まった門を飛び越え地面にシグレを降ろす。孤児院の左手にはなかなか立派な教会が建っていた。恐らくこの孤児院の所有するものだろう。少年が既に『主』のものだと思うと面白くない。


「そう、夜はあまり外に出ないほうが良いよ。」

「あ、あのっ!!」


手を離し祠へ戻ろうとしたとき、腰に抱き付かれる。


「……どうしたの?」


「ま、また……会いに行って良い……?」


不安げな顔に口角が上がるのを感じた。


「……いつでもおいで。」



シグレの腕を解き門を越え軽い足取りで町を歩く。彼が私のことを見ることができるのはあと数年。普通の子供なら一度遊べばお別れだが、彼はまた遊びに来るという。こんなに楽しいのはいつぶりだろうか?期待を胸に進んでいく。ジョギングをする青年と擦れ違うが彼に私は見えていない。それだけのいつものことなのに、それさえも愉快に思えた。


何より、嬉しかったこと。



『お姉さんの名前は何て言うの?』


『―――、』



自分の名前を最後に聞かれたのはいったい何十年前だっただろうか。誰に名乗る名前でもなかったが、自分でもちゃんと覚えていた。



『……鈴蘭、だよ。』


『鈴蘭!』



楽しそうに笑顔で私の名前を呼んだ。


ただ私を表すだけの名前だったのに、彼に呼ばれるとそれがとてつもなく素敵なものに感じた。私の中の何かが震える。



「ふふっ……、」



笑みが零れた。


山の麓まで行き、そして私は聖域まで駆ける。

昨夜いた良くないものは既に姿を隠していた 。


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