第五話
シリアスです。いじめの話になるので不快な人は飛ばしてください。飛ばしても話は通じるようになっています。
3年の時のクラスはなかなか賑やかなクラスだった。いや、多分うちのクラスだけじゃなく、他も似たり寄ったりだったんじゃないかと思う。
東中学は市内でも1、2を争う生徒の質の悪い学校だ。小学校の先生たちが手に追えずに丸投げした子だって何人もいた。在学中に少年院監察になって、一緒に卒業式に出られなかった人もいる。いじめや恐喝は教員にバレないような巧妙なやり口で、日常的に行われていた。今ニュースで話題にされているようなことに近いことは、よくあったのだ。
だから、その中ではうちのクラスは比較的落ち着いていた方だと思う。少なくとも、卒業してからもクラス会ができるほどには皆、仲が良かった。
――…でも、私はあの中でうまく生きることができなかった。
友達だと思っていた人に、私は裏切られた。
やや大人しい性格の私だが、当時、不良や悪目立ちする子たちと仲が良かった。教師をしている父の影響で、私は人に勉強を教えることに抵抗がない。それは誰に対しても一緒で、相手が不良だろうが何だろうが関係なく、聞かれれば教える。そのせいか普通の人が敬遠しがちな彼らとも交流があった。彼らは義理堅い所もあり、さりげなく周囲の悪意を含む言動から守ってくれていたらしい。
お陰で平和な学校生活を送っていた私は、言葉通り平和ボケしていた。
3年になった時、私は一人の女の子と仲良くなった。クラスの人でどちらかと言えば地味で目立たないような、小柄な子だった。派手なことが苦手な私とはすぐに意気投合をし、いつしかお互いに色んな話をする間柄にもなった。葵は渋い顔をして、「あの子はやめた方がいい」と言ったが、私はその言葉を聞き流してしまった。
あれは夏休みに入る直前だったと思う。その日は半日授業の日で、午後から部活があった。部活が終わり帰る準備をしている時、私は鞄に携帯電話が入っていないことに気づいた。東中学は授業中に使わなければ携帯電話は校内に持ち込んでも良いという緩い校則があるから、クラスの大半が学校へ携帯電話を持ってきている。
「ごめん、葵。先に帰ってて。教室に携帯忘れたみたい」
「教室に?五十鈴が忘れるなんて珍しい。あんた、学校では使わないじゃないの」
訝しげな表情の葵に、私は曖昧に笑って見せる。私自身、教室で携帯電話を出して使った記憶はない。でも、今日は移動授業もなかったし、何かのはずみで教室で落としたという可能性が高い。ふと、最近仲の良くなった友人の姿が脳裏を過る。そういえば、帰り…あの子は。
動揺が顔に出たのだろう。葵はきっぱりと
「私も行く。一緒に行こう」
と言った。
「大丈夫だよ、私。一人で行くから」
へらへらと笑みを浮かべて誤魔化そうとしたが、それを見つめる葵の真剣な目に、何も言えなくなる。
「…私の思い過ごしなら良いと思ってる。でも、噂が本当ならきっと、嫌な予感は当たってる」
「噂…って」
「五十鈴に前、柚葉の噂を話したの、覚えてる?」
柚葉とは3年になって知り合った今一番仲の良いクラスの女の子だ。
私はこくりと頷いた。以前葵が忠告してくれた内容を思い出す。
『柚葉は見た目大人しいけど、陰で人を貶めて喜ぶような子だって噂。実際、それで学校に来れなくなった子もいるみたい』
確かに葵はそう言った。でも私は一笑した。そんなのただの噂でしょ、と。
「でも、友達だから。信じてるの」
その言葉に嘘はない。けれど、その思いがぐらついているのも事実だ。
「とりあえず、教室に行こう」
私たちは荷物をまとめ、教室へと歩を進めた。
3年生の教室は本館棟の3階にある。階段を上り、自分の教室に近づいた時、やけに楽しそうな女の子の声が耳を突いた。
「本当、優等生ってチョロいよね。五十鈴ったら最初こそ警戒してたけど、少し仲良くしてあげたら信じて気を許してくれちゃうんだもの」
馬鹿な子。
扉の向こうで、聞き慣れた声が響く。扉に付いているガラスから中を覗くと、扉に背を向けて電話をかけている少女が見えた。
「柚葉…どうして」
思わず零れ落ちた声。それに彼女が気づく様子はない。きっと、夕暮れ時の教室に誰かが来るなんて想像もしていないのだろう。無防備な背中がそこにあった。
「うん…うん…。あ〜、そうだよねぇ。でも一つ誤算だったのは携帯の全ての機能にロックがかかってて開けられないことかなぁ。思い付くもの全部の番号入れたのに開かないんだ。アイツの鞄から携帯盗った所までは順調だったのに。面倒だよね。…あぁ、ははは。なるほど、確かにそうかも」
彼女の手元には私の携帯電話がある。
扉に手をかけた時、柚葉が嘲るような声が響いた。
「『私、目立ちたくないんです』なんて言いながら優等生で先生たちに可愛がられ、不良たちは可愛いだの何のって言いながらまるでお姫様のように守ってるし、挙げ句に親友があの酒井葵よ?誰より目立ってるくせに、うざい。五十鈴みたいな女、私は嫌い。毎日笑顔で話すのだって、本当は苦痛だった。
でも、アイツの泣いた顔が見れると思って我慢してたのに。これじゃ、時間の無駄だった。…そうね、うん」
体から力が抜けていく。
「そっか…そうだったんだ」
信じてたのは私だけ。彼女は私を嫌いだったのだ。陥れて泣かせたいくらいに。
扉の前で立ち竦む私の代わりに、葵が勢いよく扉を開け、突然のことで驚く柚葉に大股で近づき、彼女の左手を捻り上げる。
「い、痛い!」
顔を歪める柚葉の手から葵は携帯を抜き取り、「取り込み中だから」と言って一方的に通話を切ってしまった。
「な、何す、」
「あんた、最低だな。五十鈴を嫌うのは結構。それは別に良い。けど、こういう形で傷つけるのは人間のクズだ。
それにこれって窃盗だって知ってんの?」
葵の声がだんだん低くなっていく。唇は弧を描いているが、目は怒りに満ちていて、怖い。こんな葵を私は見たことない。葵が真剣に怒っている。
柚葉は恐怖に慄いた表情で、葵を見上げていた。遠目にも彼女の体がかたかたと震えているのが分かる。
冷笑を浮かべた葵は更に笑みを深め、柚葉の耳元に唇を寄せた。そして何かを囁いた。その瞬間、柚葉の顔が蒼白になる。葵が腕を離すと柚葉は崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。
「柚葉、私のこと、そんなに憎かったんだね」
私はぽつりと呟いた。
「でも私は楽しかったの。貴女といて楽しかった」
柚葉がくしゃりと顔を歪め、唇を噛んだ。
「そういう所が、嫌いだっていうのよ」
その声は震えていた。
その後のことはよく覚えていない。葵が静かに泣き続ける私を家まで送ってくれて、私はそのまま泣き疲れて眠ってしまった。次の日は休み、翌日学校に行くと、柚葉は欠席していた。
それからしばらくして彼女は転校していった。というのは表向きで、実際にはどうだったのかは分からない。実は過去に彼女が行なったいじめが発覚して家裁に送られたとか、家に引き篭っているとか、色々な噂があったし、先生たちも言葉を濁して詳しくは教えてくれなかった。
確かなのは、あれ以来私は柚葉に会っていないことと、葵は異常なくらい過保護になったこと。そして、私が他人を信じるのを止めてしまったこと。
私も葵も柚葉も、あの日を契機に変わってしまったんだと思う。少なくとも私は変わった。あれだけ信用していた葵のことさえ、本音では信用しきれていない。
ただ、葵と過ごす中で彼女にたくさんの優しさをもらってきたから、もし裏切られることがあっても彼女を許してあげられると思っているだけ。裏切られてもいい、と感じているから警戒しない。それだけのことだ。
葵はそんな私の気持ちをきっと知っている。知っていて、知らないフリをしてくれている。信用されていないと知る度に、傷ついているのだろう。
「私は葵を傷つけたいわけじゃないのにな」
なのに私は変われない。環境が変わったら、人間不信も改善されると思っていた。でも何も変わらない。
「変わりたいよ…」
胸を突く痛み。私はぎゅっと目を強く瞑り、布団に潜り込んだ。明日は今日より少し前向きになれるように願って。
五十鈴の警戒心が強くなった原因です。普段のんびりしている彼女ですが、実はこんな過去があるんです。碧は男前で、本当に五十鈴を心から大切に思ってます。
お粗末様でした。