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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 五章.物語の日、神話の午後
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■9 ドラゴンはなにを食べるか、知ってる? 【物語の日、神話の午後/完】

 放たれた火炎は、さながら浄化の火であった。

 リエッキの炎は左利きを包み込む障壁を、憎悪と絶望を編み上げて作られた呪詛の壁を完全に焼き尽くした。

 障壁の破壊で相殺しきれなかった衝撃により、左利きが独楽(こま)のように吹っ飛ぶ。

 呪使いはたっぷり数秒も空中を飛んだあと、石畳の地面に背中から落下する。


 左利きの魔法の形である杖は彼の手を離れて投げ出されていた。

 もはやあの寒さはなかった。共殺しの呪いは、完遂されることなく打ち破られたのだ。


 かつてない魔法の濫用らんようのせいだろうか、全身にのしかかるような凄まじい疲労があった。

 いますぐにへたり込みたい。そんな欲求をどうにか無視して、ユカはよろよろと歩き出す。

 宿敵に向かって。


 左利きに意識はあった。彼は、仰臥ぎょうがしたままの体勢で空を見上げていた。

 その瞳は、確かに青い空を映している。何も見ていなかったさっきまでの虚ろな目は、もうそこにはない。


 ユカは左利きの傍らに腰を下ろそうとした。

 すると、酷使された肉体が意思に対してささやかな抗議を示した。ゆっくり折ろうとした膝ががくがくと一気に崩れ、ユカはその場に尻餅をついてしまう。


「は……はは、あっははははは!」


 無様に倒れ込んだ語り部は、自分のその無様さがおかしくて、声をあげて笑った。

 それから、すぐ隣に倒れている宿敵に話しかける。


「決闘は僕の勝ちだね。うん、これぞ友情の勝利ってやつかな。やったね!」


 倒れたままの左利きににっこりと勝利を宣言して、ユカはもう一度笑い出す。

 そんなユカに、左利きは首だけを巡らして忌々しげな視線を送る。

 そして言った。


「……ずるいなぁ。やっぱり貴様は、ずるい」


 そうため息をついた彼からは、もはや先刻までの禍々しさは消えている。呪詛じゅそも憎悪も絶望も、その残滓すら感じ取れない。むしろ憑き物が落ちたような清々しい風すらあった。


「まぁそう言うなよ。だいたい君が熱くなりすぎたのがいけないんだからさ」

「それでもずるいものはずるいというのだ。ああ、断固としてずるい」


 むすっとして左利きはそっぽを向く。

 普段恐ろしいばかりの宿敵の子供のようにふてくされた様子がおかしくて、ユカの笑いはさらに大きくなる。


「ユカ!」


 さっきまで互いを殺さぬばかりの魔法戦を演じていた二人が妙に親しげに歓談を交わしていると、横合いから語り部の名を呼ぶ声があった。


「……リエッキ」


 人の姿に戻ったリエッキが、駆け寄って来たと同時にユカに飛びついた。


「ユカ! ユカぁ!」


 目にいっぱい涙を浮かべて、リエッキはユカに抱きついて何度も彼の名前を呼ぶ。

 鼻孔を満たすリエッキの香りに、彼女の抱擁ほうようの柔らかさに、ユカは思わず赤くなる。


 が、抱擁に柔らかさがあったのはつかの間のことだった。


「……え、あ……? ……い、痛! 痛い痛い痛い痛い!」

「あんたってやつは! あんたってやつは! あんたってやつは!」

「痛い痛い痛いたいたいたいたいたい! ごめ、ごめん! ごめんってば!」

「黙れバカ! なにが悪いかもわかってないくせになんとなくで謝るなバカ! こっちの気持ちも知らないで……このバカ! (たよ)るならもっと早く頼れ! それから、もっとわかりやすい言葉でわかりやすく頼れ! このっ! このっ! このっ!」

「ごめ、ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」


 ユカが必死になって(というよりは死にそうになりながら)謝り倒すが、散々心配させられたリエッキの怒りは収まらない。

 めきめきと音を立てながら、竜の力でユカを締め付ける。


 そんな二人の様子を、左利きが呆れた顔で見物している。


「そうか……まさかと思う瞬間は何度かあったが……やはりあんたがそうだったのか。……半年ぶりだな。いや、五年ぶりというべきか? 山の神よ」


 どうにか半身を起こしながら、左利きがリエッキに言った。


「……なるほど。私は、また貴様ら二人に負かされたのだな。五年前のあの日と同じように」


 そう言った左利きの口調はひどくさっぱりとしていて、少なくとも悔しさや恨みがましさとは対極の響きをもっていた。

 真に懐かしむべき思い出を懐かしんでいるような、そんな穏やかな微笑みが呪使いの口元には浮かんでいた。


 それからすぐに、リエッキに引き続いて、語り部と呪使いの関係者たちが続々と二人の元に集まってきた。


「……あれ、どうしてみんなが一緒にいるの?」


 ユカがそんな疑問を口にしたのもむべなるかな、魔法使いの三人と左利きの相棒、それに中年呪使いがそこには勢揃いしていた。

 特に色の魔法使いと左利きの相棒はすっかり打ち解けた様子で、事情を知らないユカにとって、この組み合わせは意想外の極みであった。


「旦那! 旦那ァ!」

「落ち着けよ、君の友人に目立った怪我はない。それにさっきも説明しただろう。どんな傷や痛みもこの俺が治してみせるって」


 血相変えて左利きを助け起こす相棒に、色の魔法使いが優しく言葉をかけてやる。

 踊り子がユカとリエッキにいっぺんに抱きついて、美人を台無しにして泣きながら、よかった、よかったと繰り返す。

 左利きの無事を確認して号泣している中年呪使いに、骨の魔法使いが手提げ袋から手巾を取り出してそっと差し出す。

 三頭の猫たちが、なぁおう、と間延びした声で鳴く。


 この日この場所に、何世代にも渡って続いてきた魔法使いと呪使いの確執かくしつはなかった。

 それどころか、二つの人種を分ける垣根すら存在していなかった。


 その様子はまるで、これから変わっていく世の中と、その新しい世界における魔法使いと呪使いの関係を象徴しているかのようだった。


「……旦那、こいつを」


 左利きの相棒が、投げ出されていた杖を持ち主に返した。

 差し出された杖をどうして良いのかわからずに、左利きは困惑する。


 そんな彼に、ユカが助言のように言葉をかけた。


「受け取りなよ。その杖は君が魔法使いであることを証明する物である前に、君が最高の呪使いであることを証明する物なんだ。それに君は、前に僕に言ったよね? 魔法使いである前に貴様の本質は語り部なのだ、って。その言葉、そっくりそのまま返させてもらうよ」


 左利きは、しばらく杖を見つめたまま動かなかった。


 しかしやがて、思い切ったように差し出された杖を奪い取る。

 そしてその杖をユカに向けて、言ったのだった。


「おい語り部。やはりさっきの勝手な勝利宣言は取り消してもらうぞ。一対一の決闘に貴様は相棒の力を借りたのだ。……ふん、なにが友情の勝利だ。今回は貴様の反則負けだ!」


 それだけを一気にまくし立てると、左利きはふんと鼻をならしてそっぽを向いてしまう。

 まるで気恥ずかしさを隠すように。


「やれやれ、君ってばそんなに負けず嫌いだったの?」


 ユカが、わざとらしいため息をついて言った。

 言葉とは裏腹に、彼にはこの状況と宿敵の態度が楽しくて仕方がない。


「あ、それじゃあさ。術比べのあとは知識比べといかない?」

「……知識比べだと?」


 ユカの提案に左利きが怪訝な顔をする。


「うん。僕の出す問題に君が答えられたら、今回の勝負は君の勝ちってことにしよう。で、答えられなかったり不正解だったりしたら……まぁ、引き分けってことにしておこっか」


 知識の勝負は君の得意科目だろ? とさらに挑発するユカ。


「……いいだろう。呪使いに知の分野で挑んだ愚かさを思い知らせてやる」

「よし、じゃあいくよ! 問題はずばり、『ドラゴンはなにを食べるか』、だ!」


 かくして出題はなされた。

 この場の全員が見守る中で、左利きは沈思黙考のうちに答えを吟味する。余計な情報を遮断するために瞳を閉じ、ある種滑稽なまでの真剣さで思考の輪を紡ぐ。


 やがて、閉じられていた瞳が開かれる。それと同時に解答もまた放たれた。


「竜が何を食って生きているか、それには様々な説がある。古くは生きた人間を食らうと言われたし、その派生として、重要なのは人間の肉ではなく魂なのだとの説も生まれた。また、象の生き血を吸うのだとも言われ、はたまた鉱物の中に眠る大地の精髄せいずいすするのだとも語られた。

 ……が、どれも間違っている。正解は、『なにも食わずとも生きていける』だ」


 おお、と関係者全員が思わず声をあげた。それほどまでに左利きの解答は完璧だった。

 だがこの応えに、ユカはしてやったりとばかりの笑顔を浮かべた。


「ふふ、残念! 不正解! 正解はね……」


 そう言って、ユカは傍らにいたリエッキを抱き寄せる。

 ユカの突然の行動に、リエッキが真っ赤になって抵抗する。


 そんな彼女をさらにぴったりとかき抱いて、ユカは答えを放った。

 まるでとっておきの悪戯が成功したというような、とびきりの笑顔となりながら。



「知らないなら教えてあげるよ。

 あのね、ドラゴンは蜂蜜が大好物なんだ!」

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