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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 五章.物語の日、神話の午後
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■6 最強の魔法使い 【物語の日、神話の午後/19】

 戦いは続いている。戦いは、少しの休息も挟まずに続けられている。


 その局面においてユカがとった行動は、次のようなものだった。

 まず、彼は本棚から『春のトカゲと冬のトカゲの物語』という一冊を取り出してかたった。これはトカゲやヘビあるいは魚など、鱗のある動物が日の光を浴びることによりやたらとすばしっこくなる性質に着目した魔法だった。左利きのもたらした晴天から日差しの強さに比例する素早さを獲得したユカは、どこかハ虫類じみた俊敏しゅんびんで我が敵を翻弄せんとする。

 このユカの企みに、左利きは即座に対応した。

 呪使いは少しも慌てずに呪文を唱えると、その終わりに特殊な足運びで三度地面を踏み鳴らした。すると左利きの足下からは地底の冷気が立ちのぼり、彼を中心にさながら真冬の威厳いげん()て真夏を浸食するが如き気温の変動が巻き起こった。トカゲたちが本能によって寒さを忌避きひするように、ユカもまた逃げるようにして左利きから距離を取る。

 続いて、今度は左利きが攻勢に転じる番だった。

 この()に彼が行使したのは、数ある呪使いの()(とう)の中でも雨乞い晴れ乞いに並んで有名なもの、他者の衰弱を願うまじないであった。古くから呪使いに求められてきた社会的な役割、その暗部を象徴するこの呪いが完遂されたとき、ユカに残された体力は割れがめから水が漏れ出すも同然に喪われてしまう……はずであった。

 だが、祈祷の内容から左利きの呪いが不吉なものであると悟ったユカは、呪いが完成される前に次なる攻撃をしかけたのだった。他者の不幸を祈願するその術が他の呪いと比べて長く煩雑であったこともユカに幸いした。

 祝祭の街には様々な季節の生花が飾られており、それは戦場となった広場も例外ではなかった。本棚から選び取った『百の開拓と十億の緑の物語』をユカが譚りはじめると、一本の柱を飾っていた花輪からすぐさま新たな芽が吹き出し、芽はたちまち蔓となって伸び近くに立つ左利きへと巻き付いた。巻き付いて花を咲かせ、さらに新たな芽を吹き出した。

 かくして祈祷の成就を寸前で妨害された左利きだったが、しかし彼は即座に思考を切り替えて別の呪いへと取りかかった。自分に巻き付いた(つる)(くさ)が凄まじい速度で繁茂していく様にも取り乱すことなく、呪使いは粛々と呪文を唱える。すると、いましも左利きを覆い尽くそうとしていた蔓草が見る間に枯れ果ててまた花も散り落ちた。後には干からびた植物の(おびただ)しい残骸だけが積もっていた。



 二人の攻防の様相とは、あらましこのようなものであった。

 おそらくは史上初となるであろう、魔法使いと魔法使いの本気の対決とは。



「ふふ、楽しいなぁ語り部。楽しい、楽しいよ。ああ、とても楽しい」


 戦いがはじまってから幾度となく繰り返してきた言葉を、左利きがまたも口にした。

 やはり、自分に言い聞かせるように。


 楽しい、楽しい。そう繰り返し言葉にしていながら、実際のところ、左利きは少しも楽しんでなどいないのだ。

 そのことはユカにもわかっていた。

 わかっていて、しかしユカはそれを指摘しようとはしない。


 自分はこの戦いを楽しんでいるのだと、楽しくて楽しくて仕方がないのだと、そのように己を騙さなければやりきれない宿敵の痛苦をユカは理解していた。

 だが、想像することはできなかった。

 成果だけを与えられることにより宿願を取り上げられて、人生そのものを著しく蹂躙されて、この尊敬すべき呪使いがいったいどれほどの絶望を味わったのか、それを想像することだけは。


 語り部は言葉の無力を痛感する。

 慰めもいたわりも、あるいは叱咤激励しったげきれいも、どのような言葉ですらもいまの左利きには意味をなさないのだと、痛いほどに理解している。


 いまのユカにできるのは、ただ胸を貸すことだけだった。

 魔法使いの先達として、互いに認め合った宿敵として、本気で、全力でぶつかりあうこと。

 彼にはそれしかできなかった。


 だから、戦いは続く。須臾(しゅゆ)の安息すら拒絶して戦いは続く。




 では戦いの(すう)(せい)は、どちらにかたむいたか?


 どちらにも傾かなかった。



 戦局の部分部分に目をやれば、そこには左利きを有利とみる印象が強い。


 なにしろ左利きには決定的な優位点があった。

 いちいち本を持ち替えなければ魔法を使いわけられないユカに対し、左利きは杖一本で様々な呪いを自由に使用することができるのだ。

 それに二人の使う魔法、物語と呪いの性質の差もあった。

 ユカの譚る物語はどれも平和なものばかりで、戦い向きのものは一つとして存在しない。

 一方左利きの呪いは、妄執と挫折と歪んだ怨恨えんこんいろどられた呪使いの歴史、その集積と呼ぶべきものであった。数多ある呪いの中には禍々しい効果を持つものも少なくはなく、それらはこと戦いにおいては凶悪な牙となった。


 しかしだからといって、ユカが左利きに引けを取っていたかといえばそうではない。


 覚醒直後の左利きに対して、ユカは魔法使いとして一日の長があった。

 それに生まれついての柔軟性と、子供のように自由な感性、発想力があった。決して戦い向きではない魔法の数々を、ユカはこの上なく効果的に運用して左利きに対抗していた。

 そしてなにより、この戦いの最中にもユカは成長していたのだ。

 彼の手にした魔法の物語はページ数を増し、ユカ本人もまた魔法使いとして新たな境地へと踏み込もうとしていた。

 恐るべき、誇るべき宿敵との戦いが、彼に飛躍的な成長をもたらしていた。



 戦局はどちらに傾くこともない。

 なぜなら二人は完全に拮抗きっこうしていたのだから。


 二人の魔法使いはこの瞬間、共に並び立って最強だった。


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