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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 五章.物語の日、神話の午後
83/141

◆20 呪使いの中の呪使い 【物語の日、神話の午後/13】

 呪使いたちは、いまや戦意という戦意を完全に喪失していました。

 語り部と、彼の為に炎に飛び込んだ少女の、いとも尊い友情の一幕を見せつけられて。


 憎悪は浄化されて、語り部憎しに暴走していた敵意は鎮静されて。この瞬間、彼らの上にあったのは、主観の上にも客観の上にも強烈に自覚される自悪の意識でした。

 もはや正義の挽回は不可能で、もはや悪の返上は能わず、演じてしまった醜態と消え去りたいほどの無様にひたすら羞恥して……彼らにはもう、再びユカに立ち向かう気力は残されておりませんでした。


 結果として、ユカは呪使いたちを完全に屈服させたのです。

 いいえ、最後に決定的な役割を演じたのはリエッキでした。ユカの企みすらご破算にして飛び出した彼女の必死の行動と裏表のない愛情が、呪使いたちの自意識にとどめを刺した。

 つまるところ、十重二十重に重ねたユカの企みなんて、リエッキのたった一つの真心(まごころ)には敵わなかった、ということです。


 消沈しきった呪使いたちの様子に親友の素晴らしさを再確認する思いを抱きながら、ユカはもう一度我が宿敵へと叫びました。


「ずいぶん待たせてしまったけど、君の出番だ! さぁ、僕たちの決闘をはじめよう!」


 はたして、呼びかけは届きます。

 いらえは一言も返さずに無言のまま、若き呪使いはゆっくりと人々の列から歩み出ました。

 数百人の呪使いの中の、唯一無二の一人。あらゆる意味で無敵のユカの、ただ一人の宿敵。


 左利き。


 ……ああ、読者よ!


 説話を司る神の忘れられた御名において。

 偶数と奇数にかけて、天穹の星の無限にかけて。


 読者よ、いまこそ誓いは果たされました。

 我々の主人公とその宿敵は、無双の物語師と眼光鋭き呪使いは、こうして数ヶ月ぶりに再会したのです。


「……貴様は、まるで物語の巨人だな」


 この再びの邂逅(わくらば)の場面において、最初に言葉を発したのは左利きのほうでした。


「貴様という男の凄みを、これでも多少は知っていたつもりだった。しかし今日、私はつくづく思い知ったよ。貴様は物語の巨人なのだと。物語から生まれ、物語で現実を侵食する小さな巨人。この場にいるすべての者が、もはや貴様の実体すら見失いかけている」


 聴衆と呪使いたちを見渡しながら左利きは言い、だがな、と続けました。


「だがな、私は違う。この私だけは貴様を見失わない。決して貴様を見失わず、決して見誤ることなく、等身大に貴様と相対することが、私にだけは出来る」

「過大な評価を賜った……とは思わないよ」とユカ。「君みたいな恐ろしい相手を向こうにまわすなら、こっちも巨人にくらいはならなくちゃ話にならないからね」


 二人を遠巻きに取り巻いている視線の、そのすべてが語り部と呪使いに集中しています。期待、緊張、畏れ……あらゆる感情が渾然となって、静けさの中に嵐の気配を醸成します。

 語るに及ばぬことでしょうが、他の呪使いたちが牙を抜かれた状態になっている中で、この左利きだけは正反対の状態にありました。

 彼の瞳には意思の力がみなぎっていて、それに、果たされた誓いと宿敵との再会への歓喜が溢れています。ではその彼の後ろ、呪使いの列へと視線を向けてみれば、最前列ではあの騒々しい相棒が、この時ばかりは静かに息を呑んで状況を見守っています。ユカの後方、本棚の傍らでリエッキがそうしているのと同様に。


 誰もが固唾を呑んで見ている中で、演じられる決闘とはどのようなものか?

 その開幕の合図は、いきなりの勝利宣言として発されました。


「だけど、残念だね。もはや決着はついた。僕の勝ちだ。いくら君でももう覆せない」


 出し抜けに、ユカがそう言ったのです。

 左利きが硬直します。ユカは続けます。


「君は恐ろしい相手だ。僕の認めるたった一人の宿敵だ。……でもそう、君だけなんだよ」

「なにを言っている?」

「わからないかな?」


 言いながら、ユカの表情が変化します。ひどく意地悪い笑顔に。


「今日はね、言ってみれば魔法使いと呪使いの代表戦のつもりだったんだよ。魔法使いの代表は僕、そして呪使いの代表はもちろん君でね」


 ユカは言い、言葉の出ない左利きには構わず、さらに続けました。


「だけど、ごめんね。君が登場する前に決着はついちゃった。君だって見てたろ? 君以外の呪使いたちのあの体たらく。百人、二百人、それとも三百人……もっといたかな? まぁ何人集まったのか知らないけど、まともな奴なんて君以外には一人もいないじゃないか」


 これじゃいくら君一人が頑張ったってもう結果は変わらないよ、とユカ。


「……まさか、その為に貴様は私に呪使いたちを集めさせたのか?」と左利き。「呪使いを一つところに集めて、いっぺんに心を折る、その為に貴様は……?」


 信じられないという表情の左利きに、ユカはあっさりと「そうだよ」と認めて笑います。


「いい加減呪使いたちにはうんざりしてたから、ここらで僕ら魔法使いとのひっくり返せない格の違いを見せつけてやろうと思ったんだ。そうすれば少しはおとなしくなるかなって。……でも、まさかここまでどうしようもない連中だとは思いもしなかった。ほら見てごらんよ。君が出てくる前に、おとなしくなるどころかもはや再起不能って感じじゃないか」

「……私を利用したのか?」


 愕然とした様子でそう言った左利きの声には、悔しさと憤りと、それでもまだ信じられないという響きが綯い交ぜに宿っていました。私は貴様を知っているのだと、ユカを睨んだ彼の瞳が言っています。

 貴様はそのような男ではない、私はそれを知っているのだと。


「利用したとも言えるし、そうじゃないとも言えるかな」


 ユカは平然として言い、それから、少しだけ目を細めて我が宿敵を見ました。


「僕は、呪使いという呪使いを軽蔑してるよ。でもさっきも言ったように、その中にたった一人だけ例外がいる。わかるかな、僕は君って男だけは認めてるんだよ」

「……なにが言いたい?」

「つまり、僕の目的は二つあったのさ」とユカ。「一つはさっきも言ったように、呪使いたちをやり込めておとなしくさせること。そしてもう一つが……君を救うこと」

「私を救うだと?」


 うん、とユカは頷き、煌めくように友好的な笑みを浮かべて言いました。


「呪使いなんてやめちゃいなよ。前にも言ったと思うけど、君みたいな男が呪使いをやってるなんてもったいないよ」


 左利きが、今度こそ凍り付きます。


「ねぇ、君はあらかた沈みかかった泥船に乗ってるんだよ? 今日のことで少しだけそうなるのが早まったかもしれないけど、どっちにせよ呪使いたちの天下は過去になりかけてた。権威にあぐらをかきすぎて、魔法使いたちのことを抜きにしても、呪使いはもうずいぶん世の中から疎まれてたじゃないか。君だってそれは肌で感じてただろ?」


 このまま呪使いでいたっていいことなんかなんにもないよ、とユカは言います。


「これが僕の目的の二つ目、君を呪使いっていう泥船から救い出すこと。君はずいぶん頑なだったけど、今日のことはいい薬になったんじゃない? だからほら、いまここで杖も鉄符も捨てちゃいなよ。なんならあの相棒さんも誘ってさ。ね? 呪使いなんて抜けちゃお――」

「黙れ!」


 ユカの饒舌を遮って、左利きが火の勢いで怒鳴りました。


「おとなしく聞いていれば……ふざけるのも大概にしろ! 呪使いは私の生き方だ! 呪使いは私の誇りだ! 私は……私は死ぬまで呪使いだ! 誰がなんと言おうともだ!」


 ユカはやれやれと肩をすくめて、馬鹿にするような調子でため息をつきました。


「頑迷だなぁ。ねぇ、まだわからないの? このまま終わるだけの呪使いと心中するのが君の人生なの? 君ほどの男が……呪使いの誇り? ハッ、そんなものあるなら見せてほしいよ」

「誇りはここにある!」


 どん、と左利きが我が胸を叩きます。叩いて、彼はさらに続けました。


「誇りなら、私のこの胸にある! それに、呪使いは終わらない! 沈みなどしない!」

「終わるよ。沈むよ。どうやってそれを止めるの?」

「私が終わらせない! 私が沈ませない!」


 喉も裂けよとばかりに、左利きは叫びました。


「確かに、我々はかつてあったはずの尊厳を失った。魔法使いを意識するあまり、嫉み、嫉むことに夢中になるあまり、相手を貶める以上に自分たちを貶め続けてきた。だが――」

「だが?」

「まだ変われる! 変わることができる!」


 そう叫んだ左利きの声は切実を極めていて、しかし悲壮さは少しもありませんでした。彼は自分の言葉を、呪使いは変わることができるというそれを、心から信じて口にしている。

 そのことはすべての聴衆と、そしてすべての呪使いたちにしっかりと伝わっていました。


 ええ、そうなのです。いま、広場は劇場と化しています。劇場と化した広場で、いましも、最後の演目は進行中なのです。

 題号をつけるならば、そう。『最後に現れた希望』とでもつけましょうか。 


「……そうだ、まだ変われる。我々の権威は失われるかもしれない。疎まれて、蔑まれて、これまでとは正反対の地位に堕するやもしれない。だが、それでも我々は終わったりしない! それでも我々は、そこから変わることができるはずだ!」

「今まで変われなかったのに、どうしていまさら変われると思うの?」

「私が変えるからだ! 私が変えてみせる!」

「君が?」

「そうだ!」

「できるかな?」

「できるとも! たとえ何年、何十年かかろうとも、私は必ずやそれをやり遂げてみせる!」


 若き呪使いは吠えて。信念を吠えて。そして、さらに続けます。


「今は多くの呪使いがそれを見失っている状況にある。だが、それでもいつかは必ず気づくことができる! なにしろ我々はいにしえから続く賢者の一派なのだ! だから――!」


 そこで、左利きははっとして、続けるはずだった言葉を途切れさせます。

 ようやく、彼は気づいたのです。先ほどまで消沈していた呪使いたちが、揃って自分を見ていることに。彼らの表情に、瞳に、なにかが兆し始めていることに。

 それは、ずいぶん長いあいだ呪使いたちから失われていたものでした。たった一人だけそれを持ち得ていた若き呪使いの叫びが、すべての同胞にも同じものを分け与えていたのです。


 すなわち、『誇り』とでも呼ぶべきものを。


「そうか……これが貴様の魂胆か」


 左利きが、愕然とした表情をユカに向けました。


「……忌々しい。口八丁の茶番の魔法使いめ」


 宿敵たる語り部は涼しげな顔をしています。なんのことかなとでも言うように首をかしげてみせたユカの表情は、邪悪な魔法使いのそれではなく、悪戯の成功した子供のようで……。


 ええ、そうです。語り部の企みは、これにてすべて完成したのです。


 自分が徹底的に破壊した呪使いの尊厳を、左利きに再生させること。そうしてこの宿敵を台頭させて、真に呪使いたちを代表する存在へと押し上げること。

 それこそが、ユカの描いた今日という日の物語の、その筋書きだったのです。

 自分がこの世でただ一人認めた宿敵である左利きならば、呪使いの中の呪使いである彼ならば、必ずやそれが可能であると、そう信じて。

 はたして、我が敵に向けたユカの信頼は、裏切られはしなかったのです。


 ……いいえ、違います。まだまだ、ここからが大詰めです。


「どうしたのさ、呪使い。言いたいことは、それでおしまいかい?」


 ユカが左利きを促して、言いました。


「いいや、そんなはずはない。僕は知ってるぞ。君が胸にしまい続けた言葉は、押し込め殺し続けてきた気持ちは、まだまだ、それほど山ほどもあるはずだ。……だったら、さぁ!」

「……ああ、そうだな。……ああ、ああ! ……そうだ、そうだとも!」


 左利きはユカに背を向けます。

 宿敵に背を向け、彼は居並ぶ同胞たちを見渡します。


 そこから先、左利きは、それまでのユカとの問答という体裁はかなぐり捨てて、直接呪使いたちに呼びかけ、語りかけ、訴えかけました。

 ユカの言う通り、左利きには言いたいことも訴えたいことも山ほどあったのです。

 物心ついた時から呪使いとして生きてきた彼。幼くしてこの道こそ我が道と思い定め邁進してきた彼。呪使いという道を誰よりも愛し、しかし愛するが故にやるかたなき憤りを感じてきた彼。


 いま、左利きはありったけの思いを言葉にして仲間たちにぶつけています。

 劇場と化したこの日この昼この広場で、若き呪使いはしがらみのすべてを忘れて同胞たちに訴えかけます。


 宿敵の一言一言が呪使いたちになにかを吹き込んでいく様子を、ユカはありありと見てとりました。

 同時に、呪使いたちが左利きへと送る視線に熱がこもっていく様も。


「呪使いよ、尊厳を取り戻せ! 迷信の霧を抜け出し、正しく論理の道を歩むのだ! 醜く肥え太った愚者を脱し、たとえ痩せさらばえていても誇りある賢者へと還るのだ!」


 彼の宿敵は、一日にして呪使いの社会の中に確かな存在感を示したのです。


 いいえ、それだけではありません。

 この後の左利きの振る舞いは、その場に居合わせた聴衆たちの心をも余さず打ちました。


 演説の終わりに、左利きは腰に差していた杖を抜きます。


「偶数と奇数にかけて、天穹の星の無限にかけて!」


 呪使いを象徴する装具を振りかざして彼が叫んだのは、次のような呪文でした。


「我ら不滅の老賢者の正当なる(すえ)! かの老人の母、海の乙女にして大気の精霊たる女神に呼びかけん! 我が求めに応じ天に雨雲を呼び、地に雨を降らせたまえ!」


 それは、呪使いという存在の代名詞たる、雨乞いの祈祷でした。

 いましがた迷信から抜け出せと叫んだ左利きが、迷信の最たるものである雨乞いの祈祷を執り行うその姿は、呪使いの堕落を認めながら「それでも自分は呪使いなのだ」と叫ぶ宣言として見る者の目に映ります。映って、強烈な想いを抱かせます。


「偶数と奇数にかけて、天穹の星の無限にかけて! 我ら不滅の老賢者の正当なる(すえ)! かの老人の母、海の乙女にして大気の精霊たる女神に呼びかけん! 我が求めに応じ天に雨雲を呼び、地に雨を降らせたまえ!」


 やがて、幾度となく雨乞いの祈祷を繰り返す左利きに対して、手にした杖を高く捧げて敬意を示す者が現れます。それは、彼の年上の相棒でした。すると、二人の後見人たる中年呪使いがそれに続き、さらにその輪は他の呪使いたちへと、次々に伝染してゆきます。

 その日その場に集っていたすべての呪使いたちが杖を捧げるに至るまで、さほどの時間は要しませんでした。

 数百の杖とそれが代弁する尊崇を一身に浴びる左利きを見つめながら、ユカは、この男が自分の宿敵であることを満天下に誇りたいと、そんな感慨に打たれておりました。


 ユカは左利きを見つめています。我が宿敵を誇る気持ちを胸一杯に満たしながら、劇的な登場を果たした呪使いたちの新たな英雄(カリスマ)を、語り部は見つめているのです。




 雨の最初の一滴がユカの頬をかすめたのは、その時でした。


次回の更新は本日中か明日31日です。文章量は少なめになる予定です。

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