◆3 ユカ
読者よ。
ユカの生きた時代には、神秘の担い手とされる人種は二つ存在していたのです。
魔術師という名の新人類が歴史の上に登場する、それよりもずっと前のことです。
その一つは呪使い。
彼らは儀式や呪文をはじめとした、体系化された論理や形式によって種々の神秘に働きかけようとした者たちです。
秀でた頭脳や才能を持つ者たちが幼少よりたゆまぬ努力を重ねることでようやく辿り着く狭き門……それが呪使いです。
古くより、権力の中枢には常に呪使いたちの姿がありました。天地万物の知識に通じた彼らはいかにも得がたい人材です。権力を有効に運用したい者たちはこぞって呪使いたちを重用し、また呪使いの方からも積極的に権力の座へと働きかけたのです。
こうしてあらゆる王城宮殿で信任も厚く遇され人々の尊敬も集めていた呪使いですが、しかし肝心の神秘の力については、彼らのそれはあまりにも不確かで目に見えぬものでした。
雨乞いをはじめとした各種の祈祷や儀式も、杖を振りかざし唱えられる呪文の数々も、確たる効果を発揮したという話はついぞ聞かれたことがありません。
神秘の担い手を標榜し、その為には藁にも迷信に縋った呪使いたちですが、実際のところ、彼らに備わっていたのはどこまでも現実的な能力だけだったのです。
さて、呪使いに対するもう一方の神秘の担い手……これが魔法使いでした。
呪使いが血のにじむ努力の果てにその門口へと到達するのと対照的に、魔法使いは志望してなるものではありません。
強い想念を心に秘めた者たちが、あるいはただ純粋に己の夢や目標に一念を捧げていた者たちが、ある日突然そのひたむきさを資質として覚醒する……それが魔法使いです。
むしろ、なりたいと思っている限りはけっしてなれない、そんな矛盾した存在だったのです。
では、魔法使いの振るう神秘とはいかなるものであったのか?
その霊験のほどは?
有り体に言って、それはまさしく奇跡そのものでした。
あらゆる痛みを消し去る癒しの色、無生物に生命を与える舞踏、万里を越えて人々の耳朶に染み込む子守歌……それらのいずれもが自然の法則など完全に無視したかのように即物的な効果を発揮し、もたらす結果もまた絶大なのです。
呪使いたちが重視した論理だとか形式だとかは、魔法使いたちには無縁でした。一人一人がそれぞれに個性を反映させた魔法を操り、奔放であるという一点においてのみ共通しているといったような有り様です。
魔法使いの力は天からの授かりもの、いわば彼らは与えられた者たちでした。
そんな魔法使いたちを呪使いたちが面白く思わなかったのは、当然といえば当然でしょう。
彼らは努力して、努力して、それでもなに一つ与えられてはいない者たちなのです。
翻って、思うがままに生きているだけで呪使いが欲してやまない力を呆気なく手に入れてしまった魔法使いたち。
呪使いにとって、その存在は面白くないを通り越してもはや許し難くさえあったことでしょう。
やがて羨望は嫉妬の暗い火となり、ついには憎悪となって燃えたぎりました。
かくて呪使いたちは自らの影響力を最大限に活用し、『魔法使いは邪悪な存在である』との風説を流布しはじめたのです。
己の仕える権力者に讒言を囁き、魔法使いたちを社会の闇へと追放しようと企んだのです。
いつしか悪意は成就します。年月をかけて噂は通説となり、さらに長い年月をかけて常識となります。
呪使いたちの企みを結果として助けたのは、他ならぬ魔法使いたちの純粋さ、風評の類に一切頓着しないその性格でした。
根も葉もない黒い噂の数々を正すこともなく知らずのうちに引き受けて、いつしか彼らはすっかり世の中の嫌われ者、邪悪の象徴へと貶められてしまったのです。
ユカが子供だったこの時代、その邪悪の筆頭は彼の母である骨の魔法使いでした。
魔法使いの魔法はそれぞれ形のある物品に宿ります。踊り子の魔法は舞踏の型を記した羊皮紙に、縫子の魔法は裁縫につかう縫い針に、切り絵師の魔法は鋏に。
骨の魔法使いの場合、それは動物の頭骨でした。
ああ、そして。ただでさえ邪悪の象徴とされる魔法使いに不吉な骨の印象が相乗すれば、導き出される答えは明白。
あの優しい母を、人々は恐ろしい魔女、呪われた女と、そう信じていたのです。
ユカは悲しいその実際を幾度となく目にし、それ以上に耳に聞きました。
お祭り見物の日に八つだったユカは、十歳の少年に成長しておりました。
あの最初のおでかけのあとも、母はたびたびユカを街へと連れて行きました。たいていはお祭りの期間とあって、街路という街路にはそこかしこに芸人の姿がありました。
その内訳には旅芸人の一座が含まれ、流しの大道芸人が含まれ。
それにもちろん、語り部たちが含まれています。
母と分かれて自由時間になると、ユカはいつでも真っ先に語り部たちを探しました。時間とお金の許す限りたくさんの語り部や吟遊詩人を。
そして、渡された小遣い銭のほとんどすべてを費やして、少年は彼らにこう注文を告げたのです。
骨の魔法使いの物語を聴かせてほしいんです、と。
語り部たちは楽器をつま弾き、楽器を持たぬ者は大仰な身振りをその代わりとし、請われるままに語りました。
物語の筋は多岐にわたっていて、その多様さが題材の人気のほどを窺わせます。
けれどもその中に、ユカの愛する母の実像を語ったものは一つとしてありません。
骨を食む醜女、墓を暴く簒屍鬼――ああ! いったい誰のことかと聞きたくなるような人物像! 呆れるより他にない虚事の数々!
そして極めつけは、なんといっても『童を拐かす鬼女』という一編です。
このお話に登場するさらわれた子供というのは、なんと赤子であったユカのことらしいのです。
おそらくは実の親が子捨ての罪悪感を誤魔化す為に魔女の伝説を利用し、それが語り部たちの創作と結びついたのでしょう。
そんな風に転嫁された罪と悪が、果たして他にいくつあるやら!
『私があなたを見失うもんですか。なんたって、私はあなたの母様なんだから』
最初にした約束通り、母はいつでもユカを見つけて迎えに来てくれました。
もちろん、現れるのは鼻のとんがった老婆でもなければ痘痕だらけの醜女でもありません。
いましがたそうと語ったばかりの語り部が見惚れるほどの、乙女のように若く美しい母です。
「……ねぇ坊ちゃん、こちら様は君のお姉さんかな?」
とろけた瞳で母を見る彼らに本当のことを教えてやれたなら、ユカはどれほどすっきりしたことでしょう。
こうして祭りの度に悔しさを味わいながら、それでもユカは物語を求め続けます。
彼にはすでに一つの決意があったのです。その為に、少年は語り部たちの一挙手一投足に注視の目を向け、語られる内容を超えて話術それ自体に耳を傾けました。
聴衆たる自分を見る話者の視線を逆に捉えて、翻った立場からそれを考察しました。
沈黙の空白の時宜と緩急、その効果を研究しました。
それらすべてを自らのうちに取り込んで、我が血肉とするために。




