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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 四章 かくれんぼでは鬼のことを
55/141

■9 宿敵

●━━━━━━━━━━━━━━━━━━●


 馬を使うにはいくつか問題があった。

 まず一つには、人ふたり(片方は人の姿をした竜ではあったが)とぎっしり中身の詰まった本棚を運ぶには馬以外に荷馬車も必要であったということ。時に道なき道を行く旅に、それはあまりにもそぐわない。


 そして問題の二つ目は、どこのうまやにも必ず勘の良い馬が飼われていたということ。

 リエッキが馬房に近づくや否や彼らは火に触れたような恐慌に陥り、それはたちまち他の馬たちにも伝染するのだ。

 これではおちおち買い入れる馬の吟味もしていられない。


 しかし馬を使えないことなんて、ユカとリエッキには問題でもなんでもなかった。


 二人は二つの脚で歩くのを少しも苦に思わなかった。それに、先を急ぐ焦りや性急さとも無縁だった。

 目的地への到達にはいつだって大きな満足と達成感を覚えたものだが、しかし同時に、彼と彼女はすべての寄り道を心から楽しむことが出来た。

 最上等の客室に無邪気に喜ぶ一方で、露宿の夜に寄り添って見上げる星々を二人はこよなく愛した。


 旅路の上で交わす益体のない言葉の数々と、不安の入り込む余地のない親密な沈黙。

 そうしたすべてを、ユカとリエッキは余さず愛していた。


 二人は影と形のように共にあって、だから、二人はあらゆる瞬間に満ち足りていた。


 そのようにして旅は続いた。ユカの故郷である、骨の魔法使いの森を目指して。

 ユカとリエッキは急がない。

 しかしその裏で、二人の敵は着実に追及の手を彼らに伸ばす。


 宿命的な邂逅であいを果たした酒場の夜から数日の後、ユカとリエッキは予定よりも早めに山越えの途についた。

 本来であればいましばらくは平野部の街道を行くのが定石であり易き道ではあったが、二人は敢えて険しい山道を選んだのだった。


 追っ手を意識して、ではなかった。

 街道は往路に通ったから今度は別の道を行こうと、道の分岐する場所でユカが笑顔でそう提案したのだ。


 山内には山内の暮らしを営む人々が存在する。平野の生活にはない不便さと豊かさがそこにはあり、街のそれとは趣のことなる倦怠と熱狂がある。

 二人は一つ目の村で闘鶏とうけいを見た。

 二つ目の村では熊いじめ(これは生け捕りにした熊を猟犬と闘わせる見せ物である。殺した熊の肉はその場で調理されて見物人たちに振る舞われる)も見物した。

 三つ目の村では夜を徹して燃やされる炎とそれを囲んで舞い踊る乙女たちを見た。

 四つ目の村では、葬列に加わった。


 そして、五つ目の村で歌を習い覚えた。


「山ん中を歩くときはなぁ、歌いながら行くもんだぁ」


 その猟師は歌の合間に二人にそう説いた。

 寡黙な風情の中年で、しかし驚くほど豊饒な歌声の持ち主だった。


「歌っておれば誰かしら同じ山に入ってるもんが耳に留める。そうすりゃ、たとえ行方不明になっても捜索の手がかりになる。それに狼やら熊やらも逃げてくれるしな」


 説明を終えると猟師は再び歌い出した。

 二人は顔を見合わせてなるほどと肯き、村を去るときには習い覚えたばかりの歌をさっそく口ずさんでいた。

 ユカの歌はお世辞にも上手とは言えなかったが、しかしそうであるにもかかわらず、彼は実に楽しそうに歌うのだった。


 きっと、だからなのだろう。

 リエッキの耳に、調子はずれな歌声は不快さとは対極の情調を備えて響いた。


 中秋の山々には際限なく続く落葉の音だけがあり、それが際だたせる静けさの中で親友の歌声は心地よく空に抜けた。

 時折どこからともなくこちらのものではない歌声が聞こえてくることがあり、そういう時には歌の聞こえる方向に「おおい」と声をかけた。すると相手も「おおい」と返してくれる。

 歌と共に教えられた、山路を行く者同士の声だけの交流術だった。


 だがその歌の便りが、ある日、思わぬ相手に消息を伝える結果となった。


 その午後も山内に歌を聴いた。山道は木々の合間を蛇行していて、道の先を見通すことは出来ない。

 しかし、どうやら歌は二人の進行方向から聞こえてくるようだった。


 いつも通り、ユカは歌のする方へと叫んだ。

 語り部の声は喬木きょうぼく灌木かんぼくの密生を容易に貫き、呼びかけるとすぐに歌声は止んだ。

 しかし、「おおい」と応じる声はなかった。


 返答の声の代わりに、近づいてくるのは馬蹄の音、二頭分のそれであった。


「おうおうおう! 聞いた覚えのある声にまさかと思や、やっぱりてめぇか!」


 普請ふしんの粗い山道を見事な馬術で駆け抜けてきた男は、馬上よりそう叫んだ。


 ユカとリエッキは同時に「げっ」と声をあげた。


 その男の顔を二人は見知っていた。

 以前、この男は二人の前に立ちふさがり、そしてある意味では二人を危機から救いもしたのだから。


「口八丁の講談師の本の魔法使いめ! ここで会ったが百一年目って奴だぜ!」


 捻りのない口上を叫ぶあの騒々しい呪使いに、二人は苦りきった顔をして肩を落とす。

 そして、遅れてやってくるいま一頭分の馬蹄と嘶きに、揃ってため息をついた。


 もちろんわかっている。

 この男がいるということは、あの男もいるということなのだ。


 そんな予想を証明するように、間もなく、後れを取っていたもう一人が到着する。


「くっ……くく」


 生々しい含み笑いが馬上よりこぼれ落ちた。


「犬でもあるまいに急に駆けだしてと思えば……まいったな。犬は犬でも、今日のあんたには訓練された猟犬も真っ青だ」


 年上の相棒が、まさに飼い主に褒められた犬のような顔になる。

 しかしそんな相棒には目もくれずに、遅れてきた呪使いは二人に――否、ユカに視線を据える。

 蛇の視線を。


 この日、酒場での邂逅からは既に一月以上が経過していた。

 あの夜の宣言通り、宿敵『左利き』は、こうして再び二人の前に現れたのだった。


「くく、語り部よ。ようやくまた貴様とこうして――」

「おうおうおうおう! ようやく見つけたぜ本の魔法使い及びそのツレ!」


 左利きの台詞を遮って、彼の年上の相棒が二人を指さして叫んだ。

 左利きが、引きつった笑顔で相棒を横目に見た。

 彼の中で芽生えかけた相棒への再評価はひっそりと帳消しになっていた。それに、にわかに張り詰めていた緊張感も。


 微妙な空気の中で、ユカとリエッキは互いに顔を見合わせる。


「……ねぇ、さっきから彼、本の魔法使いって言ってるよね?」

「……うん、本の魔法使いって言ってるな」

「……それってもしかして、僕のことかな?」

「……もしかしなくてもあんたしかいないんじゃないか?」

「おうこら! 俺らをほったらかしてなにをごにょごにょやってやがんだ!」


 呪使いたちを無視して密談を交わす二人に、放置された側の一人が抗議の声をあげた。


「……ちっ、とにかく……おうてめぇ、考えたじゃねえか。平らな道を捨てて山ん中に逃げ込むたぁな。おかげで旦那と俺は随分時間を無駄にさせられちまったよ」

「別に逃げ込んだわけじゃないんだけどなぁ。ただこっちの道のほうが楽しそうで――」

「だがしかし! おう、旦那に俺がついてたのはてめぇにゃ大きな誤算だったぜ! なにを隠そう俺ぁこういう山の育ちなのよ! 深山の天然温泉を産湯に使ったこの俺、とおになるまでは野山をでっけえ庭と育ち、山里のあれこれに通じたこの俺よ! 街場まちばじゃちっとばかし遅れを取ったが、しかしこういう土地でならそうはいかねえぜ!」

「語り部の僕が顔負けするほど良く喋る人だなぁ。でもね呪使いさん、相手を遮ってまで喋るのは良くないと思うよ。もし癖になってるならそれは絶対直したほうがいい」

「うるせえ余計なお世話だ! てめぇこそあの破滅的な音痴を矯正するこったな!」

「あっ! あっ! それこそ余計なお世話じゃないか!」


 呪使いの一言にユカが真剣な怒りを込めて頬を膨らませる。

 二者の低次元なやりとりを尻目に、リエッキはふと、この場のもう一人を見遣った。

 すると偶然か、あるいは彼女の視線を感じ取ったのか、左利きもまたこちらを向いた。

 二つの視線が意図せずに噛み合い、両者はしばし見つめ合う形となる。


 一月前に背筋を寒くした眼差しを我が身に受けて、しかしリエッキは、それが親友に向けられていた時ほどの脅威を感じなかった。

 むしろこうして正面から向き合ってみれば、その青年のまとう雰囲気はいかにも理知的、呆れと諦観ていかんの中にも見え隠れする意志の輝きは精悍そのものといえる。


 少なくとも、あの夜に垣間見た偏執狂じみた風情は、そこには皆無だった。


 二人の見つめ合いは、やがて左利きの方から目を逸らすことで終わった。

 リエッキを見ていた目を彼はなおも言い合う二人に据え、それから諦めたようにため息をついた。


 その仕草に、リエッキはなぜだか同類相哀れむような共感すら覚えた。


「……んもうっ、とにかくわかったよ。山育ちのあなたは手強い追跡者だ。実際さっきの駒使いは大したものだ。普請も最低限なら日々の往来に踏み固められたわけでもなく季節柄落ち葉だって積もってるこの山道を、あなたはならされた街道や石畳の街路を走るように馬を飛ばしてきた。なんたる馬術の巧みさだろう。うん、見事と言うほかない」

「いやまぁ、それほどでもあるが……んだよ、てめぇも少しは話がわかるじゃねえか」


 直截を極めたユカの賛辞に、呪使いが照れた笑顔を浮かべる。

 きっとこの男は私が今まで見てきた人間のなかで一等賞に単純だな、とリエッキは思った。


 そのときユカが、ちらりとこちらに目配せを寄越した。


「だけどね、こと馬の扱いについてなら、こっちにだってすごい達者がいるぞ」


 ユカは挑発的な笑みを呪使いに向け、それから、肩を抱いてリエッキを引き寄せた。


「なにを隠そう、ここにいる彼女はとある高原の少数部族の末裔なんだ」


 久しぶりの、あの懐かしきでたらめが親友の口から飛び出した。


「彼らは生涯を通じて馬と共にある。馬との付き合い方は一族の血に少しも薄められることなく受け継がれる。そしてね、代を重ねるごとにその技は磨かれて、いつしか特別な才能を開花させたのさ。手綱を取らずとも馬たちと相通じ、意のままに操る力を」

「けっ、眉唾だぜ。つまりなにか、そこの女にもそういう真似が出来るってのか?」


 いかにも、とユカは肯く。


「そうだなぁ、たとえばあなたのその馬だって彼女の手にかかれば……いや、手を触れる必要すらないね。目と目を交わすだけでその子は彼女の言いなりさ」

「はっ、おきゃあがれ! こいつとはもう一週間も苦楽を共にしてんだ! 並の馬より頭も良けりゃ勘も鋭い自慢の愛馬、主人を間違える不忠者じゃあねえってんだよ!」

「たった一週間でなにをそこまで……なら、彼女の能力を証明させてもらっていい?」

「おう、やれるもんならやってみろや!」


 口角泡を飛ばす調子でまんまとユカの挑発に巻かれる呪使い。

 ユカはリエッキににっと笑みかけて、他の馬より勘が鋭いなんて実に都合がいいね、と呟いた。

 リエッキはやれやれと首を振る。親友が自分になにをさせようとしているのか、彼女は既にしっかりと読み取っていた。


「それじゃ、今から彼女はその馬に命じてあなたをこの場から退場させるから、そっちは愛馬との絆と馬術の腕でそれに抗ってみてよ。……ようしリエッキ、ひとつ音痴呼ばわりされた僕の仇を取ってよ!」

「あんたの侮りがたい音痴についちゃわたしは向こうに賛成だけどな……」


 ため息混じりにもう一度首を振ると、リエッキは正面から馬の瞳を覗き込む。


 なにかを感じ取った馬が、怯えたように小さく嘶いた。

 実際勘の良い馬なのだろう。


 それから、リエッキは己の内側にある火を強くおもう。

 秘匿されている己の実相を、存在の水面下に喚起する。

 そして、仮初めの人の輪郭を喚び起こしたもので満たし、静かに点火する。


 人の姿のままで、彼女は竜の威圧を全身から発散した。


 瞬間、周囲の木々から鳥たちが一斉に飛び立つ。

 樹林の奥で猿たちが悲鳴じみて鳴き交わし、最後に、日の沈んでいないのにも拘らず夜の猛禽がほうほうと鳴いた。


 馬は恐慌に陥り暴れだし、それから、元来た道を逃げるように駆け去っていった。

 その背に、大声でなにごとか喚き続ける左利きの相棒をしがみつかせたまま。


「なんだか可哀相になるほど覿面てきめんに決まったね。うん、流石は高原の少数部族の末裔」

「……血に眠る父祖の声が聞こえたような気がするよ。茶番もいい加減にしとけってな」


 役柄に応じた台詞で不平を述べるリエッキに、ユカが声をあげて笑う。はん、彼女は呆れたと態度で示す。

 まったく、本の魔法使いだかなんだかよりも、こいつの場合は茶番の魔法使いとでもいったほうがしっくり来る。彼女はそんなことを考えていた。


 小休止にも似た安寧が二人の上に満ちる。

 しかし、束の間その空気を楽しんだ後で、二人はほとんど同時に表情を引き締める。


 そして視線を、この場に残るもう一人に向ける。


 左利きは、悠然とすらみえる所作で馬の首を抱きさすっていた。彼の馬は落ち着きなく前脚で地面を引っ掻きながら、それでも逃げ出さずにその場に留まっていた。

 まるで主の持つ強靱な意志と自制心、その薫陶よろしきを得ているかのように。


「……あの男にはどうも調子を狂わされる。先日、あの酒場での夜もこうだったな」


 馬を撫でながら左利きが嘆息する。

 馬は大きく身震いしたあとで、ようやく土を掻くのをやめた。左利きは褒めるようにその首を優しく叩いた。


 それから、彼はようやくこちらを向いた。

 秋空が冬の色彩を帯びた気がした。

 気温とは無関係の寒さが肌を刺した。


「それに、貴様もだ。今日もまた、見事な茶番で翻弄してくれたもんだよ。……いや、あの夜がはじめてではないか。四年前も、貴様はそんな風に我々を茶番でやり込めたのだ」


 豺狼さいろうの笑みが理知の横顔を覆い隠した。

 左利きの眼差しは、先ほどリエッキが覗いたそれとはまったく別のものに変貌していた。


 獲物を見る蛇の目、寒気を感じさせる湿った眼へと。


 どちらがこの男の本性なのだろう。

 それを判ずることが、リエッキには出来ない。


「懐かしいなぁ、貴様はまったく変わっていない。懐かしい、懐かしいよ語り部」

「なんだか、随分と嬉しそうじゃないか」

「嬉しいとも。再びまみえた貴様が、記憶にある貴様のままであったことが。そして、記憶の中の貴様よりもさらに手強く成長していたことが」


 嬉しい、ああ、大いに嬉しい。そう繰り返して左利きは笑う。

 それから、彼は言った。


「……懐かしいといえば、そこの女」


 出し抜けに名指されて、リエッキが虚を衝かれた顔となる。


「どうやったのかは知らんが、さっきのは見事だったぞ」

「……はん、そいつはどうも。けど、どうしてそれが懐かしいに繋がるんだよ?」

「あんたは美しい」


 リエッキの問いを無視して左利きは言った。

 唐突過ぎる物言いにリエッキが口をぱくぱくさせる。しかし相手は構わずに続けた。


「あんたは美しい。ことにさっきのあんたは一段と……そう、恐ろしいほどに美しかった。だから、我ながら馬鹿げているとは思うが、連想したのさ。

 あんたの畏敬を覚えるほどの美に、四年の昔、あの日に目撃した、幻想の獣を――」

「それで、君はいったい僕らを――いや、僕をどうしようっていうんだ?」


 リエッキに結ばれた視線を遮るように、ユカが彼女の前に立った。

 その瞬間、彼女は自分が極度の緊張に置かれていたことを、そして、親友によりそこから救われたことを知った。

 それから、いつもと違うユカの様子に気づき、ひどく意外な思いにとらわれた。


「君の目的は僕のはずだろ? 相手を間違えるなよ、呪使い」


 そう言ったユカの声には、それまでリエッキすら一度も聞いたことのなかった種類の意思が張りつめていた。

 それが敵意と名付けられるものであるということには、少し遅れて気付いた。


 二人の若人は無言のまま見つめ合う。

 双方ともに、揺るぎのない眼差しで。


 先に視線を逸らしたのは左利きだった。

 彼はどこか満足げに声を出さずに笑んだ。


「どうしようというのか、か。そうだな……とりあえず、特にどうもしない」


 あっさりと言って左利きは馬に跨る。

 彼は完全に拍子抜けしている二人に馬上より告げた。


「今日はここまでだ。生憎、相棒を探しにいかねばならぬのでな。あんなのでも一応相棒だし、あれでなかなか役に立つこともあるのだ。たとえば今日のようにな」


 それに、と左利きは続けた。


「それに今日、私は確信を新たにした。私と貴様は、やはりいかなる刃にも断てぬ因縁で結ばれているのだと。因縁……いや、きっとこういうのを宿命と呼ぶべきなのだろう。だから……物語の担い手である貴様であれば誰よりもよくわかっているだろう? 

 運命とか宿命とか言ったものから、人はそう簡単に足抜け出来ない」


 道理を説くような口調で言うと、左利きは相棒の駆け去った方へと馬首を廻らせた。


「もとより、我々の関係は今この場でどうにかなるような安いものではない。なら、焦る必要はない。それに貴様がどこに向かっているにせよ山路は長いのだ。幸いにも、な」

「ひとつ、聞かせてもらってもいいかな?」


 去りゆく左利きの背にユカが質問を投げた。


「君の相棒がさっき言ってた本の魔法使いって、あれは僕のことだよね?」

「そうだ。奴が勝手に名付けたのがはじまりだが、書簡(しよかん)やらなにやらで使っているうちにもうすっかり公式のものとして扱われているらしい。貴様には遺憾かもしれんがな」

「呪使いたちのあいだでは僕は本の魔法使い、か。公式にね」


 諦めたようにユカは相手の返答を噛む。

 そのあとで続けた。


「けど、君はただの一度もその名で僕を呼ばなかったね」


 肩越しにこちらを見ながら、左利きは鼻で笑った。なんだそんなことか、とばかりに。


「貴様の本質は物語師、語り部だ。本はただわかりやすく見えている表層でしかない」


 当然だろうとばかりに言い捨てて、左利きはそのまま別れも告げずに去っていった。

 ユカは長く息を吐き、そのあとで、リエッキに笑いかけた。


「やっぱりおっかないやつだ」


 ユカは言った。



「おっかなくて、でも少し面白い」

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