■ 長い物語は終わった。
酒場には沈黙が満ちている。物語が聴衆に沈黙を強いている。
当初の触れ込み通り、それは実に長い物語だった。
夜は更け、夕刻はいまや遠い。
しかし、中途で席を立った客は皆無だった。
物語に背を向けた者は。
「こうして彼は少女の前から姿を消しました。こうして、二人の物語は終わりを迎えたのです」
語り部は譚り続けている。聴衆はそれに耳を傾ける。
傾け続ける。
「その後の色の魔法使いについては、いましがた申し上げた通りです。魔法使いへの偏見を消すために、彼は色による人助けを再開致しました。
明確な目的の意識を得て、彼はもう迫害を恐れはしません。以前には白の絵の具を軟膏だと誤魔化して使ったこともありましたが、それももうしません。『自分は魔法使いだが』と堂々と名乗って苦痛にあえぐ人々を助け、その結果として罵声や暴力をお返しにもらっても、彼はため息すら必要とせずにそれを受け入れることが出来ました。
昨今、そうした彼の行いが実を結びつつあることは、物語の中途で述べた通りです。
さて、それではもう一方の主人公は?
青年と別れてからの、踊り子の少女は?
色の魔法使いと別れた時、彼女はまだ十六歳になったばかりでした。
はじめて心から愛した人との、はじめての別れ。失恋の痛手は彼女を大いに打ちのめしました。
ですが、彼女はいつまでも落ち込んではおりませんでした。祝祭の舞台に上がれば否が応でも恋人のいない空白を感じてしまうと気付いた彼女は、心機一転、今度は酒場を専門とした踊り子となりました。
彼女の演舞の冴えは無論、ところを昼の広場から夜の飲み屋と変えても一切の輝きを失いません。
むしろ、色の魔法使いが愛した健全な蠱惑というものはいっそう花開いて、酔客たちをさらなる陶酔の境へと誘いました。
ああ、そして、運命とはあらゆる瞬間に介在するものです。
恋人と別れてから三年後。十九歳となった彼女は一人の少年と出会います。
語り部を生業とするこの少年は目覚めたばかりの魔法使いで、自分が魔法使いであることすらまだ自覚していなくて。
つまり、色の魔法使いと出逢った日の彼女となにもかもを同じくする存在だったのです。
――この先、もしも君が今日の君に出逢ったら。
――そのときは、あたしが今日のあなたになる。
かつて恋人と交わしたこの誓いを、彼女は完璧なまでに果たします。
色の魔法使いが彼女にとっての良き師匠であったように、彼女は少年にとって最良の師匠となったのです。
そして、皆様。運命はなおも続きます。
いかにも、それは奇遇と呼ぶにはあまりにも運命的な巡り合わせでございました。
彼女が出逢ったこの少年の胸には、秘めたる志しというものがあったのです。
それは、物語ることにより魔法使いへの偏見を払拭するというもの。
これを聞かされた瞬間、彼女は自分でも理由のわからぬ精神の作用に貫かれて、口も利けなくなるほどの滂沱の涙を流しはじめます。
そして、涙ながらに少年に申し出たのです。
『君の理想の成就に、あたしも協力したい』と。
ああ、まっこと、運命とは諧謔を旨とする道化師です。
少年の理想を共有した彼女は、こうして、異なる天地に別れていながらにして最愛の人とも理想を共有するに至ったのです。
かたや色による癒しで、かたや踊りによる熱狂で。
互いに愛する人と相通じていることすら知らぬまま、二人は同じ地平を目指してそれぞれの活動を続けたのでした」
物語は終幕へと向かっている。もう間もなく、譚りは終わりを迎える。
そのことは皆わかっていて、しかし、それでも聴衆は一人として声を発さない。発せない。
「少年との旅が一年を数えた頃、彼女は偶然にも色の魔法使いの足跡に触れ、以降の旅を一人だけで歩むことを決意します。
色の魔法使いを探すために。愛する人と再び出逢う為に。
結局、我々の主人公たちは再会することが出来たのか?
それについては、各々方のご想像にお任せすると致しましょう。
ですが、その想像の一助となる余談を付け加えておくのも一興かと存じます。
二年前に終わった南の紛争のことは、皆様も記憶に新しいかと思います。
命という命が戦火という火にくべられる薪もさながらに呆気なく失われたこの戦の最中、戦時下の彼の地に伝説的に流布された噂がございます。
不思議な力で傷を癒してくれる膚絵師の噂です。
様々な逸話を残すこの膚絵師ですが、戦争が末期に及ぶにつれて彼の物語にはそれまでになかった要素が見られるようになります。
なんでも、この膚絵師の連れ合いは臈長けた美女で、しかも良人と同様に不思議な力を持つ踊り子であった、とか。
他にもございます。
最近あちこちで評判になっている踊り子、その名も『瞳の祝福』と呼ばれる希代の舞姫には、その演舞の冴えに負けず劣らずの練達の膚絵師が同行している、とか。
説話を司る神の忘れられた御名において、今宵の物語は、これにて本当に終幕です。
最後に、踊り子の少女、長じては空前にして絶後の舞姫となった彼女が口癖のように愛用していた台詞を引用し、これをもって結びの言葉と代えさせて頂きましょう。
――愛の力とは、実に偉大なものなのです」
長い物語は終わった。語り部は立ち上がり、聴衆に向けて丁寧に頭を下げた。
その語り部に、しかし拍手や喝采を送る者は皆無だった。
聴衆はみな、声を殺して泣いていた。




