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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
◆ 譚章 色の魔法使いの挿話
42/141

◆8 俺にその役割を求めたのはあんたらじゃないのか?

 懐を検めてみれば、出てきたのはやはり見覚えのない顔料瓶でした。

 黒の中の黒の。

 反対の物入れにある色とは、あらゆる意味合いで対極に位置する色。


 それは青年の……色の魔法使いの、二つ目の魔法でございました。


 差し迫った状況も忘れて、青年は顔料の小瓶をしばし眺めます。

 蓋している木栓を抜いて、その内側にこごっている色を覗き込みます。

 それは紛れもなく、彼が今まで消し続けてきた色でした。

 ですから、彼は己の二番目の魔法がどのような効果を持ち、どのような結果をもたらすものなのか、考えるまでもなく理解しています。


 理解して――しかし彼は一秒の半分も躊躇ためらいませんでした。

 状況が命じている行動はただ一つで、だから決断すら必要とせずに、彼は舞台へと一歩を踏み出しています。


 さながら白昼の幽鬼と化して、目の前で展開される正義の現場へと向かいます。


「……? おい……おいってば! なんだてめぇは!」


 突然……と言うには静か過ぎる足取りで近づいてくる青年を、少女を包囲する男たちの一人が誰何すいかします。

 荒事乱暴を生業としてきたらしいのが態度からも明白な破落戸ごろつき。見渡してみれば、豚貴族が集めたのは程度の差こそあれ似たような男たちばかりです。


「酔ってるわけでもなさそうだなヤサ男。おい、取り込み中なのが見てわかんねえか?」

「わかってるからこうして出てきたんじゃないか」


 凄みを利かせる破落戸に、怯みもせずに青年はそう答えます。

 感情の起伏を失った、ひどく平板な声で。


 それから、彼は絵筆を一閃します。


 男の右上腕に、黒一文字が引かれます。

 そこにあった古傷をなぞって。


「おい、それは刃物の傷か? いや、せっかく治りかけてたのに気の毒をしたな」


 同情など欠片も感じていない口調でそう告げて、青年は絵筆に顔料をつけなおします。

 どっぷりと色を含んだ穂首ほくびから、殺人の刃が血をしたたらせるように黒が滴りました。


 直後、絶叫が広場をつんざきます。

 勲章のように自慢としていた大きな刀疵かたなきずから盛大に血を噴き上げて、さっきの破落戸が衆目もはばからずに情けない悲鳴をあげています。


「痛いなぁ。見るからに痛い。ああ、まったくいたい」


 破落戸を見つめたまま、片眼を閉じた青年が言います。

 やはり感情のこもらぬ声で、死者ですらが怖気を催すような無慈悲の口調で。


 周囲の視線が、舞台上と観客席のすべてを合わせた数の視線が、青年へと集まります。

 あの日と同じだ、曖昧な思考の片隅で彼はそう思います。

 父に殴られたあの日と、母に泣かれたあの日と、故郷を追われたあの日と……ああ、これはまるっきりあの日の再現じゃないか。


 どこからともなく笑い声が聞こえました。

 破落戸のあげる悲鳴を圧する、けたたましい哄笑こうしょうが。


 それから、ややあって青年は気付きます。

 笑っているのは、他ならぬ自分なのだと。


 あまりのおかしさに、彼は笑わずにはおれなかったのです。

 十三の夏、彼は正しいと信じた行動の結果として視線のとげを浴びました。

 そして今、彼は憎悪に駆られて絵筆を取って、その結果として同様の視線を集めているのです。


「つまり、最初から正しいも間違ってるもないのか? 善も悪も、白も黒も、同じなのか? 俺は……俺たちは結局、どう足掻いても悪として生きるしかないのか?」


 笑いが勢いを増します。絶望に抗うように、喉から血が出るほどの声をあげて彼は笑います。

 それから、それはぴたりと止まります。


「……そんなこと、わかってる。俺が悪であることなんて、もうとっくに知ってる。そんなこと、とっくに諦めてる。だから、だからそれはもうどうでもいい。故郷を逐われてからの四年間で、それは嫌と言うほど思い知ったんだ……思い知らされたんだ」


 ああ、いまにして思えば渇いた四年だった。荒れ地のような四年だった。

 だけど……だけど、四年のその先はどうだった? この一年余りはどうだった?


 青年は視線を走らせます。舞台上に、いましも己の立っている場面上に。

 そして、言葉を失っている男たちの真ん中に、求めていた姿を見つけ出します。


 不毛で在り続けた彼の人生に潤いを与えてくれた少女を。

 彼という荒野に咲いた花を。

 愛する人を。




 その瞬間に、狂気の毒は彼の精神を完全にむしばんだのでした。




 そこから先の彼は、さながら色の修羅でした。

 黒が一閃され、黒が穿うがたれ、そして黒がばらまかれます。


 いくら殴られようとも、いくら蹴られようとも、彼は身体の動きをほんの少しも停止させません。ただ「いたいなぁ」と他人事のように呟いて、己を捕まえている手があれば即座にそこに絵筆を走らせます。

 そうして拘束の手をつぶしたら、すみやかにその持ち主が再起不能になるまでいたみを塗りたくります。


「あく……あくまめ! 悪魔めぇぇぇ!」

「そうだよ。だけど俺にその役割を求めたのはあんたらじゃないのか?」


 恨みの絶叫に涼しげに応じて、さらに、さらに。

 青年は、血に酔うように色に酔います。


 そうだ、僕に、俺に、それを求めたのはお前らだ。俺はもうずっとその役割を押しつけられてきたんだ。

 それについて恨み言を言うつもりはないよ。なかったよ。

 だけど、お前らは俺だけでなく、ついに彼女にまで……。


 ――ああ、憎い。俺は、正義おまえらが心底憎い。


 黒。黒。黒。黒の繚乱りょうらん

 それまで消し続けてきた分をすべて還元するかのように、青年は舞台上に黒を播種はしゅします。

 状況を飲み込めずにいる観衆たちの前で、演じられるのは奇妙な殺陣たてです。斬られ役はみな意味不明のうちにやられる三流ばかりで、しかし苦痛の表現においてのみ迫真を極めています。

 そのちぐはぐさが観衆たちに最終的な判断を許さないのです。

 なぁ、これって最初に舞姫が取り囲まれた時からはじまってる余興じゃないの?

 誰もが半ばそう信じ込んでいるほどです。


 乱闘の最中に絵筆は失われます。

 ですから青年は、すでに己の指を絵筆にして……いいえ、てのひら全体に顔料を出して男たちに迫ります。

 暗黒の手を伸ばして。死の鷲掴わしづかみで。


 そしていよいよ、残るはあの貴族と呪使いだけとなりました。

 無様に腰を抜かしている二人に、青年はゆっくりと歩み寄ります。


「ねぇお二人さん、さぞや……さぞや嬉しいでしょう? だって僕はほら、あんた方が望んだ正真正銘の邪悪な魔法使いなんですから。ねぇ、だから……ほら、もっと嬉しそうな顔をしましょうよ? そんな風に絶望的な顔をするのは、間違ってる」


 だって、絶望しなきゃいけないのは僕らのほうなんだから。

 無限に苦痛が湧きでる小瓶から、青年は再びたっぷりと黒を両手に掬います。

 あれだけ使ったというのに、瓶の中身は少しも目減りしてはおりません。

 青年の中の、浄化されない憎悪を象徴するかのように。


 そして。

 闇よりも濃い暗黒の両手が、腰を抜かす二人へと伸ばされ、掴みかかって――。


「やめなさい!」


 制止の叫びが投げかけられたのは、そのときです。

 あまりにも親しい声でした。あまりにも愛しい声でした。


「やめなさい! ……やめて!」


 振り返った青年が見たのは、倒れた男たちのただ中に立ちつくす少女の姿でした。

 悲しそうな顔をして、彼女は彼を見つめています。

 今にも泣きだしそうな顔をして。

 しかし、けっして眼は逸らしません。逸らそうとしません。


 青年を支配していた狂気と憎悪が、潮が引くように消え去ってゆきます。


「……やめよ? ね?」


 考えを廻らせるよりも先に、青年はその場から逃げだしておりました。

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