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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
◆ 譚章 色の魔法使いの挿話
39/141

◆5 目の前の小さな運命と、その先にあるなにか大きなもの

 さて、露骨で実際的な面からお話ししてしまえば、その一番で少女が貰い受けたおひねりの多寡たかは、一座に所属するすべての芸人と楽師、それに彼女の仲間の踊り子たちが一カ所の興行で稼ぐひっくるめてもまだ及ばぬほどのものでした。

 その半分に残りの半分の半分を加えた額をぽんと差し出して、少女は座長に申し出ます。


「あたしはあたしを買い取ります」


 この宣言に青ざめたのは、もちろん他ならぬ座長です。

 これまで粗雑に扱ってきたうずらの子が金の卵を産む鵞鳥がちょうであったと気づき、ご機嫌取りの裏側でこれから彼女がもたらすであろう利益に算用を廻らしていた彼でした。

 あたふたと慌てふためき、言い訳にもならぬ言い訳を重ね、さらには破格の待遇を約束して……募らせる慰留は必死の中の必死という見苦しき様です。


 と、そこに鋭くくちばしを挟んだのは、どさくさの中その場に居残っていた我らが主人公。


「『へっへっへ。いやいやいや、これは見事な商売ですなぁ座長さん』」


 見えない兄が入れ知恵する台詞をぎこちなく反復して青年は言いました。


「『厄介者の小娘に値千金あたいせんきんとは羨ましいったらない! まったく拝んであやかりたくなるほどだ!』――(おい兄さん、さては楽しんでるだろ?)――『え? おひねりは一座の収入みいりだからそもそも彼女の自由にはならない、って? いやいや、そいつは無理な言い分だ。この子が舞台にあがる前のあんたの台詞、あっしはこの耳でしかと聞きやしたぜ。ここから先は一座とは無関係、そこんとこ忘れるんじゃねえ、と。なぁ座長さん、いかにもそこんとこ忘れちゃいけねえ』」


 嘘くさい口調で弁舌を垂れる青年に、座長が蛇を見るような憎々しい眼を向けます。

 しかしまもなく、彼はがっくりとうなだれて自分の負けを認めたのでした。


 こうして、少女はいましめであった借金を返済し、晴れて自由の身となったのです。


 揃って一座の天幕を出た後で、少女は再び青年に抱きつきます。

 抱きついて、彼女は言いました。


「くだらない連中とはおさらばできたけど、でもあたしはまだ十四歳で、か弱い女の子で、だから、誰か大人の庇護ひごが必要だと思うのね。それで……あなたには責任、あると思うの」

「……責任? 責任って、なんの?」


 戸惑いもあらわに問い返す青年に、少女は猫のような笑顔を向けて続けます。


「まずはさっき座長を見事言い負かしてくれた責任。それに、きまぐれな情けをあたしにかけた責任。そうして、あたしの人生に首をつっこんだ責任」

「至る所に責任が生じるんだな」


 青年はそうぼやきます。


「そうだよ。あなたは他にもたくさん責任を背負ってるの。あなたはあたしを踊れるようにしてくれた。自信と、立ち向かう勇気をくれた。割れるほどの拍手と喝采を浴びさせてくれた。あたしを綺麗だって言ってくれた。あなたはその全部に責任があるの。

 そして最後に、運命的にあたしと出会った、その責任も」


 十分じゃないのに十分だなんて、もう言わないよ。あたし、全然十分じゃないから。


 最後にそう付け加えて、青年に回した腕にぎゅっと力を込めます。逃がしはしないとでも言うように。責任の履行りこうを求めるように。

『責任重大だなぁ、おい』

 真っ赤になって固まる青年を、見えない兄は心底楽しそうに茶化したのでした。



   ※



 運命、いかにもそれは運命でした。


「僕が自分以外の魔法使いと出会ったのは四年前、その人は針の魔法使いっていう仕立屋の老女だった。針の魔法使いは魔法の力を秘めた縫い針を十三本も持っていたんだ。だけど僕がそれを借りても、薄手の布きれに細い糸を通すことすらできなかった」


 不思議そうに顔料の小瓶をめつすがめつしている少女に青年はそう説明します。

 彼が扱う限りにおいては水に溶かずとも指にも筆にもすくえる癒しの乳白色は、しかし少女が同じようにしようとしても樹脂のように凝固して一切用途を成さないのです。

 魔法使いの魔法とはこのように、使い手以外が手に取るとたちまち無用の長物と化してしまうものなのです。


「君の羊皮紙もそうだろう? 踊りについて無学な僕がこれを読めないのは当然として、でも君の踊り子仲間だってやっぱり読めなかったんじゃないか?」

「うん……そうだと思う。立派な羊皮紙に落書きなんかしてってバカにされて、ずっと不思議に思ってた。てっきりそういう嫌味なのかなって考えてたんだけど……そっか、ほんとにみんなには読めなかったんだ」

「この羊皮紙は世界中で君にしか読めないんだ。僕の色が僕以外には手繰たぐれないのと同じように。魔法使いの魔法っていうのはみんなそういうものなんだ」


 まるで自分を抱きしめるように少女が羊皮紙を抱きしめます。

 その姿を見つめながら、青年はひとりがえんじています。


 なにを?

 もちろん、運命を。


 彼は語りました。

 それまで己が何者であるのか自覚すらしていなかった少女に、魔法使いという存在について放浪の中で自分が知り得た、あらゆることを。

 きっと定められていたのだ、と色の魔法使いたる青年は思うのでした。

 針の魔法使い、あの親切な老女に少年の日の自分が出逢ったときから、きっとこれは定められていたのだと。温かいスープと一緒に魔法使いのいろはを説かれたときから、それをこの少女に伝えることは。


 彼はさらに語りました。

 目の前の小さな運命を肯定して。

 そして、その遥かな先にあるなにか大きなものを、漠然としながらも予感して。


「……この先、もしも君が今日の君に出逢ったら」


 語るべきことをあらまし語り終えたあとで、青年は最後に付け加えました。


「つまり、右も左もわからない、もしかしたら自分が魔法使いだってことすらわかっていないような魔法使いと出逢ったら――」

「そのときは、あたしが今日のあなたになる」


 青年の言葉を遮って、少女がその先を引き継ぎました。


「その駆け出し魔法使いさんに、今日あなたから教えてもらったことを、今度はあたしが教えてあげる。うん、きっとそうする。約束するわ」


 どこかに決然としたものを秘めた表情で応じ、少女が小指を差し出します。

 その小指に遠慮がちに自分の小指を絡ませながら、青年は思います。


 きっと、これはまだ終わらない。まだまだ、これはどこかにつながっていくのだ。

 その行き着く先を僕が知ることは、はたしてあるのだろうか?


 ……いや、なんにせよ、大丈夫だろう。きっと悪いようにはならないはずだ。

 小指で繋がった少女の真剣な眼差しを瞳と同様のまっすぐな予感として捉えて、青年は心中に安らかな息をひとつ落としたのでした。

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