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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 三章.だからわたしが背負ってやるよ
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◆7 左利き

 こうして踊り子は物語から退場します。

 こうして、ユカとリエッキは姉たる存在との別れを経験したのです。


 ですがそれは、けっして喪失などではありません。

 他のすべての家族がそうであるように、彼らという家族もまた離れていてもつながっているのです。

 だったら、悲しみを感じる必要なんてありましょうか?

 不幸を思う必要なんて、ありましょうか?


 ユカとリエッキは再び二人だけの旅に戻りました。

 あてどもない旅のための旅、明日の進む道は明日になってから決めるというような、行き当たりばったりの気ままな旅を。

 その後の数年、彼らの姿は山脈の高原地帯にあり、かと思えば低地の商業都市群にあり、さらには原生林に暮らす部族の集落にありました。

 幾多の海峡を越えて、数多の領土を股に掛け、成り行きと心の赴くまま、二人はあらゆる土地を旅から旅に旅します。

 ときどきは離れた姉のことを思い、彼女と共に過ごした日々を懐かしんだりしながら。


 ところで、二人の旅の軌跡は、一種意外とも思われる形で各地に残されておりました。

 芸の相方とも呼べた踊り子が不在となったあとも、もちろんユカは語って、語って、譚り続けます。夜の酒場で、あるいは昼の市場や縁日で、また、(まれ)には招きを受けた貴族の館などで。

 母である骨の魔法使いのそれをはじめとした物語は、常に聴衆たちに涙を()いりました。


 そして物語は聴き手に次のように自問させ、さらに自答させたのです。


 ――魔法使いは本当に邪悪な存在なのだろうか?

 ――いやいや、断じて否!


 と、このように。


 あたかも笛吹男が通った街からすべての(ねずみ)が消え去るように、二人が通り過ぎた街からは魔法使いに対する偏見があらかた消え去っておりました。

 譚ることにより母の名誉を回復し、物語を武器に魔法使いへの偏見を(ふっ)(しょく)する。

 その宿願を、ユカは知らず知らずのうちに成就させつつあったのです。



   

 ですが、こうした世相の移り変わりに業を煮やす勢力が、一つだけございました。

 魔法使いの神秘の力を(ねた)み、長の年月にわたって彼らを(おとし)め続けてきた者たち。

 そうです。呪使いたちです。


 魔法使いの物語を、ひいては魔法使いに対する好意の感情を人々の心に()(しゅ)して歩く語り部の存在は、呪使いの社会ではすでに無視できぬものとなっておりました。

 もちろんそこには感情の問題があります。神秘の担い手を自称しながら、しかし肝心の神秘にそっぽを向かれ続けてきた呪使いたち。

 彼らにとって、魔法使いとは存在そのものが(のろ)いであり我が身にとっての批判。


 そんな魔法使いの名誉を謳う語り部……忌々しい、と()(ぎし)りするばかりです(こうした傾向は比較的年配の者たちほど、すなわち、年功序列の原則が(まか)り通る呪使いの社会では高位にある者たちほど顕著でした)。

 そしてさらに由々しきことには、魔法使いの名誉が回復されるということはつまり、魔法使いへの偏見を煽り続けてきた呪使いに(さい)()の目を向けさせるということ。

 昔と比べて呪使いの影響力が衰退した昨今にこれは、いとも痛恨、いかにも大問題です。


 たった一人の語り部の存在が、一大権威たる呪使いを大いに揺るがしていたのです。



   ※



 さて読者よ。

 ここでもう一度、物語の視点をユカたちから別の人物へと移しましょう。


 その青年は名を『左利き』と申します。

 言うまでもなく、これは(あだ)()です。

 ですが、これより数年の後に人々は彼をそのように呼ぶようになります。世の多くの左優位者をさしおいて、左利きといえばたった一人、彼という個人を指す呼び名として用いられるようになるのです。

 ですから読者よ。数年を先取りして、この物語では登場の瞬間から彼を左利きと呼びたいと思います。



 左利きは若くして優秀な呪使いでした。

 幼児の時分から人並み超えて利発で、代々呪使いを輩出した家庭環境も手伝って早くから『この道こそ我が道』と人生を定めて両親を歓喜させる孝行な息子でした(まぁ、本人には親孝行のつもりなど少しもなかったとしてもです)。

 少年時代には誰しもから神童と褒めそやされた左利きでしたが、ですがそれで浮かれていい気になるようなこともありません。

 あらゆる楽しみに対して無欲に、しかし知識と経験に関してはひたすら貪欲に、彼は揺籃ようらんと青春のすべてを呪使いの修行に捧げてまいりました。


 そして神童は神童のまま、ただ一度として(ぼん)(ぞく)()することなく青年となります。

 もはや彼は神童ではありません。多くの呪使いが期待を、羨望を、あるいは嫉妬を込めて、『天才』と彼を賞賛します。

 ですが、若さに見合わぬ左利きの能力と栄誉とは、天が与えたもうたものではありません。

 彼はただ努力によりそれを手にしたのです。

 類稀たぐいまれであったのは彼の才能ではなく、呪使いという道に対する信念のほうだったのです。


 そう、天は呪使いになにも与えない。

 若くして、左利きはそう悟りきっておりました。

 それは別に、ふてくされた感情から生じた(てい)(かん)ではありません。


 与えられるのを待っていたところで、天は我々になにも与えない。

 ならば、己の精進でそれを掴めばいい、彼はそのように考えていたのです。


 天が呪使いに神秘を与えぬのならば、呪使いのほうから神秘(それ)に手を伸ばせばいいのだ。

 奇跡ではなく、知識と論理を元手に神秘を紐解き呪使いの力にする――それこそが彼の宿願でした。

 左利きは、ただ信念ひとつでそれを成さんとしていたのです。


 ですが、呪使いの可能性を――営々と築き上げ(れん)綿(めん)と受け継がれてきた、万物に通じる知識に(もと)づいたそれを――信じている彼にも、諦念じみた感情がないわけではない。


 その原因の一つがある朝、左利きの部屋を(おとな)いました。


「おお、せがれよ!」開いた扉の向こうにあったのは年老いた父の姿でした。父は(おお)()()な身振りで息子の肩に手をやります。「我が家の誉れ……いやさ、呪使いの誉れよ」


 抱擁と共に与えられる褒めそやしに心底うんざりしながら、左利きはおざなりに聞こえぬよう注意して、朝の挨拶と褒め言葉への礼とを口にしました。

 (きょう)()には嫌な予感が膨らんでいます。

 そしてその予感は、すぐさま父の口から明確な形を持って発せられることとなります。


「実はな、少しばかり面倒な事態が(しゅっ)(たい)しておるのだ」

「面倒な事態?」と、左利きはよそ目には真剣に、内心でため息をつきつつ応じます。

「うむ、語り部だ」父は答え、吐き捨てんばかりの口調で続けました。「邪な物語師だ。そいつが少々問題になっておる」


 話はこうでした。

 数年前から各地に出没している一人の物語師。若くして悪の道に堕ちたこの語り部が譚るのは魔法使いの物語……それも、他の真っ当な語り部たちが譚る邪悪な魔法使いの真実の姿ではなく、善良な魔法使いなどという虚像。

 このような虚事(つくりごと)、本来ならば信じるのはおろか耳を貸すのも愚かの極みといえよう。しかし大衆の(もう)(まい)さは時に侮りがたい。厄介なことに、この男の語った内容を信じはじめている者が最近少なくない。

 とにかく、このままこれを捨て置いたのでは呪使い全体の沽券に関わる。


「そこで、十年に一人とも、百年に一人とも言われる天才のお前が、悪しき語り部の追討役に抜擢されたのだ。いや、実はこの父が是非にと(すい)(きょ)したのだが……まぁともかくだ、奴が次に現れるであろう土地に今日にも向かって欲しい」


 (ぎん)(かん)(づえ)に己を売り込むまたとない機会だぞ、と父は締めくくりました(銀環杖とは文字通り銀輪の飾りをいくつもつけた杖を持つ、かなり高い位にある呪使いのことです)。


「……語り部一人どうこうするために追討役、ですか?」


 また随分と大袈裟なことですね。冷たい皮肉が声に滲みます。


「まぁそう言うな。お前の将来の為にも損にはならぬのだから」


 息子の思いを読んで、父はとりなすようにお為ごかしを言い、さらに続けました。


「それにな、その語り部、一筋縄ではいかぬ理由があるのだ」

「なんです?」

「そやつ、どうやら魔法使いらしいのだ」


 父が(ぎょう)々(ぎょう)しく声をひそめます。


「おそらくは事実であろう。これまで各地の同胞らが幾度となく捕まえようとし、そしてその()()まんまと逃げられておるのだ。それでまぁ、お前の若い血が必要なのだよ」


 それにしても、と父が悪態をつきます。それにしても汚い、悪魔の話術で(たみ)(ぐさ)を籠絡するとは、実に汚い。

 これぞ奴ら魔法使いの(こう)(かつ)な本性、その邪悪さの発露よ。


 軽蔑を顔に出さぬ為に、左利きは大変な苦労を要しました。

 この朝の父の態度こそが、左利きが呪使いに抱く諦念と憤り、その見事な象徴でした。

 へつらいと()()(つい)(しょう)が横行し、権威と序列にがんじがらめにされて合理性を失った我ら呪使いの社会、そのなんと見苦しく息苦しいことか。

 そしてなによりも見苦しいのは、なにかといえば魔法使いを意識して、奴らを(ねた)み、(そね)み、貶めないではいられない(ごう)(まん)なまでの卑屈さ。これらの醜悪に無自覚なことがまた輪を掛けて醜悪だ。


 魔法使いがなんだというのだ? 魔法使いを貶めていれば呪使いの格があがるとでも思っているのか?

 ……みじめな。なんとみじめな。


 父の面前で左利きはひそかに奥歯を噛みます。

 ああ、そして。(せっ)()せずにはおられぬその悔しさ(いきどお)りが、彼の決意の火に油となって注がれます。


 ――私が変える。腐った呪使いに、いつか私が変革をもたらす。もたらしてみせる。


「どうだ? 行ってくれるか?」

「……つつしんで、お受け致します」


 我が子の承諾を受けてにわかに表情を明るくさせた父親に、左利きは心のうちで(めん)()を投げつけます。

 老害が、と。


 ともかくそのようにして成り行きは定まりました。

 任務を帯びて出発した左利きは、まずは一路南に向かい、平原から山地へ至り、高原地帯を駆け抜け深い森をも貫き、内海の交易を担う商業都市群の華やかさは一顧と省みずに馬腹に拍車を打ち……そして、慣れない馬旅に一ヶ月も堪え忍んだその末に、ようやく目指す土地へと到着致します。


 現地で彼を迎えた呪使いは年配の者と若い者の二人。

 年配のほうはこれぞ呪使いという思想に凝り固まった、左利き言うところの『老害』然もありありとした六十年配です。

 では若いほうはどうなのかと言えば、こちらはそもそも思想なんて持ち合わせていません。よく言えば武闘派(武闘派の呪使いなんてものがいるとすればですが)、悪く言えば脳みそまで筋肉でできた単細胞。「細けぇことはわからねぇけど、邪悪な魔法使いとの対決? おうおうおう、そいつは燃えるじゃねえか!」と始終こんな調子なのです。


 到着早々、左利きはこれからはじまる日々を思い(あん)(たん)たる気分に包まれたものでした。


 さて翌日から、左利きは若い方の男と行動を共にすることになりました。

 自分の相棒として、この男は想像しうる限り最悪の相性の持ち主だ――左利きがそんな確信を得るまでにはわずか半日と掛かりませんでした。

 がさつで考えなしで、なのにやる気だけは有り余っているのだからたちが悪い。

 しかもうんざりしている左利きと裏腹に、相手の方では左利きを気に入っている様子なのだから始末に負えません。


 余分な気を遣わなくて済むぶんだけあの老人よりはまし……そう自分に言い聞かせながら、左利きはなんとか日々を過ごしました(この相棒は左利きより二つか三つ年上でしたが、『杖位』という位で示される呪使いの序列は左利きのほうが高かったのです)。


 さて、この鬱陶しい相棒が息せき切らせて(とう)(りゅう)先の宿へと駆け込んできたのは、現地到着から十日目の夕方でございました。


「いましたぜ旦那! いま! 酒場で! 物語を! 魔法使いの――」


 (ぜん)(めい)じみた息継ぎの合間に言葉を吐きだす相棒を「ああもうわかったから」と手をあげて制止する左利き。件の語り部が見つかった、どうやらそういうことのようです。

 余り気乗りのしないまま、左利きは立ち上がり部屋を後にします。

 馬鹿げた仕事のはじまりだ、しかし馬鹿げた役目の終わりでもある。さて、その語り部とやらに会ったらどうする? 魔法使いの物語は金輪際語らないでくれとでもお願いするか? まさか、それで済めば苦労はない。

 では、適当な理由をつけて……ああ、本当に馬鹿げてる。


 とりとめのない思案に暮れながら歩くうちに、いつしか酒場は目の前にありました。

 血走った目をして殴り込もうとする相棒をどうにか(ぎょ)しながら(お前はそれでそのあとどう収拾をつけるつもりなんだ)、左利きが先に立って扉を押し開けます。

 店内に踏みいった途端、客たちが立ち上らせる人いきれと酒気が押し寄せてきます。


 ですが。

 ですが、()せ返るような夜の匂香(においが)を、左利きは認識の次の瞬間には忘れていました。


 満席の酔いどれを内に抱えながら、しかし酒場は奇妙なほどの静寂に包まれています。

 客たちはみな押し黙り、いましも(つむ)がれ続けている言葉に、物語に耳を傾けている。


 はち切れんばかりに見開かれた左利きの眼は、その物語の紡ぎ手を捉えているのです。

 間違いはありません。

 いかにも、それは左利きが求め続けてきた人物でございました。

 父を介して与えられた任務?

 いいえ、そんなものは関係ありません。


 目の前の語り部を、自分と同年配のその青年を、今回追討役となって捜しはじめる以前から左利きは見知っていたのです。

 もっとずっと、ずっと前から。

 具体的には四年の昔、二人の青年が共にまだ少年であった、夏のある一日から。


「あいつだな! 野郎! ここで会ったが百年目だぜ!」


 相棒がぱちんと指を鳴らします。慣れた器用さで、中指と親指を。

 左手のそれらを。

 説明が遅れましたが、左利きはすべての呪使いに共通する特徴なのです。

 不滅の老賢者が左利きであったという神話に(のっと)り、呪使いを志す者はまず利き手を左手に(きょう)(せい)するのです。


 語り部を二つの瞳に捉えながら、左利きは笑っています。笑いながら、彼は呟きます。



「本性が四つ足でも人と同じ早さで年を取るのか? ええ? 山の神の使いよ?」


今回で三部の語り部文体パートは終わりです。次回からは百年後の図書館へと場面は移ります。

その前に、何日かかけてここまでの文章の推敲、誤字脱字の修正をさせて頂こうと思います。

一週間ほど投稿が停止しますが、必ずまた再開します。


今回で10万文字を越えたかと思います。ちょうど全行程の半分ほどです。

残り半分、どうぞよろしくおつきあいください。……よ、よろしく!

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