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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 三章.だからわたしが背負ってやるよ
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◆2 二人と踊り子

 人が人を語るとき、語り手はその人の行いを語ることでその人となりの描写とします。


 では、人と人との関係を語るときには?


 その場合には、もちろん彼らの交わした言葉を、彼らの共有した時間を、そして彼らが互いになにを与えあったのかを語ることでそれを示すのが正当です。


 年下の二人にじゃれつくとき、彼女は一切の遠慮をそこに挟みませんでした。

 二人が悩んだり困ったりしているとき、彼女は世界中が束になっても敵わないような頼もしさを見せてくれました。

 彼女と一緒に過ごした一年ほどは、二人にとって最も楽しくてくつろいだ時間となりました。


 甘えん坊で頼りになって、そして力いっぱい愛情を示してくれた――ユカとリエッキにとって、踊り子はまさしく姉のような存在だったのです。


 同じ円卓を囲んで歓談に時を忘れたその夜、踊り子はユカとリエッキの旅に同行すると言い出したのでした。

 太陽の加護を思わせる褐色の健康的な肌には、既に朱色が兆しています。ですが、その申し出が酒に惑わされた一過性の気分から口にされたものでないことは、真剣そのものの光を宿す二つの瞳が雄弁に主張していました。


「ずっと決めてたのよ。もしまた君たちに会えたら、その時はそうしようって」

「でも、本当にいいの?」


 ユカは広い――比類なく広い――店内を座ったまま眺め渡します。

 見える範囲にはただ一つの空席もなく、それはきっと奥まった席や頭上の二階席も同様なのだろうと思えました。

 そしてその超満員の内訳には、お酒を飲まない婦人たちが、さらにはユカよりもずっと年下の子供たちまでが少ないながらも含まれているのでした。


「この人たち、みんなお姉さんを見に来てるんでしょ?」


 二百人くらいいるかもしれない、とユカは思いました。

 これだけの観客を魅了する踊り子を店が手放したがるとは思えません。きっとお手当は交渉などせずとも望んだだけ吊り上げてもらえるでしょうし、それになにより、この大観衆が一つとなって発する喝采。それは、およそあらゆる芸人が夢寐にも欲する栄光といえます。

 三人の席から少し離れた場所では、興奮冷めやらぬといった様子の小さな女の子が、先ほどの一番を真似して父母と周囲の酔客たちに不格好な踊りを披露していました。

 その姿を見つめながら、ユカは「本当にいいの?」と踊り子に尋ねます。


「百人の観衆が千人でも、千人が万人でも」


 踊り子は答えました。


「たった二人のあなたたちとどっちが大事かなんて、そんなの神話の太古に答えは出てるわよ」


 その言葉に、ユカが嬉しそうに相好を崩します。こうして話はまとまったのでした。

 ユカは一番の親友に視線を移していいました。


「なんだかそういうことになっちゃったけど、リエッキもそれでいいかな?」


 同意を求めるというよりは決定を伝えるような口調でそう告げたユカに、リエッキは「好きにしてくれ……」と力無く答えます。

 なんだか、ひどく苦しそうな声音でした。どうにかこうにか形にした言葉をなんとか吐き出した、といった風に。


 ……いいえ、さらにいってしまえば、今にも別のなにかを吐き出しそうな様子で。


 少し前からリエッキが会話に参加しなくなっていたことに、ユカと踊り子はそのときようやく気付きました。

 そして思い至ります。さながら途切れなく挑みかかる勇者たちに対するように、この竜が次々と運ばれてくるゴブレットの一杯一杯と真剣に格闘していたことに。

 生真面目なリエッキのこと、無論あの夜の失態を忘れていたわけではありません。

 けれどこれもまた真面目さの発露というもの。踊り子の『このお酒の一杯一杯に見知らぬ誰かの好意がこもってるのよ』との言葉を真剣に捉え過ぎた彼女には、その好意を無碍にすることがどうしても出来なかったのでしょう。

 そして、その結果としてあったのはまたも度を超えた痛飲であり、もたらされるのは二ヶ月前の再現に他なりません。


「これもいいきっかけってやつよね」


 円卓にのびるリエッキを見つめて、踊り子が苦笑まぎれにいいました。今夜はまだ尻尾は出ていませんが、代わりに片手の指が四本に減ってちらほらと鱗も生えはじめています。


「本当に今夜のお客さんはついてるわねぇ、この店でのあたしの最後の舞台、しかも魔法の一番を見られるんだから」


 羊皮紙を片手に、踊り子は颯爽とした足取りで舞台へと向かったのでした。




 読者よ、親愛なる読み手よ。こうして三人でのしばしの旅ははじまったのです。

 いったい、なにから語ればいいのでしょう。

 いったい、なにから綴ればいいのでしょう。

 ああ、語り部のなんと無力な生き物であることか。なにしろ語りたいことがどれほど多くとも、私の舌はたったの一枚しかないのです。

 説話を司る我々の神は、きっと嗜虐の神であったに違いありません。


 嬉しさの連続でした。

 楽しさの連続でした。

 嬉しさと楽しさが徒党を組んで、怒濤となって押し寄せてくるような、三人で過ごした時間はまさしくそのような日々でした。

 あらゆる感情は乗算されて深みを増して、三人で分かちあうことでさらに大きく膨らみました。

 感動は、都度に応じて新たな感動を連れてきてくれました。


「はん。わたしは別に、それほど感動しちゃいない。普通だ普通」

「あら、でもリエッキちゃん。だったらどうしてそんなに尻尾がぱたぱたしてるのかしら?」

「人間の時も竜の時も、リエッキは心の中がすぐどこかに出るからなぁ。顔とか尻尾とか」


 大慌てで尻尾を隠そうとするリエッキの様子にユカと踊り子は揃って腹を抱えます。これは三人でのはじめての露宿の夜、披露した演舞に踊り子が感想を求めた際の一幕です。無関心を装いながら、その余興に最も心を奪われていたのは他ならぬリエッキだったのでした。


「あたし、リエッキちゃんの素直じゃないところって大好きよ。素直過ぎて」

「うるさいな! だいたい意味わかんないんだよ! 矛盾してるだろそれ!」

「あ、僕わかる。リエッキは確かに素直過ぎるほどひねくれてるよね」


 そして二人分の笑声が立ち、残るひとりの恨みがましい声がそれに唱和したのでした。




「――説話を司る神の忘れられた御名においてはじめよう。これなるは影と形の友情憚。奔放不羈ほんぽうふきの空想と、夢見るような夢の夢。終わらぬ絆で結ばれた、彼と彼女の物語」


 本を手にしたユカが物語ると、リエッキの実体はたちまちぼやけはじめます。

 そして数秒の後、巨大なドラゴンの姿は既にそこにはありません。代わりに現れたのは美しい少女。白を基調とした装いに身を包んだ少女が、面を隠すようにしてしゃがみこんでいたのでした。


「うーん、何度見てもたまげる光景ねぇ。人から竜になっちゃうときはもっと大迫力だったけど……ところでユカくん、なんでこの娘さんはこんなに恥ずかしそうにしてるの?」

「リエッキはあの物語の内容が気恥ずかしいんだってさ。『終わらぬ絆』とかのあたりが特に。で、それをお姉さんに聞かれるバツの悪さに耐えられなくてそんなんなってるんだと思う」

「そこまでわかってる癖になんであんたはぺらぺらと解説しちゃうんだよ!」

「ああもう……骨の髄までかわいいなぁ……」


 含羞を花と咲かせるリエッキに踊り子が抱きつき、リエッキがそれから抜け出そうとじたばた藻掻きます。

 もはや日常となった情景でした。竜の姿でいる時に抱きついてくるユカは尻尾で振り払う彼女も、専ら人間の時に抱きついてくる踊り子にはなすすべがない様子です。


「ところでユカくん」


 身体全部を使った愛情表現から虫の息のリエッキを解放して、踊り子がユカに向き直ります。


「少し前から気になってたんだけど、君のその本、最初に会った時よりも頁が増えてない?」

「うん、増えてるよ」


 ユカはあっけなくそう応じて、『彼と彼女の物語の魔法』をぱらぱらと捲ります。


「気付くと物語の続きが綴られてて頁も嵩まししてるんだ。あ、それとね。頁が増えれば増えるほどリエッキが人間でいられる時間も長くなってるんだよ。最初は二時間か三時間かで変身が解けちゃってたんだけど、今では二日くらい人間のままでいられるようになってる」


 こまめに語りなおさなくていいだけ随分便利になったよ、ユカは得意そうにそう締めくくりました。


「それ、ほんと?」と踊り子。

「うん、ほんと」とユカ。


 ふへぇ、と踊り子が深々と息を吐き出します。それから、彼女はいいました。


「お姉さんびっくりだわ……ユカ君、キミ、魔法が成長してるんだ」

「びっくりなの?」

「びっくりだよ」と踊り子。「たとえば魔法に慣れてきて上手に運用できるようになるとか、そういうのならあるよ。だけど、未熟な状態で生まれた魔法が徐々に成長していくなんて、そんなの聞いたことがない。あたしも、あたしの知ってる幾人かの魔法使いも、みんなそうだった。魔法使いの魔法っていうのは、発生した時点ですでに完成してるものだってのが定説なの」


 まいりました、というように踊り子が両手を肩の位置まであげました。

 そんな彼女に、僕ってすごいの? とユカが尋ねます。キミってすごいの、と踊り子は答えました。

 キミみたいな魔法使いは他にひとりもいないはず、と。


「ふうん。そうなんだ」

「キミってほんとに動じない子だなぁ」


 他人事のようにいうユカに踊り子が苦笑します。


「あたし、いま少しだけ衝撃的なことをいったつもりなんだけど」

「だって、そんなの当たり前っていう気がするんだもの」

「当たり前?」

「うん。物語は成長しつづけるものだよ。続きを語られる限り。完結してしまわない限り」


 断じるようにユカはそう応じます。

 踊り子はしばし呆気にとられた顔をしていたあとで、もう一度両手を肩の位置にあげていいました。

 やっぱり面白いなぁ、キミって子はさ。


「ねぇ、リエッキちゃんはどう? 今の話聞いててさ、リエッキちゃんはどう感じた?」


 踊り子は次にリエッキへと話の水を向けました。


「ん……まぁ、驚いたよ」とリエッキ。「少しだけな」

「少しだけ」


 リエッキの反応に、踊り子が意外だという顔をします。


「なんていうか、リエッキちゃんはもっと驚いてくれると思ったんだけど……ほんとに少しだけ?」

「少しだけ」


 リエッキは再度きっぱりといいました。


「ユカが魔法使いになっただけでもう充分過ぎるほど驚いたんだ。これ以上なにかあったとしても誤差くらいにしか感じないよ」


 それに、と彼女は続けます。


「それに、それでなにが変わるってわけでもないしさ。ユカがたったひとり例外的な魔法使いだからって。だってそうだろ? たとえユカが魔法使いの力を残らず失っても、その逆に世界一の魔法使いになっても、わたしにとってはなにもかも誤差でしかないんだ。だって――」


 ――だって、ユカはユカなんだから。


 この答えに、今度は踊り子だけでなくユカもまたきょとんとしてしまいました。

 そんな二人の反応を知ってか知らずか、リエッキは夜を眺めてはんと鼻をならします。


「……愛されてるのはこっちもおんなじかぁ」


 ユカにだけ聞こえる声で、踊り子がそっといいました。

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