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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 二章.誰かが語って、誰かがそれを聞く限り
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■1 牛頭

 百年の時を経て見知った顔と再会するのは、人の身にあらずとも稀なことである。

 この日図書館を訪ねてきた者は、リエッキにとってそうした存在であった。

 来訪者に気付いた彼女が玄関広間エントランスまで出向いていくと、その者は柔美なまでの笑みを浮かべて会釈を寄越した。

 洗練された気品を吐く息にまで纏った、貴族然とした身なりの男だった。


「呼び鈴を鳴らした覚えはないのですが、どうして私が来たことがわかったのでしょうか?」

「この図書館の中のことならだいたい手に取るようにわかるんだ、わたしは」


 リエッキのその答えに、男が感心したというように何度も肯く。


「さすがは司書王のご親友。もしや、それも彼の魔法によるものなのですか?」

「はん、魔法なもんかよ。百年も一人でここにいるんだ、自然にそうなるってもんだろ」


 そう応じたリエッキの瞳から、鱗が剥がれるように険が抜け落ちていく。

 やはり口調はぶっきらぼうなまま、旧友に対するような懐古の情を込めて彼女は男に言った。


「久しぶりだな、牛頭うしあたま

「本当に、お久しゅうございます」


 男もしみじみと応じた。


「最後にお目にかかったのはまだ司書王がご存命の折でしたが、しかし……そうですか、あれから百年が経ちますか」

「百年一昔さ」とリエッキ。「わたしやお前のように定命を持たない身にとってはさ」

「思えばあのころからあなたは私を牛頭と呼んでいた。私にだって名前はあるというのに」


 過ぎ去った過去を懐かしむ口調で男は言った。

 男性でないすべての者が息を呑むであろう麗容を備えたこの貴人の正体は、実のところは雄牛の頭部を持つ悪魔。この図書館の主が健在の頃にはたびたびここを訪れていた、在りし日の彼を知る唯一の生き残りだった。


「そう呼んでなけりゃあんたが悪魔なのを忘れちまいそうだったのさ。好んで人の格好して、しかも優しくて子供好きときてる。あんたはまるっきり魔族の概念を裏切ってんだから」

「あなたにだけはこの姿をとやかくされる筋合いはないように思いますがね」


 軽口を応酬させて、人の形をした二つの人外は笑いあう。

 この再会は、リエッキの百年の孤独にささやかな癒しをもたらしていた。賑やかな対話や交流そのものよりも、牛頭が親友の記憶を共有する存在であることこそが彼女にとっては重要だった。親友が確かにこの世界に生きていた、その証左が自分という輪郭の外にもあることがなによりも嬉しかった。

 あんたはわたしの夢の住人じゃないんだ……なぁ、ユカ。


「あの、どうなさいました? そんな……急に涙ぐんだりして……」

「な、なんでもない!」


 視界を滲ませはじめたものを慌てて拭い去り、リエッキは牛頭に向かいなおる。


「……それで、いったいどういう用事があって現れたんだ? 百年以上ご無沙汰だった奴がいきなり顔を見せたんだ、なんの理由もなしにってことはないんだろう?」


 麗人の笑顔に苦笑めいた色合いが混じる。その笑みが『図星です』と告げていた。


「いやなんとも、話がはやくて助かります」


 そう感謝を述べて、牛頭は抱えていた籐籠を足元に下ろした。


「まさしく、折り入ってお願いしたいことがあり罷り越した次第にございます。ですが、まずは順に従って事情の説明からと致しましょう。少し長くなりますが、よろしいでしょうか?」

「別に、構うもんか」とリエッキ。「時間はあるんだ。捨てられるもんなら捨てちまいたいほど、たっぷりと」

「恐れ入ります。それでは……」


 牛頭は大仰な身振りで礼をし、それから、淀みのない口調で語りはじめた。




●━━━━━━━━━━━━━━━━━━●




 最初の魔術師の登場から百年余りが経過し、外の世界では魔法使いもまじない使いも共に歴史の舞台袖へと退場していた。

 呪使いはその後継である魔術師に追い落とされる形で淘汰され、また魔術の普及に比例して新たに魔法使いとして目覚める者もぷっつりと絶えた。


「思うに、かつて人間たちが奇跡と呼んだものはその総量が定められていたのでしょう。そしてそれは魔術という努力次第では誰もが扱える技術の発達によって広く万人の手に分配されたのです。それまで奇跡の独占者であった魔法使いが衰退したのは一つの道理と言えましょう」


 束の間、牛頭は失われた時代を眺める瞳となった。そして、ややあって語りを再開させた。


 人の世は魔術の時代を迎えていた。かつて呪使いたちが傾倒した迷信の数々はあらまし否定され、神秘は然るべき原理の元に説き明かされてもはや神秘ではなくなりつつあった。

 しかし、迷信の霧が晴れた世にあって、未だ妄信的にそれに縋ろうとする者もいた。地道な努力を厭った、あるいは才能と実力の上で他者に大きく差をつけられた魔術師たちが。

 彼らは怠慢や彼我の開きを一足に埋める為の近道を、しばしば晴らされたはずの霧の中に模索した。


「そのような魔術師の一人に、ここより遙か南、二つの大地に跨る王国の君主がありました」


 支配する国土の広大さ、握った権力の強大さに比べて、その男の魔術の才は凡俗のそれを脱するものではなかった。しかし男は自らを魔術皇帝と称し満天下にその名を轟かせる野望を捨てられなかった。

 自称魔術皇帝は民の血税を投じて東西の魔術書を蒐集しゅうしゅうし、それらが役に立たぬと知るとたちまち焚書にしてままならぬ鬱憤を晴らそうとした。

 蒐集、焚書、そしてまた蒐集。繰り返される行程の果てに王は見境を失い、ついには魔術書のみならず、時代錯誤な呪使いの教本、さらには神秘の伝承などにも手を伸ばすに至った。

 そうした折、異国の物語集の中にそれは見出された。

 人間の身体に二つの角を持つ雄牛の頭部を継いだ挿絵と、その恐ろしい姿を真っ向から裏切った優しき性向の魔神の物語。

 童を厄災から守護する存在として砂漠の民に親しまれる、牛頭の悪魔の伝承であった。


 未来の魔術皇帝はこれに着目した。

 着目して、そこに描かれている内容を大いに曲解した。


 ――牛頭の悪魔は子供が好きなのだ。


 そう呪文のように繰り返し呟きながら、王は儀式の手配を推し進めた。

 召還の儀式であった。魔神を呼び出し、魔術の真理と蘊奥を授かるための。


「人間の扱う魔術と我ら魔族の扱う術とは似て非なるものなのです」

 牛頭は沈痛な面持ちでリエッキに言った。

「彼の望むものなど、私には最初から与えられなかった。それなのに……」


 はたして、召還に応じた牛頭が見たのは、人の手によって地上に現出した地獄であった。

 実に九十と九の幼子の首が並べられていた。倒れた胴体は蓋するもののなくなった首の付け根から止めどなく血を流し続け、その九十九の総算として儀式の間は血の海と化していた。

 地獄のただなかには感動と成功の予感とに打ち震える王がいた。

 魔神の視線に気付いた王は貴賓きひんを歓待する表情となり、単刀直入におのが願いを牛頭に告げた。無双の魔術師となる悲願を。

 そして、続けて言ったのだった。


 ――魔神よ。さぁ、さぁ、我が供物を受け取り給え。貴君は子供を好むと聞いた。子供の生贄を。だから――見たまえ! どうだ? お気に召したろうか?


 答える代わりに、怒りに満ちた魔力が儀式の間に張りつめて、炸裂した。




●━━━━━━━━━━━━━━━━━━●




「……災難だったな」


 語りが終わったあとで、リエッキはいたわる口調で牛頭に言葉をかけた。

 彼の子供好きを彼女はよく知っている。この心優しい悪魔が味わったであろう悲嘆は、計り知れない。


「だけどお前はきっちり仇を取ったんだ。常世の国で子供らも溜飲をさげてるだろうさ」

「あ、いえ、殺してはいないのです」


 牛頭は訂正して、続けた。

 

「殺しても飽き足らない外道ではありましたが、しかし最後に私は彼とひとつの契約を結んだのです。私は二度と彼には手出し出来ません」

「契約を……?」


 まるっきり解せないという顔をするリエッキ。


「いったい、なんでまた?」

「供物を受け取るためにです。そして、ここからがあなたへのお願い事なのですが……」


 そういうと、牛頭は足元に下ろしていた籐籠を再び抱え上げた。


「私を召還した魔術師は、あろうことか最後の供物として己の末子を差しだそうとしたのです。九十九人は既に命を絶たれていましたが、しかし幸い、百人目だけはまだ無傷でした。私は彼の命乞いの言葉を条項に契約を結び、その対価として貰い受けたのです。最後の供物を」


 牛頭は籐籠にかけられていた覆いを慎重な手つきで取り払った。


 くうくうと小さな寝息を立てていた赤子が、むずがるように身をよじった。


「リエッキさん。この子と私を、しばらくこの図書館に住まわせてはもらえませんか?」

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