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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 二章.誰かが語って、誰かがそれを聞く限り
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◆5 本

 それは母のための遍歴であり、語り部修行の股旅またたびであり、そして、純粋な旅のための旅でした。

 ユカとリエッキのふたりの旅は、旅歩くことそのものが大いなる喜びに満ちていたのです。特別なことがなくとも毎日は特別で、楽しいことがなくとも楽しさは尽きません。

 ですが、それは当然というもの。なにしろ最高の友達同士が一緒にいたのですから。それで楽しくなかったら、それこそウソではありませんか。


 山をくだったふたりは目の前に広がる平原はひとまず迂回して進路を取りました。ユカの当初の目的地は平原のただなかに位置するこの地方の首邑しゅゆうたる都でしたが、しかし、ここにはだかったのは苦笑するばかりの誤算です。

 山向こうが森と荒野の多く残る土地であったのと比べて、山のこちら側は元々の平らかさに加えてすっかり開拓しつくされていて見晴らしは良好、とりわけ都の周囲は道々の普請も行き届いており、旅人の交通は終日にわたり途切れることがありません。

 つまり、迂闊に平原を進めばリエッキが人目に触れてしまうのは必定というわけでした。


 ふたりは昼の間は木立や大岩をはじめとした遮蔽物に身を隠して眠り、移動はもっぱら夜にこなすこととなりました。

 ですが、そんな苦労までもがふたりにはなんだか楽しくて、ユカとリエッキはくすくすと忍び笑いを交わしたものです。


「これってちょうどいいよね。だってさ、語り部ってのは元来夜の種族なんだから」


 そんなユカの軽口に、リエッキはいつも「はん」と鼻を鳴らして応じました。

 まさに形と影が相伴うように、ふたりはいつでも一緒にいました。

 例外的に数日に一度だけ、ユカはリエッキを残して一人で周辺の町々へと出かけます。

 彼はそこで、昼は広場や市場を、夜は酒場を訪ねて物語を譚り、その対価として得たお金で必要な日用品や食材、それにいつも蜂蜜をごっそりと買いこんでリエッキの元に帰りました。


「リエッキ! また会えて嬉しいよ! すごく寂しかったんだ!」

「このバカ! たった半日離れてただけだろうが! ああもう、うっとうしい離れろ!」


 情けないことを叫んで抱きつくユカを尻尾の一撃であしらって、リエッキはやっぱりはんと鼻を鳴らします。

 これはユカが町から帰る度に繰り返されるお約束のやりとりで、おかえりの儀式のようなものでした。

 ですが、ユカがリエッキと離れている時間を寂しく感じていたのは本当です。


 リエッキへのお土産は蜂蜜だけではありませんでした。

 町で見たこと聞いたこと、体験したことのすべてをユカは彼女に話しました。

 あの物語は聴衆にうけてこの物語は余り振るわなかったとか、町では祭りの準備がはじまっていたとか、市場に繋がれていた犬の一匹にはどうも狼の血が混じっているように見えたとか、そんなよしなしごとの数々を。

 リエッキは素っ気ない風を装って、ですが本当はとても熱心に聞いてくれていました。それがわかっていたユカは身振り手振りを目一杯駆使して、百人の聴衆に対するよりも熱を入れて語ったものです。


「なぁユカ」

 ある時リエッキは言いました。

「わたしはあんたのお荷物になってないかな? だってあんた一人なら、旅にはなんの面倒もなかったはずだろ? わたしがいなければ――」


 このとき、ユカはリエッキに対してはじめて真剣な怒りを見せました。

「バカいわないでよ! 僕は君の存在に助けられてるんだ! 君がいてくれるから僕の毎日は楽しいし満ち足りてるんだ! 君がいなかったら、僕は百人と一緒でもひとりぼっちだ!」


 あんまり寂しすぎて、そんなこと考えたくもない――そう締めくくったとき、ユカはまなじりに涙さえ浮かべていました。ですがそれはリエッキも同様で、彼女の瞳もまた涙に霞んでいます。

 リエッキは泣き顔を誤魔化すようにぷいっとそっぽを向いて、このときもやっぱり「はん」と鼻を鳴らしました。その仕草に、ユカは自分の気持ちが彼女に伝わったことを、彼女がそれを理解してくれたことを知ったのでした。


「君がいなかったらなんて、僕は一度も考えたことないよ」


 ユカは言い、それからにへらっと緩んだ笑顔で泣き顔を上書きして、さらに続けました。


「でもこう考えたことはあるんだ。もしも君が人間だったら――君が人間になれたらってね」


 さて、それから、ユカの夜毎の物語には新作が加わります。

 もしもリエッキが人間になれたら――そんな空想をユカはリエッキに語り、また、語ることによってさらなる空想の深みへとくだってゆきました。


「もし君が人間になれたら、もちろん僕は君を町に連れていく。君に見せたいものがいっぱいあるんだ。それに物語師の生業なりわいをしている僕も見てもらいたいしね。そして一仕事終えたら、今度はそのまま酒場の客になって一緒に蜂蜜酒を飲むんだ。止まり木に並んで腰掛けてさ」


 奔放な空想、奔放な願望が毎晩のように語られます。決して成就をみることのない無邪気な願い、楽しい夢の数々が。

 ユカは己の空想の半ば虜となりながら語って、リエッキも柔らかな笑みを浮かべながらそれに耳を傾けます。とても幸せな時間がそこにはありました。


「もしも君が人間になれたら……僕は今よりもずっと、ずっと君と一緒にいられる」


 ある夜、ユカは夢見るようにそう呟いて、満天の星空を仰ぐように大地に寝ころびました。

 そして、背中の下になにやら違和感を覚えて身を起こします。

 なにかがそこに挟まっているのです。

 ユカは手探りでそれを引っ張り出します。

 手に取ったそれは、はたして一冊の本でした。たった数頁だけの、なのにきちんと冊子状に綴じられていて表紙も裏表紙もある、奇妙な本。

 リエッキの起こしてくれた焚き火に照らしながら、とりあえずユカはその本を読んでみることにしました。

 声に出して。なぜか自然と、いつもの、語り部の口調となって。


 そして、最初の数行を読んだところで、朗読の声は狼狽となってそのまま途切れます。


「説話を司る神の忘れられた御名においてはじめよう。これなるは――え? なんだこれ?」


 それは、物語でした。

 人間になった竜が、その友達の男の子に連れられて人間の町の見物に出かけ、一緒に楽しい時間を過ごす物語。

 ユカの空想が、そのまま文体と文脈を得てそこには綴られていたのです。


「ねぇリエッキ、なんだかおかしなものがあるんだ。ちょっとこれを見て――」


 そう呼びかけた声をまたも途切れさせて、ユカはただ呆然と目の前を凝視します。


 ユカの視線の先、さっきまで彼女が寝そべっていたはずの大岩の上に、リエッキの姿はありません。

 代わりにそこにあったのは一人の女の子の姿――その夜の月すら霞むほどに美しい、ユカと同い年くらいの美少女のそれでした。

 神秘的な白の衣装に月光を照り返し、炎を思わせる赤銅色の長い髪を夜風になびかせて、その少女は満ち足りた表情で夜空の月を眺めておりました。


 ユカは一瞬にしてその子に瞳を奪われます。

 いいえ、瞳だけでなく、心をもまた奪われます。


 ややあってから、少女の方もそんな風に自分を見つめている視線に気付いたようでした。

 怪訝そうに眉をしかめながら、その少女は不躾なまでに気安い口調でユカに言いました。


「なんだよユカ? なんでそんなにじろじろ見てんだよ。気持ち悪いな」

「……リエッキ?」

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