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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 七章 その大役を君が引き受けてくれるなら
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■8/了 その大役を君が引き受けてくれるなら。

 そして物語ははじまる。

 紐解(ひもと)かれることのなかった一冊が紐解かれて、語られることのなかった物語が放たれる。


 だがしかし、それを物語と呼ぶのは、はたして正しいのだろうか?


 なにしろユカは――説話の蘊奥(うんのう)を極め尽くした『物語のドラゴン』は、このとき、その身にそなえた物語の秘術を一つも呼び起こしてはいなかったのだから。


「ねぇリエッキ、今までいろんなことがあったよね」


 紡がれる言葉には、あの詩情に満ちた韻律(いんりつ)がそなわっていない。

 千差万別に使い分けられる、あの変幻自在の声の音調が機能していない。

 いやそれどころか、『説話を司る神の忘れられた御名において』というお決まりの文句のあとで、肝心の物語の題名が読み上げられることすらなかった。


 まるで、それらのすべては不要だと遠ざけるように。

 今この場においては、意図的な話術なんて一切合切お邪魔虫だと、そう断じて封じ込めるように。


 まっすぐに、ただまっすぐにユカは語りかけたのだ。


「君がこの本棚を背負ってくれたあの日から……いや、僕と君が友達になったあの日あの夜から、本当にいろんなことが。ね、リエッキ」


 彼女はそれを、彼の腕の中で、彼の胸に顔を押し当てながら聞いた。


 すでにリエッキはこの物語の正体に気付いている。

 どんな時でも本棚の隅にあり続けて、譚られなくとも当たり前に効果を発揮し続けた物語。

 ただそこにあるだけで安心させてくれて、ただそこにあるだけで尊い。

 それはまるで、彼と彼女の関係を象徴しているかのような一冊で。


 だからリエッキには、もうすっかりわかっている。

 この物語はわたしたちの思い出そのものなのだ、と。


「ねぇリエッキ、覚えてる?」


 ユカは語る。言葉の天才のくせにその話術(わざ)はすっかりどこかにしまいこんで、無邪気な子供みたいな口調で「あんなこともあったね」「こんなこともあったね」と。

 輝かしい数々の思い出を。


 語りかけられる都度(たび)、リエッキは語られた思い出を隅々まで回想する。

 あるいは回帰する。

 思い出の時間の中の、思い出の自分へと彼女は立ち帰る。

 乙女の自分に、少女の自分に回帰して、若者の頃の、少年の頃の親友に出会う。


 そうして再演された記憶から現実へと帰還するたび、心の中の癒やされなかった部分が、すっかり慰撫(いぶ)され癒やされていることを彼女は実感した。


「……」


 リエッキはなにも言わない。なにも言えない状態になりながら、彼女は自分からも親友に抱きつく。彼の背中に手を回して、ぎゅっとしがみつく。


 さっきまでの涙はもう止まっていた。

 なのに、それとはまた別の涙が溢れだして、抱きついた親友の胸元をしとどに濡らした。


 そんなリエッキの背中をさすりながら、ユカはさらにいくつもの思い出を語った。

 語っても語り尽くせない十五年がそこにある。

 ほとんど百万年のように濃密で、なのにたった一日のようにあっという間でもあった、二人の十五年。

 それはあたかも夢の時間で、あらゆる幻想を凌駕(りょうが)する友情の日々で。




 だから、やがて変容が森を包み込んだ時にも、リエッキは少しも驚かなかった。




 ユカの手にした『旅する書架の物語』は、他のどの物語(まほう)にも増して濃密な存在感を放っていた。

 それがこれまで譚られることがなかったのは、多分、いまこの時の為にだ。


 今日までずっと、物語は呼ばれる時を待っていてくれたのだ。


「……ずいぶん待たせちまったな」


 ユカの胸の中から、リエッキは本棚へと手を伸ばす。

 物語の、そして自分の分身たる本棚に手を伸ばして、彼女はその表面を優しく撫でる。

 ありがとう、おつかれさま――そんな気持ちを目一杯に込めて。


 それから間もなく、まず音が消えた。

 森からは静寂を含めたすべての音響が消滅し、その次に色彩が溶け落ちる。

 そして最後に、揺らめいていた焚き火の炎が凍り付いた時間の中に制止する。


「リエッキ、多分すごいのが来るから、くっついてよ」

「……ん」


 言われた通り、リエッキはユカにしがみつく。さっきよりもぎゅっと、密着できる限りに密着して、それから静かに目を閉じた。


 話に聞いていた混沌の奔流は間もなくやってきた。

 骨の魔法使い(おふくろさん)の時よりは小規模だろうとは踏んでいたものの、それでも経験したことのない感覚が精神を軋ませる。


 瞑った瞳の外側で、いましも現実が作り替えられていくのを、まざまざと感じた。


「ねぇリエッキ」


 正気を失う直前、創造の現象のまっただ中で、親友が彼女に語りかける。


「僕はいつか、君と一緒にいられなくなる。きっとまだまだ先だけど、でもその時は、必ずやってくる。いつか僕の命は終わって、君の前から永久に消えてしまう」


 だから。


「だからその時が来るまでは、僕たちはただ僕たちでいよう。当たり前に一緒にいて、それだけで当たり前に満ち足りていられる、そんないつも通りの僕と君でいよう」


 返事をしようとしてできないまま、深い昏倒へとリエッキは沈んでいった。




   ※




 目を覚ました時にはすべてが一変していた。


「……う……リエッキ、だいじょぶ? 起きれる?」

「……ああ、なんとか……そっちこそ大丈夫か?」


 お互いの無事を確認し合ったあとで、リエッキは立ち上がろうと地面に手をつく。

 しかし指先に触れたのは、土の地面でも若草の絨毯でもなく、石の感触だった。


 見渡せば、すでに地面は消えている。

 足下にあるのは露地の地面ではなく、なめらかに磨き抜かれた白石の床面。

 それが、見渡すほど遠くまで敷き詰められている。


「……はん、なんとまぁ」


 二人がいる場所はもう、森ではなかった。

 しんとした空気は冬の森を思わせるが、しかしそこは屋外ではなく屋内。さっきまでいた空き地を数倍、数十倍したような、常識外れの規模を有する巨大な室内空間である。

 頭上にもまた星はなく、首が疲れるほど見上げた高い位置には床と同じ色の白い天井が見える。


 そして極めつけが、その広大な空間を縁取る四方の壁である。

 そこから見える壁面はすべて、書物をぎっしりと収納した本棚となっていた。


「……なるほど、これなら大工も職人も必要ないはずだ」


 立ち上がったリエッキはぐるりと周囲を――生まれたばかりの自分たちの図書館を見渡す。

 その後で、彼女は盛大な呆れを込めて、もう一度「はん」と鼻を鳴らした。


「えへへ、驚いた?」


 呼ばれてそっちを向くと、隣には得意満面の親友が立っていた。

 驚いた、びっくりした――そう言って欲しそうなユカに、いや、とリエッキは答える。


「いや、呆れはしたけど、あんまり驚いてはいないかな」


 えー、とユカが不満げな声をあげる。

 そんな親友に、彼女は。


「だって、あれはあんたとわたしの十五年を凝集した物語(まほう)だったんだ。それがここぞとばかりに使われたんだもん、図書館の一つや二つは創りだされて当然さ」


 それに、と彼女は続けた。


「それに、あんたは『深きの森の骨の魔法使い』から二つ名を受け継いだ『深きの森の司書王』なんだ。だったらやっぱり、このくらいのことはやってのけるさ」


 そう言って笑いかけた彼女に、ユカは照れくさそうにはにかみ笑いを返した。


 言葉に嘘は一つもなかった。

 この結末に、リエッキは少しも驚いていない。


 かつて骨の魔法使い(おふくろさん)は、巨大な愛情を元手に小さな世界を一つまるごと創りだしたという。

 その息子であるユカが、わたしとの友情そのもののようであった『旅する書架の物語』を解き放って起こした……これはそういう奇跡なのだ。

 ならばこの結末に、驚くほどのなにがあるだろう?


 ふと思い立って、リエッキはあたりを見渡した。

 近くの足下に目をやれば、自分たちの荷物はそっくり全部そこに転がっていた。

 ユカの背嚢も、リエッキの楽器も。


 あの本棚だけがどこにもなかった。


「……そっか、やっぱりお前も消えちまったんだな」


 十五年間背中にあった分身は物語と共に去ってしまった、そのことをリエッキは悟る。

 それと同時に、自分がもう旅する竜でも旅する本棚でもないのだという事実を、噛みしめる。


 ほんの短い時間、強烈な喪失感が去来して胸を締め付けた。

 しかしその寂しさが去ったあとには、逆にスッキリした気分が心を満たしていた。

 まるで、さっきまでの涙が全部の悪いものを浄化してくれたように。


「ねぇリエッキ」


 その時また、ユカが彼女の名前を呼んだ。


「理想の図書館には三つの条件があるって前に話したよね。それでね、こうして図書館が完成したいまこそ、ナイショにしていた三つ目の条件を君に聞いて欲しいんだ」


 でもまずは最初の二つのおさらいからね。

 そう言って、ユカは前回と同じように指を立てる。一つ、二つ、三つと。


 その瞬間、まるっきり唐突に、理解がリエッキを貫いた。


「理想の図書館に求められるのは……そう、一つにはまず静かでなくてはいけない。雪の夜にも似て森閑(しんかん)とした、無音をも上回る絶対の静けさ。現実を遮断する羊水のような静謐。その内側で、読者は一心に本の世界へと没入するんだ。胎児が夢を見るように。優れた図書館というのは、このように母胎にも通じるものなんだ」


 ユカがなぜ気ままな旅の人生を終わらせると決意するに至ったのか。

 司書王と呼ばれるのを嫌っていた彼が、よりによってなぜ図書館を選んだのか。


 わかってしまえば答えは簡単だった。

 つまり、逆だったのだ。

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「理想の図書館の二つ目の条件は、良き司書と良き読者の存在。蔵書の豊富さはもちろん外せないけど、でもそれはわざわざ触れるまでもない前提事項。それよりも、図書館が良き図書館である為には、良き司書と良き読者の双方が不可欠なんだ。図書館の格を真に左右するのは、蔵書の充実具合よりもむしろこっちのほうだと僕は思う」


 どうしてわたしは気付かなかったのだろう。

 ユカが指折り数えてなにかを話すとき、本当に言いたいことは決まって最後の一つだって、知っていたはずなのに。


「そして、理想の図書館に必要なのは」


 どうして、どうしてわたしは気付かなかったのだろう。


「これが三つ目。良き図書館にはね、厳然たる面も必要なんだ。図書館の訪問者は、残念ながらそのすべてが好意的な客人とは限らない。書棚の稀覯書を狙う泥棒やページを破り去ろうとする不心得者も中にはいるだろう。

 だから図書館には、そういうけしからん輩を追い払う番人、悪意に対して無力な書物の庇護者が、絶対に、要る


 それでね、リエッキ」


 ユカがこういうやつだってことをわたしは、この世の他の誰よりもよく知っていたのに。


「僕たちの図書館の番人、その大役を君が引き受けてくれるなら――ねぇリエッキ、こんなに嬉しいことって他にないよ!」


 三つの哲学をユカが語り終えたのとリエッキが泣き崩れたのは、ほとんど同時のことだった。


「……そうか。そういうことだったのか」


 親友に抱き支えられながら、彼女は再びの涙に声を詰まらせつつ言った。


「……最初から全部、わたしのためだったんだな? 『旅する竜は珍しい』って言われてわたしが悩んでることに、あんたはちゃんと気付いてた。だからこそあんたは、こんなに大がかりな真似をしてまで、わたしの守るべき場所を生み出そうとした。


 つまりこの図書館は、わたしという番人のために創られたんだ」


 涙の顔を優しい笑顔が照らした。ユカはリエッキにえへへと笑いかけて、「よくよく考えてみればさ、本って金銀財宝にも負けないお宝じゃないかな?」と言った。


「ドラゴンが守るのにも、全然、相応(ふさわ)しいでしょ?」


 その言葉に、涙がさらに勢いを増した。

 幸せな涙の奔流に飲み込まれながらリエッキは、もうとっくに知っていたことを、あらためて思い知る。


 ユカとはこういう奴なのだと。

 いくつになっても自由で無邪気でガキっぽくて、それで、時にドラゴンさえ泣かせるほど友達想いで。

 わたしの親友は、そういう男なのだと。


『その時が来るまでは、僕たちはただ僕たちでいよう。当たり前に一緒にいて、それだけで当たり前に満ち足りていられる、そんないつも通りの僕と君でいよう』


 さっき返事をしようとしてできなかった言葉が、不意に脳裏に蘇った。

 あのとき、彼女は弱気な言葉を返そうとした。

 そんなことできないよとか、わたしには無理だよとか。


 だけど今この時、リエッキは『そうしよう』と心に決めたのだった。

 絶望の先取りはせず、残された時間を数えることもせず、ただ当たり前に満ち足りていようと。


 最後の一秒まで、わたしとユカは、いつも通りのわたしとユカでいよう。


「ねぇリエッキ、ずいぶん遠くまできたね」


 いつかと同じ言葉を、もう一度ユカが口にした。

 あのとき上手く返事ができなかった言葉に、リエッキは、今度こそ答える。


「……ああ、そうだな」


 そう泣きながら答えて、それから、泣きながら彼女は言う。


「本当に、ずいぶん遠くまで来たな。……なぁ、ユカ」



/了

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― 新着の感想 ―
リエツキを大切な者を守るために図書館、完成。
二人。ずっと二人。やっと二人。 揺れる炎は心を落ち着けると同時に、潜めた闇を照らして。 闇に立ち入り見えなくなる背中は、いつかの未来を示すようで。 偉大なる竜の震える小さな背中を、親友たる司書王は優し…
遂に冒頭と繋がって感慨深いですね。 旅する本棚から図書館へ。ユカの思いが沁みます。 この先には絶望があるとしても、それまでは二人が楽しく幸せに過ごせますよね。
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