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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 一章.図書館のドラゴンは夢を見続ける。
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■6/了 リエッキとユカ

 そして5日目に別れは訪れた。


 もちろん、それはあらかじめ定められていた別れだった。

 ユカは駆けだしの語り部で、物語ることで母の名誉を回復するという志のもと旅をしているのだ。

 母に対するユカの愛がどれほど深くて、その愛に支えられた信念がいかに強固なものであるか、リエッキは理解している。

 だから、彼女はけっして『行くな』とは言わなかった。


「明日出発しようと思うんだ」


 四日目の夜にユカがそう言ったときにも、彼女はただ「そうか」と応じただけだった。

 それが友情にもとる一言になると知って、だから、慰留いりゅうをほのめかすことはしない。


 しかし、本心は。


 もちろん、彼女の内側ではあらゆる感情が悲鳴をあげている。

 それを黙らせているのは、ひとえに彼女自身の意思の力、ユカとの友情に対する彼女の信念だった。


 そうした心をひた隠しに隠したまま、リエッキは旅立つユカを見送るために彼と一緒に山をくだった。

 人の通る山道は無論のこと使わずに、山中をふたりで迂回して。


 悲しみや寂寥せきりょう、それに準ずるあらゆる感情をリエッキは封じていた。

 それを感じさせることはユカへの負担になると弁えて、おくびにも出さない。むしろ明るさを偽装して楽しそうな顔すらしようと努力した。

 それは、感情の初心者である彼女にとってあまりにも苦難くげんに満ちた献身けんしんだった。


「二度と妄りに山を冒さぬよう……なんてね。大丈夫、きっと、いや絶対にそうなるさ」

「別に、また来たら来たで今度こそ丸焼きにしてやるさ。まぁ、わたしは達者にやるよ」


 快活なユカに、彼女も平気な顔をして応じる。しかし心は絶えず悲鳴をあげている。


 人間は抱えきれぬ悲しみを涙にして流すらしい。

 それは、あるいはこのわたしにも宿っているのだろうか。

 だとすればユカと別れたとき、わたしは涙を流すのだろうか?


 リエッキは、一つの決意を固めている。

 もしわたしにも流れる涙が備わっているならば、それはユカと別れるまでは堪えようと。

 ユカの前ではけっして涙を見せまいと。


 ドラゴンは本能的に宝を求める。そして、彼女はこのとき既にそれを手に入れている。

 ユカとの友情。それこそが、いかなる犠牲を払ってでも守らねばならぬ彼女の宝だった。

 この世で最も気高き生物の高潔さは、ただその一念に尽くされようとしていた。


 斜面はだんだんとなだらかになり、いつしか傾斜は完全に失われて平らかになる。木々の連なりは途切れて、やがて視界も拓ける。

 そして境界が現れる。山地と平地を分ける境界が。


 そこがふたりの別れるべき場所だった。


「それじゃ」


 リエッキは自分からそれを切り出した。


「いよいよここでお別れだな」

「うん」


 ユカは応じる。その表情に寂しさのないことが、彼女の心をちくりと刺す。


 リエッキはユカを見つめる。世界でたった一人の友達を彼女は見据える。

 それから、言葉をかける。


「それじゃ、せいぜい達者でやれよ」


 言いたいことは山ほどあったはずなのに、結局、彼女が口にしたのはそれだけだった。

 わたしは随分あんたに世話になった。あの山狩りの連中のことなんかじゃない、あんたはわたしに数え切れないほど多くの物をくれた、そう感謝を伝えたかった。


 だからもう、わたしは心配いらないよ。この数日の思い出があるだけで、わたしは――。


「あんたの幸運と成功を祈ってるよ。じゃあな、さよなら」


 痛ましいほどの笑顔を作って、リエッキは親友にそれだけを告げた。

 本当に言いたいことはなに一つ言葉にしなかった。それらのうちの一つでも口にしてしまえば、たちまちそこからほころびが生じてしまう、そうわかっていたからだ。

 彼女にとって、それはなによりもおそろしいことだった。


 ともかく、リエッキは別れを放った。泣かないまま彼女はさよならと言ったのだ。

 だから、あとは相手から返されるそれを受け止めるだけだった。


 しかし、彼女がいくら待っても、ユカはさよならを返してはくれなかった。

 自分の中で限界に達しかけているものをなんとかおさえつけているリエッキをよそに、ユカは腕組みなどしてなにやら考え込んでいる。


 はやくしてくれ、とリエッキは思う。

 はやくしてくれ、でないともう、わたしは――。


「ねぇリエッキ」


 そのとき、ようやくユカが言葉を発した。

 別れの場面には遠く適さない、晴れ渡る空を思わせてすがすがしい笑顔で。

 涙の雨を含んだ雲の気配はそこには皆無だった。


 その笑顔で彼は言った。


「あのね、新しい物語の出だしはどんなのがいいか考えてたんだ」


 状況と脈絡を完全に無視した切りだしだった。

 リエッキは唖然として、一瞬、己の内側ではち切れそうになっていたものすら忘れかける。

 そんな彼女の反応に、ユカはしてやったりというような色を笑顔の中に浮かべる。


 そして、唐突な切りだしからはじまった唐突な話題を、最後まで続けた。


「いいかい、こんなのはどうだろう? 『こうしてふたりの友情ははじまったのです。彼らの前には幾多の困難が立ちはだかるでしょう。彼らの前には数多の問題が横たわるでしょう。けれど、ふたり一緒ならなんにも心配はありません。なにしろ彼と彼女は向かうところ敵なしの親友、最高の友達同士なのですから。そうして、彼らはいつまでも仲良く旅を続けたのでした』」


 ――あれ、これじゃはじまりじゃなくっておしまいの文句みたいだな。


 そう呟いて舌を出したユカの仕草に、リエッキは彼がなにを言わんとしているのか、たちどころにそれを理解する。


 語り部はうやうやしい動作で片方の手を竜へと差し延べる。

 そして言った。



「リエッキ、僕と一緒に行こう。僕らふたりなら、どこに行ったって最高に楽しいはずだよ」



 それまで懸命に封じ込めてきた感情の数々が、リエッキの内側で爆発的に質量を増す。

 それらはもはや彼女の中には収まりきらなくなり、二つの瞳からぽろぽろと溢れてこぼれはじめる。


 彼女は涙を流していた。

 ユカの前ではけっして流さぬと誓ったはずのそれを。


 しかし、その涙は友情を裏切る涙ではなかった。その涙は彼女の気高さをおかしてはおらず、彼女の守るべきものを傷つけてはいなかった。


 だから、リエッキは憚ることなく泣いた。

 悲しみのものではない涙を流し続けた。


「僕と行こう? ずっとずっと僕と一緒にいよう? ねぇ、リエッキ」


 答える代わりに、彼女は高々と吼えた。

 遮るもののない平原に、随喜ずいきの咆吼が響きわたる。




   ※




 読者よ。親愛なる読み手よ。

 こうしてふたりの旅ははじまります。

 こうして、ふたりの物語は幕を開けるのです。


 冴えないユカ。取り柄なしのユカ。七光りと威光の申し子の、情けないユカ。

 けれど、彼の隣には常に彼女の姿がありました。

 百千万の人生を繰り返しても、二度とは望めぬ友情がありました。

 意地っ張りで涙もろくて、そしてなにより友達想いな、リエッキという親友がいてくれました。


 だから、読者よ。何度でも申しましょう。

 これは、もっとも幸福な男の物語なのです。

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