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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 一章.図書館のドラゴンは夢を見続ける。
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■4 リエッキ

 天幕がびりびりと震えるほどの、凄まじい咆吼ほうこうだった。

 それが竜の発したものであることを疑う者は、一人としていない。

 山狩り陣営の面々は葬列を思わせる表情で押し黙っている。


 その少年はまさにそこにいた。

 ユカではない。年齢は彼と同じくらいで、しかしユカとは対照的に甘えのない顔つきをした男子である。


 大人たちの情けない様子、特に呪使いたちの無様な有り様を、少年は厳しい批判の目で睨み付ける。

 撤収を決断したこの場の呪使いの長、少年はその息子であった。高位の呪使いを父に持ち、自身もまた将来を大いに嘱望しょくぼうされている神童、それが彼だった。


 父をはじめとする呪使いたちの狼狽ぶりを少年は唾棄だきしていた。

 なにをいまさら、と彼は思っている。最初から我らは竜を捕らえんとしてこの山に入ったのではなかったか。

 それが山の神だとかなんとか言い出した途端に、いったいどうした体たらくだ。

 竜はただ竜でしかないではないか。


 ……ああ、これこそが呪使いの弱点だ。少年は心中にそう嘆じている。

 神秘の担い手を自負しすぎるあまり、その神秘に振り回される。

 なんという本末転倒か。なんという無様か。


「……私はそうはならない。私は、断じて使うべきものに使われたりはしない」


 深すぎる嘆きが口の端にこぼれた。

 どうしたせがれよ、と呟きを聞き止めた父がこちらを向いたが、少年は完璧に取り繕った笑顔で、いえ、なにも申してはおりませんよ、とこれをかわした。

 そして納得した父が再びあっちを向いた瞬間、その笑みをさっきより強いさげすみで塗りつぶした。


 この山狩りには四人の呪使いが参加しており、最年少がこの少年だった。

 一番の年若でも彼より十も年上の先達たちは、しかし全員が揃って山の神の威に畏れをなしている。

 不甲斐ない年長者たちに代わって、少年はこの一件を冷静な視点から考察する。

 竜はただ竜でしかない、さっき心に生じたその考えを彼は今一度繰り返してみる。

 それから思考をさらに一段掘り下げ、報告された山の神についても考えてみる。


 二つの考えが少年の中で結びついた。己にしか聞こえぬ小声で彼は呟きを発した。


「竜はただ竜でしかない……ならば、人もまた人でしかない」


 竜に味方をしている人間がいる、彼はそう確信していた。しかも兵士たちの証言が事実であるとすれば、それは自分と同年配の子供というではないか。

 つまり父たちは……我々呪使いは、そんな子供に翻弄ほんろうされているということになる。


 情けない、あまりにも情けない。

 整った顔容かんばせが羞恥と歯がゆさに歪んだ。


 なにが山の神か、なにが怒りの雨か。

 明察な観察眼を持つ者ならば天気を見抜くこともできよう。

 そもそも我ら呪使いの行ってきた雨乞いとて、その本質は雨の気配を察しその時宜を掴むところにあったのだ。きたる雨に合わせて祈祷を行い自らの手柄とする、昨今では卑賤ひせんと蔑まれる術。

 敵はただそれと同じことをしているだけではないのか。

 どうして当の呪使いがそれに気付かない。それに騙される。


 己の幼さを少年は呪う。彼はようやく見習いとして杖を授けられたばかりだった(それとて年齢を思えばかなりの速さではあったが)。

 先達に意見することはおろか、その考えに反する意思を示すことすら許されない。目下めしたの者は目上に対し、肯定的に笑んでいるより他にない。

 実際を無視した阿諛追従あゆついしょう、それがまかり通る呪使いの社会もまた少年の憎悪の対象であった。


 ――いつか私が変える。腐った呪使いに、いつか必ず変革をもたらす。この私が。


 少年がひそかに決意したそのとき、再び咆吼が天幕を震わせた。

 今度のはかなり近い。


 見張りに立たせていた兵士が、慌てた様子で駆け込んできた。

 その兵士はただ一語のみを繰り返し叫んだ。

 完全に錯乱してしどろもどろになりながら、繰り返し、繰り返し、「赤い! 赤い! 赤いんです!」とだけ。


 彼の言わんとすることを理解できた者は一人もいなかった。それが兵士の狼狽を加速させたようだった。

 どうしてみんなわかってくれないんだとばかりに、彼は子供のように地団駄じだんだを踏みはじめる。


 とそこに、この兵士の相棒らしい別の兵士が遅れて駆け込んできた。


「ド、ドラゴンです! 赤い鱗の、だからつまり、火竜です! 現れたんです!」


 こちらの彼も落ち着いていたとは言い難かった。が、しかしそれでも報告は十分に意味をなした。


 もたらされたしらせがその場を恐怖の坩堝るつぼへと変えた。

 全員が我先を争って天幕の出口へと殺到する。

 一人、呪使いの少年だけが慌てもせずに、最後にゆっくりと天幕を出た。


 そして、また咆吼。

 しかも今度のそれは、物理的な空気の振動となって一同の肌にぶつかった。


 予感に貫かれて、全員が音の波の来たほうを振り向く。

 そして、全員が揃って目撃する。


 いままさに木々を薙ぎ倒し山道へとおどり出た、怒れる火竜のその威容を。


 どこからともなく大音声だいおんじょうの悲鳴があがった。

 誰よりも速くそれは叫ばれた。


「出たぁ! 出たぞ! 山の神だ! 逃げなければ殺されるぞ! 炎に焼かれるぞぉ!」


 その叫びの出所も、またその叫びが誰のものなのかも、そうした一切を気にするゆとりはもはや一同に残されていない。

 ただ叫びの内容だけが良質のまきのように恐怖の火をさらに大きくした。


 人間たちはそれが仲間の声ではなかったことに気づきもしなかった。


 平素には農作業に精を出すような田舎兵士のこと、矛を構えて竜へと挑むような猛者もさは皆無であった。また、呪使いの中にも術を頼みに事態を解決せんとする者はなかった。

 彼らは押し合いへし合いつ見苦しく逃げまどう。

 呪使いは権柄尽けんぺいづくくで兵士たちに足止めを命じ、対する兵士たちは呪使いの責を叫ぶ。

 こうした状況下で、権威や権力への遠慮のかせは既に機能していない。


「偉そうにふんぞり返ってばかりでクソの役にもたちゃしねえ! てめぇらにも意地があんなら自慢のご祈祷きとうでどうにかしてみやがれってんだよ!」


 たまりにたまった不満がせきを切った。兵士たちは口々に呪使いに罵声ばせいを投げつけた。


 そうした醜態のただ中に、混乱への最後の追い打ちは加えられる。

 長い首を誇示するようにゆっくりとのけぞらせて、竜が大きく空気を吸い込んだ。

 沛然はいぜんと降りしきる雨に濡れた竜鱗りゅうりん灼熱しゃくねつし、雨滴を蒸発させて煙をあげた。


 その直後――開かれたあぎとから業火ごうかが溢れ、火弾となって放たれた。


 幸いにも、火炎の礫は逃げまどう者を誰一人として傷つけなかった。

 代わりに、彼らの背後で火弾の直撃を受けた天幕が燃え上がり、跡形もなく地上から葬り去られた。


 目の当たりにした紅蓮の猛威に、いっとき、叫喚きょうかんのすべてがぴたりと停止する。


 己の威を誇るように、山の神が咆吼する。

 呪使いの一人が失禁しつつ腰を抜かしたが、助け起こそうとする者はいなかった。誰も彼もが自分のことで手一杯で、他人にかまっている余裕などない。

 

 人間たちは絶望と後悔に打ちのめされている。しかしそれは遅きに失している。

 山の神はついに突撃を開始する。熾烈しれつな勢いで地を踏みしめ、普請ふしんされた山道を爪で掘り返しながら、怒れる竜は猛然と突進する。


 竜の行く手で、ある者はへたり込み、またある者は慈悲を叫んでいる。そんな同輩たちを置き去りにして一目散に逃げ出した、これが最も賢明な者たちだった。

 もちろん、慈悲乞いの叫びは竜へは届かない。竜は止まらず、むしろ加速を得てさらに勢いを増す。そして人間たちの絶望は深まる。


 そんな混乱のただ中にあって一人、あの呪使いの少年だけが冷静さを保っている。

 実際に目にした竜の姿にはもちろん彼も度肝を抜かれたし、事実、強い恐怖を覚えてもいた。しかし大人たちの見苦しい様は、彼の心を急速に冷却してあまりあった。

 場違いな平静を得て、半ば俯瞰ふかんする心で彼が状況を見つめていた、そのときだった。


 山道脇の茂みから何者かが飛びだし、両手を広げて竜の前に立ちはだかったのだ。


「おお、山の神よ! 静まりたまえ! 静まり、そして、どうか愚かな二つ足どもに慈悲をたまわりたまえ!」


 ほとんどの兵士たちがはっとするのを、呪使いの少年は気配で察した。

 事態への闖入者ちんにゅうしゃの姿を兵士たちは覚えていた。

 一同を守るように竜とのあいだに立ったのは、兵士たちに警告を託した張本人、山の神の使いを名乗ったあの子供だった。


 あいつか、と呪使いの少年は呟く。

 そうか、奴がそうか。


「神よ! もう十分でありましょう!」


 山の神の使いは叫んだ。


「見れば、この者たちはいままさに山を降ろうとしている最中! もはや深追いする理由はありますまい!」

「ならぬ!」


 使いの呼びかけに、山の神たる竜は地鳴りのような恐ろしき声で応じた。


「……し、喋ったぞ。口を利いたぞ。やはり、やはり本当に神なのだ……!」


 そう絶望を囁いたのは呪使いの一人だった。

 もはや隠しもせずに舌を打ち、呪使いの少年は怒りと軽蔑の視線をその男に向ける。

 幻想生物の王たる竜は人語を解し、またそれを発する。彼はそれを知識として知っていた。

 彼にとって先達のいまの発言は、自分の勉強不足を棚上げにして新たな迷信を生みだしたに等しいものだった。


 貴様のような者がいるから、呪使いは堕落の一途を歩み続けてきたのだ。

 少年がままならぬ怒りに切歯したとき、竜が再び人語を発した。


「こやつらはよこしまな心で山を乱し、あまつさえこの我を欲望の矛にかけようとした! もはや悔悛かいしゅんの時は過ぎた! もはや許容にはしかず! 告解をうたうは遅い!」


 再び恐ろしき咆吼が山狩りの陣営を骨からすくませる。

 それに対し、山の神の使いがもう一度人間たちへの擁護ようごを叫んだ。


「神よ! お怒りまことにごもっとも! ですが、愚かな二つ足、人間もまたよろずの獣の一つではありませんか! ならばここは一度だけ、ただ一度だけ容赦を!」


 そう呼びかけるやいなや、山の神の使いは竜へと駆け寄る。

 そしてあろうことか、その身を投げだして竜の巨体に組み付いたのだった。


「さぁ皆様! わたくしがこうしているこの隙に! く疾く、お逃げなさい!」

「おっ、おおっ!」


 放心していた呪使いの長、神童の少年の父親が、突き動かされたように立ちあがった。


「ありがたや! これぞ天の助け、神のご加護の顕現けんげんに他ならぬ!」


 左手に握った杖を大仰に振りかざして彼は叫んだ。


「山入り前に捧げた祈祷の功徳くどくが、いまになって利益りやくを呼んだとみえるわ!」

「ああもう! そんなことよりさっさと逃げなってば!」


 山の神の使いがいささか苛立った調子で叱りとばす。


「あなたの神はどうだか知らないけど、ほら、目の前の神は見ての通りなんだから!」

「お、おお、そうじゃ! 皆の衆! この好機を逃がすな! 立て! 走れ!」


 気を取り直して叫ぶ呪使いの長。

 しかし彼の号令を待つまでもなく、既にほとんどの者が撤退を開始している。中には律儀にも山の神の使いに礼を告げていく兵士もいた。

 

 最後まで逃げずに残っていたのは呪使いの少年だった。

 恐怖で動けないのではなく、意思をもって彼はそこにとどまっている。

 留まり、そして、山の神の使いに苛烈な視線を注いでいる。


 自分と同年代の姿を持つ相手に。

 自分と同年代の、その敵に。


 しかしやがては彼もまた身を翻し、そのまま逃げ去る面々の一員となった。


「いいですか、二つ足の皆様!」


 最後に、山の神の使いは人間たちの背に向けて叫んだ。


「今日の恐怖をゆめゆめお忘れなく! 次はありません、二度と(みだ)りに山をおかさぬよう!」


 誰も返事はしなかった。しかし彼の言葉はきつい戒めとして人間たちに届いた。





 かくして、よからぬ企みを持った人間たちは残らず山を去った。

 最後尾を行っていた少年も山道の彼方に消えて、山狩りの陣営は、ようやく二人の視界から消えた。


 それから、念のための数十秒が待たれた。緊張と予感に満ちた数十秒が。

 そのあとで、一人と一頭は満を持して快哉かいさいを叫んだ。

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