7『ゾンビ』
おもちゃでなにが悪いのか。
そこまで下衆い考えをできるくらいには、精神的に回復していた。
「懐かしい……まさか、もうみんな死んでたと思ったから、こんな思い出話ができるなんて思ってもなかった」
僕の物語において、ヒロインである彼女、佐倉美鈴と今はなき学校の思い出話で盛り上がればそれだけ、余裕もできてくる。
確かに、この世界は僕が滅ぼしたのかもしれない。そして僕が主人公足り得るために、佐倉さんは用意されたヒロインなのかもしれない。
でも、例えそうだとしても、この世界に連れて来られたのは決して僕の意志ではないし、お膳立てされた環境だとしても、こんな可愛い(ガスマスクの)女の子と仲良くなれるなら、据え膳食わぬは男の恥というものだろう。
世が世なら僕のような主人公は妬まれ、嫌われ、疎まれ、罵られているだろう。しかしこれは現実だ! 僕がなにをしようと、どう考えようと、関係はない……と、思いたい。
「私、病弱で、あんまり学校行けなかったから……ちょうど、事件も、私が休んでいたときに起こったし」
「ぼ、僕もだ。その日は、ちょうど休んでて」
思い出話、と言っても、もちろん僕と彼女のいる世界は違う。しかしお互いの過去は、どうやら酷似しているようで、学校行事などで齟齬が生じることはなかった。
積み重ねていく嘘に、僕はいつの間にか罪悪感を覚えなくなった。いや、実際は、こんなふうに、無理やり感じないようにしているのだけど。
「でも、本当に良かった……仲間が、いて」
「仲間……じゃあ、君は、今までずっと一人で?」
佐倉さんは首を振った。
「別の、学園コミュニティに入っててね、でも、やっぱりそこでは、みんなから排斥されてるっていうか、も、もちろんいじめられたり、そういうことはないんだけど……ちょっと、居心地が悪い、かな」
まだこの世界のルールを完璧に把握できたわけではないが、きっとその通りなのだろう。共同体は、過去の記憶と肩書によって成り立っている。学園の思い出と、学園の名だ。
しかし佐倉さんは部外者であるから、その二つを持たない。状況が状況だ。お互いに、接しづらいものがあるのだろう。
「それで、その。僕がいたわけだけど、どうするの?」
「えっ?」
驚いたように、目を丸くする。
なんか変なこといったかと、僕も焦る。
「い、いや、その、あの、だってほら、僕、君と同じ学校だし」
「あ、ああ~」
佐倉さんはポンと手を叩く。
「仲間に入れるかっていうこと? たぶん、大丈夫だと思うけど……リーダーも優しい人だし」
ちょっと違うんだけどな……少しだけ、踏み込んでみる。
「もし、僕が入れなかったら……?」
「えっ、それは」
佐倉さんにとって、僕は荒廃したこの世界で初めて出会った共通の記憶を持つ者だ。無碍にはできない、と思いたいが、少し意地の悪い質問だったかもしれない。慌てて撤回をする。
「ごめん、なんでもないんだ。じゃあ、君のリーダーとやらと会わせてもらってもいいかな?」
「う、うん……」
歯切れの悪い回答に、やはりさっきの質問は早計過ぎたかと後悔する。エロゲなら即座にフラグが折れていてもおかしくなかったかもしれない。
それでも、ただ僕は、そんな巨大なコミュニティに吸収されるよりも佐倉さんと、二人で一緒にいたかったから。
佐倉さんと一緒に、僕らは保健室や食堂から必要物資をあさり、彼女は自前のバッグに、僕は拾った救急バッグにそれらを詰め込んだ。
「なんで死体がないんだろう」
「あなた……今までどうやって生きてきたの?」
ふとこぼした疑問に、佐倉さんは耳ざとく反応をしてきた。あんまり迂闊なことを言うと怪しまれそうだから、これからは発言にも気をつけなければならないな。
「ずっと一人で隠れてたから……まだ、良くわからなくて」
「死体は、消えるの。ウィルスに感染し、発症した人たちは血を吐くこともなく絶命をして、しばらくすると体内に残ったウィルスがどんどん増殖して宿主を喰らい尽くす。跡形も残らず、ね」
だから、空気中にウィルスがこんなに散乱しているのか。もしかすると僕が埃だと思っていたのはみんな、その集積物なのかもしれない。
想像する。もし世界中のみんなが死に絶え、ウィルスだけになった世界を。きっと、静かで、不謹慎かもしれないけれど、美しいのだろう。
「だけど、まさか本当にガスマスクもなしで生き残れるなんて」
「あっ」
そうだ。すでにかなりの時間、僕はガスマスクもせずウィルスを吸い込み続けている。なのに、死なない。発症した様子はないし、なにか身体に異常があるとも思えない。
だとすると、やっぱりこれは、創造主だけの特権なのだろうか。
それとも、佐倉さんの言う通りこれが僕の能力なのか。
能力だとすれば、いったいどんな力なのだろう。
「っ、危ない!」
肩に激痛が走った。うめき声を上げる間もなく、僕のからだは佐倉さんによって押し倒され、物陰に引きずり込まれた。
「なっ、なにが――あ、あれ?」
佐倉さんの肩を掴んで起き上がろうとして、そのままバランスを崩して倒れてしまった。どういうことだ? 目眩もするし、全身の感覚が、ない。
「ど、どうしたの?」
「い、いや、なんらか」と、声を出してみて、異常に気付く。
喋れない。口が、ぜんぜん動かないのだ。
「あ、ああ、あっ」
バカみたいにうめくことしかできない僕を、佐倉さんは抱き起こす。靴箱に背中を置いてくれたけれども、すぐに横に倒れてしまう。
「アレ、外したか……?」
と、遠くから男の声が聞こえてきた。足音は、二つ。徐々にこちらに近づいてくる。
「うそ、まさかこんなときに……」
誰、などと聞くまでもないだろう。僕を見て攻撃してきたのだから、可能性は一つしかない。あいつらは、別のコミュニティに所属する、敵だ。
「おーい出てこいよ! 痛くしねえからさ」
「出てこれないのかもしれないぞ。毒が回って」
さっきから肩が焼けるように痛むのは、そういうわけか。恐らく投合武器の一種だろう。弓矢か、ボウガンか。僕の肩を掠めた際に、矢先にでも塗られた毒が入り込んできたのだろう。即効性の、麻痺かなにか。
「……ど、どうしよう」
佐倉さんは倒れている僕の服の裾をきゅっと掴んでいる。いくら彼女が格闘術に長けていたとしても、相手の武器もわからなければ、人数的に不利な状況にある今、簡単に行動に出れないのだろう。
逃げろ、と叫びたい。
だが、口がうまく動いてくれない。母音だけの意味を成さない言葉の羅列だけが、小さく呟かれるだけだった。
「まいったなあ。せっかく、同じ学校の人と会えたのに」
「おお、いたいた。っておい、二人かよ」
男たちが靴箱の影から姿を現した。一人は高身長でがたいの良い、佐倉さんの持っていた物よりも刃先の長いナイフを持った男。もう一人は、僕の肩に掠らせたと思しきボウガンを構えた、痩せ型の金髪だった。
「おーい動くなよ。動いたら打つぞ」
佐倉さんが腰にあるナイフに手を伸ばそうとしたとき、男の一声と佐倉さんに合わせられたボウガンの照準によって遮られる。
ていうか、あれ僕が隠してたはずなのに、いつの間に取ったんだろう。
「……おい、なぜその男はマスクをしていない」
「えっ、うっわマジだ。え~信じらんねえ。死なねえの、そいつ?」
「なにが目的だ」
初めて僕が彼女と対峙した時に聞いた、無理やり低くした男声。今となってはひたすら嘘っぱちに聞こえるが、初対面であれば誤魔化せるだろう。
「目的って、まあ、そらいくつもあるけど」
「一つは、物資の調達だ。お前らと同じだな」
がたいの良い男が僕らの持っていたバッグを見て、言った。
「もう一つが、そうだな、捕虜の獲得だ。なあ、別にお前らに痛いことはしない。女というわけでもないし、交渉材料にしかならないさ」
女だったらどうなると言うのか。
僕は一瞬だけ想像した嫌な――佐倉さんが、あいつらに――妄想を振りきって、どうにかしてこの場を逃げなければならないと思った。
「っ……物資は、やる。だが今回は見逃してくれないか」
「ぶはっ、物資はやるって、そんなんこの状況じゃ当たり前だろ。なあ、もう面倒臭いからさ、とっととこいつも麻痺らせて連れて帰っちゃおうぜ」
「荷物が増えるのは御免だ。できることなら、こいつらに自分で歩いてもらいたい」
奴隷商人かよ……考え方がいつの時代に逆行してんだ、こいつらは。
とにかく、この場はなんとか無事に収められることはあり得ないらしい。何があっても僕たちを自分たちの拠点に連れて帰るつもりだ。
「……なあ、お前さ、なんか……」
金髪の男が、佐倉さんを指さして、言った。
「……こいつ、女じゃねえか?」
「っ――」
佐倉さんが息を飲む音が聞こえた。まずい。
「そうなのか?」
マスクで顔が隠れているとは言え、声や、仕草をじっと見れば確かに女性だと気づかれてしまうかもしれない。
まさか、こいつらそんなに目ざといなんて……
「まあ、確認すれば済む話か。おい」
「やーりぃ」
男はボウガンを置いて、ポケットからナイフを取り出した。がたいの良い男はボウガンを拾い、佐倉さんに向ける。
「動くなよぉ……よっと」
そう言って、金髪の男は佐倉さんの着ていただぶだぶの防護服を、首元から一気に引き裂いた。
「きゃっ――!?」
「おい、マジだぜ、こいつ女だ!」
僕には見えない。それでも、佐倉さんが今、こいつらにあられもない姿を晒していることだけは、わかる。佐倉さんは両手で自分を抱きかかえ、その場にしゃがみ込んでしまった。
男は佐倉さんの顎を持ち上げて、ガスマスクの中を覗きこもうとする。
「やめろ」
声が出る。
今度こそは、立ち上がれる。
「やめろ!」
「おいおい、こいつ毒が回ってるんじゃねえのかよ」
金髪は佐倉さんから手を離し、僕の方へと歩いてくる。
靴箱に手を置いて、やっと立ち上がることができたというのに、金髪はそんな僕の腹を蹴り飛ばした。
「ぐふっ……」
「まさか、毒が回復したとでも?」
「バカ言え。やっぱ当たってなかったんだよ。あれは、そんな軽い毒じゃ」
再び佐倉さんに近づこうとしている。
やめろ。
そんなこと、させてたまるものか。
「うああああああ!」
僕は雄叫びを上げて、立ち上がりざまに金髪に向かって突進した。金髪は咄嗟にナイフを構えるが、僕の足は止まらない。
「だめっ!!」
佐倉さんの悲鳴が聞こえる。
金髪を壁までふっ飛ばし、一緒になって転げまわる。起き上がると、僕の下で伸びている金髪がいた。その手には、ナイフはない。
「はぁ、はぁ」
また立ち上がって、残りの男を睨み付ける。
あと、一人。
「待て、おい、なんでお前は動けるんだ」
僕は、この世界の創造主だ。
それでも、いくら俺ツエーだと言っても、ルールだけは破れない。
「これが、僕の能力だから」
気付いたんだ。
なぜ、発症しないのか。なぜ、毒の回復が早いのか。
そしてなぜ、ナイフで刺されたにも関わらず平然と立ち上がることができるのか。
「能力、だと……?」
「君の能力は?」
がたいの良い男は、舌打ちして、ボウガンを投げ捨てる。両の拳を打ち付けて、激しい音と巨大な風が舞い上がった。
「舐めやがって……」
良くある能力だ。恐らく、筋力強化とか、皮膚硬化とか、そういった類の肉体強化系の能力だろう。
奇しくも、僕と同じ系統らしい。
男は走り出す。拳を振り上げて、僕のがら空きの腹に強烈な一撃を食らわせる。痛みすらない。それほどの衝撃が、全身を貫いた。
「あがっ――」
どれくらい飛んだのか。男の声と佐倉さんの声が遥か遠くに聞こえる。
でも、僕は立ち上がる。
まだ、死なない。いや、死ねない。
「おいおい、冗談だろ……」
僕は、ある日見た、ゾンビ映画を思い出す。タイトルは忘れたし、内容だってうろ覚えだ。だけどその映画では、ゾンビが異常なまでの膂力を発揮することに、理由が付けられていた。
『人間が肉体を守るために発動する痛みというストッパーがないから、奴らは通常よりもずっと強力な力を発揮できるんだ』
そうだ。
今の僕は、麻痺のせいで痛みがない。それに、いくらからだを酷使しても、どうせすぐに元通りになるんだ。
走り出す。男に向かって、足の骨が肉を裂いて剥き出しになっても知ったことではない。痛みは忘れたんだ。ただ、今は目の前のあいつを倒すことだけを考えろ。
「冗談だろっ――――!?!?」
遠慮もいらない。技術もいらない。
僕がやるべきことは、ただ一つ。
「おおおおおらあああああああ!!」
あいつのどてっ腹に、頭突きをかましてやることだけだ!
「ぐふっ、うぐええええええ――――――!?!?」
男は僕と同じくらい吹き飛んで、コンクリートの壁に少しだけめり込んでようやく、倒れた。
能力を自覚した途端、肉体のあらゆる欠損部位が、異常な速度で震え出す。これが僕の能力だ。創造主である僕が、主人公であるために、物語のルールの中で考え出した最強の力。
「あなた、は」
裂けた足も、ナイフで刺された後に殴られた腹も、打たれた肩も、そして、佐倉さんによって傷つけられた手のひらも。
良くわからない煙と共に、回復した。
「僕の能力は、自己治癒」
震えが収まると、僕のからだは、傷一つないいつもの肉体に戻っていた。
「僕は絶対に――死なない」