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6『おもちゃ』

 保健室の場所もまた、元いた世界と同じだった。塗装が剥げていたり、棚や机には埃が積もってはいるものの、探せばすぐにきれいな包帯が見つかった。

 血を拭き取り、使用期限とかすら良くわからない消毒液を手にぶっかけ、包帯とガーゼでぐるぐる巻きにして応急処置はできた。最初はじんじんと痛んでいたが、しばらくするとその痛みも消えた。

 

 女の子は、ベッドで寝かせた。ガスマスクを脱いだら大変なことになったみたいだから、着けっぱなしのままだけど大丈夫だろうか。倒れたとき、ガスマスクを被せてやったら呼吸だけは落ち着いた。どうやら気絶したようで、起きることもなかったのでおぶって保健室まで連れてきたというわけだ。


 しかし、生きてきた十数年で女の子をおぶる経験があるとは思わなかった。いやあ、想像していた以上に、重たかったなあ。もっと羽のような感じで、ふわっと、軽やかに持ち上がるイメージをしていたんだけど。

 

 ベッドの端に腰をかけて、女の子を見下ろす。ガスマスクを着ける前、ちょっとだけ覗けた端正な顔立ちが今眺められないのが残念だ。雑にマスクを着けたから、ぴょこぴょこと赤い髪の毛が飛び出している。しかし今のご時世に赤髪って、アヴァンギャルドというかなんというか、二次元じゃないんだし……あの痛みと言い、確かにここは現実だ。


 ただ、確実に僕がいた世界ではない。ユーリカが言っていたこと、ここは僕の妄想が生み出した世界。本当か嘘かは置いておいても、確かに僕はこんな設定の物語を構想したことがある。


 考えたのがいつすらも思い出せない。数ある妄想の一つだから、そんな思い入れがあるというわけでもないし、文字起こしだってしていない。ただし確かに似たような世界を頭の中で描いていたのは覚えている。


 穴だらけの記憶を繋げていこう。

 この世界は、きっとゾンビ物を見たときに考えたものだ。いわゆる終末物というジャンルがあるだろう。廃墟やら、化け物やら、そんな《荒廃!!》した世界でヒロインの女の子と旅をするっていうような設定に憧れていた。


 細かいキャラクター設定は置いておいて、記憶が正しければ、この世界ではある大きな学生同士の抗争があった。まず大人たちはウィルスによって死滅してしまった。感染が遅かった若者たち、つまり学生だけが生き残り、終末と化した世界に適応していった。そこで生き残った学生たちは元いた学園の名を背負い、コミュニティを作り出し、協力し合った。

 しかし、食糧にも、そして住居にも限りがある。

 彼らはお互いのコミュニティを守るために、自分たち以外のコミュニティと戦争をするようになった。その中で、僕は――とかいう、設定だった気がする。


 いや、うろ覚えだし、まだぜんぜん良くわからない部分もある。例えば戦うための武器はどうしたのだとか、コミュニティの規模だとか、ウィルスに関してとか。ただ、大体は把握することができた。


 もしウィルスが蔓延しているとすれば、女の子がガスマスクを着けているのも納得がいく。そら、いくら感染が遅いとは言え罹ったら死んじゃうからな……いや、ちょっと待て。


 だとしたら僕もヤバくないか?


「んっ……」


 女の子がの眉がぴくりと動き出した。どうやら目が覚めたようだ。

 

「大丈夫?」


「あ、あなたは……?」


 彼女は上体を持ち上げて、頭が痛むのかマスクの上からこめかみを押さえる。僕は手元にあった手ぬぐいを渡して、ベッドから立ち上がった。


「さっき君に殺されかけた人」


「っ!」


 その発言に、女の子はベッドから跳ね上がるように飛び出した。ベルトからナイフを抜こうとして、得物がないことに気付いたようだ。


「危ないから、隠したんだけどさ」


「な、なにをしたの」


「なにもしてないって。ガスマスクを着けてあげて、ここに運んで、ベッドに寝かせていただけ。感染はしていない?」


「……感染?」


 あれ、違うのか。

 しかし確かに少し考えてみればわかることで、息を吸ったら感染してしまうようではいくら後からガスマスクを着けたところで意味はない。

 ウィルスのシステムが違うんだ、恐らく。


「いや、ごめん、僕も良くわかってなくて」


「あ、あなたは何者なの? マスクを着けないで、平然といられるなんて」


 僕は両手を上げて、首を振る。


「むしろ僕が聞きたいんだ。君はなぜ、マスクをしているの?」


 女の子は一歩、また一歩と壁際に下がっていく。得体の知れない僕に対して恐怖心が募っているようだが、むしろ怖いのは僕の方だ。

 ユーリカに意味の分からない世界に連れて来られ、突然ガスマスクを着けた女に殺されかけ、理解ができないことの連続だから。


「発症を、防ぐため」


「発症?」


 女の子の声はまだ震えていた。


「あなたの言った、感染は、すでにみんなしている。でも、私たち子どもは大人と違ってすぐに発症することはなかった。そして、発症せず感染したまま生き続けている内に、からだが変化していった。免疫ができたの」


「じゃあ、もう治ったってこと?」


「違う。未だにウィルスの混じった空気を吸うと、体内の変化したウィルスが共振を起こして、再発症して絶命しちゃう。でも、即死することはなくなった。マスクを外しても、少しの間だけは生きていられる。手遅れにならなければ、またウィルスを吸わないようにすれば死ぬこともない」


 そうだ。

 確かに僕は、そんな設定を考えた。


「だから……」


 女の子は俯いて、少しだけ恥ずかしそうに、言った。


「た、助けてくれて、ありがとう」


 どきっ、とした。

 まさかガスマスクを着けた女の子にお礼を言われて胸がときめくなんて、想像だにしなかった。いや、中身は確かに美少女だけど、今は決して映えるビジュアルではないことは確かだ。


「でも、わからない。なぜあなたはマスクもせずに生きていられるの?」


「それは……」


 考え得る理由は、二つある。

 まず一つが、まだ僕がこちらの世界に来たばかりだから感染はしたものの発症をしていないという非常に合理的な理由。

 もう一つが、僕がこの世界の、ある意味で《ゲームマスター》だから、死ぬことがないといういかにもチートな理由。


 濃厚なのは、もちろん前者だ。

 しかし、後者であれば、それは。


「まさしく俺ツエーじゃないか……?」


「なにか言った?」


「い、いや、こっちの話……」


 だが、確かめようがあるのだろうか。放置していて、死んでしまったら元も子もない。とりあえずは、ガスマスクを被っていたほうが良さそうだ。


「もしかして、それがあなたの能力?」


「……能力? あっ」


 思い出した。

 そうだ、この世界が仮に、僕が生み出したものだとしたら。

 超能力があるのは、当たり前のことじゃないか!


「ウィルスに感染して、発現した能力が、ウィルスで発症しないなんて」


 そうだ。確かこの世界で能力が発現した理由は、ウィルスに感染したからだった。免疫ができたとき、子どもたちは能力を得た、という設定だった気がする。もはや覚えていなさ過ぎて彼女の説明をもしかすると勝手に脳みそが記憶と入れ替えているのかもしれないが。


「で、でもガスマスクは欲しいんだ。あれがないと、ほら、顔が割れるっていうか……」


 良くわからない理由だった。ここで変に僕がこの世界の創造主であると言わない方が良いだろう。だから、今は能力だとしていたほうが都合がいい。


「顔が割れるって、あなた、本当に何者なの……? それに、所属を訊いたとき、言ったよね。この学校だ、って」


 僕は頷いた。


「そんなこと、あり得ない」


「なんでさ」


「だって、この辺りはなぜかウィルスの濃度が他よりもずっと強くて、そのときに登校していたクラスメイトはみんな……みんな、死んじゃったから」


 なる、ほど。

 仮に僕がそういった物語を想像したとしたら、僕は僕と、そして特別かわいいクラスメイト以外はみんな殺すだろう。なぜならその方が手っ取り早いし、ヒロインと二人、という設定がツボなのだから。


「……ん? クラスメイト?」


 女の子は自嘲気味に笑って、保健室の壁を踵で蹴った。


「そう。だって私はこの学校の一年生だったから」


 まさか。

 おいおい、ちょっと待てよ。だとしたら、確かに辻褄は合う。

 彼女はこの世界において、主人公の正当な《ヒロイン》だ。

 そして今、この状況で、僕は。


「……ねえ、嘘って言ってよ。あなたの制服は、確かにこの学校のものだけど、でも、信じられないの。あなたが、この学校の人だなんて、そんな」


 やめてくれ。

 僕は自分の手が、ポケットの中にある生徒手帳を掴んだことに気付いた。

 無意識に、また、あの時のように、僕のからだは勝手に駆動する。


 すべてを知っているんだ。

 僕はこの世界を創り出して、自分が主人公になるために、君のクラスメイトを、両親を、すべて滅ぼした。

 そうして僕の生み出した物語では、君は僕のヒロインだ。


 でも、そんなの、そんなことって。


「そ、それ、生徒手帳……?」


 これじゃあ、彼女は、ただの。


「嘘、じゃあ、本当に、あなたは――」


 僕の、おもちゃじゃないか。

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