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5『廃墟とガスマスク』

 目が覚めると、そこは屋上だった。夕焼けに照りつけられて、秋風の寒さが少しだけ緩和される。からだを起こすと、くらりと目眩がした。


「ユーリカ?」


 声に答えてくれる者はいない。周囲には僕以外、誰もいなかった。立ち上がって屋上の縁までゆっくりと歩き、一面に広がる光景にまたしても目眩がして、咄嗟に金網にもたれかかる。


「なん、だこれ」


 屋上から見渡せる光景は、まさに《廃墟》と形容できた。


「どこだよ、ここ」


 商店街のネオンもなく、オフィス街から照らされる明かりもない。ビルは朽ち、窓ガラスは割れ、多くの建物が半壊している。夕日に染まった世界はどこまでも赤と黒だけで、照り返すガラスも見当たらない。


 まるで、ポストアポカリプス。世界が崩壊してしまったその後を見ているような気分だった。途端に足元がぐらつき、その場に座り込んでしまう。地べたについた手のひらを目の前に掲げると、ぱらぱらとコンクリートの破片が落ちて行った。


「ゆ、ユーリカ?」


 屋上の扉は錆び切っていて、ノブの銀色は赤銅色に染まっていた。握った瞬間に伝わるざらつきは、妙な現実感があった。

 夢じゃない。

 扉が激しく軋みながら開いていく。階段はところどころにヒビが入っていて、今にも崩れそうな雰囲気だった。廊下の壁の至る所に蔦が貼っていて、人がいた痕跡は欠片も存在していなかった。


「ユーリカ!」


 声はどこまでも遠く響き、廊下の果てまで伸びていく。ともすれば校舎すべてに伝わっているのではないかと思うくらい、ひと気もなければ僕以外の声は聞こえない。

 学校は、確かに僕の通っていたものと同じだった。教室の配置も、階数もすべてが記憶と一致する。二階まで降りて、自分のクラス番号が貼られているはずの教室に辿り着いた。プレートは薄汚れていて、文字が消えている。


 老朽化した木製の引き戸は、いくら引っ張っても開かなかった。意を決して蹴り飛ばすと、木に穴が空いて足が吸い込まれていった。


「げっ!」


 バランスを失った僕は、その場に倒れこんでしまう。勢い良く尻もちをついたので、尾てい骨が悲鳴を上げた。


「いっつ……」


 足を引っこ抜くと、また何度か軽く扉を蹴って、空いた穴をさらに大きく広げていく。ちょうど一人分通れるくらいの大きさまで拡張して、舞う木くずを吸い込まないように腕で口元を隠しながら、教室に入った。


 誰もいない。まさか、と想像していた白骨化死体なども見当たらず、ただ整然と並べられた机に埃が積もっているだけだった。

 ヒビ割れた窓からは斜陽が差し込んでいる。埃が明かりに照らされて、きらきらと輝いて見えた。


「誰も、いない」


 自分の席に腰を下ろすと、制服の裾で机の埃を払い、肘を置いた。

 ここは、なんだろうか。

 ユーリカと屋上にやって来た。そして、思い返すとなんら意味を持たない会話をいくつか交わした後、彼女は僕の手を取って、呟いた。視界がおかしくなったのを覚えている。屋上の金網がぶれて、何重にも被さり出し、頭痛に襲われて、僕は気を失った。


 ユーリカは、なにかを言っていた。


「多世界が、どーのって、確か」


 僕の妄想、とも言っていた。しかしどれも連続した会話として捉えることはできず、記憶は曖昧なまま思い出すことができない。

 そうだ。ユーリカは、僕が生み出した世界、とも言っていた。


「ここが……?」


 僕が生み出した世界だって?

 こんな、荒廃したひとっこ一人見当たらない世界を、いつ僕が夢想した?


 …………あー。

 いや、ああ、えっと。

 したかもしれない。


「あがっ」


 椅子が軋みを上げ、大きな音を立てて崩れ落ちた。ケツにパイプが直撃する。またケツかよ!


「僕が生み出した世界っていうのに、なんていうか」


 やけに僕に対して辛辣じゃないか?

 

 すると突然、がたり、と扉の向こうで音がした。


「ユーリカか?」


 向こう側から、声は聞こえない。立ち上がってズボンについて埃を払うと、僕はまたしても穴をくぐって廊下に出た。

 

「ユーリカ……?」


 右と、そして左を見て、視線は止まる。

 数メートルほど離れた場所に、奇妙な人が立っていた。

 そいつはぶかぶかのコートで全身を包み、ガスマスクのようなもので顔を覆っている。微かな呼吸音が、口元に突き出たマスクから漏れ聞こえてきた。手には、鈍く光る――あれは、ナイフ?


「っ!?」


 そいつはナイフを振りかざし、こちらへと駈け出してくる――


「ちょ、待て!ストップ!」


 咄嗟に飛び跳ねて、寸でのところで攻撃をかわす。視界の端には、斜陽を反射させた銀色の刃と、不気味なガスマスクがあった。


 振り返るとそいつは即座に反転し、またしても距離を詰めてくる。

 逃げられない――っ!


「ぐおっ……!?」


 タックルで押し倒され、地面に打ち付けられた背中が激痛を訴えた時、すでにガスマスク野郎は僕の腹に跨っていた。

 目の前にはナイフの切っ先。良く見ればこの付いている染みは、血じゃないだろうか……?


「ま、待ってくれ!僕はなんにも、てか、ほんと、わからないんだ!」


「…………」


 ガスマスクは無言のまま、僕の腰をまさぐる。


「武器なんて持ってない!」


「誰だ」


 くぐもった声がガスマスクの内から聞こえてくる。


「だ、誰って、ただの学生だよ!」


 かざされたナイフが鼻先に触れる。


「見ればわかる。どこの学生だと聞いている。仲間は?」


「ど、どこのって……こ、この学校の、だけど」


 ガスマスクのからだが一瞬、ぴくりと震えた。鼻先に突き付けられたナイフが徐々に離れていく。

 た、助かったのか?

 そう思ったのもつかの間、ナイフはそいつの肩辺りでぴたりと静止し、切っ先は未だに僕を向いている。

 ……あれ、これ、振り上げただけか?


「ま、待って――」


 ナイフは振り下ろされる。僕の言葉はガスマスクに届かない。


 ちょっとほんと意味わからないって。なんだよ、これ。わかってるよ。自分がいかに中二病の展開を満喫できているか、ああ確かに今この状況は僕の妄想そっくりだよ。そんなの自覚してる。

 でも、おい、嘘だろ?

 ここで死んじまったら、僕は、主人公でもなんでもないじゃないか。


 どうする。

 ここで、僕は――いや、僕たち《主人公》はどうすればいい?

 超常的な力を発揮する?

 否。たぶん世界観が違う。

 仲間の助けを期待する?

 否。この世界に今は僕一人。

 ならば、どうする?


「あああああ!くっそ!」


 そうだよ。《お前ら》ならそうするはずだ。

 最も絵が映えて、同時に生き残れる方法。


 掴め。

 ナイフを、掴め!


「ぐっ、ああああああああああああいってえええ!?」


 掴めなかった。咄嗟に伸ばした手のひらで、ぐっと刃先を押し退けただけで、僕の手からは真っ赤な鮮血が溢れ出し、今まで味わったこともないレベルの激痛が走り抜ける。

 でも、でもなんとか逸らせた――しかし痛ぇ!!


「なっ――きゃっ!?」


 あまりの痛みにもんどり打ち、跨っていたガスマスクを振り落とした。というか蹴っ飛ばして、その隙に立ち上がって逃げようとした。


「ま、待て!」


 だが、後ろから聞こえてきた甲高い声に、その足は止まってしまう。


 振り返ると、ガスマスクは、ガスマスクを外していた。

 蹴り飛ばされた衝撃で、外れてしまったのかもしれない。


「え、き、君、お、女?」


 そこにいたのは、赤色のショートカットの、女の子だった。


「えっ、あっ、マスク――かはっ」


 女の子は慌ててマスクを拾おうとするが、その場に倒れこんでしまう――いったいなんだ? なにが起きてる。


「おい、あんた、大丈夫か?」


 そんな悠長なことを言ってる場合でもない。僕自身、すでに腕の感覚がないくらいにはダバダバと血が流れている。

 でも、ここは、僕は。


「あっ、ま、マスク……」


 僕がやるべきことは、ひとつしか、ないよなあ。

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