4『現実と妄想のはざまで』
いったい何事かと、教室中がざわめき出す。ユーリカと朝桐は知り合いなのかとか、なんだか園田さんからオーラが溢れ出しているだとか、教師の静止の声すら無視してクラスメイトは口々に呟いた。
渦中の僕はと言えば、今にも逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。だって、そりゃそうだろう。今まで地味に生きてきた僕はこうして注目を浴びるという経験が皆無だった。まるでいきなりステージに上げられたスターのような気分だが、決して居心地が良いわけではない。
むしろ、恥ずかしかったり意味わからなかったりで、とにかくいますぐ消え去りたい。
「ほらお前ら早く席につけ!」
見かねた教師がユーリカの肩を丸めた教科書でつつき、ようやく事は収束していった。園田さんもすでにユーリカには興味を失ったと言わんばかりに、一切振り返らずに自分の席に戻っていくし、ユーリカはまた僕に小さく手を振って、少し離れた空席に腰を下ろした。
授業中。
斜め前に座るユーリカがたまにこちらを振り向いては小さく手を振るので、周囲の奴らから向けられる奇異の視線が死ぬほど辛かった。人間、目からビームってマジで出るんだって思った。
授業と授業の五分程度の休み時間は、チャイムと同時に席を立って便所に逃げた。そして開始ぎりぎりに戻ってきて、誰にも気づかれないように席につく。
その繰り返しで、僕はついに昼休み、便所飯を決行した。
一日が過ぎゆくのはあっという間で、汗をひたすらかいていたら六限も終了し、下校時間となった。
部活に行く者、帰宅する者、掃除当番、クラスメイトは三々五々、散っていった。僕があまりに教室に顔を出さなかったためか、今朝ほどに注目されることもなく落ち着いていた。
ユーリカは、教師に呼ばれて今はいない。
「なあ、朝桐ってさ」
新藤に肩を叩かれて、ほっと吐き出した息が驚いて逆流し、変にむせてしまった。咳き込むと、新藤は笑いながら背中をさすってくれる。ああ、これ結名が見たらたぶん興奮してるだろうな。
「な、なに?」
「いや、ユーリカさんと知り合いなのか?」
「知り合いっていうか、ううん、むしろほぼ初対面だよ」
「そっか。そうだよな。じゃあ、考え過ぎか」
考え過ぎ?
訊き返すと、新藤は慌てて手を振った。なんでもないとはにかんで、僕の背中をまた軽く叩いてきた。この色男などと、何かを取り繕ろうとでも言うように、軽口をぼやきながら。
「そういや、先生がお前のこと呼んでたぜ」
新藤にそう言われ、職員室に向かうと、中ではユーリカと教師が話している姿が見えた。聞いてみると、どうやら、まだ日本のことを良く知らないユーリカに学校を案内して欲しいと言うのだ。
なぜ僕に。そんな疑問は、なんか仲良さそうだったからという教師の一言で反論することもできなくなった。
「よろしくお願いしますね、新藤さん」
「あ、うん、よろしくね、ユーリカさん」
僕らは適当な話をしながら、本当に、他愛のない話をしながら学内を回っていった。隣に美女がいるという現実は、なかなか理解しづらい現実ではあったが、周囲からの羨望の視線に、少しだけ心が踊ったりもした。
そうして僕らは、必然的に、屋上へと辿り着く。
ユーリカは黙って、扉を開け放つ。風が吹き、彼女の銀色の髪をなびかせる。毛先から漂う甘い香りが、鼻の奥をツンとくすぐった。
「良くわからないんだ。君が転校してきたのは、今朝なのに、どうして今までずっとこの屋上にいたって、言ってたの?」
目の前に氾濫する無限の選択肢、言葉の集積が、数々のライトノベルによって得た経験則によって限定されていく。正解への道筋が示される。
そうして、彼女は答える。
「探していたんです」
誰を、という僕の呟きが、二人しかいない屋上で響き渡る。
「あなたを」
嘘じゃない。これは確かに僕の現実だ。
望みが、叶う。
そんな気がしてならなかった。
「いったいどういう……」
「見てもらった方が早いと思います」
そう言って、ユーリカは僕の手を取った。そして小さく「分離・転移」と唱えると、突如、視界が幾重にもぶれ出しだ。
「ぐっ、これ……」
「主観的世界が内在し得る、現実の数多の解釈可能性は実際に分岐を生み出します。つまりIfの世界、もしかしたら起こり得たかもしれない妄想は、事実、多世界的宇宙に確固として存在します。私たちが今から行くのは、NB489867というタグの付けられた世界です。そこは言うなれば、あなたの妄想した世界。あなたが生み出してしまった、世界の一つです」
ユーリカの言葉は僕に理解することはできなかった。それでも、視界が明らかに異常を来たし、正常な判断力を奪われていることだけは《理解》できた。
「しかし問題があった。本来であれば多世界はお互いに干渉することはほぼ出来ない。量子的な揺れや、超常的な意味での干渉は不可能ではありませんが、影響力としてそよ風を吹かせることすらもできません。それが、私たちの生きる多世界の常識だった」
「どういう、こと」
「でもあなたは、あまりに異世界を羨望し過ぎていた。取り憑かれたように、毎日屋上に通い、開くはずのない扉の前で想像をしていた。この扉が開けば、夢が叶うとでも言わんばかりに、あの屋上に対し狂気とも言えるほどの妄想を繰り返していた」
ユーリカは僕をバカにしているのだろうか。きっとそうだ。
「結果、あの《特定》の屋上はあなたによって数え切れない《解釈》が施され、常軌を逸した《あなたの妄想》は彼らの世界にヒビを入れた。つまりあなたの主観が、あの屋上で爆発してしまったんです。そうして屋上は多世界を繋げるワープトンネルを生み出してしまった。私が《この世界》に来れたのもそれが原因ですし、こうして今から私たちが《あの世界》に行ける理由もそれです」
意味がわからないと、僕は叫んだ。
「時間がありません。いいですか、良く聞いてください。あなたの本来、生きていたはずの世界はすでに多世界の干渉によって崩壊しつつあります。今、あなたの妄想によって生じたワープトンネルを通じて、多世界は一つになろうとしている」
思い出してください、とユーリカは言った。
「あなたは本当に、妹がいましたか?」
僕は頷く。結名は、僕の妹だ。
「あなたは本当に、園田さんという人物を知っていますか?」
当たり前だと、頷く。彼女は僕のクラスメイトで。
「私を、知っていますか?」
君は、ユーリカ。屋上で、僕らは出会った。
僕は、朝桐海斗。
高校一年生で、妹がいて、ラノベが好きで、中二病で、園田さんとたまに話すことを唯一の楽しみにしていて、そうしたらユーリカというロシアからの転校生がやって来て、そんな現実が。
「現実に、起こり得るとでも?」
僕は、首を振った。