2『開かれた屋上で』
屋上の鍵が開いていた。
いや、え?あれ?なんで?
おかしいじゃないか。確かに僕は、まるで偏執狂のように、毎日毎日屋上の鍵が開いていることを期待して校舎の階段を上り、そして毎日毎日開くことのない屋上の強固な扉の前でため息をついていた。
わかっていたからだ。屋上が開くはずがないと。
時代は恐ろしい。自殺者だのなんだの、あまりに出すぎたために、屋上はもはや不要なものとなった。弓道部ですら学外の施設を借りているほどで、もはや古今東西、いや西は知らないけど、とにかくベターでありきたりなテンプレート物語の定番中の定番として現れる夢の空間OKUJOUは、存在しない。
だと思ったら、これだ。
屋上の鍵が、開いている。
暴れだす心臓が早く開けろと叫んでいる。だが、どうした。現実なんてこんなものと、ため息をつくためだけに、通っていたはずの屋上だぞ。
おい現実。ここは本当に現実か?
「……んん」
深呼吸をする。いつも閉まっている屋上が開いているということは、誰かがここを開けたということだ。
きっと用務員だ。
扉を開けたら、モップがけをしてる用務員の冴えない三十代のおっさんが、ちょっと面倒くさそうな顔つきで「立入禁止だよ」と注意してくるに決まってる。
徐々に胸の鼓動も落ち着いてきた。
そうだ。これならまったくもって、違和感はない。
だけど、開ける。
中二病大好き、ライトノベルで培養育成されてきた僕はこの扉を開ける以外の選択肢をもはや持たない。
かちゃり、とノブを回す。
息を飲む。
またしても早鐘を打ち出す心臓。くっそキョロ充かよ心臓。
そして僕は、屋上に続く扉を、そっと開け放った。
「――――誰」
凛と響く、若い女の子の声。
嘘だ。
こんなこと、あり得るはずがない。
からからに渇いた喉は、うまく声を作れない。今まで、こんな展開を幾度となく妄想してきたはずなのに、いざ現実に起きてみると、なんにも対応できないことがわかる。
そう、これはフィクションではない。
現実なんだ。
「あっ、そっち、こそ、誰、なんで」
一陣の風が吹き、屋上の金網を握り締めた少女の銀色の髪がふわりと揺れる。銀色の髪って、なんだよ。こんな子、校内で見たこともないぞ。
「どうして、ここに?」
夢か、これは。
あんまりにも妄想を炸裂させ過ぎた余り、僕は幻覚を見ているのか?
だって、嘘だろう。
ここは屋上で、そこにいたのは銀色の髪を風に吹かせた利発そうな美少女で、僕以外の人間はひとっこ一人いなくて、なんて。
「鍵が、開いてたから」
まるで、二次元の世界じゃないか。
「……閉め忘れたのかしら」
「えっ、まさか、君、いつもここに?」
少女は頷いた。
僕が毎日昼休みにノブを回して、開かずの扉にため息をついていた時もずっと、この屋上に一人でいたというのか?
「ど、どうやって」
「……それは」
「話せないの?」
またしても少女はこくりと首を振った。
自分がどんどん順応していくのがわかる。
からだが、勝手に動き出し、喉が、勝手に話し出す。
今まで見て、読んできた世界を再現するために、頭の中で駆け巡る数々の作品たちが蘇り、エンジンのように駆動する。
僕が一歩踏み出す時、それは「上条当麻」でもあり、「キリト」でもあり、「薬屋大助」でもあって、「織斑一夏」で、「司波達也」の一歩とまったく変わらない。
声が、まるで誰かにアフレコされているように、すらすらと出てくる。
「逆に、君はどうして、ここに?」
「わたしは、ここに、いなくちゃいけなかったから」
胸の鼓動が高鳴る。
そうだ。彼女は《ここにいなくてはならなかった》。
そしてまた、僕も、わかっていたとしても、答えてはならない。
決してここで、解答を言ってはならないのだ。
「どう、いうこと?」
測ったわけでもなんでもない。
これはただの必然で、今までそうあったのだから、そうあらなくてはならないというだけのこと。
ここで僕らの邂逅を打ち壊すのは、学校のチャイムでしかあり得ない。
鳴り響くチャイムに、僕は《無意識》に校舎を振り返る。
「あっ、ちょっと!」
その隙を狙って、彼女は、僕の横を通り抜け、屋上を去ってしまった。
伸ばした手は空手のまま握り締められ、下ろされる。
そして僕は、こう言うのだ。
「なんだったんだ、あいつ」