ボディガードのあるべき姿
ここは、とある有名なホテル。
その最上階の大広間を貸し切って行われようとしているのが、我が新堂グループ創立二十周年の記念パーティーだ。
そのうちにも、各界の有名な著名人の方が続々と会場に集まってきている。
中には、テレビで見たことのあるような人なんかもいたりして。
あたしは、そんな会場の片隅で身を隠すようにして様子を眺めていた。
「ちょっとぉ……こ、これって思ってたより凄くないっ?」
パーティー開始まで、あと三十分。
……ゴクリ。
思わず生唾を飲み込む。
足は棒のように動かないし、心臓も今までで一番じゃないかと思うくらいにバクバクいってる。
あたし、絶対耐えられない……絶対途中で倒れそう。
おまけに、着慣れないドレスで落ち着かないし、髪型も緩く巻いて変に大人っぽくなってるし、普段はあり得ない化粧もしてるし、肌も予想以上に露出してるし……お父さんの好みとはいえ、いくら何でもやり過ぎじゃない?
そんな事をあれやこれやと考えていると、
「探しましたよ、お嬢様」
突然、背後からポンと肩を叩かれた。
「ひっ……!!」
あたしの身体は一瞬にして硬直する。
「大丈夫ですか?」
ふと聞き覚えのあるような声が聞こえて、ゆっくりと後ろを振り返った。
あ、柊木さんか……彼もパーティー用の黒いスーツを着て、また例のごとく黒縁眼鏡をかけている。
こうして見ていると、何だかいつもより大人の雰囲気が漂っていて、妙に格好良く見えてしまうから不思議な感じだ。
だっ、だからと言って、それ以上の感情なんてないんだからね!誤解しないでよねっ!
「……い、一応は」
複雑な気持ちで答えるあたしに、柊木さんがニコリと微笑む。
ドキンッ!
ち、ちょっと……あたしってば、こんな時に何をドキドキしてんのよっ。
「おやおや、かなり緊張しておられるようですな」
そう言って顔を近付けてくる。
「こ、この状況で落ち着ける訳ないじゃないっ!」
両手に拳を握りながら言い返すと、
「それだけ勢いがあれば大丈夫ですね」
柊木さんは楽しそうに笑った。
「勢いって、あたしをバカにしてる?」
「そんな滅相もございません。今日のお嬢様は、とても可愛らしい……いや、本当にお美しくていらっしゃいますよ」
へ? か、可愛いって?
おまけに、お美しいって!?
あたしはポカンと見上げる。
「うーむ……このまま公衆の面前に出してしまうのは、ある意味危険かもしれませんね」
右手を顎に当てて、何やら思案している様子の柊木さんだ。
「何が危険なのよ?」
「本日のパーティー参加者の中には、お嬢様目当ての輩もいるでしょうから……特に、若い男の色目には十分お気をつけ下さい」
なんて、いつになく真剣な表情であたしを見つめてくる。
「色目って……たかが女子高生目当てに来るような男の人なんて、いるわけないじゃない」
あたしはプッと吹き出した。
「お嬢様。あなたは、この新堂グループ社長兼会長の一人娘なのですよ。もっと自覚を持って下さらないと困ります」
柊木さんが珍しく怒ったように言う。
「わ、分かってるわよっ……」
「旦那様も本当は心苦しいのです。今までは出来るだけ自由に育てたいという思いから、あえてこういう場に同席させるのを避けておられました。しかし、お嬢様が年頃になるにつれ、避けられないという現実にも大層悩んでおいででした。そんな旦那様の心中もお察し下さいませ」
まるでお父さんの気持ちが分かっているかのように話す彼に、あたしはふと疑問を抱いた。
何なの?
この如何にも事情を知っています的な感じは……そういやご飯に同席している時だって、今思えばやけに親しい雰囲気だったような気がする。
もしかして、お父さんと柊木さんはもっと前からの知り合いだとか……そう考えると納得もいく。
「ちょっと聞きたいんだけど」
「何ですか?」
柊木さんが聞き返したその時、
「おっと、こんな所にいらしたんですか。随分探しましたよ」
実に良いタイミングで割り込んできた第三者の声。
「あ、橘さん」
そこには、お父さん付き秘書の橘さんが眉間に皺を寄せた表情で立っていた。
本当に探していたのだろう、少し前髪が乱れている。
「それは大変申し訳ございません。お嬢様とパーティーの段取りについて最終確認をしていたものですから」
柊木さんはサラリと言ってのけた。
この非常時に対して、咄嗟にそういう機転が利くとは……さすがというか何というか。
「……そうだったんですか」
橘さんは、あたしと柊木さんを交互に見つめながら溜め息をつく。
ホッ……何とか信じてもらえたみたい。
「とにかく、もうすぐ旦那様のご挨拶が始まりますので、早く所定の位置について下さい」
そう言い残すと、橘さんはすぐに舞台の方へ戻っていった。
「何もあんなにピリピリしなくても……途中でバテる姿が目に浮かぶってモンだ」
柊木さんが橘さんの背中を見ながら独り言のように呟く。
「誰かさんと違って真面目だから」
その隣で、あたしはクスッと笑った。
「は?その言い方だと、私が真面目ではないように聞こえますが」
柊木さんが拗ねたように言い返してくる。
「だって、それが現実だもん」
「まだ信じて頂けないのですか……思った以上にハードルが高すぎて困ります」
あたしが見上げると、柊木さんも苦笑いしながら見下ろしてきて……そのまま目が合ってしまった。
「!?」
と同時に、あたしは反射的に目をそらす。
もう、そんな目で見ないでよ……ドキッとするから。
またも味わう複雑な気持ちに、あたしは戸惑いを隠せない。
「お嬢様、急に黙り込んでどうしました?」
勘の鋭い柊木さんは当然のように訊ねてくる。
「あ、いや、何でもないないっ!」
まさか、ね……こんなのあり得ないんだから。
あたしは、一瞬過ぎった気持ちを否定するかのように、慌ててその場を離れた。
「お待ち下さい。それが何でもないような顔なのですか?」
と言いながら柊木さんが後からついてくる。
ちょっと、ついて来ないでよっ。
「だ、大丈夫だから!それよりもお父さんの挨拶が……」
あたしがそう言いかけた時、
「えー……ただいまから、新堂グループ代表の新堂源一郎より御来賓の皆様へ挨拶がございます」
そんな司会者のアナウンスに導かれるように、正装に身を包んだお父さんが反対側から舞台上へと向かい、沢山の来賓者の拍手が会場に響き渡るなかで深く一礼した。
今まで見たことのない堂々としたお父さんの姿を、あたしはただ呆然と眺めている。
「……そういえば、あのような旦那様を見るのは初めてですよね」
隣に立つ柊木さんが声をかけてきた。
「うん。何だか別人みたい……」
そう呟いた直後、あたしの目の前を黒い影が音もなく横切る。
「!?」
ハッとして舞台上に目を向けると、そこにはお父さんの身を庇うようにして立ちふさがる柊木さんの姿があった。
……いつの間に……。
しかし次の瞬間、柊木さんの身体は映画のスローモーションのように、前のめりになって倒れていく。
「え……」
とたんに会場中が騒然となり、そのうちにどこから来たのか、大勢の警備員の人達がバタバタと一斉に大広間へ入ってきた。
「落ち着いて下さいっ!念の為、皆様方を別室へご案内させて頂きます」
そんな言葉と共に来賓の方々の誘導が始まる。
な、何が……あったの?
あたしの頭の中は既に真っ白で、思考回路はゼロになっていた。
「柊木君っ、おい大丈夫か!しっかりするんや!」
ふと、お父さんの叫び声が響き渡る。
その声で、あたしはようやく我に返った。
舞台上では、お父さんがぐったりしている柊木さんを介抱している。
「ひ、柊木さんっ!!」
あたしも慌てて舞台に駆け上がろうとしたら、
「何でまだここにおるんやっ、危ないからお前も早く別室へ行かんかっ!」
お父さんから一喝されて立ちすくむ。
「そっ、それはお父さんだって同じでしょ?でも、今は柊木さんの方が……」
「彼の事なら心配いらない。だから君も早く移動したまえ」
今まで気付かなかったのだが、お父さんの背後にもう一人、グレーのスーツ姿の見知らぬ若い男性が立っていた。
肩まで伸びた長めの髪に切れ長の瞳が印象的ではあるけれど、今はそんな事を考える気持ちの余裕と時間はない。
「嫌ですっ!柊木さんは、あたしの執事兼ボディガードなんだからっ!」
「か、楓……」
お父さんが驚いたように目を見開いた。
「そうでしたか。あなたが要の……なるほど」
その若い男性は意味深な笑みを浮かべる。
何この人……要って柊木さんの名前よね。
「あなた、誰?」
「その前に、要を先に病院に連れて行くのが先決だ……おい、誰か聞いてるか?救急車は到着したのか?」
若い男性は、何やら耳につけているイヤホンのようなものに話しかけていた。
「……よし、分かった……じゃあ急いでくれ」
「ワシを庇ったばっかりに……一体、誰の仕業なんや……」
お父さんは悔しそうな顔をしている。
「それは我々にお任せ下さい。その為にも新堂会長には色々とお伺いしたいのですが、お時間は取れますか?」
我々にお任せ?
つまり、この人は……刑事さん、とか?
「ああ、勿論や。ワシを助けてくれた柊木君の為にも、協力は惜しまんさかいにな」
そして、じきに救急隊員の人が到着すると柊木さんは担架に乗せられ、あっという間に運ばれていく。
「じゃあ、あたし病院に行くからっ!」
そう言い残し、半ば強引に大広間を後にした。
背後でお父さんの怒鳴り声が聞こえていたような気がしたけど、そんなの無視無視っ!
……柊木さん、頑張って……どうか無事でいて。
あたしは祈りながら救急車に乗り込むのだった。