続・お嬢VS執事
コンコン。
ベッドに寝そべって漫画を読んでいたら、ふいにドアをノックする音がした。
「はい、どーぞー。開いてますよー」
「……」
確かにノックする音がしたんだけど、ドアを開けて入ってくる気配がない。
もしや柊木さんかと思ったけれど、よく考えてみたら、あの人はノックして入るような律儀なタイプじゃない。
昨日今日と勝手に入ってきたぐらいだし……じゃあ誰?
考えられるとすれば、お父さんか秘書の橘さんのどちらかになる。
うーん、仕方ない。これは出迎えるべきだよね。
あたしは起き上がるなり、ドアの方へ歩いていく。
コンコン。
再びノックする音がした。
「はいはーい。今開けますよー」
そう言いながらドアを開けると、
パッコーン!
「痛ーいっ!何すんの……」
「おい、お嬢!出迎えが遅すぎるぞ」
頭をさすりながら顔を上げると、そこには黒縁眼鏡をかけたスーツ姿の見知らぬ男の人が……いや、眉間に皺を寄せた表情の柊木さんが立っていた。
おまけに、右手には筒状に丸めた雑誌のようなものを持っている。
恐らく、あたしはコレで叩かれたのだろう。
てゆうか、親にも叩かれたことないのに。
「い、いきなり何すんのよっ!」
それよりも、これがあたしのファーストキスを奪った人がすることなのかって感じだ。
「まだ俺だから良かったようなものの、これがお客様だったら許されねえぞ」
はあっ!?
ーーそれは、約一時間ほど前の朝食中でのこと。
「柊木君、ちょっと相談があるんやけど」
ふと、あたしの向かいに座っていたお父さんが斜め後ろに立つ柊木さんに話しかける。
「何でしょうか?」
身を乗り出すように歩み寄り、営業スマイルで聞き返す柊木さんに、
「うむ。実はな、昨日言うた楓の社会勉強の話なんやけども……」
お父さんが、あたしにチラッと視線を向けながら切り出した。
もしかして、お邪魔?
「席、外そうか?」
立ち上がりかけたら、
「かまへん、かまへん」
お父さんに引き留められて、あたしは渋々座り直す。
「昨日渡した予定表の中に、楓のお披露目パーテーって書いてるとこあったやろ?それについてなんやけども……」
「ちょ、ちょっと!何それ?お披露目って何?そんな話聞いてないよ!」
あたしは慌てて椅子から立ち上がった。
「楓に、ちょっとマナーみたいなもんを知っといてもらいたいと思とるんやけど、どうやろか」
だから聞いてないって。
「ふむ、そうですね。せめて挨拶程度は知っておいた方が良いかと……」
だから勝手に進めるなって!
二人は顔を突き合わせるようにして話している。
「今まで随分と甘やかして育ててしもたさかいに、さすがにワシとしても不安でな」
「はい、分かります、分かりますともっ!」
そう言って両手でガッチリと固い握手を交わす二人。
だーかーらーっ……何よ、この雰囲気は!
引き留めといて邪魔者扱いっすか?
はいはい、分かりましたよ。
男二人で勝手に仲良くやってろーっ!
お父さんの後ろで控えていた橘さんも、やれやれという感じで短く溜め息をついていた。
ーーで、今に至るんだけど。
「お嬢、朝の話をもう忘れたのか?」
「朝の話?」
「お披露目パーティーの話に決まってんだろうが」
ああ、アレね。
柊木さんは、呆れたように言いながら背広の内ポケットから一枚の紙を取り出すと、あたしの目の前に差し出してきた。
「何々……新堂グループ創立二十周年記念パーティー?」
「そう。このパーティーに、お嬢を紹介しようかって話になってるんだ」
柊木さんはサラリと答える。
「そんな大事な話、本人抜きで勝手に決めるなんて信じられない」
「まあ、こういう世界で生きている以上、誰しも通らなきゃいけない試練なんだ」
さも分かっているかのように頷く柊木さんだ。
「試練って、あたしはまだ未成年だし……」
「未成年って、もう小学生以下のガキじゃあるまいし」
うぐっ。
「お嬢は知らねえだろうけど、旦那様はかなりの有名人だからな。当日はいろんな客人が来るぞ」
「いろんな客?」
「そうだなー……言ってみれば、お嬢目当てに来る金持ちのオジサマの集まりってとこか」
言いながら、チラッとあたしを意地悪そうに見つめてくる。
「何それっ!?」
「何って……当然、未来の嫁争奪戦に決まってるでしょ」
え、ええーっっ!!
決まってるでしょ、って。
「そ、そんなの嫌よ、勝手すぎるっ!出ない、そんな大人の身勝手なパーティーなんて、絶対に出ないーっ!」
あたしは大声を張り上げた。
「そんなワガママ言わないの。お年頃の子供を持つオジサマ達のパーティーなんて、所詮そういうモンだ」
怒り心頭のあたしに対して、柊木さんは至って冷静だ。
「だから、大人しく従えとでも?」
「そういう事」
むむむっ。
ちょっと、その如何にも開き直ったかのような態度は何っ!?
まるで他人事のような、どうぞご勝手にみたいな態度は何っ!?
「そんなぁー……記念パーティーだけで終わらせる事なんて出来ないの?」
思わず柊木さんに詰め寄るあたし。
「無理だ。てゆうか、俺にそんな権限はない。それに、俺はお嬢の身に危険を察知した時は動くが、普通に会話している程度じゃ下手に動けない立場なんだ。分かるだろ?」
両手を後頭部に回しながら、部屋の奥にある窓際へ歩いていく柊木さんだ。
「確かにそうだけど……」
あたしは言葉を濁す。
でも、その時の会話の内容が、もし未来の嫁みたいな話題になっていたとしても、柊木さんは黙って聞いていられるっていうの?
あの時、遊びじゃないから考えといてって言葉は……弾みで言っただけなの?
「!!」
あ、あたしってば、こんな時に何を考えて……そんな思いを打ち消すべく首を振っていると、
「もしかして」
柊木さんが再びこっちに向かって歩いてくる。
「お嬢は俺に助けを求めてる、とか?」
答えに詰まっているあたしの顔を、柊木さんはニコリと微笑みながら覗き込んできた。
ドキンッ!
そんな眼鏡をかけた彼の表情は、とてつもなく柔らかだ。
あのタレ目でイヤらしい雰囲気が微塵も感じられず、何だか調子が狂ってしまう。
「ま、まさかっ」
「まさか?」
オウム返しするその顔は明らかに楽しそうだ。
「自分で何とかするわよっ!」
当然、面白くないあたしはプイッとそっぽを向く。
「自分で、ねえ……」
「ふんっ!それでも、あたしが万が一の時に行動するのが執事ってモンでしょ?」
そして、足早にドアの方へと歩いていこうとした時だった。
「おい、待てよ」
そんな柊木さんの声と同時に、あたしの腕がグイッと掴まれる。
「は、離してよっ」
振り解こうとしても振り解けない。
「それってさ」
「え?」
こんなシチュエーション、以前にもあったような……。
そして。
気付いた時には、あたしの身体は柊木さんの腕の中に包まれていた。
「少しは期待してもいいって事、だよな……」
頭上から溜め息混じりの低い声が聞こえてきて、思わずビクッとしてしまう。
どうしたんだろ……嫌なはずなのに、同時に心地良くて安心するというか落ち着くというか……今までに味わったことのない感覚に、あたしは危うく身を委ねそうになった。
「ああーっ!」
それなのに、とたんに出たのは大声で。
「何だよっ」
さすがの柊木さんも、顔をしかめながらあたしを見下ろしている。
「ところで、柊木さんは何しに来たの?」
「何って……ああ、そうだ。確か、社交界での身の振り方を教えるんだったな」
「プッ……」
その表情がおかしくて、あたしはつい吹き出しそうになった。
「よし。急遽、研修内容を変更する」
「へ?」
「大人のマナー研修でいこう」
柊木さんがそう言ったかと思うと、あたしの身体がフワッと宙に浮く。
「うわわっ!」
「ふーん……お嬢って、意外と軽いんだな」
あたしは柊木さんにお姫様抱っこされていた。
「お、下ろしてくださいっ!」
「今更だろ?」
そして、向かう先はというと。
「ち、ちょ、ちょっと!何のつもりでっ……」
必死の抵抗をするあたし。
「何のつもりって、男女がベッドの上でする行為といえばアレしかないでしょ」
すました顔であたしをベッドに横たえ、その上から柊木さんが覆い被さってきたかと思うと、そのままグーッと顔が近付いてきた。
「ス、ストーップ!」
あたしはギュッと目を閉じる。
「…………」
あれ?
「プッ……クククッ……」
え?
ふと目を開けると、必死に笑いを堪えている柊木さんの顔が視界に入ってきた。
「ひ、ひどーいっ!!」
もしかして、からかわれた!?
「悪い悪い。笑うつもりはなかったんだ、マジで」
その割には、涙で目が潤んでますけどっ!
「……いやー、危うく理性を失いかけるとこだったぜ」
ふうっ、と柊木さんが額の汗を拭う素振りを見せた。
「えっ」
あたしはキョトンとする。
「健全なお兄さんを弄ぶんじゃありませんっ!」
そう言って、眼鏡をかけ直しながらベッドから離れる柊木さんを見て、あたしも身体を起こした。
「そ、そんな事してませんっ!」
まともな恋愛経験のないあたしが出来るとでも思ってんの!?
「うーむ……これじゃあ、お嬢が他のオッサンに目ぇ付けられんのも時間の問題かもな」
だから、あり得ないってば。
腕を組みながら真顔で考え込む柊木さんを横目に、何故だか顔がにやけてしまうあたしなのだった。