お嬢の気持ち
新学期を明日に控えた夜、あたしは窓を開けて外の景色を眺めていた。
夏の夜風は少しだけひんやりしてて、やけに心地よかったりする。
「はぁー……これで学校じゃなかったら文句ないのに」
そう、明日からまたお嬢様達との生活が始まるのかと考えると、やはり気が重くなる。
基本的に自己中だからね、お嬢様は……ま、人のこと言えないけど。
夏休み前、突如現れた執事兼ボディガードの柊木さんとの生活が始まり、そして、お父さん付きの秘書だった橘さんとの思いがけない形での別れ。
さらには、イケメン刑事の三崎さんにニューハーフの愛梨さんとの出会いもあった。
この一ヶ月を振り返ると、いろいろあったな……。
ある意味、高校生活最後にして一番印象に残る夏休みとなるのは間違いない。
「さて、そろそろ寝よっと」
名残惜しむかのように窓を閉めてゆっくりとベッドに向かうと、そのままポスッとうつ伏せに倒れ込む。
「……」
そういえば、今頃、柊木さんって何してるんだろう。
あたしから開放されて、自由を満喫してるのかな。
ふと、いつもは考えないような事が脳裏をよぎった。
「……って。あたしってば、何考えてんの?」
思わず口に出して呟くと、頬が火照ったように熱くなる。
まっ、まさか……いやいや、そんなことあり得ないしっ!!
あたしは、枕に顔を埋めて両足をバタつかせた。
あ、あんなタレ目(見た目)で、スケベ(印象)で、女たらし(予想)な……しかも、ファーストキスまで奪われた奴(根に持っている)のどこがっ!
「そ、そうよっ!騙されちゃだめよ!」
かと思えば、意外と優しいとか、側にいると安心するとか、いざという時は頼りになる……とこもあったり、とか。
「いっ、いやいやっ!そっ、それはあくまで仕事だからっ!そうよ、仕事だからであって、それ以上の、なんてあるわけ……」
う、うわーっ!こ、これは逆効果だ。
気になりすぎて、尚更眠れなくなっちゃったよ……。
あたしは、居たたまれなくなって身体を起こしたーーその時。
コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。
「お嬢、うるさくて眠れねえんだけど」
「!?」
噂をすればの柊木さんの声に、あたしの心臓がドクンと跳ね上がる。
仕事柄、ほんの些細な音だって聞こえちゃうんだよね。
壁を挟んだ隣の部屋だし、無理もないか。
「あ、ご、ごめんなさいっ!もう寝るからっ!」
あたしは、悟られないように大きめの声で答える。
「……ならいいが、明日から学校なんだから早く寝ろよ」
「わ、分かってる!」
大丈夫、バレてない、よね。
念のため、柊木さんが部屋へ戻ったかどうかを確かめるのに、足音をたてないようにドアへ向かうと、そのまま頬をくっつけて聞き耳を立てた。
「……」
うーむ……意外と聞こえないな。
ガチャ。
「え?」
ドアノブをひねる音がしたかと思うと、
「ほらな、やっぱ起きてるし」
頭上から、呆れたような柊木さんの声がして。
あたしはというと、そのままグラリと身体が横に傾いた。
「あっ」
た、倒れるーっ!
そう思ったのも束の間、すぐさま柊木さんの腕に支えられる。
「……」
恐る恐る顔を上げると。
そこには、眉をしかめながら見下ろす柊木さんの顔があった。
「……何だ、眠れないのか?」
黒のジャージ姿で腕組みをする柊木さんの前で、あたしはただ黙って立ち尽くす。
こうしていると、まるで体育教師に説教されている女子生徒のような気持ちになってくる。
「……眠れます」
「じゃあ、さっきのアレは何のつもりだ?」
「アレって?」
「ドアで聞き耳立ててただろうが」
柊木さんは、ズバリ単刀直入に聞いてくる。
「き、気のせいですよ!そう見えただけじゃないですか?」
雰囲気に流されてかどうかは分からないけど、口調まで先生と生徒っぽくなってきた。
「ったく、俺は騙されないぞ。正直に話せ」
「何よ、これくらいのことで……」
あたしはボソッと呟いた、つもりだった。
「はあ?今、なんて言った?」
柊木さんの声が、1オクターブ下がる。
あ、ヤバっ……そう思った時には、すでに時遅し。
突然、腕をガシッと掴まれて引き寄せられた。
「なっ、何すんの……っ!」
「素直じゃないお嬢には、お仕置きが必要だな」
「え?」
そのうちにも、あたしの身体は導かれるように、柊木さんの腕の中にすっぽりと収まってしまう。
スリムに見えて、意外と広い柊木さんの胸板をリアルに感じてしまい、ドキドキ感が半端ない。
あたしは、わずかに残った隙間を使って両手を胸元に持っていき、辛うじて余裕を作った。
「お嬢の腕、邪魔」
「じ、邪魔じゃないってば!」
もはやドキドキを通り越して張り裂けそうになる。
だから身体を引き離そうと押し出してみるけれど、柊木さんの腕がそれを許してくれない。
「今更、逃げる理由なんてないだろ」
「だ、だって……」
「お嬢は、俺のこと嫌いなのか?」
「そっ、それは……嫌い、じゃないけど」
「それだと答えになってないだろうが」
そんなこと言われても……まだハッキリとした答えなんて出せない。
確かに気になる存在ではあるけど、本気の恋愛感情なのかと考えたら……まだそこまでの確信は持てなかった。
「好きか嫌いかと聞かれたら、まあ……す、好き、に近いけどっ」
もう恥ずかしくて、まともに顔を上げられない。
「ふむ。もう少しだな」
柊木さんはボソッと呟くように言うと、あたしからゆっくりと身体を離した。
「え?」
ようやく開放されたあたしは首を傾げる。
「も、もう少し?」
「……こないだは左肩だったから、今度は右肩でも怪我すれば、今度こそ好きになってくれんのか」
しれっと笑いながら言う柊木さんに、
「そっ、そんなこと軽く言わないで!」
あたしはキリッと睨みつけた。
あの時のショックは、二度と味わいたくない。
そんなあたしを見て、柊木さんの表情から笑みが消える。
「お、おいおいっ、冗談に決まってんだろ。もうあんなヘマはしないから、そんなに怒んなよ」
困ったような顔で、あたしの頭をポンポンと叩いた。
「ヘマって何よ!あんな目に遭うのは……もう嫌……っ」
あたしは込み上げてくるものを見せまいと、フンッとそっぽを向いて柊木さんに背を向ける。
「おっと!今のは俺が悪かった。だから機嫌直してくれよ、な?」
本気で困っているのか、すがるように謝ってくる柊木さんの声が聞こえた。
あたしは、そんな間抜けな声に思わずプッと吹き出してしまった。
「な、何がおかしいっ!」
「だ、だって……」
再び振り返ると、あたしはごく自然に笑顔を向ける。
「ふふっ」
そして、今。
「……お、お嬢?」
あたしのとった行動に、彼は明らかに動揺していた。
何故こうしたのか、自分でもよく分からない。
あたしは柊木さんの背中に腕を回して、今度は自らの意思で抱きしめているのだから。
そうして、耳に入ってくるのは……彼の規則正しい胸の鼓動。
間違いなく生きているという証を確認するかのように、目を閉じて静かに耳を澄ませる。
良かった……。
はじめは戸惑っていた柊木さんだったけど。
しばらくして、彼の逞しい腕が、あたしをギュッと抱きしめてくれたのでした。




