お嬢の戸惑い~前編~
夏休みも半分を過ぎたある日。
あたしは、柊木さんの病室で荷造りに精を出す。
「えーっと……これで忘れ物はないかな」
周りを見渡して確認、と。
そして、入口には久々の私服に身を包んだ柊木さんが早くも部屋を出ようとしていた。
そう、今日は退院日なのである。
「やっとここから解放されるんだよなーっと」
言いながら大きく伸びをしたとたんに、
「痛ててっ」
と顔をしかめる柊木さんだ。
「まだ本調子じゃないから無理するなって、さっき先生から念を押されたばかりじゃないの」
あたしは呆れ顔で彼を見る。
「こんな隔離された病室で一人寂しく毎日を過ごす辛さなど、お嬢には分かるまい」
は? その時代劇調の言い方は何?
「だから毎日来てあげたでしょ?」
「あんなの見舞いじゃなくて、ほとんどお嬢の家庭教師だったじゃねえか」
確かに。
夏休みの課題を持ち込んで、柊木さんに分からないところを教えてもらっていた。
その甲斐あって、一週間かかると思っていたものが数日で終わったんだからスゴい。
「だって、柊木さんって難しい問題をスラスラ解いちゃうんだもん」
その間、あたしは尊敬の眼差しを送り続けていたっけ。
「ふん、大卒なめんなよ」
そう言って、得意気に上から目線であたしを見下ろす。
「大卒だってー!すっごーいっ!」
思わず両手を胸に当てて驚いてみせた。
すると、柊木さんは無表情でこちらを睨むなり、
「……わざとらしい」
と呟く。
「わっ、わざとらしいって……素直に感動して出た言葉なのに」
「素直に、ねえ……」
言いながら、ツカツカとあたしの方へ歩いてきた。
「そっかそっか、感動してくれたのか。じゃあ、お礼をしないといけないな」
ニヤリと笑みを浮かべる柊木さん。
「お、お礼?」
そのうちにも近づいてくるタレ目顔。
いやいや、ここは病院ですよ?
「……一体、どれだけ我慢させられたと思ってんだよ……」
吐息混じりの低い声で、あたしの耳元に囁いた。
「我慢って……まっ、まだ病院だしっ」
たちまち心臓の鼓動が早くなる。
「まだ、ということは家に帰ったらいいんだな」
「あ、いやっ、そうじゃなくて」
そのうちにも、柊木さんの顔が目前にまで近づいていた。
ヤバい、ヤバいよ……近すぎるってば。
こんな時、誰かが来てくれればいいのに。
あたしは、心の中で必死に助けを求めた。
そして、柊木さんの手がゆっくりと肩に乗せられて。
「……お嬢様、覚悟は出来ましたか?」
ううっ、こんな時に限って執事様モードで話しかけるなっ!
おまけに、そんな優しい眼差しで見つめるなっ!
「ふむ。そのご様子から察するに、このまま先へ進んでもよろしいかと思われるのですが……」
「い、いや、ここではちょっと……じゃなくて、誰かが来ないとも限らないし……よ、要するにっ」
うっ、うわっ!
あ、あたしってば何を言ってんのよ!
「その可愛らしい反応、誰にも見せられませんね」
こ、こらこらっ!
か弱き女子高生をからかうんじゃないっ!
ガラガラ。
「おい、二人とも何してるんや。帰るで」
ふいに入口の戸が開いたかと思うと、聞き慣れた関西弁が耳に入ってきて、あたしと柊木さんは弾かれたように離れる。
「ん?どないしたんや?」
「いえ、何でもありません」
柊木さんは顔色一つ変えず淡々と答えた。
き、切り替え早っ!
「ほな、帰ろか」
ホッ……あたしは、そっと胸をなで下ろすのだった。




