労りの精神
「う、うーん……」
何だか瞼が重い、ような。
あたしはゆっくりと目を開けた、と同時に見慣れない白い天井が視界に入る。
「あっ!」
ガバッ!
勢い良く起き上がり、周囲をぐるりと見渡した。
白い壁、窓にはクリーム色のカーテン、白い布団、手すりの白いベッド。
「……」
あたしってば、柊木さんのお見舞いで病院に来てたのに……まさか、倒れた?
いや、そんな記憶はない。
それとも、寝落ち?
いやいや、こんな状況であり得ない……と思う。
時刻を確かめたくても荷物がない。
ICUに行きたくても現在地が分からない。
てゆうか、ここは病院のどこっ!?
そして、柊木さんはどうなってんの!?
あたしは、急いでベッドから降りると部屋を出た。
長い廊下に規則正しく並ぶ病室のドア……どうやら、その途中にある個室で寝かされていたらしい。
しかも、ちょうど夕食の時間なのだろう、ご飯のいい匂いがあたしの鼻を刺激する。
「はあー……お腹、空いたな……」
おっと、ここは我慢の子だ。
今は柊木さんの様子が最優先である。
ふと、数メートル先に「ナースステーション」という文字が見えた。
あたしは小走りで向かうと、中にいた看護師さんに声をかける。
「す、すみませーんっ!あの、入院してないんですけど、何かICUにいたはずが、その……」
焦るあまり、日本語が上手く話せない。
「ああ、新堂楓様ですね?目を覚ましたら連絡するようにとの事ですので、少しお待ち下さいね」
「は、はあ……すみません……」
よりによって寝落ちとは……最悪だ。
もう恥ずかしくて顔を合わせられない。
がっくりと肩を落としていると、さっきの看護師さんが戻ってきた。
「ICUにいらっしゃいますので、来て下さいとの事です」
「は、はあ、そうですか。分かりました」
「場所は、このまま右側に真っ直ぐ進んでもらって、突き当たりをさらに右に曲がった奥になります」
親切に案内までしてくれる。
「あ、ありがとうございます。べ、ベッドは……」
「そのままで構いませんよ」
あたしは看護師さんにペコリと頭を下げながら、教えてもらった場所へと急いだ。
★☆★☆★☆
「おはよう、楓」
柊木さんのベッドに着くなり、傍らの椅子に座っていたお父さんが振り返ってニヤリと笑う。
「……ごめんなさい……」
あたしは謝るしかない。
「しゃあないわ。普通じゃあり得へん事が起きたんや。疲れて当然やろ」
「で、ご両親は?」
ここには、お父さんとあたしの二人だけだ。
「ああ、どうしても抜けられへん約束があるって言うてな。息子の無事を見届けてから、少し前に帰ったよ」
「えっ……」
思わず声を上げそうになって、慌てて自分の口を塞ぐ。
息子の無事を見届けてからって……。
「ほら、いつまでそこに立ってるんや。早よこっちに来なさい」
「う、うん」
言われるがままにベッドに近寄るあたし。
「お前がぐっすりと寝とる間に意識が戻ったんやで」
「うっ……そう言われると何も言い返せなくなるんだけど。でも、良かった……」
ホッとしながら呟くと、ちょうどこっちを見た柊木さんと目が合う。
両腕の点滴はそのままだけど、酸素マスクは外されていた。
「旦那様とお嬢様も……無事で良かった……」
麻酔から覚めて間もないからか、朦朧としながら柊木さんが呟く。
「おいおい、柊木君。今は人の心配するより、自分の心配の方が先やろ」
お父さんは呆れながらも、その表情は安堵に満ちていた。
「おっとそうや。ワシ、ちょっと電話するとこがあって席外すさかい、楓はもう少しここにいとき」
そう言いながら椅子から立ち上がる。
「え?う、うん、分かった」
あたしはお父さんと入れ替わるようにして椅子に座った。
ドキドキドキドキ……。
何だか妙に緊張する。
どうしよう……ここは、やっぱり声をかけるべきだよね。
話しかけるタイミングを伺っていたら、
「はあ……」
ふと、柊木さんが小さく溜め息をついた。
「あっ、大丈夫?どこか痛むの?看護師さん呼ぼうか?」
あたしは椅子から立ち上がりかける。
「いや、そうじゃなくて……」
「違うの?」
「……まあ、痛みがないと言えば嘘になるが……」
「じゃあ、やっぱり呼んだ方が」
そう言ってまた立ち上がろうとしたら、
「麻酔が切れかけてるから、傷口が痛むのは当たり前だ……それよりも、今は何もしなくていいから……このまま側にいてくれ」
「えっ!?」
ひ、ひっ、柊木さんっ!?
今、何気に凄いこと言ったよっ!?
そして、すがるような眼差しであたしを見つめてくる。
「そ、側にって……」
たちまち全身に熱を帯びてきて、あたしは思春期特有の情緒不安定モードに突入だ。
「……お嬢がいると落ち着くんだ……いいだろ?」
いいだろ?って言われても……あたしの方が落ち着かなくなる。
「こっ、ここにいるだけでいいの?」
一応確認してみたり。
「……ああ、十分だ……」
柊木さんが少しだけ微笑んだ。
「ほっ、本当に?」
一応念を押してみたり。
「……ああ、本当は物足りねえけど……」
「物足りないって……」
念を押すんじゃなかった。
「だって俺、病人じゃなくて怪我人だし……左肩以外は問題ねえし」
てゆうか、さっきまで意識の無かった人が言うセリフ?それ。
「あっ、そう」
心配して損した。
口調が執事モードならまだしも、通常モードだから余計に小憎たらしく聞こえてくる。
お陰で、今までのドキドキが冷めてしまった。
「何だ?そのあっさりした返事は」
こんな調子だったら、今すぐにでも退院出来るんじゃないの?
モニターの数値も落ち着いているみたいだし……と言いたいとこだけど、ここは病院でしかもICUである。
場所が場所だけに下手なことは言えない。
「いいえ。別に何もありません」
あたしは、こみ上げてくるものをグッと抑えながら答えた。
「なあ、お嬢……『労る』という日本語を知ってるか?」
「何よ、急に」
「……困っている人や病人、つまり弱者に値する人に同情の気持ちをもって優しく接して大事にすること、と辞書に書いてある……」
何となく、嫌な予感が。
「……今の俺が、まさしくそうだろう」
なるほど、言いたい事は分かりました。
「だけど、柊木さんは自分は病人じゃなくて怪我人だって言ったでしょ?それに、ここには若くて美人な看護師さんもたくさんいるから、あたしなんて必要ないんじゃない?」
ああ……何でこうなるんだろう。
本当は、こんなこと言うつもりなかったのに……それこそ、お父さんを助けてくれた恩人で、気がついたらちゃんとお礼を言おうと思ってたのに……。
「はあ……」
再び、柊木さんが溜め息をついた。
しかし、そんな彼の視線は真っ直ぐ天井に向けられている。
いつもと違う……そう感じた時にはもう手遅れだった。
「……そういや、お嬢も疲れてるんだったな……」
え?
「……やっぱ、もういいや。家に帰ってゆっくりしろ……」
柊木さんは、一方的にそう言って目を閉じた。
何? 急にどうしたの?
これって、明らかに怒ってる、よね。
そう感じた時、あたしの胸がチクリと痛んだ。
多分、このあと何を言っても答えは返ってこないと思う。
「じゃあ、あたし……帰るね」
「……」
やっぱり、ね。
「そろそろ失礼します。あとは宜しくお願いします」
あたしは椅子から立ち上がり、ちょうど近くにいた看護師さんに声をかけた。
「はい、分かりました。気をつけてお帰り下さい」
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げると、そのまま後ろを振り返る事なくICUを出る。
「うっ……あたしって、バカ……」
柊木さんから側にいてくれって言われてドキドキして、本当は素直に「労って」あげたかった。
あの時、病人じゃなくて怪我人って言ったのも、多分あたしに余計な心配をさせたくないという思いから出た気遣いで……本当は痛みを堪えていたはず。
その証拠に、話しながら眉間に皺が寄っていた事を、あたしは見逃していなかった。
明日、また顔を合わせた時は、ちゃんと謝ろう……そして、出来る限りのお世話をするんだ。
これからも宜しくって意味も込めて……。




